1983〜1987年 海邦国体と反戦地主小国主義の立場で
新崎 盛暉
発行:凱風社
この版元の本一覧
四六判 216ページ 上製
定価:2,200円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7736-2802-9(4-7736-2802-2) C0331
在庫あり
奥付の初版発行年月:2004年02月
書店発売日:2004年02月25日
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紹介

新崎盛暉沖縄大学教授の著作集第3巻。
 【内容】 戦争体験の思想化とは/沖縄大学と「拡げる会」の10年/沖縄にとって「復帰」とは何だったか/沖縄はなぜ「日の丸」を掲げられないか/20年間の米軍用地強制使用/嘉手納基地と沖縄/沖縄戦と朝鮮人軍夫/韓国で沖縄を考える/"革新王国・沖縄"の崩壊/日米軍事同盟の根幹に迫る ほか 

目次



はじめに

[I]一九八三年
〈対談〉戦争体験の思想化とは(対談者=日高六郎)

[II]一九八四年
沖縄の開発と住民運動
沖縄大学と「拡げる会」の一○年
海と人の共生

[III]一九八五年
〈対談〉沖縄にとって「復帰」とは何だったか(対談者=新川明)
沖縄から中野先生へ
中野先生と沖縄
〈書評〉近代沖縄の知識人像をめぐって——『天皇の艦長』が提起したもの
沖縄はなぜ「日の丸」を掲げられないか

[IV]一九八六年
二○年間の米軍用地強制使用
米軍用地の二○年間強制使用問題——第一回公開審理を振り返って
嘉手納基地と沖縄
米軍用地の二〇年間強制使用問題・その後

[V]一九八七年
沖縄戦と朝鮮人軍夫
韓国で沖縄を考える——元軍夫慰霊碑除幕式に参列して
“革新王国・沖縄”の崩壊
日米軍事同盟の根幹に迫る
〈講演〉大学の可能性——沖縄大学の試み
「うるま祭り」と海邦国体
祭りの後——海邦国体が残したもの
新聞人の責任と課題

 ◆年表〈一九四五年〜一九八七年〉
 ◆初出一覧
 ◆事項解説

前書きなど

■まえがき

 一九八〇年代中期、強いていえば、復帰一一年めから一五年めに当たる一九八三年から八七年までの五年間は、沖縄社会において、時の流れに身をまかせようとする事大主義的多数派と、独自の歴史的体験にこだわりながら、あるべき沖縄像を問い返し続けようとする自覚的少数派の分極化がすすんだ時期とでもいえようか。その過程で「復帰」が、「日の丸」が、「天皇(制)」が改めてその意味を問い返されることになった。それは単なる思想的な営みとしてではなく、「日の丸」掲揚の押しつけにどう対応するか、天皇が足を踏み入れたことのない全国で唯一の地、沖縄への天皇家三代同時訪問にどう対処するかというきわめて実践的な課題として突きつけられていた。そうしたせめぎ合いは、復帰一五周年と符号させて実施された沖縄国体(海邦国体)においてピークに達した。

 同時並行的にこの時期には、米軍用地の強制使用手続きとそれに反対する闘いの過程が進行していた。復帰後一〇年、自分の土地を戦争のためには使わせたくないとする反戦地主の所有地を、沖縄のみに適用される特別法で強制使用してきた日本政府は、保守県政の成立を背景として、一九八二年から八七年までの五年間は、本土並みの米軍用地特措法適用によって確保してきた。

 復帰後一〇年を越えて、さまざまな政治的・経済的・社会的圧力に耐え、その存在それ自体によって“反戦”の意思表示を続ける反戦地主を支援するために “一坪反戦地主運動”が起こった。これに対して政府は、反戦地主と一坪反戦地主の活動を封じ込めるため、米軍用地を二〇年間にわたって強制使用しようと試みた。この試みをめぐって、政府(那覇防衛施設局)や県(収用委員会)と反対運動との攻防が八五年から八七年、あしかけ三年続き、結局、反戦地主と一坪反戦地主の土地は、一〇年間強制使用されることになった。しかし、この攻防をめぐる反戦反基地闘争の盛り上がりがあったからこそ、豪雨のなか、嘉手納(かでな)基地を人の輪で完全に包囲した八七年六月二十一日の行動もありえたのだといっても、おそらくいいすぎではない。

