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イスラーム原理主義の「道しるべ」
発禁・“アルカイダの教本”全訳+解説
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2008年8月
- 書店発売日
- 2008年8月21日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2012年6月25日
紹介
エジプトでベストセラーになったがすぐに発禁になり、著者が死刑となったイスラーム原理主義の基本図書。「9・11」を起こしたアルカイダの教本とされている。現在も中東諸国では発禁本。
目次
まえがき――『道しるべ』日本語版のもつ意味―――1
資本主義も社会主義も〝無明世界〟とする考え/聖戦(ジハード)としての「九・一一」という見解/イスラームの基本認識
道しるべ サイイド・クトゥブ―――7
序章9
イスラーム共同体に与えられた機会/イスラームに求められる精神的優位/イスラーム復興のための「道しるべ」
(一)偉大な世代にかえれ――コーランの教えに帰依した比類なき世代18
預言者不在の意味/「ムハンマドの本性はコーランだった」/コーランとの接し方が共同体を変える/ジャーヒリーヤの影響からの隔絶こそ
(二)全人類への呼びかけを聞け――コーラン的方法論の本質27
神と人、人と人との関係についての啓示/アラブ統一国家を超えた、アッラーへの帰依/ムハンマドが社会主義の道をとらなかった理由/信仰の深さと神への服従がもたらすもの/イスラーム共同体が法律を必要とするとき/イスラーム法を教えれば信徒になるのではない/イスラームは知的学習では発展しない/人間の世界観だけでなく行動を変えさせるのがイスラーム
(三)人の上に人をつくるな――イスラーム社会の特質と形成55
人が人を支配する社会を作る運動としてのジャーヒリーヤ/イスラーム社会以外の社会は人類の敵である
(四)アッラーの正義を貫く奮闘へ――ジハード(聖戦)の命令63
多神教徒、不信仰者との協定と戦い方/イスラームは抑圧的な制度や独裁を廃絶するために闘う/ユダヤ教徒とキリスト教徒は「多神教徒」になった/説教も剣による聖戦も、同じ意義をもつ/イスラームを迫害した人々も偉大なイスラーム指導者になる/イスラーム運動の目的は狭い意味での「防衛的」なものではない/聖戦の動機は個人の利益や欲望ではない/聖戦は特定の信仰を他者に強制する戦争ではない
(五)森羅万象の基盤を知れ――アッラー以外に崇拝すべき対象はない97
信仰告白と実践が両立しないとイスラームではない/日本もジャーヒリーヤ(無明)社会である/現在のアラブ諸国、「ムスリム社会」もジャーヒリーヤだ
(六)アッラーの一言一句に従え――万物を支配する普遍の法則111
アッラーへの完全服従による普遍の法との調和/この世とあの世は互いに補完している
(七)イスラーム社会こそ――唯一の文明社会118
「進歩的イスラーム」を自称するのはイスラーム社会ではない/家族の単位がなければイスラーム的ではない/イスラーム社会は真正な文明社会である/聖戦は最後の審判の日まで続く
(八)科学と芸術を導くアッラー――イスラームの概念と文化134
知識のあらゆる面で必要なアッラーの導き/ジャーヒリーヤ社会の学問はイスラーム原理と対立する/イスラーム大学発の科学を西洋は非イスラーム化した
(九)アッラーへの道はひとつだけ――ムスリムの国籍は信仰以外にない147
「イスラームの家」か「戦争の家」か/血縁関係よりも信仰関係がつくり出す「イスラームの家」/アッラーに選ばれた人だけがイスラーム共同体に結集する
(一〇)人間への隷従からの解放――偉大なる革新162
ジャーヒリーヤとの妥協は不可能/「イスラーム民主主義」「イスラーム社会主義」という迎合/イスラーム故の不幸でなく、イスラーム放棄による不幸/イスラームか、ジャーヒリーヤか。選択の問題である
(一一)信仰しさえすればいい――信仰の勝利179
