沖縄の知識人類学民俗知識論の課題
渡邊 欣雄
発行:凱風社
この版元の本一覧
A5判 288ページ 並製
定価:3,300円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7736-2813-5(4-7736-2813-8) C3039
在庫あり
奥付の初版発行年月:2004年03月
書店発売日:2004年03月31日
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紹介

沖縄に関する社会・文化人類学研究の論文集。収載した論文はもともと、著者の80年代の研究成果を集めたものだが、本書の主題である《民俗知識》は、研究者個々人の知識を通して文化の《多声性》を知りうるテーマとして、最近のポストモダン思想の中で再評価されている。そうした背景のもとに、第二版として判型を四六判からA5判に拡大して刊行する。「沖縄学」のみがローカルなテーマとして扱ってきた「門中」「風水」「歌謡」などを80年代に採り上げた先駆的論文集。

目次

はじめに

第Ⅰ部:知識論
 民俗的知識の動態的研究
 知識と文化

第Ⅱ部:親族論
 沖縄社会研究の回顧と展望:1964〜1983
 Descent 理論の系譜
 民俗的親族体系について
 「家族」概念の限界

第Ⅲ部:風水論
 風水思想の世界観研究・序説
 風水の比較文化誌

第Ⅳ部:歌謡論
 地方神歌の伝承性
 地方神歌の社会性
 沖縄の海神祭

あとがき

前書きなど

はじめに

 本書は,1980年代に発表した社会・文化人類学研究で,主として沖縄研究に関連する論文を中心に編んでなった旧著(1990年刊)の新版である。旧著はすでに書評ほかでいくつかの長短所の評価を得ているが,21世紀に至っても依然として旧著の試みは有効であることを,最近のポストモダン思想の流行で知った。本書の主題である《民俗知識》こそは構築された最たる研究対象であり,個々人の知識を通して文化の《多声性》を知りうるからである。

 そこで旧著を新版に替えて,再び旧時のわたくしの研究活動を再現することにした。収載した論文は,研究目的と方法を異にする既発表のものながら,副題に掲げた〈知識人類学〉的研究をめざそうとしたことでは同一であり,かつ論理的にも相互に深い関連をもっている。わたくし自身にとっては新しいこの人類学的研究は,期せずしてちょうど1980年から始まっている。つまり本書各章は,1980年代を通じてずっとわたくしの脳裡から離れなかったそれぞれの課題に応えたものであり,なおまだ研究のジャンルを拡大しつつ進行中の研究である。

 本書を刊行するにあたり,あらかじめわくしは2種類の読者を想定した。

 第1は,沖縄研究に関与すると否とにかかわらず,広く社会・文化人類学に興味をもっている読者である。社会・文化人類学において〈知識人類学〉的研究の成果は,まだわずかである。「知識〜」と名がつけば,むしろ〈知識社会学〉が想起されてしまうほどに,いまだ人類学のなかでは他学の亜流とみなされやすい。しかし,文化人類学の創始者のひとりであるタイラー(E. B. Tyler)以来,いやそれ以前のはるか昔から,異文化および人類文化を研究する学問のなかでは,異郷人の知識・人類の知識は,等閑視することのできない重要な関心の対象であった。なぜなら文化とは,個人による知識の獲得とその開陳の過程とも定義できるからである。したがって,社会・文化人類学のどのジャンルといわず,人類のもつ知識,諸個人が形成・保持・伝達している知識に関しては,すでに研究されてきた長い歴史をもっている。

 しかし,なぜいまかような〈知識〉が改めて問題視されねばならないのか。

 人類学的研究が現地話者と人類学者との相互主観的な交渉によりなされてきたこれまでの歴史を顧みるならば,問題とされる〈知識〉の所在は,大別して現地話者に関係する次元——より正確にいうなら人類学者と現地話者との関係次元——と,人類学者それ自身に関係する次元に分けることができる。

