トーキング コリアンシネマ
石坂 浩一
発行:凱風社
この版元の本一覧
四六判 264ページ 並製
定価:1,800円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7736-2905-7(4-7736-2905-3) C0074
在庫あり
奥付の初版発行年月:2005年03月
書店発売日:2005年03月10日
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紹介

 1987年以降の十数年にわたる民主化の過程で、韓国映画はいかに変貌してきたのか。「シュリ」の登場は、日本人にとっても隣国に対するイメージを変えた出来事であった。そして、「猟奇的な彼女」「友へ チング」「シルミド」「僕の彼女を紹介します」……と、日本人の心をもつかむ話題作を連発。不断の挑戦で蓄積されてきたパワーが90年代後半に一挙に放出され、戦後60年・日韓国交正常化40年の2005年を迎えるいまも、映像表現の新たな境地を開拓しつづける韓国映画。その〈魅力〉と〈韓国社会を理解する視点〉を解きあかす。

目次

●プロローグ 韓国映画の幸せな時間

【1】《シルミド》への道のり

 《シルミド》の大ヒット/カン・ウソク監督の「失敗」/シネマサービスの功績

【2】ニューウェーブを準備した民主化と表現の自由

 《南部軍》のヒット/一九八七年は韓国社会の転機/新しい監督の登場/政治的映画の成功と失敗

【3】ニューウェーブの登場を告げた《接続》

 新世代の支持した映画/ニューウェーブを準備したもの/《接続》の同時代性と剽窃論議/アンダーグラウンド映画の水脈

【4】《シュリ》の登場

 ブレイクした背景と必然性/反共映画の歴史/名作《誤発弾》の受難/《ブラザーフッド》のヒットの公式

【5】ジャンルの多様化へ ホラー、SF、ミステリー

 《女子高の怪談》の成功/多様化するホラー/ホラーの新しい可能性/SF、ミステリーの登場

【6】映画をめぐる社会的条件の変化

 映画雑誌の時代/『ぴあ』のない韓国とインターネットの役割/容赦ない上映打ち切り/シネコンと一〇〇〇スクリーン時代

【7】個性的な作品と監督たち

 さまざまなトリック/ホン・サンス監督の《発見》/異端の監督キム・ギドク/ミニシアターと新しい可能性

【8】韓国人は本当に民族主義者か

 入養児へのまなざし/移民と民族のとらえ方/反作用としての民族主義/自民族中心主義への反省/南北を題材にした映画

【9】変転するヒットの法則

 ヤクザコメディーの隆盛/ポストコメディーの二〇〇三年/韓国映画、深く多様に

【10】韓国は本当に儒教の国なのか

 儒教秩序は朝鮮王朝以降/テーマ性の強いフェミニズム映画/女性をめぐる表現の変化/家族を回避する韓国映画

【11】韓国と日本、見る側の個性

 日本映画の興行成績/韓国人はどういう日本映画を好むか/米国映画における日韓の好みのちがい/日本での韓国映画の位置/ちがいを理解を高める機会に転化できるか

●エピローグ 新しい時代への意志

●付録 韓国映画一覧

前書きなど

 プロローグ 韓国映画の幸せな時間


 二〇〇三年六月、前日に続いて私はソウル劇場を訪れ、もう一度《チャンファ、ホンニョン》(邦題《笥》)を見た。映画は、殺風景な部屋に少女が連れられてきて、医者とおぼしき男から質問をされる場面で始まる。

 「あの日あったことを話してくれないか?」

 すると、物語は乗用車に乗った姉妹が田舎のいずことも知れぬ洋館の前に降り立つ場面に転換する。この屋敷が作品の舞台だ。もともと「チャンファ、ホンニョン」(薔花紅蓮)とは韓国の古典小説のひとつで、継母にいじめられて死んだ仲のいい姉妹が村にたたりをもたらし、やがてやってきた役人によって事の真相が明らかにされるというもの。はじめのうち、映画は古典をなぞっているように見えるし、映画作品に登場する姉妹の名はチャンファとホンニョンではなくスミとスヨンだが、漢字では「チャンファ」は「薔薇=チャンミ」つまりバラのことで、スミの名前の「ミ」の一文字を重ねているし、「ホンニョン」は漢字では「紅蓮」で「蓮」=ハスは「ヨン」とも読むから、スヨンも一文字重ねていることがわかる。ただし、ストーリーは途中から意外な展開を見せるので、このタイトルは観客のミスリードを狙ったものともいえるかもしれないが、かなり凝ったつくりである。

 《チャンファ、ホンニョン》は《クワイエット・ファミリー》《反則王》の監督、キム・ジウンの久々の長編であることに加えて、メイン舞台の洋館をはじめとした美術の作り込みの見事さが早くから評判となり、父親役のキム・ガプス(阪本順二監督《KT》のKCIAリーダー役)と継母役のヨム・ジョンア(チャン・ユニョン監督《カル》のヒロインの親友である、背の高い女性医師役を演じた)ら充実した配役も含めて注目されていた。

