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君たちに伝えたい②朝霞、キャンプ・ドレイク物語。
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2013年7月
- 書店発売日
- 2013年7月1日
- 登録日
- 2013年8月23日
- 最終更新日
- 2019年3月8日
紹介
朝霞、JAZZが流れる街の歴史を掘り起こす。若者たちに伝えたい、かつての「基地の街」の歴史と現在――。
2012年秋、基地跡地に「朝霞の森」がオープンした。ここは戦後、キャンプ・ドレイクと呼ばれた米軍基地があり、極東のインテリジェンス(諜報活動)を全面的に担ったという。「基地の街」が背負った歴史を著者はここで暮らしてきた人びとに話を聞きながら、明らかにしていく。
目次
キャンプ・ドレイクについて 3
まえがき 9
一章 駅前商店街通りから見える 13
―まっすぐに延びる一本道
1 国家公務員宿舎「朝霞住宅」建設問題 14
「朝霞の森」誕生/基地返還の概略/国家公務員宿建設計画/首相が基地跡地視察/建設中止へ/中学生が考える国家公務員宿舎建設問題/米軍の置土産
2 本田美奈子と駅前商店街通り 24
本田美奈子モニュメント/『ミス・サイゴン』/「ミーデン」/キムの叫び/駅前商店街通りはいま
3 シベリア抑留と朝霞 31
シベリア抑留体験者との出会い/中学生とシベリア抑留/なぜシベリア抑留があったのか?/シベリア抑留の理不尽さ/シベリア特別措置法と今後の課題
4 かめさん食堂 39
老舗の大衆食堂/中学生とかめさん食堂/「オンリー」と「パンパン」/定食屋としていつまでも
5 町中にあった引き込み線 45
広大な雑木林/物資移送の引き込み線/米兵移送の引き込み線
6 尾崎豊が歩いた坂道 49
転校・いじめ・登校拒否/尾崎豊の原点/楽曲『米軍キャンプ』と『坂の下に見えたあの街に』/中学生と尾崎豊
7 もうひとつの「泣き叫ぶ魂の森」 55
廃墟となった基地跡地/『戦争の悲しみ』/もうひとつの「泣き叫ぶ魂の森」
コラム1 16歳のオリンピアン 59
8 クオンセット・ハットとスタッグ・バー 61
クオンセット・ハット(かまぼこ形兵舎)/スタッグ・バー
コラム2 モハメド・アリのポスター 65
9 関東計画と基地返還 67
関東計画/基地返還
二章 元ゴルフ場から 71
―東洋一のゴルフ場から陸軍予科士官学校そしてサウス・キャンプ
1 東洋一のゴルフ場 72
2 「鉄道王」根津嘉一郎 73
鉄道王/根津公園
3 「幻の朝霞大仏」 76
大梵鐘/朝霞大仏の原型
4 陸軍予科士官学校からサウス・キャンプへ 78
陸軍予科士官学校が朝霞へ/サウス・キャンプのネヅ・パーク
5 ルーム・ボーイの夕食はリメインド・チャウダー 80
日本人ルーム・ボーイ/米軍隊式トイレ/リメインド・チャウダー
コラム3 映画『この世の外へ クラブ進駐軍』(坂本順次監督)と第一騎兵師団 85
6 在日義勇兵 86
在日義勇兵とは何か/サウス・キャンプから仁川へ/独立三・一歩兵大隊/再入国拒否
7 マラソンランナー円谷幸吉 90
自衛隊体育学校入校/東京オリンピック銅メダリスト/挫折と苦悩
三章 「日本の上海」から見える 93
―南栄通り一〇〇〇メートル
1 日本の三大休養施設と「日本の上海」 94
日本の三大休養施設/「日本の上海」
2 「血取り」と「日本の上海」の事件簿 96
「血取り」/「日本の上海」の事件簿
コラム4 サヨナラ増田屋旅館 99
3 広沢池の観音堂 100
パパサン/広沢の観音様
4 『基地日本』と朝霞「基地の子」 103
朝霞「基地の子」/占領下日本の縮図
5 私の親分はキリスト 106
南栄はからし種/親分はキリスト
コラム5 軍需品だったコカ・コーラ 108
6 進駐軍ジャズ発祥の地 110
「黒人の死闘の歴史」/「オールド上海」から「日本の上海」へ/進駐軍ジャズ発祥の地/日本最古のジャズ喫茶
四章 キャンプ・ドレイクから見える 115
―第一騎兵師団司令部からリトル・ペンタゴンへ
1 キャンプ・ドレイクとモモテ・ビレッジ 116
キャンプ・ドレイクの命名由来/モモテ・ビレッジの命名由来
コラム6 朝鮮戦争と朝霞町人口倍増 120
2 キャンプ・ドレイクの頭脳 121
リトル・ペンタゴン/建築家アントニン・レイモンド
3 キャンプ・ドレイクで行われたこと 123
一騎兵師団の司令部/CBRトレーニング/諜報(心理戦)/進駐軍放送と大和田通信所/野戦病院(第二四九陸軍総合病院)