イスラームの信仰の栄光はかつてなく輝く/ムスリムには殉教があり楽園へ、征服者は地獄に堕ちる/ムスリムは苦難に直面しても、真理と過誤を交換しない
(一二)求められる不動、不屈の精神――これこそアッラーの道189
「坑の住人」が死の直前に直視した真理/精神の不屈さと迫害への勝利に、アッラーは恩寵を約束する/「拷問されても耐え忍べ。楽園が約束されている」/敵との闘いは本質的に信仰の闘争だ。敵は信仰ゆえに激怒する
解説 時空を越えたクトゥブ主義(岡島稔)―――207
1 イデオロギーの衝突、文明の衝突にあらず209
「共産党宣言」に匹敵する衝撃と影響/弾圧によって殉教者となったクトゥブとクトゥブ主義者/全人類に向けて聖戦運動を拡大する/クトゥブ主義者であることを告白したウサーマ・ビン・ラディン/「九・一一」を実行したクトゥブ主義者たちへの称賛/ウサーマ・ビン・ラディンの日本批判発言
2 ムスリム同胞団の思想221
百万人のエジプト人の声を代表する大民衆組織
3 自由将校団とムスリム同胞団の連帯224
サダト元大統領と同胞団の地下でのつながり
4 クトゥブ少年の生い立ち228
幼少時代に体験したエジプト近代化の隘路/イスラームV.S非イスラームの対立で後者を選択/独立革命の燃えさかるカイロへの出発
5 社会正義への目覚め235
エジプト社会のとほうもない貧困と格差
6 イデオロギーの誕生、弾圧、刑死238
アメリカ留学で、イスラエル支持と人種差別に反発/ナセル政権との対立・弾圧・逮捕。懲役十五年の刑/ムスリム同胞団の再建と獄中での理論書執筆、処刑
7 アメリカの敵探しとイスラーム原理主義者たち244
「アメリカの平和を守るためにはアメリカの敵との戦争が必要だ」/極端な原理主義者批判が穏健なムスリムを動揺させる/クトゥブ主義をムスリム社会に広げていく「米国の二重基準」
解説 サイイド・クトゥブの希求した道(座喜純)―――253
ナセル大統領の釈放取引を拒否して死刑を受け入れた著書
A クトゥブの一生257
前書きなど
まえがき――『道しるべ』日本語版のもつ意味
資本主義も社会主義も〝無明世界〟とする考え
「イスラームは、人間が人間への隷従から自由であることの宣言である」と、エジプトの思想家、サイイド・クトゥブは四十年以上前に自分の著書で書いている。
唯一神の教えに帰依しない社会は、資本主義であろうと社会主義であろうとも、「人間が人間の上に君臨するよう仕向ける」システムだと断じ、「このような現代のジャーヒリーヤ(無明世界)の戦術を暴くことは、ムスリムの義務である」とも。
アラビア語で『道しるべ』と題されたこの本は、一九六四年にエジプトで発刊されたが、「近代国家の否定につながる」との理由からただちに発禁処分となり、大部分が政府によって焼却されてしまった。さらに、著者のクトゥブは、イスラーム原理主義の大衆団体「ムスリム同胞団」のリーダーとして当時のナセル政権によって死刑が宣告され、二年後に刑が執行された。
しかし、わずかに残された『道しるべ』は、国外に持ち出され、クトゥブの代表作として、英語やトルコ語などに翻訳されてきた。インターネットが普及してからは、アラビア語の原文が世界中で閲覧できるようになり、「イスラームかジャーヒリーヤか」を迫る「クトゥブ主義」は、さらに多くのイスラーム教徒の心をつかむようになった。
しかし、エジプトではムスリム同胞団によるサダト大統領暗殺事件も起こり、『道しるべ』は依然として多くのイスラーム諸国と同様に〝禁書〟となっている。
『道しるべ』は現代の世界情勢に多大な影響を与えるイスラーム原理主義者の「教本」として知られ、なかでもアルカイダの指導者ウサーマ・ビン・ラディンは、クトゥブの著作をまさに「道しるべ」としているとされる。
聖戦(ジハード)としての「九・一一」という見解
二〇〇一年九月十一日に米国で同時多発テロが起こり、世界貿易センタービルが崩壊するシーンを目にした時は、多くの人が、「なぜ、こんなことが?」と衝撃を受けたはずだ。しかし、その後に米国がアフガニスタンやイラクを攻撃し、日本や英国などが「対テロ戦争」に同調しだすと、「なぜ?」という素朴かつ根源的な疑問は、時事ニュースの洪水に飲み込まれてしまった。
