松本サリン・志布志事件にみる冤罪と報道被害メディアは私たちを守れるか?
木村 朗:編著, 河野 義行, 陶山 賢治, 梶山 天, 杉原 洋, 野平 康博, 竹内 勝徳
発行:凱風社
この版元の本一覧
四六判 224ページ 並製
定価:1,500円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7736-3203-3 C0036
在庫あり
奥付の初版発行年月:2007年11月
書店発売日:2007年11月22日
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紹介

 いっこうに減らない犯人視報道、集団的過熱取材による人権侵害や報道被害。メディアに対する市民の不信・懐疑は加速度的に広がっている。その一方で、権力が一体となって作り上げた冤罪やでっちあげが繰り返し発生している。本書では、松本サリン・志布志事件を題材に、情報の受け手である市民が問われるメディア・リテラシーとは何か、権力の暴走を監視する立場にあるメディアは市民の味方なのか——この、古くて新しいテーマを現役の組織ジャーナリストと共に考える。

目次

●まえがき

【第一部】基調講演——松本サリン事件にみる報道の罪と罰——河野義行

 事件発生直後から出始めた誤報/重ねられていく〝疑惑〟と強制捜査/警察の記者会見とマスコミの犯人視報道/サリン説と世論/気の進まない退院、そしてメディア・スクラム/抗議の記者会見、任意の事情聴取、ポリグラフ試験/情報リークによる取調べ、切り違い尋問/自白の強要、証明主体のすり替え/弁護団と連携した対警察対策、マスコミを使った対世論対策/マスコミによって犯人にされ、マスコミによって救われる/実名報道、匿名報道——マスコミと警察が協力しあう態勢はできないのか

【第二部】パネルディスカッション——メディアは私たちを守れるでしょうか?——[パネリスト]杉原洋・梶山天・陶山賢治 [特別ゲスト]河野義行 [司会]木村朗
 なぜ犯人視報道に走ったのか——その要因と反省点/メディア・スクラムはなぜ起こるのか——質より量を重視する時代性/個人情報保護法の問題点とプライバシー保護——実名か匿名か/匿名発表・実名発表とメディアへの影響/冤罪事件とマスメディア——志布志事件の調査報道をめぐって/ジャーナリズムに求められている役割——メディア・リテラシーについて/必要な、メディア側の自助努力

【第三部】メディア・リテラシーの視点から——冤罪と報道被害の構図

●「冤罪」を生む捜査と犯罪報道の落とし穴——情報操作とメディア・リテラシー——木村 朗
 松本サリン事件の教訓とは何か——誰もが「冤罪」誤報の被害者・加害者になる危険性/志布志事件が提起した本質的な問題——「冤罪」事件の構図とメディアの功罪を問う/冤罪と誤報による人権侵害の再発防止に向けて——メディア・リテラシーの意義

●志布志事件と松本サリン事件から何を学ぶか——警察情報と報道の在り方を考える——杉原 洋
 はじめに/警察情報というもの/松本サリン報道/支店長はなぜ死んだか/警察情報の相対化/読者の不信とメディア規制

●「架空の事件」を作り上げた県警の異常な捜査——朝日新聞鹿児島総局の調査報道——梶山 天
 はじめに/作り上げられた四回の買収会合/特定できなかった会合の日時/捜査幹部の暴走/強圧的取り調べ/でっちあげ/踏み字/揺れる端緒情報/対決/身内に甘い処分と狂った人生

●弁護人から見た志布志事件の経緯と課題——適正な刑罰権の実現のために——野平康博
 はじめに/常軌を逸した数々の違法行為/現行制度では違法行為は防止できない——可視化は真相解明につながる/侵害された弁護人の秘密交通権/苦戦がつづいた弁護人の法廷闘争/自白の任意性を容認した裁判所の無罪判決に疑問/被害者の精神的・肉体的・経済的被害をどう償うべきか

●冤罪を生みだす〝世間〟という名の私たちの加担——ハンセン病患者隔離政策はなぜ存続したのか——陶山賢治
 はじめに/六〇年以上温存されてきた絶対隔離政策/ドキュメンタリー「人間として〜ハンセン病訴訟原告たちの闘い」の構図/排除の論理に加担している「世間」という名の私たち

●権力による「幻想」=「物語」の形成とメディアの役割——チョムスキーの視点を通して——竹内勝徳
 国民投票法とメディア/チョムスキーによる「民主主義」解釈/アメリカにおける「幻想」=「物語」の政治的活用/チョムスキーのメディア批判/おわりに

●あとがき

前書きなど

まえがき

 一九九〇年代以降、個人情報保護に関する関心が高まる中で、「個人情報の保護に関する法律」(個人情報保護法)が、二〇〇五年四月に全面的に施行された。この背景には、松本サリン事件などによってメディアによる報道被害の実態が明らかになり、市民によるメディア不信が強まる一方で、そうした世論状況を利用してメディアへの介入を強めようとする権力側の思惑も隠されていた。