 一方視野を転ずると、この時期は、いわばレーガン、サッチャー、中曽根の時代であった。八五年一月訪米した中曽根首相は日米運命共同体論を展開し、日本は対ソ防衛の不沈空母と述べた。この年十一月にはレーガン米大統領が訪日している。訪米に先立ち、中曽根首相は韓国の全斗煥(チョンドゥファン)大統領を正式訪問し、翌八四年九月には全斗煥大統領が訪日している。ソ連領空侵犯の大韓航空機撃墜事件は、八三年九月のことであり、米海兵隊が、奄美大島の半分ほどのカリブ海の小国グレナダの政権を踏みつぶしたのは十月である。

 八五年八月十五日には、中曽根内閣の全閣僚が靖国神社を公式参拝し、「戦後政治の総決算」が声高く叫ばれるようになった。これと符節を合わせるように、沖縄では西銘(にしめ)知事が、海邦国体への天皇出席によって「沖縄の戦後は終わる」と語っていた。

 ところで、八三年四月から、わたしは沖縄大学の学長になった。八四年一月に書いた『沖縄考・琉球弧の視点から』(凱風社刊。同書の〈増補改訂版〉が、本シリーズの第二巻『琉球弧の視点から』)の序文でわたしは、「大学の体をなさないままに、外圧と内紛のなかに投げ込まれて右往左往していたミニ大学を、なんとか大学とよぶにふさわしいところまでもっていく過程のいわば“雑用係”というのがわたしの役割」と書いている。

 続けて、つぎのようなことも書いている。

「日本政府は、沖縄の広大な軍事基地を維持するために多くのカネをばらまいている。……年間百億円を超える基地周辺整備資金(いわゆる迷惑料)もその一つである。……

 基地周辺整備資金は、私立学校をも巻き込んでいる。防衛施設庁のこのカネで校舎を建て替えようという高校もある。そして、たてまえ上は反戦闘争の必要性を強調してやまない労働組合も、当事者の立場に立つと企業別組合としての特性を発揮して沈黙を守る。私立大学のなかにもこうした動きがないではない。

 しかし、学外で平和運動を提唱したり、沖縄戦の体験の発掘、記録活動を積極的におし進めようという大学教員も、自らの生活の場が、いわば日本軍の宣撫工作資金にからめとられようとしている現実には目を向けようとしない。……

 反戦平和や戦争体験が、日常生活から遊離したところで、根なし草のように語られ始めている。それが全般的趨勢とはいえないまでも、一つの傾向とはなりつつある。……現実主義が衿持を失い、理念的、原則的なるものが観念論の独占物となりつつあるのもまた、沖縄の一つの現実なのである」

 米軍用地の強制使用反対闘争も、嘉手納基地包囲も、こうした現実のなかで闘われた。大学の雑務と、軍用地問題をめぐる公開審理の準備に追われながら、一坪反戦地主会代表世話人の一人であったわたしは、運動の一つの武器として『沖縄・反戦地主』(高文研、一九八六年)を書いた。

 また、海邦国体が近づいた八七年四月二十九日、約三〇〇人の一般市民が呼びかけ人に名をつらね、一人一〇〇〇円ずつの当面の運営資金を持ち寄って「天皇(制)を考える公開市民連続講座」実行委員会が発足した。この講座のうち八七年十二月までの八講座については、後にわたしと川満信一の共編のかたちでまとめられ、出版されている(『沖縄・天皇制の逆光』社会評論社、一九八八年)。わたしたちが編集に当たったのは出版の便宜上のことで、この講座を実質的に運営してきたのは、ボランティア的な実行委事務局であった。こうした運動の根っこのところには、多分、労働運動とも、住民運動や市民運動とも接点を持つ、無定型な一坪反戦地主運動の拡がりがあるといってもいいだろう。