 マスコミ向け試写の段階でさらに評価は高まった。結末に涙した女性記者も少なくなかったという。だが、一筋縄でいかない韓国のメディアでは《チャンファ、ホンニョン》がホラーのはずなのにその形式を踏みはずしている、ストーリー展開に無理があるなどの批判が出てきた。韓国の批評界はジャンルや形式になかなか厳しい。

 しかし評論家はともかくとして、観客はこの作品にイエスの選択をした。最終的に観客動員数はソウルで一〇〇万人を越え、全国では三〇〇万人に達した。作品の年齢制限は一二歳以上観覧可、というものだったが観客の二割は中学生で、前売の統計では七割が女性だったという(『ハンギョレ』二〇〇三年六月一九日付)。この映画が若い女性の共感を呼んだことをどう受けとめたらいいのだろうか。

 私も、すっかりこの作品に魅了されてしまった。悲しい、心理ドラマというべきこの物語は終始一貫、主人公のスミをいとおしむまなざしで包みこむ。この視線は国や民族を超えて伝わる。韓国映画を見て幸せに感じるのは、誰にもじゃまされずにこうした時間に浸っていられる時である。キム・ジウン監督は、これまでの作品は人間の心理に分け入っていかなかったが、今度は半分くらいは入っていけたのではないかと、インタビューで答えていた(『フィルム2・0』二〇〇三年六月一七日号)。

 この切ない物語に出会って思い出した作品があった。ちょうど同じ時期に日本で放映されていた仲間由紀恵・オダギリジョー主演のテレビドラマ「顔」である。そのモチーフは、自分にとって大切な人を守れなかったつらさや罪悪感、自分自身にのしかかる重い抑圧感との闘いといったことではなかったかと思う。

 さらに、前にもちょうど同じようなことがあったのに私は気づいていた。一九九九年一一月、のちに日本で《カル》の名前で公開される《テル・ミー・サムシング》を見た時、同時期に日本で放送されていた竹之内豊・松島菜々子主演の連続テレビドラマ「氷の世界」を思い浮かべずにはいられなかったのである。前者はバラバラ殺人事件であり、後者は、当初は殺人か事故かわからない婚約者の死による保険金を連続して受け取った謎の女性をめぐる話であった。ストーリーが進むと、両者にはかなりのちがいがあることがわかってくるが、連続殺人の渦中にいる疑わしき女性の、その心理の不可解さを描くという点で、ふたつの作品は通じるところがあった。現代人が抱く、他人の心のありかへの不安といったものを、追究していたように思う。《カル》のチャン・ユニョン監督にインタビューをする機会に恵まれた私が、監督にこの「氷の世界」の話をすると、非常に興味を示していた。

 こういったことを書くと、一部の気の早い日本の読者は「やはり韓国の映画は日本のまねをしているのか?」と考えるかもしれないが、私がいいたいのはそういうことではない。グローバルな現代社会にあって、同じ時代を生きている韓国人が何の約束もなしに日本人と同じようなテーマで映画を作ろうとしていた、そのことが感銘深かったのである。映像上の実験的な試みではむしろ、このごろは韓国映画のほうがずっと大胆だと感じられることが多いから、少なくともその点ではまねをしているというのはあてはまらない。

 もうひとつ、幸せな話を紹介しよう。同じ二〇〇三年の八月九日、プサン(釜山)のPIFF広場と呼ばれる映画館ストリートにあるプサン劇場で《猫の恩返し》(宮崎駿監督)を見た時のことだ。ちょうど公開二日目の夕方だったが、座席はほぼ埋まっており、子どもを含めた韓国の観客は面白いほどよく笑っていた。字幕なので子どもたちには見づらかったのではないかと思ったが、全体として青年層を中心とした大人の観客が多く、映画に対する反応はすこぶるよかった。

 韓国の観客は基本的に日本よりも喜怒哀楽がはっきりしている。何でこんなところで笑うのだろうという部分でも笑う。母親が娘である主人公のハルに、幼いころ、あなたはネコとお話したと言っていたのよと昔を回想する場面がある。そのシーンの中に、ネコがハルに語る「生きていくのも大変だよ」という台詞が出てくる。この台詞を、字幕で見た観客が(したがってワンテンポ遅れて)、どっとわいた。映画が終わった帰り際、ある若い男性客がエンディング・テーマ曲を口ずさんでいた。いかにも心温まる光景であった。

 もともと、私は映画評論家でもないし、映画について専門的な勉強をしたわけでもない。ただ、一九九〇年代初めから映画を見る機会が多くなって、最初は中国や台湾の映画を中心に見ていたが、やがて韓国の映画に目を向けるようになった。韓国で初めて韓国映画を見たのは九三年で、《トゥー・カップス》というコメディー映画だった。元々韓国について研究している人間(筆者)が韓国映画にたどり着いたのはしごく自然な成り行きだろう。とはいえ、九〇年代前半の日本では、韓国映画を見る機会は非常に限られていた。韓国映画を見るには韓国へ行き、映画館を訪ねるなりビデオを買わなければならなかった。

