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メディアの破壊者 読売新聞
- 初版年月日
- 2012年10月
- 書店発売日
- 2012年9月27日
- 登録日
- 2012年9月25日
- 最終更新日
- 2013年2月22日
紹介
新聞は、訴えられるものであって、訴えるものではないはず──。
読売社会部清武班著『会長はなぜ自殺したか──金融腐敗呪縛の検証』の出版を阻止するため、小社を訴えた読売新聞東京本社。言論を売る新聞社が、ペンではなく司法にその救いを求めるという自殺行為に及んだのはなぜか。読売という問題、メディアとは何かを問う。魚住昭氏、大塚将司氏を迎えた対談、小社に対する出版妨害裁判についての訴訟代理人による解説も収録。
目次
はじめに
1 メディアの破壊者 読売新聞 (清武英利×佐高信)
2 読売新聞は言論機関たりえるか
会社に逆らうとはどういうことか(清武英利×佐高信)
「逆命利君」の志を持て(魚住×佐高信)
「独裁者」との闘い方(清武英利×佐高信)
3 七つ森書館vs読売新聞
小さなアリは巨象に挑む(中里英章)
新聞は訴えられるものであって、訴えるものではない(佐高信)
嫌がらせをやめさせる勇気を(清武英利)
乱訴の発端と経緯(七つ森書館編集部)
この裁判、何が問題か(七つ森書館訴訟代理人・岡邦俊)
おわりに
前書きなど
おわりに
読売新聞中部本社の社会部長だったころ、交番勤務をしていた九州の友人からメールをもらった。彼は大学の同級生だったが、いつまでたっても巡査長のままだった。
ちょうど警官不祥事が立て続けに明るみにでたころで、警察官や公務員はどう生きるべきか、熱く記されていた。友人からのメールは、上司の係長に抗弁した、というところから始まっている。
〈係長が二・二六事件の将校を称えて、「警察官もまた国家のために奉職することこそ、男子の本懐とすべし」という趣旨のことを言いました。その人はとても実直な人でしたが、僕はその時、この急訴事件に駆けつけ、反乱軍の兵士に射殺された警察官の話をし、警察官の本質はそこにあると反論しました〉
友人のメールはさらに続いていた。
〈時代の状況がいかなるものであれ、治安を守ることこそ警察官の役割である。そしてそれに対する見返りなど微塵も期待しない、歴史上に無名の士としても残らない石礫としてあったに過ぎない。僕は奉職しているかぎり、ひそかにその覚悟だけはいつも持っていようと思っています〉
報道という職を考えるとき、友人が持ち続けた「覚悟」と「無名の石礫」という言葉を思い出す。公務員だけでなく、報道に携わる者は常に世の中の脇役である。庶民に寄り添ってその喜怒哀楽を伝え、一方で権力を監視して消えていく。自分たちは路傍の石ころに過ぎないという謙虚な姿勢が報道人にこそ求められているのではないか。
そのメールからしばらく経った二〇〇二年に、読売新聞の論説委員だった前澤猛氏が、渡邉恒雄会長の読売新聞独裁を痛烈に批判した。
〈メディアのトップや幹部が権力と癒着し、あるいは権力そのものを志向すれば、それはジャーナリズムの衰退を招かざるを得ない〉
著書『表現の自由が呼吸していた時代』(コスモヒルズ)のなかで、前澤元論説委員はさらに、〈新聞社の主筆が、社会や社内の意見に耳を貸す姿勢に欠け、ひとりほしいままに社論を操るならば、傲慢のそしりを免れない〉とも書いている。
それから十年が経過し、渡邉氏は自らを「最後の独裁者」と豪語するまでになった。独裁は社論、社説だけでなく、個別の記事にまで及び、私のように意に従わない人物は、「破滅だな」と言って読売新聞を使い徹底的にバッシングされる。遂には、自分を批判した新聞社や雑誌社の取材源を突き止めようというのか、個人の携帯電話やメールの開示を求め、仮処分を申し立てる。読売には記者の精神を高らかに謳った「読売信条」や「読売新聞記者行動規範」があるが、すべてを空しくさせる愚行である。教育や民主主義を支えてきた新聞社の誇りはどこに行ったのか。
「メディアの破壊者」というこの本の書名を聞き、その激しさに一瞬だがたじろいでしまった。自分が育った新聞社を「破壊者」と弾劾するのかという迷いもよぎったが、読売社会部時代に手がけた『会長はなぜ自殺したか──金融腐敗=呪縛の検証』の復刊を巡って、読売新聞社が七つ森書館に行った理不尽なスラップ訴訟を考えると、目をそむけることはできない。
読売の出版妨害に対し、他の新聞社の反応は極めて鈍い。大新聞は安楽死しつつあるのかと思うほどだ。渡邉会長をメディアの権力の座に君臨させているもの──それはたぶん、新聞界のドンへの追随と無関心であろう。だから、巨魁は高らかに笑い眠りに就く。それは自分にも向けられていることを自覚しながら、報道界に石礫を投げ続けなければならない。
二〇一二年九月一日 清武英利
上記内容は本書刊行時のものです。