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NSC 国家安全保障会議
危機管理・安保政策統合メカニズムの比較研究
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2009年7月
- 書店発売日
- 2009年7月16日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2020年5月18日
書評掲載情報
2010-07-04 | 日本経済新聞 |
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紹介
「情報の共有」「危機管理」「政策企画調整」の3点の機能を備え、一元的な対応を迅速に求められる総合的な安全保障の機関としての姿を、アメリカ、ロシア、中国、英国、韓国、台湾、シンガポールで検証。各国の特徴を解明し、わが国における安全保障機関の方向性を示す。
目次
目 次/NSC 国家安全保障会議
序 章――NSCが注目されるのはなぜか………………………………………松田 康博
第1章 米国――国家安全保障会議(NSC)…………………………………吉崎 知典
はじめに 22
一 NSCの歴史的概観
二 「合議体」としてのNSC
三 「スタッフ組織」としてのNSC
おわりに
第2章 韓国――国家安全保障会議……………………………………………室岡 鉄夫
はじめに
一 歴代政権における国家安全保障会議
二 金大中政権
三 盧武鉉政権
おわりに
第3章 台湾――国家安全会議 …………………………………………………松田 康博
はじめに
一 蒋介石・蒋経国時代の国家安全会議
二 李登輝時代の国家安全会議
三 陳水扁時代の国家安全会議
おわりに
第4章 ロシア連邦――安全保障会議…………………………………………兵頭 慎治
はじめに
一 安全保障会議の歴史
二 安全保障会議の組織
三 安全保障会議の人員
おわりに
第5章 中国――中央政治局と中央軍事委員会………………………………松田 康博
はじめに
一 政治制度とリーダーシップの特徴
二 中央軍事委員会
三 政治局常務委員会と中央直属小組
四 「中国版NSC」構想の台頭と挫折
おわりに
第6章 シンガポール――国家安全保障政策形成機構………………………松浦 吉秀
はじめに 204
一 9・11事件以前の安全保障に関わる意思決定機構
二 9・11事件以降の状況
三 リー・シェンロン政権下での安全保障政策機構
四 考察――シンガポールの特殊性
おわりに
第7章 英国――内閣委員会と内閣官房 ……………………………………長尾雄一郎
はじめに 0
一 英国の憲政と議院内閣制
二 英国におけるNSCに相当する組織
三 内閣官房の外交・安全保障部門の運用
おわりに
第7章補論 英国ブレア政権の国家安全保障政策決定過程
――首相府改編を中心に………………………………………………………吉崎 知典
はじめに
一 「戦略拠点」としての首相府
二 事例研究――イラク大量破壊兵器開発問題と首相府の動向
三 ブレア構想への批判と評価
おわりに――ブレア政権後の「英国版NSC」構想
第8章 日本――安全保障会議と内閣官房……………………………松田 康博/細野 英揮
はじめに
一 安全保障会議設置以前
二 安全保障会議と内閣官房
三 小泉内閣における安全保障会議と内閣官房
四 9・11以降の事例研究
おわりに――内閣の安全保障機構の課題
終 章――課題・機能・制度・運用………………………………………………松田 康博
一 課題――不変と多変
二 機能――統合と調整
三 制度――適応と不適応
四 運用――フォーマルとインフォーマル
あとがき……………………………………………………………………………松田 康博
資料編――NSC関連文献…………………………………………………………………………
版元から一言
序 章――NSCが注目されるのはなぜか 松 田 康 博
安全保障環境の新たな変化