 人類学者が現地で生活して相手の社会や文化を諒解しようとするとき,はたして何をもって社会の集合表象とし,何をもって文化のエトスとしてきたか。データとして得られた情報源こそ,相手が獲得し開陳してきた知識にほかならない。しかし知識はシュッツ(A. Schutz)のいうように,成員間に不均衡に分配されている。社会に一様ではなく,しかも個々人のもつ知識それ自体がかならずしも体系的ではない,正当性の相異なる知識の何をもって当該社会の代表としてきたか。人類学の対象が異文化といい,前産業社会と称しても,その担い手の知識は単数でもなければ単体でもなかったのである。いまどきの表現を藉りるなら《多声性》の描写ということになるだろうか。

 異郷を知れば知るほど,知識の担い手としての個人の差がみえてくるし,相互に異なる知識間の関係およびその変化が理解できるようになる。相手の知識理解は,異文化研究の要である。ただし,社会・文化人類学の社会・文化理解は,個人そのものの理解や知識そのものの理解をめざしているのではなく,あくまでも当該社会・文化の全体的・包括的理解である。ならば,個人が保持しながら個人を超えた知識および知識間の関係こそ,人類学の主要な課題にすえられるべきであろう。

 いま社会・文化人類学で問題視されているのは,異文化理解の問題だけではない。ことにこの20年間以上,人類学者自身が問題視してきたのは,みずからの文化の問題,否,むしろ〈知識〉の問題だった。だからわたくしは,話者の知識に対しては「民俗〔的〕知識」と称し,人類学者の知識である「人類学的知識」とは区別して述べようとする。人類学的知識の問題として,どのような嫌疑がかけられ問題視されてきたであろうか。

 これまで人類学者はフィールド・ワークを通じて異文化の特徴を明らかにし,異文化間の文化の差を明示してきたが,はたしてその差は異文化間の差といえるものだったかどうか。それぞれの民族を研究する人類学者個々人の理論の差,すなわち大系づけようとした各々の人類学者の知識の差,背景とする権力の差ではなかったか。また,当該社会が世界をどのように認識し,当該社会の民俗分類体系や世界観がどのように体系づけられているか,人類学者によってこれまで逐一明らかにされてきたけれども,それらが当該社会の大系であるようにみえて,実際は人類学者みずからの基準を絶対視したオリエンタリズム的な人類学者自身の知識の体系だったのではなかったか。またさらに,人類学の分析概念にもとづく比較基準によって人類社会の普遍性と個別性がこれまで明らかにされてきたが,人類学者の定義にもとづく分析概念それ自体,人類学者の文化的知識や権力を代表する公準にすぎなかったのではなかろうか。

 あげればきりがないほどに,これまで人類学者の知識の非普遍性・主観・文化的特性および変化や権力が問題視されてきた。それらはことばを換えていえば,「人類学者自身もまた人類である」ということの自覚である。このような双方の知識を等視しうる人類学の分野,それが〈知識人類学〉なのである。現地話者の知識の諸性質と人類学者の知識とを相対化すること,その相互作用の実態を明示すること,これらは決して従来の民族誌的成果を否定することでも,人類学の既成の分析概念を拒否することでもない。むしろ従来の人類学的研究の再評価につながっていくはずである。重要なことは,既成の人類学の知識だけでは相手の文化理解にはつながらず,相手の知識を人類学的知識として取り込む必要があることの自覚である。かような意味で,人類学者の友人=話者もまた人類学者であることを理解することが重要である。

 だからわたくしは本書の第1の読者に対して,わたくしの人類学のみならず,友人の人類学や知識をも本書で紹介しようとする。

 本書を刊行するにあたってわたくしが想定した第2の読者は,社会・文化人類学に関与すると否とにかかわらず,沖縄文化や沖縄研究に興味を抱いている読者である。

 沖縄研究は,伊波普以来すでに中国学・日本学と並んで〈沖縄学 Okinawan Studies〉と名のつく長い伝統がある。その一翼を担ってきたのが社会・文化人類学であり,沖縄研究の動向は今日までそのまま日本文化人類学会の研究動向のひとつであった。本書もその一翼を担おうとして編んだのであるが,沖縄研究に〈知識人類学〉や〈民俗知識論〉を導入することにより,より妥当な〈沖縄学〉の視野に接近したいのである。社会・文化人類学による沖縄研究といえば,わたくし自身いくどか研究動向を紹介してきたように,「門中」研究・祭祀組織研究・位牌祭祀研究・民俗的世界観の研究・神観念霊魂観の研究・シャーマニズムの研究など,〈沖縄学〉の視野からみると偏りの大きなものだった。というのも,それらの研究はみなすべて社会・文化人類学上の理論的目的,いい換えるなら従来の「人類学的知識」を満たしうる研究だけだったからである。