一九九二年一月

版元から一言

新崎盛暉沖縄大学教授の著作集第3巻。【内容】戦争体験の思想化とは/沖縄にとって「復帰」とは何だったか/沖縄はなぜ「日の丸」を掲げられないか ほか 

関連リンク

凱風社ウェブサイト

著者プロフィール

新崎 盛暉(アラサキ・モリテル)

 1936年東京生まれ。1961年東京大学文学部卒。東京都庁勤務のあいだに、中野好夫主宰の「沖縄資料センター」の主任研究員として沖縄戦後史の研究にたずさわる。中野好夫との共著『沖縄問題二十年』で沖縄戦後史研究の端緒を開き、『戦後沖縄史』においてその基礎を確立した。沖縄の日本復帰に際して、沖縄大学存続闘争に関わり、74年に同大に赴任、83年4月から89年3月まで学長として同大再建に尽力する。2001年4月、再度学長となる。

 沖縄移住当初からCTS(石油備蓄基地)建設に反対する住民運動に関わり、その支援のため「CTS阻止闘争を拡げる会」(のち「琉球弧の住民運動を拡げる会」)を組織し、代表世話人となる。82年には「一坪反戦地主会」を組織、93年からは沖縄発の問題提起と情報交換の場として、季刊誌『けーし風』の刊行にかかわっている。99年8月から「沖縄平和市民連絡会」代表世話人。現在、沖縄大学学長。

◆著作一覧——『沖縄問題二十年』(共著・岩波新書、1965)、『沖縄返還と70年安保』(現代評論社、1968)、『ドキュメント沖縄闘争』(編・亜紀書房、1969)、『沖縄・70年前後』(共著・岩波新書、1970)、『沖縄の歩いた道』(ポプラ社、1973)、『戦後沖縄史』(日本評論社、1976)、『沖縄戦後史』(共著・岩波新書、1976)、『沖縄・世替わりの渦の中で』(毎日新聞社、1978)、『沖縄現代史への証言』(編・沖縄タイムス社、1982)、『沖縄自立への挑戦』(共著・社会思想社、1982)、『観光コースでない沖縄』(共著・高文研、1983)、『沖縄考 琉球弧の視点から』(凱風社、1984)、『沖縄・反戦地主』(高文研、1986)、『日本になった沖縄』(有斐閣新書、1987)、『沖縄・天皇制への逆光』(共編・社会評論社、1988)、『新版 観光コースでない沖縄』(共編・高文研、1989)、『戦後沖縄の社会変動と家族問題』(共編・アテネ書房、1989)、〈沖縄同時代史・第一巻〉『世替わりの渦のなかで 1973〜1977』、〈同・第二巻〉『琉球弧の視点から 1978〜1982』、〈同・第三巻〉『小国主義の立場で 1983〜1987』、〈同・第四巻〉『柔らかい社会を求めて 1988〜1990』(以上、凱風社、1992)、『沖縄修学旅行』(共著・高文研、1992)、〈沖縄同時代史・第五巻〉『「脱北入南」の思想を 1991〜1992』(凱風社、1993)、『新版 沖縄・反戦地主』(高文研、1995)、〈沖縄同時代史・第六巻〉『基地のない世界を 1993〜1995』(凱風社、1996)、『沖縄現代史』(岩波新書、1996)、『沖縄を知る 日本を知る』(解放出版社、1997)、『第三版 観光コースでない沖縄』(共編・高文研、1997)、〈沖縄同時代史・第七巻〉『平和と自立をめざして 1996〜1997.6』(凱風社、1997)、『琉球・沖縄写真絵画集成(全5巻)』(監修・日本図書センター、1998)、『沖縄のこれから』(ポプラ社、1999)、〈沖縄同時代史・第八巻〉『政治を民衆の手に 1997.7〜1998』(凱風社、1999)、『本当に戦争がしたいの!?——新ガイドラインの向こうに見えるもの』(共著・凱風社、1999)、『〈和英両文〉沖縄の素顔』(編・テクノ、2000)、『現代日本と沖縄』(山川出版社、2001)、〈沖縄同時代史・第九巻〉『公正・平等な共生社会を 1999〜2000』(凱風社、2001)

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