 見はじめた当初、私自身は韓国映画が今日ほど日本で注目されるとは思ってもいなかった。どちらかというと、中国映画のほうが面白かったのである。だが、「どちらが面白いか」という表現が当てはまらなくなる時期が私に訪れた。おかげで九七年くらいから韓国に行く機会が増えていった。

 九〇年代初めの韓国では、書店で映画に関する本を探そうとしても、以前から出ていた『韓国映画年鑑』や『韓国シナリオ選集』を除いて、ごくわずかの本にしか出会えなかった。それがいまや、韓国映画に限らず世界の映画に関する書籍が書棚にあふれており、インターネットを通じて得られる情報もはかり知れない。

 映画に限らないが、韓国について面白いこと、感銘を受けたことがあったら人に伝えたいという気持ちが、私には強い。だから、ずいぶん前から韓国映画についての本を書くと、友人たちにいいふらしてきた。しかし、忙しさにかまけ、また朝鮮半島の状況も多事多難で、映画の本を書くという誓いはいっこうに進まなかった。けれども、韓国映画を見に行く日々は途切れなく続いたし、フェリス女学院大学や立教大学の授業で、東アジアの社会・歴史や韓国映画についての講義も何年間か継続してきた。韓国映画と社会のかかわりについていうべきことは私なりにまとまってきたものの、書きはじめる機会がつくれなかったというわけである。

 今こそ書かなくてはいけない、と背中を押してくれたのは《チャンファ、ホンニョン》だった。二回目にこの映画を見て映画館を出てきた時、そう思ったのである。それだけ、あの作品の登場人物に愛着がわいたということだろうか。

 この本で私は、基本的に韓国で見た韓国映画を通して観察したことや気がついたことを伝えていこうと思う。一九八七年以降の民主化のプロセス、その中での韓国の人と文化の変貌・活力のようなものを映画との関連で位置づけてみたいのである。韓国の作品も、思い立ってから時間がたったぶんだけ知られるようになった。本を書く上にも、執筆環境はずいぶんと良くなったわけだ。

 私が初めて韓国に行ったのは一九七七年のことだが、それからちょうど四半世紀がたった。その間に個人的に印象深い出会いがたくさんあった。そうした出会いで得たものや考えたことも、本書に反映できると思う。だから、植民地時代の映画や四方田犬彦がたたえてきた八〇年代ニューウェーブは必要な範囲でふれることにして、一九八〇年代後半以降の映画を本書の対象としていきたい。

 面白いもので、韓国の映画雑誌を見ていると、評論家の評価と観客動員数はあまり一致しない。これは日本でもそうかもしれないが。

 どちらかというと、作品そのものよりも、映画がどう見られたか、なぜ人気が集まったかということに、私は興味がそそられる。インターネットの発達がすさまじい韓国では映画への批評や感想があちこちのサイトで百出している。これを見ているときりがないが、韓国で発行されている少なからぬ映画雑誌は、日本への紹介の意味も込めて取り上げていきたい。

 また日本では、韓国映画の成功の理由を韓国政府の公的支援などに帰着させる考え方が強い。だが、産業としての成功を、その映画を生み出している社会と切り離して考えることはできない。産業的な面の分析はもちろん、どんな人たちがどんな風に映画を見ているのか、それを紹介し、その結果、この本が韓国社会をより深く理解するための一助となれば幸いである。

 今まで映画評論を専門とする人たちが韓国映画について多くを書き、語ってきた。それらに私も教えられることが多かったが、同時に韓国社会についてもう少し正確に知ってほしいと思うことも少なくなかった。また、四方田犬彦が書いていたように、韓国研究者が映画について大して知らないのに「知ったかぶり」をしているということもあったにちがいない。最初、四方田のこうした批判を読んだ時、私は一面で同意しつつ、一面では反発するところがあった。だが、実際に映画やドラマを見たとも思えないのにそれを題材にした文章を書いている韓国研究者がいるのを見るにつけ、自分でも腹が立ってきて、四方田にそう指摘されてもしかたがないと認めざるをえなくなった。

 自分が韓国映画から得た楽しさや、韓国社会を理解する視点を提示しつつ、隣国の等身大の姿をどのようにしたら多くの人に伝えられるのか、そのことを今、私は考えている。

版元から一言

「冬ソナ」ブームで「近くて近い国」になりつつある韓国と日本。国際交流に果たす映画の力はあなどれない。映画でパワフル韓国を発見! 韓国映画の〈魅力〉を紹介し、韓国社会〈理解〉のユニークな視点を提供。

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著者プロフィール

石坂 浩一(いしざか・こういち)

 1958年生まれ。韓国社会論、日韓・日朝関係史専攻。立教大学・フェリス女学院大学・横浜市立大学などの非常勤講師を経て、2004年4月から立教大学助教授。主な著書に『岩波小辞典 現代韓国・朝鮮』(共編著、岩波書店)、『韓国と出会う本——暮らし、社会、歴史を知るブックガイド』(岩波ブックレット)、『現代韓国を知るための55章』(共編著、明石書店)、『日朝条約への市民提言』(共著、明石書店)、『日韓「異文化」交流ウォッチング』(編著、社会評論社)、『サイの角のようにひとりで行け』(訳書、新幹社)など。

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