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酪農家・長谷川健一が語る までいな村、飯舘 長谷川 健一(著) - 七つ森書館
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酪農家・長谷川健一が語る までいな村、飯舘 (ラクノウカハセガワンイチガカタルマデイナムライイタテ)

社会科学
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発行:七つ森書館
A5変形判
160ページ
並製
定価 1,800円+税
ISBN
978-4-8228-1405-2   COPY
ISBN 13
9784822814052   COPY
ISBN 10h
4-8228-1405-X   COPY
ISBN 10
482281405X   COPY
出版者記号
8228   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2014年7月
書店発売日
登録日
2014年5月2日
最終更新日
2015年1月29日
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紹介

 2011年3月11日に起きた東日本太平洋沖地震、あの大地震から3年が経ちました。東京電力福島第一原発での事故で全村避難を余儀なくされ、私自身も仮設住宅に移って、いまもなお避難生活が続いています
 事故以来、どこにでもカメラをもって行って記録を撮り続けています。その数は写真が1万点を超え、ビデオも300本を超えました。つたない素人写真ではありますが、飯舘村民としてみなさんに知ってもらいたいことを凝縮した作品ばかりです。私の妻、長谷川花子にも仮設住宅の暮らしについて一章を分担してもらいました。(「はじめに」より)

目次

はじめに
序 章 ふるさと──長谷川健一
第1章 避難──長谷川健一
第2章 仮設ぐらし──長谷川花子
第3章 除染──長谷川健一
第4章 不安──長谷川健一
終 章 これからどうする──長谷川健一
あとがき──長谷川健一