 しかし〈民俗知識論〉の観点からすれば,沖縄文化というのは時代状況を反映した,創られた沖縄的知識の共同態である。かつまた沖縄社会とは,創られた沖縄的知識の分有共同体である。沖縄的知識には,すなわち位牌祭祀やシャーマニズムに限定された知識は存在しない。それに限りがあるとすれば,それは沖縄的知識の限りである。「門中」しかり,「風水」しかり,「神歌」しかりである。だから沖縄的知識を諒解しようとすれば,当然話者の知識の類型学や知識評価にしたがって,研究は拡大していかねばならない。少なくとも〈知識人類学〉の視野は,沖縄的知識に準拠してほぼ無限に拡大していくであろう。本書で,〈沖縄学〉としてはあたりまえの研究だが人類学としては初めて対象にする研究が少なくないのはそのためである。

 そこで今度は,本書の研究が沖縄研究として当然だと思っている読者に対して,本書の従来研究とはちがった意図・目的のあることを説明せねばならない。

 たとえば,「風水」を人類学のタームであるgeomancyでもwitchcraftでも,あるいはecologyでもreligionでもなく,「風水」だとしてその知識内容を理解しようとすることは,沖縄学者は当然のことだと思うであろう。しかし逆に,「風水」習俗に関連する「風水看」も「日選見」も「トゥシアナ」も「クンジン」も,みなすべて沖縄的知識にもとづくものだから他文化にいる者に対して説明・解釈をする必要はない,と考える沖縄学者もまた皆無であろう。沖縄学は沖縄的知識の担い手だけの学問ではないからである。沖縄的知識の研究で,誤解されやすいのはこの一点にある。文化相対主義は,こと沖縄研究では以前から通用しなかった。沖縄学ははたしてどれくらい,沖縄的文化ナショナリズムを超えて他文化の担い手に対し沖縄文化を理解してもらうべく,みずからの学問体系を整えてきたであろうか。このような問題に直面すると,いきおい沖縄学者は沖縄的知識以外の知識の学習にせまられることになるはずである。

 つまりわたくしの〈民俗知識論〉は,たしかに沖縄的知識の理解をめざして議論を組み立てたものだが,それは独善的で自己の宇宙に埋没してしまうような,文化相対主義的な沖縄学・地域学をめざしているわけではないのである。沖縄学が,外に開かれた知識を併せ持った学問でなくては,それは他学に対して自立的な学問体系をもったものだとはいえない。すなわち沖縄研究者もまた,人類学者が当面している課題,つまりみずからの独善的で自己中心主義的な知識のありかたを問わねばならないのである。「門中」はたしかに人類学者のいう「父系出自集団patrilineal descent group」そのものではない。しかし逆に,なぜこれまで人類学者が「門中」を父系出自集団だと認識しつづけてきたのか,他者の所持する権力や知識をも顧みなければ,それは自立した沖縄研究ではないといいたいのである。

 第2の読者に対してわたくしが本書で期待しているのは,こうした他者の知識の力関係のありようの理解である。

 あらゆる人類学研究や社会・文化研究は,このように研究者と話者の知識の差を認め,かつ研究者間・話者間に存在する知識の差を諒解することから出発せねばならない。そうわたくしは思う。人類学研究や社会・文化研究こそは,両者の知識比較と交流の過程のもとに成立する。このような自覚が成って,ここ20数年の〈知識人類学〉の試論を展開してみたのが本書である。ただし課題があまりにも多く,沖縄研究に関し今日まで蓄積してきたわたくしの研究成果はほぼ4種に集約される。それを4部に分けて紹介してみた。