「漠たる不安」が現代世界に拡がっている。冷戦が終わったことで、人類は平和を謳歌し、拡大した民主主義を享受し、グローバル化した情報・流通ネットワークを使って、誰もが豊かになるチャンスを与えられるはずであった。ところが、人類が核戦争で滅亡するリスクを背負い続ける時代は終わったものの、それは人々が恒久的に安全や安心を確保することと必ずしも同じ意味ではなかった。
冷戦期にあったような、陣営が明確に固定化し、イデオロギーと核戦争の恐怖に彩られていた国家間の軍事対立は減少した。冷戦後の安全保障についての議論は、単純化すると国家から非国家主体へ、軍事問題から非軍事問題へとシフトしたとされる。確かに、現在の地域紛争、大量破壊兵器の拡散、テロリズム等は、伝統的な軍事対立とは異なった性質を持っている。環境汚染、食料・エネルギー問題、地球温暖化、食品安全、金融危機といった問題もまた、リージョナルやグローバルな拡がりを持ちつつ、かつ個人や集団の生活を脅かす身近な問題となった。誰もが、こうした問題にいったいどう対処したらよいか、明確な答えを探しあぐねている。
「漠たる不安」が衝撃的な形をとって現実となったのが、二〇〇一年九月一一日に発生した米国同時多発テロ事件(九・一一テロ)である。これは抑止が効果を持たない自爆テロであり、しかも破壊の烈度が加速度的に上がっていたため、人々の不安と恐怖を倍増させる結果をもたらした。「もしもテロリストが大量破壊兵器を使って自爆テロを起こしたら」という恐怖の連想が、その後の米国の行動を極端なものにしてしまった。
米国は、非国家主体(アルカイダ)の非軍事的脅威(民間航空機を用いた自爆テロ)に直面し、国家主体を相手に軍事力で対応した。事件を起こしたと断定された国際テロ組織のアルカイダを庇護していたタリバン政権のアフガニスタンに対して、米国は武力を行使した。当初米国は優勢に軍事行動を進めたが、その後の掃討作戦は長期化した。米国はイラクが大量破壊兵器を秘密裏に開発していると誤って断定し、二〇〇三年三月に米英主導の多国籍軍が対イラク武力行使に踏み切った。二〇〇五年一二月にイラクでは新憲法に基づく新政権が成立したものの、治安の確立は長期的かつ困難な作業となった。米国の反テロ戦争は泥沼化し、超大国の体力を奪い、自信を喪失させた。
こうしたグローバルな問題は、日本の安全保障とも直結している。地球のどこかで内戦が起きても、国境を越えた地域で発生した食品汚染事件でも、日本は影響を受ける可能性があるのである。中東地域が不安定化すれば、それはエネルギー資源を中東地域に極端に依存している日本にとってまさに死活問題となりかねない。日本が依存する同盟国である米国が中東問題で失敗し、その能力や地位が揺らぐと、東アジアへの関与が弱まり、地域の安全保障環境も変化せざるを得ない。
東アジアに目を移せば、近年著しい経済発展を見せている中国は、ロシアからの先進武器・技術の輸入・導入と国防予算の持続的増大により軍事力近代化を図り、外洋や宇宙への軍事進出を活発化させている。中台関係は緩和されつつあるが、敵対状態はいまだに正式に終結していない。武装工作船事件や拉致事件から、弾道ミサイル発射や核実験にいたるまで、これまで北朝鮮が引き起こした安全保障上の難題は、解決されないまま時間が経過している。
言い換えるならば、東アジアは、伝統的な国家間のパワーゲームや地域紛争が未解決なままで、新たな脱国家的な脅威の影響を受けるようになったのである。しかも、新たな脅威に対して米国が対応を誤ると、東アジアの伝統的な脅威は顕在化しかねない。二一世紀において、世界の安全保障環境は、日本周辺を含めて混沌とした状況を深めているということができよう。
NSCへの関心の高まり
こうした安全保障環境の変化に直面して、少なからぬ人々は政府の役割に期待する。多くの政策領域で政府が果たす役割が相対的に小さくなっているにもかかわらず、安全が脅かされていると感じる時人々は、政府への期待を増大させるのである。政府内の各部門を跨ぐ複雑な問題は増加しており、現代の政府は統合的な行政を求められる。人々が政府に安全を求める状況下で、指導者は危機管理と同時に中長期的な安全保障政策の策定にも取り組まなければならない。特に危機管理における失敗は政治的危機さえも招きかねない重要課題である。国家の安全保障・危機管理に責任を負う指導者のストレスは増大する一方であり、当然指導者の補佐体制を強化する必要性が指摘されるようになる。