だが、ウサーマ・ビン・ラディンだけでなく、サウジアラビアやエジプトで育った普通の若者が、数千人の民間人を殺害するに至る背景や思想的な土壌を知らずして、「テロとの戦い」を進める意味があるのだろうか。
私たちは、イスラーム教徒の民衆運動に「テロ活動」や「狂信主義」といったレッテルを貼り付ける前に、この民衆運動を支える意識や思想を探ろうとした。その結果のひとつが、クトゥブの『道しるべ』を日本語で紹介することだった。
クトゥブはこの著作の中で資本主義も社会主義も無明世界と断じると同時に、現在のイスラーム社会のありようにも強烈な批判を浴びせている。彼の主張するようなかたちでの聖戦(ジハード)という概念が「九・一一」に結びついたとする見解は少なくない。その延長には日本という国と社会のあり方を敵視する考えも存在している。
私たちはいま、日本の読者の前に『道しるべ』の翻訳を差し出す。まず読みとおして、それから考えていただきたい。
イスラームの基本認識
訳者の一人は一九八〇年代に日本の新聞社のカイロ特派員として中東を取材し、もう一人はエジプト人助手として取材を支えた。あれから四半世紀が経つが、いまも変わらないことは、日本に届けられるイスラーム圏発信の情報があまりにも少ないということだ。
そのため、基本的な用語でさえ誤解や混同がよく見られる。
私たちは、この『道しるべ』を読むことは、真摯なイスラーム教徒の思考を追体験することだと考える。その一助にと、巻末に詳しい解説を記したが、いくつかの用語については事前の理解が必要と考え、簡潔な解説を以下に記した。ぜひ一読してから、クトゥブの世界観へと進んでもらいたい。
イスラーム
「帰依する」「服従する」という動詞が名詞化して、「唯一神のしもべとして帰依すること」を意味する。一般的には、宗教名のひとつと認識されているが、その教えは宗教にとどまらず、経済や法律など社会生活全般におよぶ。「イスラム」と表記されることが多いが、本文中では、アラビア語の発音により近い「イスラーム」を採用した。
アッラー
英語のゴッドと同じく「唯一神」を意味し、「アッラーという神」でも「イスラームの神」でもない。アラビア語では、キリスト教とユダヤ教における「神」も、「アッラー」と表記し、一神教徒が崇拝すべき唯一の存在とされることから、「唯一神」と訳することもできる。
なお、「至高者」などの美称が九十九あるとされているが、これは「無限にある」ことと同意だと言われている。
ムスリム
一般的には、「イスラーム教徒」と解されるが、原義的には「帰依する者」であり、単に「信者」や「信徒」と訳することができる。なお、女性信徒は「ムスリマ」と呼称されるが、「ムスリム」の一語で男女の信徒を指すとされる。
ムハンマド
五七〇年頃、アラビア半島のマッカに生まれたイスラームの預言者。「アッラー以外に崇拝すべき対象はない、ムハンマドはアッラーの使徒なり」と告白すれば、洗礼などの儀式を経ずにイスラーム教徒だとされるように、最後の使徒(預言者)と認められている。日本では、「マホメット」とも表記されてきたが、これは非アラビア語圏で訛ったもので、現在は原音に準じて「ムハンマド」と表記されることが多い。
ジャーヒリーヤ
「無明時代」とも訳され、もとはムハンマドが神の啓示を受ける以前の時代を指した。しかし、現代では、イスラームとは異質な信仰や近代国家、民族主義など西洋的価値観に支配された状態を指すこともある。これを「現代のジャーヒリーヤ」と呼び、クトゥブは「イスラームか現代のジャーヒリーヤか」の論を展開した。「九・一一」はクトゥブ主義者によるジャーヒリーヤへの攻撃と考えられており、それ故にまたアメリカの主導する「テロとの戦争」の根拠とされたのである。
『道しるべ』が「九・一一」の理論的指導書と見なされるのはそうした背景があったからである。
二〇〇八年七月 岡島稔・座喜純
版元から一言
アラブ諸国では発禁処分。
エジプトで、著者に死刑執行!
法務大臣の友人の友人も読んでる!? 幻の書を全文初邦訳。
イスラム原理主義への「道しるべ」の全容が、いま明らかにされる。
上記内容は本書刊行時のものです。