 第Ⅰ部は「知識論」であり,いわば本書の序章にあたっている。第Ⅰ部でわたくしは,人類学者にとっては知識交流の相手となる話者の知識の種類や性質,および知識間の関係について述べたいと思う。それによって後部・後章のための知識論の見取図が書ければこのうえない。

 第Ⅱ部は「親族論」であり,親族研究を例としてこんどは逆にわれわれ人類学者の知識を対象にし,知識の範囲・知識の形成・知識の闘争・知識の伝統・知識の民族的特性などが描ければと思う。われわれの知識のありようを知るために課題としたのは,第1にこの20年間における沖縄の社会研究史であり,その知識の潮流である。そして第2には,沖縄社会研究史の主要な理論的背景,すなわち電escent狽ネる分析概念の知識の蓄積過程である。社会・文化人類学の知識伝統はヨーロッパにあり,とりわけ英語圏にあるので,問題とする概念はできるだけ原語表記とした。そして第3に,われわれの知識である分析概念と沖縄の知識を代表する民俗概念を用いて,どれだけ沖縄の民俗的知識に接近できるか試みてみたい。民俗的知識はとかく民族固有の知識だと思われがちであるが,通文化的にも民俗的知識の共有が可能なのではないかということで,漢族の民俗的知識とも比較検討したいと思う。

 第Ⅲ部は「風水論」である。「風水」に関する知識は,親族論などとは違ってヨーロッパおよび日本本土の研究者には沖縄や中国などと共有すべき知識がない。だからまったく一方的に多くの研究者に与えられる現地からの知識を,われわれ,とくに本土人類学者はどのように理解し,その知識を吸収すべきであるか,その試論が展開できればと思う。

 第Ⅳ部は「歌謡論」である。この分野は「風水論」などとともに,これまで沖縄研究の人類学者がまったく理解できず,研究対象にもできなかった問題である。沖縄に伝えられる歌謡知識は,沖縄の風水知識とともに民俗的知識でありながら〈秘儀〉〈秘伝〉に属する専門的知識であった。知識の担い手も伝承の場所や時期も限定されているこの知識が,社会的文脈のなかにあってどのような性質をもったものなのか,20年の追跡調査にもとづいてこの知識のありようを紹介してみたいと思う。

版元から一言

知識論、親族論、風水論、歌謡論の4論で構成。研究者にとって「知識」とはどのようなものなのかを、自らの研究対象から考える。

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著者プロフィール

渡邊 欣雄(わたなべ・よしお)

1947年東京生まれ。1975年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程(社会人類学専攻)修了。社会人類学博士。現在,東京都立大学教授(社会人類学)。
現住所:〒193-0943 東京都八王子市寺田町432-218-2
著書:『宴』(1975年,弘文堂・共著),『沖縄の社会組織と世界観』(1985年,新泉社),『沖縄の祭礼』(1987年,第一書房),『風水思想と東アジア』(1990年,人文書院),『漢民族の宗教』(1991年,第一書房),『世界のなかの沖縄文化』(1993年,沖縄タイムス社),『風水——気の景観地理学』(1994年,人文書院),『漢族的民俗宗教』(1998年,天津人民出版社),『東方社会之風水思想』(1999年,地景股■有限公司),『風水:気的景観地理学』(2000年,地景股■有限公司),『風水の社会人類学』(2001年,風響社),『沖縄文化の拡がりと変貌』(2002年,榕樹書林)ほか
編著:『親族の社会人類学』(1982年,至文堂),『象徴と権力』(1988年,弘文堂・共編),『祖先祭祀』(1989年,凱風社),『風水論集』(1994年,凱風社・共編),『日本民俗大辞典』(1999年〜2000年,吉川弘文館・共編),『風水の歴史と現代』(アジア遊学47号,2003年,勉誠出版),『沖縄文化の創造』(アジア遊学53号,2003年,勉誠出版),『路地裏の宗教』(アジア遊学58号,2003年,勉誠出版)ほか。

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