映画が始まるところ
佐藤 真
発行:凱風社
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四六判 264ページ 上製
定価:1,800円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7736-2609-4(4-7736-2609-7) C0074
在庫あり
奥付の初版発行年月:2002年09月
書店発売日:2002年09月06日
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紹介

個的映画論『ドキュメンタリー映画の地平』で各紙誌の様々な反響を呼び、映画『SELF AND OTHERS』『まひるのほし』『花子』などの作品で注目を集める気鋭の映画作家のエッセイ集。「映像が映画として成立しうる在り処」について、評論家とはふた味も違う視点で切り込む。そこには、映画作りの現場体験にもとづく作り手としての確信と、処女作『阿賀に生きる』から10年経てもなお、ドキュメンタリー映画の確立をめざして格闘し続ける表現者の意地と葛藤がクロスする。

目次

第一章 映画は時代を写す鏡である

鮭ものぼればウグイも泳ぐ[『阿賀に生きる』]
甦った舟大工の技と魂[『阿賀に生きる』]
長谷川さんの山田んぼ[『阿賀に生きる』]
ミナマタを今さら悲劇のシンボルにするな
石牟礼道子作『苦海浄土』を読む
テレビのない暮らし
競輪界の疾風怒濤 太田真一讃歌
欲望の果てまでも
モノカルチャーとバナナ[『日本NGOとバナナの一〇年』]
「バナナ研」はどこへ?
『阿賀に生きる』から十年

第二章 映画的意志は細部に宿る

映画そのものの本源的な力を見直そう
「水俣病の映画なのに面白い」って言われたが……[『阿賀に生きる』]
映画は〈意義〉に殉じてはならない[『柳川堀割物語』]
東北の壁[『無辜なる海』『ニッポン国古屋敷村』『阿賀に生きる』]
饒舌より寡黙を、音楽より物音を[『音のない世界で』]
ロシアの大地の「いちげこき」[『ナージャの村』]
映画の中の表情の輝き
静寂と爆音 クリス・マルケルとヨリス・イヴェンス[『ベトナムから遠く離れて』『北緯一七度』]
善意と悪党 マフマルバフとキアロスタミ[『カンダハール』『ABCアフリカ』]
超然とした透明な視線[『Devotion 小川紳介と生きた人々』]
問われる作家の主体性 アジア発ドキュメンタリーの新しい潮流
周縁と辺境 「アジア千波万波」の審査で感じたこと
「テレビのような」とは
これからはテレビを見直そう
「テレビドキュメンタリー研究会」と牛山純一全仕事


第三章 心の奥底にひろがるカオスの海へ

不思議の国のアーティスト[『まひるのほし』]
シゲちゃんの現代アート[『まひるのほし』]
限定付き放浪[『まひるのほし』]
あらゆる芸術家は不幸である 洲之内徹をめぐって[『まひるのほし』]
心地よいこだわり[『まひるのほし』『花子』]
今村家の花子さん[『花子』]
美意識を反転させる鏡[『花子』]
写真の眼差し 三浦和人と牛腸茂雄の写真集[『SELF AND OTHERS』]
写真の磁力 牛腸茂雄の〈不在〉を撮る[『SELF AND OTHERS』]
作品が成り立つ瞬間 映画と絵画の〈リアル〉
明治の痕跡・阿賀の記憶 石塚三郎のガラス乾板

