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いいがかり
原発「吉田調書」記事取り消し事件と朝日新聞の迷走
- 初版年月日
- 2015年3月
- 書店発売日
- 2015年3月24日
- 登録日
- 2015年2月4日
- 最終更新日
- 2016年3月2日
紹介
この事件は、歴史の折り返し点になるかもしれない……。
2014年5月20日、朝日新聞は「吉田調書」を1面トップで報道した。吉田昌郎氏は福島第一原発事故当時所長であった人物。政府事故調査・検証委員会が聞き取りをした調書は、極秘扱いされてきたのだが、それをスクープしたのだ。
しかし、従軍慰安婦報道、池上コラム掲載拒否問題と絡めて右派メディアなどからの峻烈なバッシングが始まったために、耐えきれなくなった朝日新聞社は「吉田調書」報道を取り消し、取材記者らを処分した。
なぜ、「吉田調書」報道は取り消されたのか。報道の自由はどうなるのかなど、日本の言論状況の危険性を問う。
目次
プロローグ いったい何が起こったのか 編集委員会
第1章 「吉田調書」記事取り消し事件を考える
「吉田調書」記事取り消し事件の論理的解剖──花田達朗(社会学研究者、早稲田大学教授)
事故の解明に風穴を開けた「吉田調書」報道──田辺文也((株)社会技術システム安全研究所主宰、元原子力研究開発機構上級研究主席)
PRC見解─事実と推測の混同──海渡雄一(原発事故情報公開弁護団、脱原発弁護団全国連絡会共同代表)
調査報道の意義──魚住昭(ジャーナリスト)
曲がり角としての2014年──金平茂紀(ジャーナリスト)
報道は誤りではない──山田厚史(デモクラTV代表、元朝日新聞編集委員)
第2章 私はこう思う
いいがかり──森まゆみ(作家)
私はこう思う
何かがおかしい──ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
原子力マフィアと吉田調書問題──小出裕章(京都大学原子炉実験所)
本領に背く取り消し──佐高信(評論家)
ブンヤの精神に立ち返れ──三上智恵(ドキュメンタリー監督)
メディアは反政府でなければならない──西山太吉(元毎日新聞政治部記者)
知る権利の立場から──大石芳野(写真家)
調査報道を葬ってはいけない──木村結(東電株主代表訴訟事務局長)
情報や被害を隠すのは誰か──馬奈木厳太郎(弁護士、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟弁護団事務局長)
被爆二世として考える「二つの沈黙」──平野伸人(元全国被爆二世団体協議会会長)
よくぞスクープしてくれた──伴英幸(原子力資料情報室共同代表)
「隠し得」を許せば未来は暗い──日野行介(毎日新聞特別報道グループ)
おもてなしの欺瞞──渡辺寿(映画監督)
腰巻きの紐あやうし!──中山千夏(作家)
「吉田調書記事取り消し事件」の検証を──大石泰彦(青山学院大学法学部教授)
「取材のプロ」として──高田昌幸(高知新聞、元北海道新聞)
「凡庸な悪」の体現──北村肇(「週刊金曜日」発行人、元新聞労連委員長)
OBから見た「オウン・ゴール」──柴田鉄治(元朝日新聞科学部長、論説委員)
記者処分撤回し、原発マフィアについての調査報道を──浅野健一(同志社大学大学院教授(地位確認係争中))
メディア底上げへ新聞社の垣根越える──大西祐資(京都新聞社編集局総務)
バッシングという、集団の無責任さ──平井康嗣(「週刊金曜日」編集長)
記者の取材過程を評価し、新聞労連特別賞──新崎盛吾(新聞労連委員長)
異議あり! メデイアOB・OGから──伊田浩之(「週刊金曜日」副編集長)
木を見せて森を見せず──山口二郎(法政大学教授)
庶民のためのかわら版が読みたい!──松元ヒロ(スタンダップコメディアン)
朝日問題と報道の在り方──室井佑月(作家)
媚びるな、おもねるな──大谷昭宏(ジャーナリスト)
卑しく恥ずかしい人間にはなりたくない──斎藤貴男(ジャーナリスト)
掲載記事守れぬ姿勢こそ、最大の間違い──マーティン・ファクラー(ニューヨークタイムズ東京支局長)