コラム7 映画『地獄の黙示録』に見る第一騎兵師団 137
コラム8 ベトナム戦争と反戦歌 161
4 日米共同作戦計画 171
共同統合作戦計画/大井通信所と内閣官房調査室/日米秘密情報機関/日米情報交換の今昔
参考文献等 184
あとがき 185
キャンプ・ドレイク 192
前書きなど
まえがき
二〇一二年一一月四日、さわやかな秋空の下、基地跡地の一角に「朝霞の森」(公募による命名)がオープンしました。オープニングセレモニーで、チャーリー・パーカーの「ナウ・ザ・タイム」そしてデューク・エリントン楽団のオープニング・ナンバーで有名な「A列車で行こう」が朝霞高校ジャズバンドによって演奏された時は、地元ならではの手作り開幕にうれしくなりました。戦後アイドル歌手第一号と言ってもよい江利チエミの「テネシーワルツ」が流れてきた時には、感極まりました。デビュー間もない十八歳の江利チエミは、ここキャンプ・ドレイクで腕を磨き大人気のジャズ歌手に成長していったのです。朝霞は進駐軍ジャズ発祥の地のひとつです。戦争を象徴するアメリカ軍隊と一緒に平和を象徴するジャズも朝霞に進駐してきました。
三十数年前ここ朝霞の地でわたしの教員生活がスタートしました。その頃は「校内暴力の嵐」が吹く「荒れる学校」が全国的に問題になっていました。モップの柄で穴があけられ、破壊された天井の張り替えが私の教員としての最初の仕事で、生活指導、家庭訪問、職員会議が続き、連日最終電車に滑り込み、深夜一時に新宿の自宅に帰宅した頃がなつかしく思い出されます。騒然とした生活の中でくたくたに疲れ、心が折れそうになった時に救いだったのは生徒の声でした。
あたふたと毎日が過ぎていく中で、ジャガイモの花が白いことを初めて知り、図鑑の中でしか見たことのないつくしんぼを黒目川の河川敷で発見して驚いたことを生徒に話して呆れられたことは楽しい思い出となっています。今でも職員室ではボーッとしていますが、教壇で生徒の前に立つと身にしみ込んだサービス精神がわき起こり、条件反射的に元気になる気質はその頃に作られたような気がします。
その新米教員の頃のことです。何かの用事で市役所へ行った帰りに、周辺をぶらぶら歩いていると、延々と続くフェンスが目に入ってきました。中を覗くと、見渡す限り緑、緑のジャングルでした。そこが米軍基地であり、謀略基地であったという話以外くわしいことはわかりませんでした。教員生活に余裕がでてきて、朝霞の歴史を調べてみよう、地域の方々に聞き取りをしようということになりました。キヤンプ・ドレイクの任務のひとつが、インテリジェンス(軍事的な分野で広範囲にわたって情報を収集し分析する機関、役割。諜報活動)を中心とするコミュニケーション・センター(情報・通信基地)であったことがうっすらと見えてきました。
二〇一二年現在、米軍の世界展開はどうなっているでしょうか。世界各地に約三〇万人の兵士が駐留、米国領内に一二二万人、合計で約一五〇万人もの兵士が展開しています。日本に注目すると、陸、海、空各軍と海兵隊の三万六七〇八人の米兵が駐留しています。米軍が日本で所有する施設・設備は八九五一か所です(『朝日新聞』二〇一二年三月二五日)。中でも、国土面積の〇・六%しかない沖縄に在日米軍基地面積の七四%が集中しているのが現状です。米兵による犯罪、普天間飛行場の移設問題、オスプレイ配備など沖縄の基地問題は、ウチナーンチュ(沖縄人)だけでは解決しようもない状況です。
沖縄が米国施政権下(米軍占領)にあった時代、「ここは沖縄と一緒だ」というつぶやきが聞こえてきたといいます。地域住民は「ここは西部劇に出てくる無法地帯化した街のようだ」とささやきました。「ここ」とは、言うまでもなく基地の街朝霞を指します。米兵による暴行、傷害、殺人事件、麻薬密売、買売春問題、米軍機による事故・騒音などの基地公害は日常茶飯事でした。そして、「ここ」では、日本国政府よりも米国の思惑第一に動いていました。今の沖縄が置かれている状況と構図は一緒でした。
地域の掘りおこしは地域おこしです。地域住民と朝霞市が共同・協同して完成させた「朝霞の森」の取り組みがそのことを教えてくれました。基地問題と基地跡地の利用を考えるにあたって、基地の街朝霞の出番が回ってきたようです。本書は私なりのキャンプ・ドレイク物語ですが、地域から戦争と平和を考える一助になればと思っています。本書を手に「朝霞の森」に行かれ、「現在と過去との対話」(E・H・カー)を試みていただけるとこの上なくうれしいです。
2013年6月 中條克俊
上記内容は本書刊行時のものです。