有事法の罠にだまされるな!!
纐纈 厚
発行:凱風社
この版元の本一覧
A5判変型 208ページ 並製
定価:1,500円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7736-2703-9(4-7736-2703-4) C0031
在庫あり
奥付の初版発行年月:2002年12月
書店発売日:2002年12月10日
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紹介

私たちは憲法で戦争を放棄しているはずだが、軍事力による「国際貢献」を目指す日本政府は「有事=戦争」法制を整備して、戦争のできる「普通の国」を目指している。本当にこれでいいのか!? いったん紛争に巻き込まれると、言論の自由も、思想の自由も、行動の自由も、新法の規定に従って制限されるかもしれない。政治家や官僚たちの暴走に異議を申し立てるのは今しかない——次の世代を戦争に巻き込まないためにも。「国家総動員」が発令されてからでは遅すぎる。

目次

目 次

はじめに/再び同盟政策の愚を犯すのか

【序 章】 「戦後」日本を支えた日米安保条約
 1 日米安保条約締結の意味
 2 戦後日本社会の基調低音
 3 新保守主義とネオ・ファシズム

【第1章】 日米新ガイドライン
 1 有事法制の本格浮上
 2 戦後版〈国家総動員体制〉
 3 軍事国家へ向かう日本

【第2章】 周辺事態法の成立
 1 有事法のルーツ
 2 本当の狙い
 3 日米安保の現実

【第3章】 日米韓軍事同盟の現状
 1 米戦略の変転をどう読むか
 2 「一正面作戦」へのシフト
 3 日米同盟関係のゆくえ

【第4章】 アメリカの新アジア戦略
 1 東アジアの安全保障
 2 日本の関与
 3 韓国の現状

【第5章】 有事法制関連三法案
 1 「戦争仕かけ法」の危険な罠
 2 有事法制の狙い
 3 武力攻撃事態と動員
 4 安全保障会議設置改正案と自衛隊法改正案
 5 国家緊急権と日米安保の法体系
 6 拍車がかかる戦争国家への道
 7 何をなすべきか

【第6章】 新殉国思想とポスト靖国
 1 戦争国家剥奪への準備
 2 自由のと「安全」の押しつけ

【インタビュー】〈国家改造計画〉を断て——『有事法制とは何か』をめぐって

あとがき/「新たな戦前」を迎えないために

 【資料】●新「日米防衛協力のための指針」  ●武力攻撃事態法案

前書きなど

あとがき——「新たな戦前」を迎えないために

●石波茂防衛庁長官との紙上「対論」

 先に行われた小泉政権の内閣改造で、中谷元・防衛庁長官が「防衛庁情報公開請求者リスト作成事件」の詰め腹を切らされた格好で事実上更迭された。中谷氏に替わって、これまた有事法制案の策定に深く関わり、有事法制推進者で自民党中堅議員の一人とされてきた石波茂・前自民党政調副会長が新防衛庁長官に就任した。これまた中谷氏に続いて、有事法制を何としてでも成立させたいとする小泉内閣の固い決意の表れである。

 その石波氏と私は、『東京新聞』(二○○二年六月六日付)紙上で、「経済まひ〝総動員〟体制/『その時国民は』有事法制をきく」なるタイトルの下に「対論」をしたことがあった。ここで私と石波氏との間で特に論争になったのは、第一に有事下での市民の暮らしがどのような影響を受けるのか、第二に民間防衛の捉え方、第三に有事における思想・信条の自由の制限、の三点であった。

 第一の論点について、有事における物価・価格の統制は必然とする石波氏は、「物資の保管命令などは、国が指定する地域に限られる」として戦前的な意味での国家総動員のイメージを想起しないように、と言う。確かに、政府自民党と防衛庁が構想する有事とは、国内の部分的動員で足りると踏んでのことであろう。しかし、例え部分的動員であろうと、物価高騰や物流の滞りは避けられず、市民生活に与える影響力は決して小さくない。