もっともらしい言葉に注意せよ──広瀬隆(作家)
報道を「検証」すること──林香里(東京大学大学院情報学環教授)
現場を歩く記者たちが、再生の担い手だ──寺島英弥(河北新報社編集委員)
現場を萎縮させるな──篠田博之(月刊「創」編集長)
筆を折ることは許されない──清武英利(ジャーナリスト)
「幻のスクープ」にしてはならない!──田中伸尚(ノンフィクション作家)
読者が見たいのは、記者のプレーだ──川村二郎(元「週刊朝日」編集長)
負けるな朝日!──早野透(桜美林大学教授、元朝日新聞コラムニスト)
朝日新聞記者と朝日新聞社員の違い──杉原洋(元南日本新聞編集局次長)
決して、怯むまい──石井暁(共同通信編集局編集委員)
極右政権・ネット右翼・劣化メディアの三位一体による朝日叩き──鈴木耕(編集者・ライター)
ネトウヨ政治が生んだ21世紀の「マッカーシズム」──飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)
北星学園と植村隆さん──徃住嘉文(北海道新聞編集委員)
ヘイトスピーチからは憎しみの連鎖しか生まれない──小野有五(北星学園大学教授)
取材現場に広がる自粛──宮崎昌治(西日本新聞官邸キャップ)
もう一つの「吉田」問題──大田昌秀(元沖縄県知事、沖縄国際平和研究所理事長)
政府批判は新聞の存在証明──高嶺朝一(前琉球新報社代表取締役社長、ジャーナリスト)
「人ごとの論理」を越えて──松元剛(琉球新報記者、編集局次長兼報道本部長)
ふるさと沖縄、日本の平和が心配です──石川文洋(カメラマン)
一人ひとりが守る「表現の自由」──山城紀子(フリーライター)
「小さな民」の視点から──内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授)
マスメディアだけではだめだ──梓澤和幸(弁護士、NPJ代表)
第3章 ジャーナリズムの危機
2014年はメディアコントロールの総仕上げだったのか──永田浩三(武蔵大学社会学部教授、ジャーナリスト)
白虹筆禍事件再考──別府三奈子(日本大学大学院新聞学研究科/法学部教授)
ジャーナリズムの危機と劣化する社会──野中章弘(アジアプレス代表、早稲田大学教授)
第4章 ジャーナリズムの改善
組織ジャーナリズムはどう変わるべきか──花田達朗(社会学研究者、早稲田大学教授)
エピローグ これは言論弾圧だ──鎌田慧(ルポライター)
巻末資料
「吉田調書」報道記事問題についての申入書
「吉田調書」記事の取り消しに関する申し入れ書
朝日新聞旧友会からの訴え
「吉田調書」報道の継続を求め、担当記者に対する個人攻撃への適切な対処を求める要望書
前書きなど
エピローグ これは言論弾圧だ(鎌田慧)
秘匿されていた、政府事故調査委員会の「吉田調書」を、暗闇から引きだして報道したのは、朝日新聞(2014年5月20日)だった。ところが、3ヶ月半経った9月になって、あろうことか朝日新聞は、一転してその記事を全面取り消し、木村伊量社長(当時)が記者会見をひらいて謝罪する、という無惨な結末となった。ジャーナリズム史上空前の事件である。
この目を覆うようなどんでん返しは、一人の物書きとしても、けっして看過すべき事態ではない。自分が書いた記事が、書いた本人の意志に反して、媒体上層部から、事実とちがう、と突然取り消されるなど、言論機関にあってはならないことである。
そして担当記者や編集者や現場責任者があたかも粛清のように、編集現場から追放されてしまう。執筆者にとっては、荒野に裸で放り出されるような、存在にたいする否定のような措置と言える。
いま、あらためて記事を読み返してみても、どこが事実とちがうのかと納得できない。
それもなぜ4ヶ月近くも経ってから、慌てふためいたように、当時の社長以下幹部が記者会見までして、記事を撤回し、謝罪する姿を曝したのか。その間になにが起こっていたのか。
安倍政権が進める、九州電力川内原発再稼働の動きに符節をあわせたかのような、この奇怪な対応を目前にして、大いなる疑問を感じたわたしたち(表現と報道に携わる者、ジャーナリズム研究者や弁護士など)は、朝日新聞本社にたいして事実の説明をもとめた(いまだ回答はない)。