 権力とメディアの一体化を問題視する作家の辺見庸氏は、そのことを「マスメディアへの冷たいまなざしは、もちろん理由なしとしないわけで、たとえば特異な刑事犯罪のときの雪崩のような取材方式は一向に改まる姿勢がない」とメディアの姿勢を批判しつつ、「個人情報保護法は、……有事対応や国家の情報統制機能の拡大などと絡めて、より広い視点から実相を捉え直していく必要がありますね」と国家の本質的狙いを鋭く指摘している(『単独発言——私はブッシュの敵である』角川文庫より)。

 個人情報保護法の成立以降、これまで放置されがちであったメディアの集団的過熱取材(=メディア・スクラム)による被害者家族などに対する人権侵害・報道被害が表面上改善されつつある一方で、メディアによる権力の監視機能が弱まり、個人情報の過度の保護・非公開による地域社会におけるコミュニケーションの阻害などの新しい問題も生じている。

 例えば、大事故の際に病院が肉親を気づかう家族からの安否確認に対して個人情報保護をタテに応じないところや、教育の現場で父母会の名簿や電話連絡網の作成、配布を限定するところなどが出ている、との具体的事例の指摘もある(梓澤和幸『報道被害』岩波新書より)。

 これとの関連で、個人のプライバシー保護と国民の知る権利の保障とのバランスが問われる匿名発表および匿名報道をめぐる問題が注目を集めている。これまで報道の正確性の向上や公権力の監視を行うためには、メディアなどがある事象(事件・事故など)を報道する際、関係者や情報提供者の実名、あるいは関係する団体名を明示する実名報道が必要不可欠なものと考えられてきた。その一方で、実名報道は報道被害につながるとの懸念もあり、特に犯罪被害者については匿名での報道を求める声がしだいに強くなっている。

 そして、こうした世論状況の変化を背景にして、政府・自治体など行政当局側から実名報道を制限しようとする動きが生まれており、それが特に警察当局の一方的判断による被害者・加害者情報の匿名発表という形で出てきている。これに対して、警察による匿名発表やそれに従うマスコミの匿名報道は、著名人や地位のある人々のスキャンダル隠しなどに利用され、結局、無責任を助長して社会の制裁機能を奪うことになるという根強い批判も出されている。

 また、近年、警察・検察による人権を無視した違法な捜査とそれに追随するマスコミの犯人視報道によって無実の人々・一般市民が大きな人権侵害を受ける、いわゆる冤罪事件が相次いで表面化している。こうした冤罪事件は、市民の人権を守る最後の砦であるはずの司法(警察・検察・裁判所、特に裁判所)が今日まともに機能していないことを示している。と同時に、それは本来、権力の暴走を監視・抑止することを本来の使命としているはずのメディアが、権力と一体化してその役割を放棄していることを意味している。すなわち、メディアが権力の行う「情報操作」(とりわけ、警察による裏情報のリーク)に乗るという形で権力と一体化することが冤罪を生む一つの構図となっているのである。

 人権と報道の問題に取り組んできたフリージャーナリストの山口正紀氏は、そうした構図を生む原因について、二〇〇五年七月四日のシンポジウム「おかしいぞ!警察・検察・裁判所Ⅱ メディアはなぜ追及できないのか」で、「やっぱり、警察を監視する対象として見るのか、それとも情報をもらう対象でしかないのか、という根本的な問題が横たわっている気がします」とズバリと指摘している(魚住昭、斎藤貴男、大谷昭宏、三井環『おかしいぞ!警察・検察・裁判所——市民社会の自由が危ない』創出版より)。

 政府によるメディア規制の強化、匿名社会・監視社会の進行、権力とメディアの一体化、といった日本社会の現状は、まさに情報化社会の落とし穴・危険性を物語っている。ここで問われているのは、個人のプライバシー保護と国民の知る権利の保障とのバランスばかりでなく、人権保障と民主主義という社会全体の根本的なあり方であるといえよう。

 そして最近になって、こうした状況に市民がどのように対処すべきか、という文脈で「メディア・リテラシー」という言葉が登場してきている。この言葉は、「読者・視聴者である市民が、メディアを通じて流されるニュースや情報を、誰がどのような意図でつくっているのかなどを理解した上で主体的に判断・評価する能力」を指しており、権力による真相の隠と神話の捏造という「情報操作」とは表裏一体の関係にある。新聞やテレビで流されるニュースや情報が常に正しいとは限らない、特に警察の裏情報には嘘や歪曲・誇張がつきものであることは、これまでに起きている冤罪事件と犯罪報道のあり方を見れば明らかであろう。

 そこで、本書では、「メディアは市民を守ることができるのか」というテーマを設定して、前半部分(第一部の講演録と第二部の公開シンポジウムの記録)では松本サリン事件の冤罪と報道被害の二重の被害者であった河野義行氏の体験談を軸にして、個人情報保護と国民の知る権利との関係や、実名報道主義と匿名報道主義の是非などを中心に論じる。また、後半部分(第三部の冤罪と報道被害の構図)では、冤罪事件と報道被害、あるいは情報操作とメディア・リテラシーのあり方を中心に、新たに志布志事件を題材に加えて分析・考察する。