 物価統制令を敷いても、実際には物価高騰を抑えることができなかった戦前期の事例を持ち出すまでもなく、消費者の心理的動揺も加味すれば、〈有事〉体制がただでさえ足腰が弱り始めている日本経済に致命的なダメージを与えることは必至である。「部分的かつ一時的」との留保をつけたとしても、戦後版戦時経済へシフトすることで招来される事態には、石波氏の言うような楽観は決してできない。

 第二の「民間防衛」について石波氏は、「有事で自衛隊は国民を助けられない。自衛隊は敵と戦うことに専念すべきで、災害時のように住民を救助する余裕はない。自衛隊がいなくなれば被害は拡大するわけで、その穴を埋めるのが民間防衛だ」と述べる。「民間防衛」が自衛隊の軍事行動を補完する民間人による軍事支援行動であることを、石波氏は、ある意味で明快に語ってみせた。

 一九六八年三月二五日、増原恵吉防衛庁長官(当時)が、衆議院の予算委員会で「民間防衛」必要論を公言して以来、政府自民党と防衛庁は一連の有事法制研究において、「民間防衛」の実施に向けて様々な布石を打ってきた。事実、一九九八年度版の『防衛白書』には、「民間防衛の努力は、国民の強い防衛意思の表明でもあり、侵略の阻止につながり、国の安全を確保するための重要な意義を有するものである」(同書一七二頁)とあるが、「対論」での石波発言も、『防衛白書』の文言も、これらの流れに沿ったものである。しかし、そこにはいずれも「民間防衛」の極めて恣意的な解釈が意図的に行われていることを指摘しなければならない。

 「民間防衛」とは、本来、「敵対行為又は災害の危険から一般市民を保護し、一般住民が敵対行為又は災害の直接的影響から回復するのを援助し、また生存のために必要な条件を提供することを意図した下記の人道的任務の一部又は全部を遂行することをいう」(ジュネーブ諸条約に対する追加議定書の第一議定書「第六章 民間防衛」)。つまり、「民間防衛」とは石波氏の言うような自衛隊軍事力の補完あるいは代替機能を求めるためにあるのではなく、あくまで市民の保護と安全の確保を逞しくするための一手段として構想されてきたものである。

 私は「対論」で、石波氏の言う「民間防衛」は「イメージは消防団だが、軍事的な災害にも対応する点が(本来的な意味での民間防衛とは)根本的に違う」と述べ、続けて、「民間防衛の真の目的は『国民の教化』。軍事的危機への意識を平時から植え付ければ、戦争に対する同意が得やすくなる。日本が攻撃されていない場合でも、自衛隊が米軍とともに行動することへの支持が取り付けられればいい。世論は画一化され、日本は安易に軍事的選択を採るようになる」とし、石波的解釈による「民間防衛」論の危うさを指摘した。

 本来的な意味での「民間防衛」とは、『防衛白書』が記すような「国民の強い防衛意思の表明」や「侵略の阻止につながり、国の安全を確保」を目的とするものでは決してない。ここで第九条を引用するまでもなく、交戦権の放棄や戦力不保持を明言する憲法の規定からすれば、軍事的手段の行使はもちろん、これを市民レベルで実行させようとする防衛庁や石波氏の言う「民間防衛」は、明らかに憲法に違反する。

●軍隊は市民を守らない

 あらためて明確にしておかなけれならないのは、軍隊(=自衛隊)は「国家体制」を守るものであって市民を守る存在ではないことだ。かつて、侵略戦争を担った関東軍の作戦班長であった草地貞吾氏は、戦後に出版した著書で、「軍は生命よりも崇高な国家防衛・民族保全・伝統文化宣揚の中核的実力として厳然として存在すべきものだ。その極限状況というのは戦争(戦闘)そのものであった。住民保護の如きは二の次である」(『中国残留孤児問題の大観』日本防衛研究会、一九八六年)と言い放った。