第2次安倍政権は復活を遂げて以来、内閣法制局長官やNHK会長の人事に容喙して影響力をつよめ、テレビ、新聞社幹部と会食を繰り返し、テレビ局への「公正・中立」報道を「要請」するなど、露骨な攻勢を強めている。内閣官房副長官の時にも安倍首相は、NHKの「従軍慰安婦」番組に干渉したことでもよく知られている。にもかかわらず、大マスコミの危機意識の弱さは信じがたいほどである。
いまこそ、戦後民主主義の全否定(「戦後レジームからの脱却」)に執着している政権にたいして、平和をもとめるジャーナリストの抵抗が問われているのである。このような緊張状態にあるときに、権力監視を任務とする報道機関が、意味不明な報道の「撤退」を実施した。それを任意に選んだ社外の人間(報道と人権委員会〈PRC〉)が追認した。このことに、わたしは強い危機感を持っている。今回の朝日報道のどこに問題があったのか、なぜ謝罪しなければならなかったのか。そのことが解明されていない。
とにかく、頭をさげれば無事に済む、というのが経営者の姿勢なら、報道は成立しない。第三者機関としてのPRCは、読者の人権侵害を救済する機関のはずだが、安倍政権特有の「有識者会議」や「諮問委員会」のように、社内権力の判断を追認する役割を果たす形になった。
特定秘密保護法を施行させた強権下において、朝日ばかりか、各紙でこれから記者の報道姿勢の萎縮がはじまらないか、それが心配である。
報道機関が、他紙や週刊誌の攻撃にたいして言論をもって毅然として闘い、右顧左眄せず、是非を明らかにし、言論の自由を守る気概がなければ、いま国会内多数を制し、ますます横暴になってきた安倍政権と対峙できまい。東電福島第一原発爆発事故当時の、混乱した最前線のいち早い証言である「吉田調書」は、原発の存続自体を問い直す、貴重な財産である。それを「誤報」に梱包して、また闇に葬り去ろうとする怯懦は、許されない。
どうして、大スクープとして、「調書」の続報が期待されていたのに、いちはやく報道から撤退したのか。秘密を暴露した記者は褒め称えられることがあったにしても、原発推進派の攻撃を受けて記事が全面撤回され、処分されることなどあり得ることではない。朝日新聞が記事を全面取り消したことで、「吉田調書」の記事が訴えていた原発の危険性が、押し潰されてしまった。それも、言論機関自身の手によって、である。
批判者は、「命令違反」という表現が「誤っている」ということを根拠に言いがかりをつけ、記事全体を否定しようとした。「池上コラム没問題」で失速して全体が見えず、保身しか考えられなかった木村前社長は、判断力を喪失、無責任にも屈服した。この事件は、「負の歴史」として、朝日新聞社史ばかりか、ジャーナリズムの歴史に記録されることになろう。
朝日新聞で報道された「吉田調書」では、福島原発事故発生の4日後、2011年3月15日朝、第一原発の現場にいた社員の9割が、第一原発から退去するほどに混乱していた。それは事実であり、誤報ではない。ましてや捏造などではない。
問題にされているのは、「命令違反」と「撤退」の表現だけである。
混乱時の事実経過にも誤りはない。事故発生によって、原子炉がコントロール不能となり、9割が南に10キロ(この時は安全地帯と考えられていた)も離れた、福島第二原発に撤退していたことを、現場の最高責任者の吉田所長が、「それでよかった」と追認している。
つまり、最高責任者が、グループマネジャー(GM)などの管理者もふくめた部下が、どこに行ったのかを把握していない事態が発生していた。故障した4基の原発を、残った一割だけの要員でカバーしていた、というより、カバーできていなかった、というべき危機的状況だったのだ。
批判する側の論理は、あのような過酷事故の際に、指揮命令系統の崩壊と呼ぶべき事態が発生するということを無視し、大事故が発生しても社員は逃げるなどしなかった、というフィクションによって、東電社員の名誉を強調する。
かつて、「ガス室はなかった」との「論証」によって、アウシュヴィッツの大虐殺を否定しようとする論文があらわれたが、今回もまた、「社員を貶めた」と批判する。東電名誉回復論である。混乱状態であっても社員は逃げない、との主張によって、原発事故自体を過小評価しようという思惑が透けて見える。