 そして、本書全体を通じて、冤罪を生んだ捜査当局の実態と報道被害をもたらしたメディア、またそれに加担することになった市民といった構造を明らかにすると同時に、こうした冤罪・報道被害の再発を防ぐための方策について、特にメディアのあるべき姿を中心に考察・提起することにしたい。それはまた、メディア・リテラシー、すなわち報道・情報の受け手である市民一人ひとりの情報を読みとる姿勢・能力を問うことにもなろう。

木村 朗

版元から一言

話題づくり優先主義のマスメディア、違憲常習犯の警察権力、「容疑者」を白眼視する世論の加担——報道の真贋を自分で判断する時代がやってきた。

関連リンク

凱風社の書籍案内

著者プロフィール

木村 朗(キムラ・アキラ)

鹿児島大学法文学部教授、平和学・国際関係論専攻。1954年8月生まれ。北九州市小倉出身。長崎平和研究所客員研究員・日本平和学会理事。主な研究テーマは、民族問題や原爆投下・核問題など。平和問題ゼミナールhttp://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/を開催。単著『危機の時代の平和学』、編著『核の時代と東アジアの平和』、(いずれも、法律文化社)、編著『[市民講座いまに問う]米軍再編と前線基地・日本』『9・11事件の省察』(いずれも凱風社)、他。

河野 義行(コウノ・ヨシユキ)

 昭和25年愛知県生まれ。名城大学理工学部卒業。平成6年6月「松本サリン事件」に遭遇。平成13年8月、犯罪被害者の支援機関として特定非営利活動法人(NPO)=リカバリー・サポート・センター」に参加。現在理事に就任。平成14年7月より平成17年7月まで、長野県公安委員を務める。犯罪被害者の支援や人権、家族、介護などをテーマに全国で講演活動をしている。著書に『「疑惑」は晴れようとも』(文春文庫)、『妻よ!』(新風舎)、『松本サリン事件』(近代文芸社)、『松本サリン事件報道の罪と罰』(共著、新風舎)。

陶山 賢治(スヤマ・ケンジ)

 昭和24年山口県生まれ。読売新聞記者を経て、平成8年南日本放送入社。「ハンセン病問題報道」で民間放送連盟賞テレビ報道部門最優秀賞、日本ジャーナリスト会議賞、「平和のための鹿児島戦争展」でギャラクシー賞報道活動部門全国最優秀賞など受賞。著書に『ハンセン病問題は終わっていない』(岩波書店)など。現在、南日本放送常務取締役。日本マスコミ学会会員。

梶山 天(スヤマ・ケンジ)

 旧長崎県福江市(現五島市)出身。1956年4月15日生まれ。78年朝日新聞社入社、佐賀、鹿児島支局などを経て、96年西部本社社会部事件キャップ、98年東京本社社会部警察庁担当。2000年佐世保支局長、04年西部本社報道センター(旧社会部)次長、05年4月から現職(鹿児島総局長)。現在、12人の被告に無罪判決が出た03年の鹿児島県警による県議選公選法違反事件の調査報道で県警捜査のずさんさを徹底追及している。朝日新聞での大半を事件記者として在籍。阪神大震災など手がけ、佐世保重工業(SSK)の補助金詐欺事件の調査報道なども行ってきた。

杉原 洋(スギハラ・ヒロシ)

 1948年、和歌山県生まれ。兵庫県尼崎市、大阪府豊中市で高校までを過ごし66年、鹿児島大学理学部入学。ベトナム反戦、学問と社会のかかわりを問う学生運動に参加して、法文学部に転部。71年、南日本新聞入社。写真部、川内支社、整理部、労働組合委員長、社会部、大島支社、文化部、編集委員、読者と報道委員会事務局長など歴任。環境問題、報道と人権、開発と自治などに関心がある。

野平 康博(ノヒラ・ヤスヒロ)

 鹿児島県弁護士会所属弁護士。昭和31年生まれ。鹿児島県種子島出身。鹿児島大学法文学部法学科卒業。平成7年司法試験合格・平成10年4月鹿児島県弁護士会登録・平成19年度鹿児島県弁護士会副会長。平成12年4月に市民に親しまれる法律事務所の運営を目指し独立。これまでの主な担当事件は、知覧中いじめ自殺事件・中国残留孤児訴訟・原爆症認定集団訴訟・全国トンネルじん肺訴訟・踏み字訴訟・第1次大崎再審請求事件・鹿屋防空壕陥没事件等。

竹内 勝徳(タケウチ・カツノリ)

 1960年9月、福岡県生まれ。鹿児島大学法文学部教授、アメリカ文学、アメリカ大衆文化を専攻。主に19世紀のアメリカ文学、特にハーマン・メルヴィル、近代のアメリカ文化、そして現代のポストモダン作家たちを中心に研究。共著『アメリカ文学と狂気』(英宝社、2000年)。論文に「教会堂としてのMoby-Dick」(『英文学研究』第74巻、第2号、1998年)、「『ピエール』における芸術とセクシュアリティ」(『英文学春秋』7号、2000年)、“Aspects of Speech and Body in City of Glass”(『九州アメリカ文学』48号、2007年)などがある。

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