 そのような軍隊の役割は戦後自衛隊にも確実に受け継がれている。実際に、軍隊(自衛隊)の役割は市民の保護と安全の獲得を放棄した存在であり、それゆえ今日、有事=戦時における「民間防衛」という名の〝市民の軍隊化〟を私たちに強要しようとしている。さすがにストレートな〝市民の軍隊化〟を説くことに躊躇いを持つのか、石波氏は「民間防衛」の必要性を主張することで、事実上の〝市民の軍隊化〟を説くのである。私たちは、本来の意味を理解することなく、市民社会の軍事化を招く「民間防衛」を推し進めようとする政治家が、有事法制を成立させようとする一連の動きのなかで新防衛庁長官に就任したことに、最大限の注意を払う必要がありそうだ。

 第三に、有事における自由の制限について、石波氏は思想・信条の自由がどこまで尊重されるのか、との質問に答えて次のように語っている。

 「個人の思想・信条に、国は全く立ち入らない。物資の保管命令に罰則はあるが、金もうけだろうと戦争反対だろうと、動機とは無関係に物資を隠した行為そのものを罪に問う。しかし、皆が『おれは協力は嫌だ』と言い出したら(有事での対応は)成り立たない。『自由』を主張するなら、それを守ることは日本の統治機構を守ることにほかならないと考えてほしい」

 本書の第五章で述べたことと一部重なるが、武力攻撃事態法案は基本的人権の制約を当然としており、その第六条(指定公共機関の責務)で、電気、ガス、輸送、通信などに従事する「民間企業」や「民間人」の協力義務、第八条(国民の協力)では「国民」一般の協力義務を、「責務」「協力」という一見穏和な文言で規定しながら、事実上の罰則規定を伴った命令と動員による有事体制を構築しようとしている。そこでは憲法が保証しているはずの、国家間の問題の解決を国家暴力(=戦争)に訴えることの過ちを正そうとする行為も、また、自らの信念において反戦の立場を貫こうとする思想や運動も、石波氏の前置きの文言とは異なり、完全に否定する論理が前提となっていることは歴然としている。

 同時に自衛隊改正法案には第一○三条の収用命令・業務従事命令規定を、また、第一一五条第二・三項から第二一項まで、出動した自衛隊の行動の円滑化のための措置として国内法の適用除外に関する特例措置がなにゆえに掲げられているかは、「動機とは無関係に物資を隠した行為そのものを罪に問う」(傍点・纐纈)という恫喝に等しい石波氏の発言によって理解もできよう。

 「『自由』を主張するなら、それを守ることは日本の統治機構を守ることにほかならないと考えてほしい」という石波氏の主張は、「自由」や「安全」が国家によってのみ保証される、とする旧態依然たる国家至上主義の安全保障観を吐露したものだ。「自由」や「安全」が果たして国家によって保証されてきた歴史がどれほどあったのか、その逆ではなかったか、という根源的な問いはひとまず置くとしても、ここでは石波氏の極めて時代錯誤的な安全保障観を指摘するに留めよう。

 国家組織は軍事力によって「防衛」することが当然とする論理は、結局のところ武力攻撃事態法案に貫かれた軍事的安全保障論そのものである。そこでは、自衛隊やアメリカ軍の軍事行動が円滑に進められるための措置を採ることが絶対的に合理的であるとする発想が貫徹されている。軍事的に必要とされる事項や課題に最大限の公共性を認め、いわゆる〈軍事的公共性〉なるものが前面に押し出される。その〈軍事的公共性〉の前に基本的人権の制約は当然とするのである。

 戦後、基本的人権が極めて重要な問題として憲法に明確に規定されたのは、この〈軍事的公共性〉の論理に貫かれて戦前期の軍国主義が最後には侵略戦争を引き起こした教訓から、この論理を解体するためでもあった。したがって、基本的人権の思想や制度と〈軍事的公共性〉の論理とは相容れないはずである。

 ここで、現職自衛官である関根隆・三等陸佐(当時)が、陸上自衛隊幹部学校機関誌である『陸戦研究』(一九八一年二月号)において、「戦争の本質を考えると、勝つためには人権よりも指揮権が優先されるのは、必然である。個人の生命が国家の生命に従属する。自衛隊も旧日本軍と同じ強さを維持しなければならない」との主張を展開していることを紹介しておこう。