日本では、九・一一テロ以降、安全保障機構を改革すべきであるという提言が相次いだ。それは、冷戦期の防衛力整備とは大きく様変わりした内容になっている。二〇〇四年三月に自由民主党国防部会の防衛政策検討小委員会が発表した「提言・新しい日本の防衛政策」は、危機管理体制の充実を図るため、総理大臣と内閣官房の強化を図ることを提言した。同年一〇月に公表された小泉純一郎首相の私的な諮問機関である「安全保障と防衛力に関する懇談会」の報告書もまた、安全保障会議の機能を抜本的に強化して、統合的安全保障戦略を実施するための中核組織として活用すべきであると提言している。
民主党の中にも、安全保障に関わる内閣機能の強化を主張する意見がある。二〇〇五年に岡田克也民主党代表は官邸機能の強化、外務省改革および安全保障会議の大幅な機能強化の必要性について提言した。前原誠司衆議院議員も同年党代表就任に際して安全保障会議の機能を強化するために、米国の国家安全保障会議(NSC)をモデルとした「日本版NSC」を設置すべきであるとの政策提言を行った。
二〇〇六年九月に発足した安倍晋三政権は、「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」の報告書を受けて、最終的には実現に到らなかったものの、「日本版NSC」構想を法案化するに到った(第8章参照)。安倍政権は、首相官邸を中心として安全保障と危機管理に関する政策機能と情報機能の強化を目指していたが、そのキーワードもまた「NSC」だったのである。
このように、内閣の安全保障機構を強化すべきであるという議論、特に日本もNSCをもつべきであるという議論が増えている。他方で日本ではNSCは戦争動員のためにあるのであって、日本は持つべきではないという古くからの反対論もある。逆に、新たな組織を立ち上げても各省庁からの官僚の寄せ集めに過ぎず、機能しないのではないか、という懐疑論もあれば、官僚を抑えようとして政治任命ポストを増やしても、かえって官僚組織を動かすことができなくなってしまうのではないか、という慎重論もある。
しかし、そもそもNSCがどのような機能を果たしている組織なのか、本当に必要なのかといった基本的な知識が日本では蓄積されていない。こうした提言・取り組みや法制度改革が、日本だけにとどまっているのではなく、世界各国で進行しているにもかかわらず、である。しかも、世界のNSCの実態に対する知的な蓄積には、大きな偏差がある。米国のNSCに関わる研究は群を抜いて多く、日本でも一九九三年以前の米国のNSCに関する研究成果として花井等と木村卓司の著書がある。日本の安全保障機構については、中島信吾や信田智人等の一連の優れた論攷があり、また関係者の様々な回想録が公表されてきたことにより、情報が蓄積されつつある。
しかし、米国を除いた日本と関わりがある他の重要な国・地域についてはどうであろうか。たとえば韓国、台湾といった紛争地域の当事国・地域や、中国、ロシアといった近隣大国の安全保障政策の決定過程についてでさえ、断片的な情報しかないのが実状である。しかも、日本でNSCの議論を行うと、情報機関と同一視されてしまう傾向がある。 情 報 は安全保障や危機管理に極めて重要な役割を果たすが、情報は政策サイドに情報を必要とする「カスタマー」がいなければ無意味となる。NSCは国家安全保障に関わる情報のカスタマーとなる存在なのであり、情報機関そのものではない。情報機関とNSCは国家が安全保障・危機管理を推進する上で車の両輪のような存在なのである。
本書は、日本と関係の深い主要国・地域が安全保障環境の変化にどのように対応しているのかを、NSCのように安全保障政策の総合的企画・立案・調整を担当する組織の比較分析を通じて明らかにすることを目的としている。NSCは英国の帝国防衛委員会を範としつつ、米国で一九四七年に誕生した。その後、多くの国家が米国の影響を受けてNSCを取り入れていった。冷戦末期に米国ではNSCの権限縮小がなされたが、冷戦後に世界各国のNSCは制度改革を経験し、権限が強化される趨勢にある。NSCが果たしている機能を明らかにし、こうした現象が米国以外の国家でも発生していることの意味を問うことが、本書の主題である。
上記内容は本書刊行時のものです。