前書きなど

『阿賀に生きる』(一九九二年)が完成してから十年が過ぎた。この間、私なりに映画についてイロイロ考える機会があり、折りにふれてアチコチの媒体にエッセイ風の雑文を書き散らしてきた。なにしろ寡作だけが取り柄の映画監督である。原稿を依頼する側にしてもそれを引き受ける私の側にも、時間的制約や断われる大義名分などありはしない。しかも、私の筆は、ひとたび走り出すと、オイソレとは止まらない悪い癖がある。この十年で築き上げた雑文の山の物量は、私ながら辟易するほど膨大なものになった。(中略)
 改めて読み直してみると、文章上の過誤だけでなく、考えの甘さや思想の脆弱さに恥ずかしくなって、どうしても赤字を入れたくなる。ものによっては、初出の文章が原型を留めないほど加筆訂正した文章もある。こうして私のはじめてのエッセイ集というべき本書ができあがった。
 自作のフィルモグラフィーを整理していて、自分で思っていたより意外に作品数が多いのに驚かされた。ドキュメンタリー映画として劇場公開された作品は僅か四本ではあるが、テレビ・展示映像・個人映画から編集・構成作品まで含めると全部で二十二本になる(二六一頁に一覧掲載)。もちろん売れっ子の映画監督やテレビ番組製作者に比べると雀の涙のような作品数である。それでも、着想から完成までのタイムスパンが長いドキュメンタリーの製作条件を斟酌すると、この十年で年平均二本以上の作品の完成に立ち合ってきたことになるわけで、いつの間にか作品作りのペースが上がってきたのかもしれない。
 ただ初監督作品『阿賀に生きる』に比べると手間も暇もかけずに促成栽培の手抜き作品が多いのは自分が一番よく知っている。他人の映画に対しては手厳しく罵倒するくせに、自分の作品には滅法甘いとの誹りもあるだろう。ただ、自作に関しては自己弁護や言い訳だけは書かないよう心がけてきたつもりだ。その一方で、映画評を依頼された際、誉めそやすのは安易な逃げ道にすぎず、きちんと批判することのほうが真摯な態度だと頑に思い込んできた。なぜなら、他人の作品への批判は必ず自作の製作現場に刃となって舞い戻ってくるものだからだ。

 第一章「映画は時代を写す鏡である」は、『阿賀に生きる』完成後の、この映画にまつわる十年についての文章が収められている。
 映画の中ではいつまでも闊達に輝き続ける登場人物の実人生に、この十年の歳月は残酷な重さで伸しかかってきた。八十歳近くの三組の老夫婦が主人公の映画であるから、いずれは今生の別れの日をむかえざるをえない。一方、映画『阿賀に生きる』のほうは、ますます独り歩きを続け、勝手に遠くまで出かけては、今も人々の琴線に触れ続けている。このように映画と現実は乖離を始め、その溝はますます深くなっていく。その亀裂を見つめながら考えた由無し事がこの章に書き連ねてあることだ。
 この十年で水俣病をめぐる政治情勢も大きく様変わりした。水俣病問題の「和解」(一九九五年)という政治決着の場面でも、公式発見から四十年という節目でも、マスメディアが生み出すイメージ(映像)と現実との乖離はますますひろがり様々な亀裂を生み出している。また、バナナという作物の歴史と流通を見つめていっても、世界中に陥没している無数の溝や亀裂が見えるはずだ。いや、そんな遠くに出かけなくても、写真と映画のあいだにも思いのほか大きな溝がポッカリと口をあけている。そうした亀裂に切り裂かれながらも、今、阿賀の地で再び新しい映画を撮ろうと準備を始めたところだ。
 第二章「映画的意志は細部に宿る」は、折りに触れて書き散らしてきた映画批評や映画論の文章が収められている。
 ドキュメンタリー映画論としては十六人の映画作家について書き下ろした『ドキュメンタリー映画の地平』ですでに論点は書き尽くしたつもりであったが、新作の公開にあわせて映画評を依頼される機会も増えてきた。本書ではこの二、三年の公開作品の映画批評を中心に私の映画への関心の変遷が分かるように文章を編んだ。
 いつまでも若輩者のつもりでいたが、この数年、アチコチで審査員を頼まれる機会が急に増えてきた。その中でも二〇〇一年の第七回山形国際ドキュメンタリー映画祭で「アジア千波万波」の審査を引き受けたことは、身に余る重責ではあったが、貴重な体験であった。アジアのドキュメンタリー作家の最先端と審査員として真剣勝負で渡り合えたことで、これまで主張を続けてきたドキュメンタリー論の自説に確証を得られた気がしたからだ。社会変革の武器としての政治主義の軛をすでにすっかり脱ぎ捨てたドキュメンタリーは、フィクションとの境界線上を漂いながら両義的な周縁を根拠地にして、大きな物語の解体と既定の固定観念の武装解除をすでに強力に押し進めていたのである。
 ステレオタイプの拡大再生産に寄与するばかりで、閉塞状況をさらに悪化させているテレビの現場で私のような我が儘極まりない映像作家が仕事を与えられる機会はほとんど皆無である。そのため、ごまめの歯ぎしりにすぎないが、折りに触れテレビ批判をくり返してきた。だが今は、襟を正して草創期のテレビに謙虚に学ぶ必要を痛感している。公正中立を旨とするテレビの世界で常に映像作家の主体性を主張し続けてきた牛山純一プロデューサーの仕事を見直す機会が与えられたからだ。牛山の遺した膨大な作品群を見通すだけで何年かかるか分からないが、いずれ何らかの作品にまとめようと「テレビドキュメンタリー研究会」はその長旅の船出を始めたところだ。
 第三章「心の奥底にひろがるカオスの海へ」には、アートと写真について考えてきた文章が収められている。
 『まひるのほし』(一九九八年)は、知的障害者のアートというテーマとはじめて出会った映画であったが、以来この世界にすっかり心を奪われてはまりまくっている。正常と異常、常識と非常識の境界線上を漂う知的障害者の表現行為は、この社会に蔓延する無数の固定観念を小気味良く引っくり返す力をもっている。その小気味良さに魅かれて付き合いを深めているうちに、現代アートの作家との交流も随分と生まれてきた。ところが、一見すると難解で晦渋なアートであっても、その作家の人となりに触れると常識と非常識の境界線上に揺れるけったいな人物が多い。そんな時、我が意を得たりで、すぐに意気投合して気持ちよくなってしまう。そうした境界に心地よくたゆとううちに『花子』(二〇〇一年)という映画も生まれてきた。
 『SELF AND OTHERS』(二〇〇〇年)は牛腸茂雄の写真の眼差しを主役に据えようと考えた映画である。私はかねてより写真と映画のあいだには深くて暗い溝があいていると思い込んできた。写真と映画は似て非なるものなのだ。そして、常にたった一人で対峙する写真にしか映らない世界があり、その世界に私は憧れと嫉妬の念を抱き続けてきた。その思いは私の中でいつも燻り続け、阿賀野川で新しく撮ろうと構想された新作においても写真が重要なモチーフの一つとなっている。
 自作の乏しい経験の中での話ではあるが、作品が完成に近づくにつれ、観客の笑いがとれるどうかを一つの基準にして最後の構成を決めるところが、私にはある。映画を観ながら心地よく笑える時は、固定観念や常識が気持ちよく反転した瞬間であると考えるからだ。笑いにはそうした批評性がある。実現できているか否かは別にして、文章を書く時も、私は笑いがとれるかどうかを一つの規範にしたいと心がけてきた。扱うテーマがどうしても固いものになり、ドキュメンタリーをめぐる批評文が多いため、ゲラゲラと笑うような文章はとても書けるとは思わない。それでも、どこかでクスリと吹き出してもらえれば充分だ。そう願って本書のエッセイをしたためてきた。
 でも結局は、各章の終わりに新作の映画の構想も書き連ねることになり、笑えるどころか随分と重たいものになったのではと気を揉んでいる。本書で笑いのとれなかったリベンジは、映画が完成した暁に作品の中身で返さねばなるまい。

