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わが恋せし女優たち
- 初版年月日
- 2014年3月
- 書店発売日
- 2014年3月5日
- 登録日
- 2013年12月10日
- 最終更新日
- 2015年1月29日
書評掲載情報
2014-04-20 | 朝日新聞 |
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紹介
銀幕で光り輝く女神の群像!
エレオノーラ・ロッシ・ドラゴ、ヘディ・ラマー、フランセス・ディー、オードリー・ロング……。
ハリウッド全盛期の女優から知る人ぞ知る演技派まで、276人の外国映画女優が登場!
著者秘蔵の写真図版104点を収録。
目次
はじめに──逢坂 剛
第1章 私だけの女優ベストスリー
逢坂氏のごひいき、オードリー・ロング
一目惚れしたエヴァ・バルトーク
チャップリンの相手役、ドーン・アダムス
手を差し伸べたくなる、憂い顔のダナ・ウィンター
二十世紀フォックスの若手女優
テレビで復活した女優たち
ハリウッドの伝説的おしどり夫婦
逢坂氏のごひいき三人目、ルシル・ブレイマー
川本氏の「第三の女優」、ニコール・ベルジェ
第2章 メジャーな女優を語ろう
昭和ひとケタ世代のマドンナ、イングリッド・バーグマン
ハリウッドで変身したヘディ・ラマー
登場する女優の名前を全員言えるか?
一九五〇年代の映画雑誌の表紙を論じる
カーク・ダグラスを振ったピア・アンジェリ
控えめな奥さん役のエレノア・パーカー
『ピクニック』の姉妹、キム・ノヴァクとスーザン・ストラスバーグ
ヨーロッパ映画の女優も語ってみる
ドイツ映画の女優たち
イタリア映画の女優たち
フランス映画の女優たち
一九六〇年代以降の女優たち
第3章 名場面・名女優の想い出
誰と誰が結婚したか
ミュージカルの女優たち
映画で棄てられると現実でも棄てられる
デボラ・カーをめぐって
本当に悪女かもしれない
マイナーな映画ファンのアイドル、ゲイル・ラッセル
水着の女王と銀盤の女王
おわりに──川本三郎
女優名索引
前書きなど
はじめに──逢坂 剛
何ごとによらず、好みが人と異なる傾向がある。
別に、へそ曲がりを気取っているわけではないが、みながみな大騒ぎする人とか物ごとに、あまり関心が向かない。
言ってみれば、世間がこぞってもてはやす一番手よりも、すこし点数の足りない二番手や三番手、へたをすると五番手あたりに、惚れ込んでしまうタイプなのだ。それをへそ曲がりと呼ぶなら、私は筋金入りのへそ曲がりかもしれない。作家に限らず、クリエイティブな仕事にたずさわる者には、そうしたタイプの人間が多いのではないか。
外国の映画監督、スターでいえば、ジョン・フォードよりはジョン・スタージェス、ハワード・ホークスよりはデルマー・デイヴズ、ジョン・ウェインよりはランドルフ・スコット、ウィリアム・ホールデンよりはリチャード・ウィドマーク、ロバート・デニーロよりはジャック・パランスが好き、ということになる。
それは、本書で取り上げた女優たちについても、同じである。
むろん、イングリッド・バーグマン、ヴィヴィアン・リー、グレイス・ケリー、エリザベス・テイラー、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーンなど、一世を風靡した美人女優、大女優の存在を、忘れたわけではない。こうした名花が、私たちにいかに大きな夢を与えてくれたか、映画ファンならだれしも認めるところだろう。彼女たちがいなければ、戦後の外国映画がどれほど味気ないものになったか、指摘するまでもあるまい。
それはそれとして、そうした名花たちの陰に隠れて小さく咲き、ひっそりと消えていった女優の中にも、心に美しい思い出を残してくれた人たちが、何人かいる。大衆の人気を博することがなくても、少数のファンのあいだで長く語り継がれる、小粒の宝石のような女優たちが、確かにいたのである。
本書では、いわゆる大女優や名女優と呼ばれなくても、スクリーンをいっとき華やかに飾った、思い出のスターたちに光を当ててみる。
美女というだけで、演技のうまくない女優がいる。
美女ではないが、演技のうまい女優がいる。
美女でもなく、演技もうまくないのに、存在感のある女優がいる。
美女でもなく、演技もへたくそで、存在感も薄いのに、忘れられない女優がいる。
