書店員向け情報 HELP
日本の解放区を旅する
- 初版年月日
- 2010年11月
- 書店発売日
- 2010年10月27日
- 登録日
- 2010年10月8日
- 最終更新日
- 2010年10月28日
書評掲載情報
2011-01-16 | 東京新聞/中日新聞 |
2011-01-09 | 朝日新聞 |
MORE | |
LESS |
紹介
『自動車絶望工場』から40年、全国の反原発運動、反基地、公害、労働運動の現場を歩いてきた著者は、そこに解放と希望の空間を見出す。いのち・暮らし・核・労働をテーマに、閉塞した現代に風穴を開ける無名の抵抗者たちをルポルタージュする。
目次
はじめに
第1章 いのち
軍隊は人を殺す集団である──沖縄普天間基地と日米安保
生き残ることは恐ろしいことだった──教科書検定・「集団自決」軍強制削除
1)「集団強制死」削除抗議・沖縄県民大会
2)語りはじめた「玉砕場」体験者たち
21世紀のプレスコード──米軍が『東奥日報』記者を処分
〝餓死〟も自己責任ですか?──北九州市餓死事件
苦海が浄土に変わる日──まやかしの水俣病救済特別措置法
虚しく響く「安全第一」──JR福知山線脱線事故
叫びたし 寒満月の割れるほど──冤罪死刑執行・福岡事件
第2章 暮らし
ヒ素まみれの魚を食べますか?──築地市場移転と巨大再開発
1)五輪にかこつけた石原都知事の欲望
2)微笑みのPFI民間事業者
水源地域に増えるがん死──東京・日の出町ごみ処分場
ジャンボジェットの真下に暮らす──成田輸送機事故と滑走路延長
嗚呼 山林に自由存す──伐採される下北天然林
第3章 核
もののけの森の悪魔の選択──世界最大の下北“核”半島
1)無認可MOX大間原発の建設
2)土地買収を拒絶する母娘二代の闘い
3)原発移転憤怒の記念碑
4)「原発のゴミ」最終処分場
5)白神山地に放射性廃棄物最終処分場
地獄の王が目覚める前に──玄海原発・プルサーマル反対運動
第4章 働く
乾いた雑巾を絞る──「トヨタ社員は過労死」名古屋地裁判決
棄民の一世から出稼ぎの三世へ──日系ブラジル人を襲うトヨタショック
1)住む家が奪われた
2)つながりはじめた保見団地
3)保険もなければ保障もない
4)脱人種差別への挑戦
商品化される労働者たち──グッドウィル・折口人材派遣帝国
♪セブンイレブン、いい気分──生殺与奪権は本部のコンビニ経営
1)二四時間回転の歯車
2)立ち上がりはじめたFCオーナーたち
ヘアスタイリストたちの反撃──徒弟世界にメスを入れる美容師ユニオン
アニメ大国・ニッポンの正体──日本アニメーター・演出協会(JAniCA)の叛乱
いまだ変わらぬ植民地主義──「研修」という名のヤミ労働
おわりに──ひとと出会う
前書きなど
はじめに
青森県六ヶ所村の小泉金吾さんが亡くなったのは、今年七月。八一歳だった。
七○年代はじめの「むつ湾小川原湖巨大開発」から、核燃料再処理工場の建設まで、一貫して抵抗しつづけてきた人物だった。全戸移転した新納屋部落でただひとり買収に応ぜず、息子夫婦と悠然と田んぼをつくって生活していた。孤立してなお妥協しない精神力は、並大抵ではない。
小泉さんは、大工から帰農したひとで、学歴はなかったが、「なんでもカネに換算する強欲資本主義は罰当りだ」と社会を見透かして、論理は明快だった。彼が頑として土地を売らなかったため、核燃工場にむかう道路は、遠く迂回する始末だった。
一一年前に他界した元六ヶ所村村長・寺下力三郎さんも、不屈のひとだった。「村民を難民にしたくない」と日本政財界総ぐるみの巨大開発計画を認めず、反対運動の先頭に立ち、自民党とゼネコンの介入によって一期だけの在任で村長の座を追われた。
三○歳のときにフリーライターになって、全国の原発反対運動や反基地、公害、労働運動のなかに没した「無名の抵抗者」というべき人たちと、わたしは会いつづけてきた。いま想い起こしてみて、いつも「勇気ある生活者」から話を聞き、それに励まされながら、共感、共鳴をつたえてきた。だから、いつも変わり映えのないことを書いてきたのかもしれない。
それでも、このひとたちがささえている、未来の可能性をわたしは信じている。新聞で報道されることもなく、ひっそりと亡くなっていくひとたちである。この本に登場するひとたちもまた、そのような無名群である。
最後まで土地の買収に応じなかったのは、小泉金吾さん以外にも、大間原発の熊谷あさ子さんとその遺志を継いだ小笠原厚子さん、成田空港反対闘争の島村昭治さん、小泉英政さん、市東孝雄さんたち東峰部落の人たち。
あるいは、一五年間も海辺に坐り込んでいる、沖縄・辺野古崎のおじぃやおばぁたち、山口県上関原発建設に抵抗しつづけている祝島の人たち、JRに採用されず作業場をつくった国労組合員たち、あるいは「派遣村」を担った炊き出しのボランティアや少数派労働運動の人たち、自治、自立、自律の自主運動は、全国にひろがり、連帯をもとめている。
未来の可能性の拠点は、これらのちいさな「解放区」であり、「根拠地」である。解放区といえば、わたしたちの年代のものは、ヴェトナム抵抗戦線を想起し、「根拠地」に毛沢東の「抗日遊軍戦争」を重ね合わせる。点から線へ、線から面へ。包囲し、自己を保存し、発展させる。
しかし、最近では、「解放区」という言葉は、精神の解放をイメージさせる場所のようだ。それほどまでに閉塞感が強まっている。沖縄をはじめとする空間、本書に登場するさまざまな空間は、抑圧される場でありながらも、解放と希望の拠点でもある。
上記内容は本書刊行時のものです。