版元から一言

本書は映画解説書でも、映画オタク用の本でもない。ドキュメンタリーの核心に迫ろうと日々呻吟する作家の「つぶやき」の書であり、「反定義」の書である。

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著者プロフィール

佐藤 真(サトウ・マコト)

 1957年青森県弘前市に生まれ、2歳前に上京。千葉県松戸市の常盤平団地で物心がつき、東京都練馬区石神井で育つ。
 東京大学文学部哲学科を末席で卒業。在学中より『無辜なる海—1982年・水俣—』(香取直孝)の助監督として水俣の漁村に暮らす。84年、この映画を携えて東北・北海道の自主上映の旅に出て、阿賀野川とそこに暮らす人々と出会い、映画作りを決意する。各務洋一監督に私淑した後、89年からスタッフ7人と新潟に移り住み、92年『阿賀に生きる』完成。初監督作品で国内外の高い評価を受けて戸惑う。その後、テレビ作品、映画の編集・構成、映画祭のプロデュースなど多方面にわたって仕事を展開し、96年には有限会社カサマフィルムを設立するが、すぐに事業の撤退を計る。それでも、『まひるのほし』『SELF AND OTHERS』『花子』と細々とドキュメンタリー映画を作り続けてきた。
 99年より映画美学校主任講師、2001年より京都造形芸術大学教授として後進の指導にあたる。2001年山形国際ドキュメンタリー映画祭「アジア千波万波」の審査員、2002年8月より文化庁派遣芸術家在外研修員として1年間訪英。Jリーグ嫌いの競輪ファン。チューハイ党で目下ダイエット中。
 著書は、『日常という名の鏡—ドキュメンタリー映画の界隈』(1997年)、『ドキュメンタリー映画の地平—世界を批判的に受けとめるために』(上・下全2巻、2001年、いずれも凱風社)など。

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