 戦後社会は、関根三佐が堂々と展開するような国家の論理や軍事の論理を清算して、市民の論理や平和の論理を基軸に据えた市民社会を築き上げようとしてきたのではなかったのか。「有事で国の力を集中させることは、自由な国家を守るため必要だ。そうでなければ戦いを早く終わらせることはできない」と主張する石波氏と、関根三佐との安全保障観にどれだけの差異があるのだろうか。本質的なところでは共通性を見出すことのほうが容易であろう。

 多くの指摘があるように、政府自民党や防衛庁サイドから盛んに強調される〈軍事的公共性〉を根拠とする基本的人権の制約は、有事のみに限定されるものではなく、平時から常態化する。武力攻撃事態法案の恐ろしさは、武力攻撃の「おそれ」や「予測」だけで事実上有事体制にシフトするところにある。つまり、有事の平時化、あるいは平時の有事化とでも表現可能な事態が日常化する。石波氏の主張は、作家辺見庸氏の言葉を借りて言えば、「戦争構造の日常化」をもたらすものだ。「戦争構造の日常化」によって守られる「自由」とは、一体何であろうか。市民社会ではなく、〝武装社会〟で獲得される「安全」とは、一体何であろうか。

 時代錯誤的な安全保障観と言ったが、二○世紀の世紀末から現在にかけて、安全保障という課題について、明らかに根本的な転換の時代を迎えていることは繰り返す必要のないことであろう。これまで国家単位で考えられてきた「国家安全保障」(aional Secri)を考え直し、人間や民衆を尊重する観点を基点に置いた安全保障論である「人間の安全保障」(man Secri)、さらには「民衆の安全保障」(People's Secri)がいまや活発に議論され、その実践化をめざした運動が展開されている。

 現代世界を覆う戦争やテロの危機、貧困や差別などの課題は、もはやひとつの国家単位では解決不可能となっている。それゆえに、戦争・テロ・貧困・差別などの暴力を、国家の規制を超えたところで解消していく普遍的な国際システムと、それに対応する国内システムの構築が私たちのこれからの課題であろう。

 このような時に、いままた国家至上主義を標榜して、ひとつの国家に閉じこもろうとするのは、明らかに現状を解明し、これを克服しようとする努力を怠るに等しい行為である。それは、一人の市民として、一人の政治家として怠慢の誹りを甘受せざる得ないことになろう。ましてや、そうした課題への真摯な取り組みや議論に向き合おうとせず、逆にそのような行為や発言を封印するかのような昨今の動きこそ、本当の自由や安全への脅威ではないか。私たち市民は、普遍的な意味における平和の実現を図るなかで、自由や安全を実現するシステムへの転換を提起しようとしているのである。石波氏の言う日本の統治機構は、私たちの主張する自由を「守る」ものには到底成り得ない点を、繰り返し強調しておかなくてならない。

●論議をつくせ

 さて、先の通常国会では、有事法制関連三法案は見送り(継続審議)になった。野党ばかりか与党内部にさえ生じた、防衛庁の不始末や法案自体が持つ内容に関する批判などが理由とされるが、小泉政権はあくまで法案成立に向けて手だてを尽くすことになろう。そこでの争点は、二つある。

 一つは、批判の多かった武力攻撃事態の定義だ。「武力攻撃事態→予測される事態→おそれのある事態」から、「武力攻撃事態→武力攻撃予測事態」へと、三段階から二段階への再定義が行われようとしている。それは有事の定義の曖昧さへの批判を回避するために、「予測」と「おそれ」の事態設定を一本化しようとするものだが、本書でも指摘したように、有事の恣意的かつご都合主義的な判断を容認している点では何ら変わりはない。

 二つ目は、「国民保護法制」の盛り込みである。野党の民主党は以前から「国家緊急事態法」という名の、より包括的であらゆる危機に対応することを骨子とした有事法制の制定を主張しているが、現時点では、与党は民主党との水面下の折衝のなかで、何としても有事法制を国会で通すために、先送りになっていた「国民保護法」(仮称)案の具体的な検討に入っている模様だ。