詳しくは本文に譲るが、今なお私の心を捕らえて離さない、有名無名の外国女優をここで何人か、挙げておこう。
子供のころ見て、生まれて初めて洋画で見た記憶があるのは、イタリアの女優シルヴァーナ・マンガーノだった。『ユリシーズ』(一九五四)で、カーク・ダグラスの妻を演じたのだが、その中で全裸の後ろ姿を披露するシーンがあった。今思えば、吹き替えだった可能性が高いのだが、あのシルヴァーナのりっぱなお尻を見て、私は性に目覚めたともいえよう。もっとも、後年DVDでチェックしたとき、そのシーンは見当たらなかった。カットされたか、それとも私の記憶違いなのか、分からない。
中学生のとき見た、フランスのフィルムノワール『暴力組織』(一九五七)で、清純な看護婦を演じたエステラ・ブランは、もっとも古いごひいきの一人である。その後、『野獣は放たれた』『殺られる』(いずれも一九五九)と、同じ傾向の作品に立て続けに出演した。もっとも、四十歳かそこらで自殺したのには、驚かされた。
高校生になって、『ダイヤモンド作戦』(一九五九)を見てから、エヴァ・バルトークのファンになった。彼女には、もう一本『脱獄十二時間』(一九五九)という脱獄ものがあり、この二本だけで私の映画鑑賞史に名を残した。ほかにも、本邦公開作品が一つか二つあるが、見なければよかったと思う凡作である。後年、この二本のビデオを入手するのに、どれだけ苦労したことか。それゆえ何年か前、『ダイヤモンド作戦』のDVDが日本で売り出されたとき、逆にがっくりした覚えがある。
そのエヴァに似ている、と感じてファンになったのが歌手で女優の、ジュリー・ロンドンだった。ゲイリー・クーパーと共演した、『西部の人』(一九五八)で見たのが最初で、その後『西部の旅がらす』『女はそれを我慢できない』『ギャング紳士録』『素晴らしき国』と公開作品が続き、大いに楽しませてもらった。
この三人以外に、一本だけ見て心に残った女優に、イタリア映画『白い道』(公開当初は『恋に向かってつっ走れ』)の、カルラ・グラヴィーナがいる。一九六〇年、私が高校二年生のときで、女っ気のない男子校だったことから、自分とほぼ同世代だったカルラに、憧れのようなものを感じたのだろう。
それ以後、特定の女優に入れ込むことはなくなり、エステラ、エヴァ、ジュリーの三人の映画が上映されるたびに、都内の映画館を駆けずり回って繰り返し見る、という時代が続いた。
四十年ののち、二十一世紀になってインターネットが普及し、アメリカから未公開の古い映画のDVDが、容易に入手できるようになった。ことに、モノクロのフィルムノワールの魅力には、抗しがたいものがあった。
その結果ファンになったのが、『Desperate(必死の逃避行)』(一九四七)のオードリー・ロングであり、『Behind the Locked Door(閉ざされた扉の向こう側)』(一九四八)のルシル・ブレイマーである。
一九二二年生まれのオードリーは、一九四〇年代初期から五〇年代初期にかけて、三十本前後の作品に出演している。戦後初めて公開された西部劇、ジョン・ウェインの『拳銃の町』に出ており、ヒロインのエラ・レインズと対照的な、上品でおとなしい娘役で好印象を残した。五二年に、義賊セイントことサイモン・テンプラーの生みの親、推理作家のレスリー・チャータリスと結婚して、引退した。訃報を聞かないので、まだ存命と思われる。
ルシル(一九一七年生まれ、九六年没)もまた、一九四〇年代に八本の作品に出演しただけで、元メキシコ大統領の息子と結婚、引退してしまった。見たところ、ベティ・デイヴィスを清楚にした感じの、目の大きい美人女優だった。歌って踊れるスターで、フレッド・アステアとの共演作品も、二本ある。死後、プライベートで著名な写真家に撮らせた、ボリューム豊かな全裸写真がオークションに出て、暗然とさせられた記憶がある。
こうした人たちのほかにも、今どきのスターにない華やかさと美貌を備えながら、忘れられた女優がたくさんいる。
フランセス・ディー、ガートルード・マイケル、ヘディ・ラマー、ロンダ・フレミング、アーリン・ダール、ヴィヴェカ・リンドフォース、シド・チャリース、ジア・スカラ、スージー・パーカー、ティナ・ルイーズ、ニコール・モーリーなどなど。
そうした美女を、古い記憶や記録の中から引っ張り出し、川本三郎さんとあれこれ談じようというのが、本書の狙いである。
これを読んで、読者のみなさんにも自分なりの小さな宝を、見つけ出していただきたいと思う。
上記内容は本書刊行時のものです。