前書きなど

はじめに

 2011年3月11日に起きた東日本太平洋沖地震、あの大地震から3年が経ちました。
 東京電力福島第一原発での事故発生、そして放射性物質のフォールアウト。このため4月22日には私のふるさと飯舘村が、年間20ミリシーベルトを超える被曝が予想される放射能汚染地帯であるとして計画的避難区域に指定されました。全村避難を余儀なくされ、飼っていた乳牛をすべて処分し、私自身も8月2日に仮設住宅に移って、いまもなお避難生活が続いています。
 2012年7月17日には、汚染の度合いにあわせて村が避難指示解除準備区域と居住制限区域、帰還困難区域の3つに再編されました。最も汚染がひどい長泥地区は、このときに初めて鍵付きのゲートで封鎖されました。
 2013年7月20日、第23回参議院選挙の期日前投票が避難者の多い福島市の青少年会館で行われ、私は前田行政区の区長として立ち会いました。投票所にやってくる村民はみな、疲れた表情でした。顔見知りであってもすぐにはその人と気づかないほど老けた人もいますし、「太ったなあ」という印象の人もたくさんいます。田畑に出ることもなく、牛の世話をすることもなくなったのですから、あたりまえです。体も鈍るし、なにより生きる張りあいが奪われてしまったままで、当然のことでしょう。飯舘村に帰れるのか、帰れないのか。帰って生活が成り立つのか、成り立たないのか。
 帰村の前提になる除染作業の完了ですが、当初は2013年度中に終えるとしていた計画が白紙撤回されて、帰村できる見通しはまだ立っていません。
 地震当時約6200人いた飯舘村民のうち、約半数が福島市に避難していますが、約500人が県外に避難したままです。世帯数は1700戸ほどだったのがほぼ倍増しました。家族がバラバラに避難していることがわかります。
 8人家族だったわが家も、私ら夫婦と私の両親は同じ仮設住宅に、長男一家は山形に、次男は車で10分ほどの借り上げ住宅にと、バラバラになりました。
 地震の前、我が家では長男が酪農を継ぎ、規模を広げつつありました。私ら夫婦はそれを手伝いながら体の続く限り野菜作りでもして暮らしていこうとしていました。しかし、帰村のめどは当分たちそうもありません。生活を立て直そうにも、村や県、国の言うこと、やることを見ていても私たちの将来はまったく描くことができません。私たちを仮設住宅に押し込めたまま、世間が忘れ去るのを待っているようにすら思えます。
 この間、私は、飯舘村に20ある行政区のひとつ、前田の行政区長という立場もありましたので、地震被害への対応、子ども達の避難、牛たちの避難と処分、賠償、前田地区の村民の避難先確保、そして避難後には村の汚染状況の把握、除染のやり方についての要望などに奔走してきました。その一方で、積極的にマスコミの取材に応じ、自分でも写真とビデオで記録を撮り続けています。地震の後、最初にカメラを手にしたのは、両親や長男長女の家族を千葉県に住む弟と妹のところに送り出した3月16日の朝です。地震発生からの5日間はあまりにも忙しすぎて思いつきもしませんでしたが、「これは後世に記録を残さなければいけない」と、思い立ったのです。ビデオカメラも4月22日に購入し、以来、地区長会や住民説明会はもちろん、どこにでも持って行って記録を撮り続けています。その数は写真が1万点を超え、ビデオも300本を超えました。
 これまでにも各地に講演に呼ばれてはこれらを見てもらっていましたが、2013年1月からは有志のみなさんが「写真展 飯舘村」の巡回展を企画実施していただいています。国内外でいままでに50ヵ所で開催されました(2014年5月31日現在、予定を含む)。写真展にあわせて出版した『写真集 飯舘村』(七つ森書館)も、すでに4500部以上が人びとの手に届き、このたびさらに撮りためた写真を加えて解説を充実させようと本書の出版をお勧めいただきました。つたない素人写真ではありますが、飯舘村民としてみなさんに知ってもらいたいことを凝縮した作品ばかりです。それと、今回は伊達東仮設住宅に避難して以来ずっと管理人をしている、私の妻、長谷川花子にも仮設住宅の暮らしについて一章を分担してもらいました。
 なお、この本に掲載している私が写っている写真はいずれも、誰かにカメラを渡して撮ってもらったものです。本来であれば撮影者すべての方々のお名前を記すべきですが、確認しきれない作品も多く、本書では事前にお断りできずに掲載させていただきました。この場を借りてお詫びと御礼を申し上げます。
 2020年開催の夏季オリンピック招致で盛り上がっているかに見える日本ですが、福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染の影響は、6年後も続いているはずです。しかし人びとの記憶から消えてしまうことは大いにあり得ます。飯舘村で起きたこと、続いていることをどうか忘れずに、ご注目ください。

   長谷川 健一+長谷川花子

版元から一言

100点のカラー写真と文章で綴る、東電福島第一原発事故の避難生活。

著者プロフィール

長谷川 健一  (ハセガワ ケンイチ)  (

 1953年、飯舘村前田生まれ。福島県立相馬農業高校飯舘校を卒業し、1976年、佐藤花子と結婚。2010年より前田行政区長。福島県酪農業協同組合理事。
 2011年3月11日の東日本太平洋沖地震の発生以後、福島第一原発の事故によって村が高濃度に汚染されたため、同年8月から伊達市伊達東仮設住宅に避難中。事故後の村と村民の写真を撮り続けている。
 著書『原発に「ふるさと」を奪われて──福島県飯舘村・酪農家の叫び』(宝島社)『【証言】奪われた故郷──あの日飯舘村に何が起こったのか』(オフィスエム)『写真集 飯舘村』(七つ森書館)。
 映画『飯舘村 私の記録』(NPO法人アワープラネット・TV)。

長谷川 花子  (ハセガワ ハナコ)  (

 1954年、飯舘村上飯樋生まれ。福島県立相馬農業高校飯舘校家政科を卒業し、理・美容専門学校を卒業の後、1976年、長谷川健一と結婚し、酪農を中心としたくらしを35年積み重ねた。2011年8月から、伊達東仮設住宅管理人。

上記内容は本書刊行時のものです。