朝日前社長は、どこが誤報だったのか、と切り返すことをせず、言い募る物言いに屈服したのは、危機管理力がなかったことの証左だった。従軍慰安婦報道の処理に遅れ、さらに「池上問題」で言論機関としては考えられない、言論弾圧を指示して批判されていたため、思考停止状態になっていた。
慌てふためいて取り消された記事は、原発推進派にとっての「アキレス腱」だった。「原発事故には対応できない」との深刻な証明である。だからこそ、声高な攻撃がつよまっていた。従軍慰安婦報道とおなじく「貶めた」という、ナショナリスティックな感情と結びついていた。
今回の「取り消し事件」をめぐっては、主観的・感覚的な印象批評が圧倒的に多い。たとえば「『命令違反』の表現は強すぎる」というような批判である。しかし、「強すぎる表現」とは何を基準にしているのか。「強すぎる」と「適当な強さ」との境界線をどこにおくのか。誰がその審判をするのか。
この事件は、「命令違反」という表現にたいする、東電や官邸の「嫌悪感」によって拡大させられた。表現に難癖をつけ、問題を矮小化することで、この報道がもっていた起爆力を削ぎ取ろうとする攻撃だった。原発の存廃に関わる議論が始まる前に、スキャンダルに塗すことで、防戦に努めたのだった。
そしてなんども指摘したように、「ホップ」段階の従軍慰安婦問題、「ステップ」段階の池上問題、そして最後に藪の中にとびこんだ「ジャンプ」としての、「吉田調書」記事取り消し事件である。
だから、「ホップ」段階での攻撃の検討も必要だ。虚構の談話に依拠してしまった記事を梃子にして、膨大な例証のある、歴史上の厳粛な事実を、一挙に転覆させたい勢力に「誤報」が利用された。「命令違反」の4文字の批判を梃子に、原発事故の恐怖、指揮系統の混乱、労働者の被曝問題が闇に葬られようとしている。「日本人を貶めるな」「東電社員を貶めるな」との愛国主義、愛社精神に依拠して。
かつて日本軍は、前線からの「撤退」を「転進」と言い替えた。いまは、「撤退」が「退避」にされている。
「慰安婦報道」を、読売新聞は自社の拡販材料に使った。「朝日の不買」を訴える政治家があらわれた。かつて戦争が起きると、新聞は爆発的に売れた。そして、戦争に反対する新聞社は襲撃された。
82年前の1933年8月、長野県の在郷軍人会は、「信濃毎日新聞」の不買運動を呼びかけた。主筆・桐生悠々が執筆した社説「関東防空大演習を嗤う」に、軍人たちが反発したのだ。社説は防空演習などをしても、いったん空襲を受ければ、木造家屋の多い東京は焼土となる、と指摘した。正論だった。
しかし、「嗤う」の表現が「軍部を貶めた」との反発が強かった。不買運動による経営悪化に恐怖した信濃毎日の社主は屈服し、主筆の桐生悠々を退社させた。「盥の水と一緒に赤子(報道の自由と民主主義)を流すのは愚かなことだ」「『誤報』だったのか」とわたしは「東京新聞」(2014年9月9日、23日)に続けて書いた。報道の規制が民主主義の基盤を崩す。信濃毎日の故事が教訓化していた。「記事の取り消し」。まるで軍部の圧力に屈したかのような、軽率な処置が報道の自由と市民の知る権利を危うくする。
産経、読売や右より週刊誌からの「吉田調書」スクープ報道への攻撃にたいして、ほかの媒体は冷ややかだった。朝日は包囲され、孤立していた。それがこれからの報道の不自由を象徴しているようだ。
わたしは、取材現場での記者たちの萎縮が始まり、権力批判報道にむかう記者たちの意欲が弱まることを危惧している。それが民主主義を不自由にする。
いま「良識」を代表している、朝日を批判するのは忍びない。しかし、民主主義の拡大にとって、新聞が果たす役割の重要性を思えば、若い取材記者たちが勇気を喪失しないためにも、事実関係を精査し、敢えて異論を唱え、今回の理解できない措置を撤回して欲しい、と願う。
読者が紙面を批判し、かつ記者を励ます緊張関係こそが、健全なジャーナリズムの基盤を強固にする。今回の朝日新聞の記事取り消し事件は、ジャーナリズム史上の大失態だが、機会を見て「取り消し」を取り消してこそ、読者の信頼を取りもどす最善の道、とわたしは信じている。
上記内容は本書刊行時のものです。