 その主な内容は、①避難の措置(警報の発令、避難の指示・誘導、避難場所の確保)、②被害を最小にするための措置(交通・通信の確保、生活関連重要施設の安全確保、仮設住宅の設置、ライフラインの応急復旧、生活必需品の確保)、③復旧に関する措置(学校・病院・道路・鉄道などの復旧、損害補償、復旧のための財政措置)などとされるが、要するに政府自民党と防衛庁は、この「国民保護法」の内容とその成立への手順を提示することで、有事法制関連三法案を成立させる腹づもりである。

 つまり、「国民保護法」という法案の名前とは裏腹に、石波氏との「対論」で論点になった市民生活、民間防衛、思想・信条の自由の課題を解決するようなものでは全くなく、有事法制関連三法案成立に対する世論の同意を調達するための口実に過ぎない。

 いずれにせよ、小泉政権は石波防衛庁長官の起用によって、有事法制関連三法案の成立に拍車をかけようとしてくるであろう。

 二〇〇二年九月一七日に実現した日朝会談により、例え衝撃的な事実として世論を揺さぶっている拉致問題などが未解決だとしても、政府自民党と防衛庁などが繰り返してきた「北朝鮮脅威論」は明らかに緩和される方向にある。このような時に、あらためて有事法制の法制化が目論まれている現状は、有事法制が対米支援法と自衛隊海外派兵法としてあることを一層明らかにしただけであった。イラク侵攻の機会を窺っているアメリカへの軍事協力に加担することを法的に保証してしまう有事法制が、再びこの国を侵略国あるいは戦争加害国の立場に押し上げることになるのである。こうした状況下で、平和な社会の実現を目指して力強く踏み出さなければならない時に、有事法制を大きな足枷としないためにも、議論を尽くし行動をしなければならないと思う。

 さて、日本近現代政治史と現代日本政治論を専攻する私は、このところ日本を取り巻く広義の意味における安全保障問題、具体的には日米安保や軍事法制に関する発言の機会を数多く求められるようになった。私は非力をも省みず、それに懸命に応答してきたつもりである。なぜならば、この時代が、一介の研究者であっても決して看過できない危険な方向に進んでいるという思いを深くしてきたからだ。

 本書もまた、『検証・新ガイドライン安保体制』(一九九八年)、『周辺事態法』(二○○○年)、『有事法制とは何か』(二○○二年)と続く、言うならば現代日本が直面している危険な安全保障体制づくりへの異議申し立ての作業のひとつである。出版状況が厳しいなかで、このように出版の機会に恵まれ続けたことは本当に有り難いことに違いないが、同時にそれが今日、私たちとこの国が置かれた状況を示していることの反映だとすれば、心境はやや複雑とならざる得ない。

版元から一言

歴史・政治・外交が複雑にからむ安全保障の問題点を、講演録を中心にしてわかりやすく解説。再び軍事まみれの時代を招来することのないよう、市民に政府への対抗を呼びかける「警世の書」。

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著者プロフィール

纐纈 厚(コウケツ・アツシ)

 1951年岐阜県生れ。一橋大学大学院博士課程修了。現在、山口大学人文学部教授。近現代日本政治史・現代政治社会論専攻。憲法を活かす市民の会・やまぐち(活憲)世話人。元『軍事民論』編集部長。
 著書に、『総力戦体制研究』(三一書房、1981年)、『近代日本の政軍関係』(大学教育社、1987)、『防諜政策と民衆』(昭和出版、1991年)、『PKO協力法体制』(梓書店、1992年)、『現代政治の課題』(北樹出版、1994年)、『日本海軍の終戦工作』(中央公論社、1996年)、『日本陸軍の総力戦政策』(大学教育出版、1999年)、『侵略戦争』(筑摩書房、1999年)、『検証・新ガイドライン安保体制』(インパクト出版会、1998年)、『周辺事態法—新たな地域総動員・有事法制の時代—』(社会評論社、2000年)、『有事法制とは何か—その史的検証と現段階—』(インパクト出版会、2002年)、『現代の戦争』(共著、岩波書店、2002年)など多数。

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