韓国映画を振りかえるわがシネマの旅
扈 賢贊, 根本理恵:訳
発行:凱風社
この版元の本一覧
四六判 504ページ 上製
定価:3,300円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7736-2603-2(4-7736-2603-8) C0074
在庫あり
奥付の初版発行年月:2001年11月
書店発売日:2001年11月22日
※送料は無料です
※版元より営業日2~5日でお届けします
※お支払いは郵便振替(到着後後払い)・クレジットカード(VISA、MasterCard、DC、JCB、AMEX、Diners、Nicos、UFJ)がご利用になれます
タグ:

紹介

『シュリ』『JSA』などメガヒットを飛ばす韓国映画。そのエネルギーの源泉はどこに? 20世紀初頭に誕生した韓国映画は日本の植民地支配、軍事政権下の言論抑圧、民主化の到来を経て、今日新たな展開を見せはじめた。本書は、韓国映画界の中心にいて半世紀にわたって活躍してきた著者が、映画製作の体験談やエピソードなどを織りまぜ、韓国現代史と重ね合わせて書き下ろした百年史。半生を韓国映画界に寄り添って生きてきた映画人の思いがあふれた基本図書。

目次

◆1章 韓国映画前史
 二万年前から映画の夢があった
 映画の誕生
 一九世紀の世の中
 映画の伝来と定着
 伝来説に関する異見
 草創期の上映風景
 大衆に根を下ろすまで
 劇場ができた
 悲劇で幕を開けた韓国の二〇世紀
 新派劇の流行

◆2章 韓国映画の誕生
 三・一独立運動と映画
 最初のキノドラマ『義理の仇討ち』
 韓国映画第一号は?

◆3章 無声映画時代 ●1923〜1934年
 開拓者たち
 始まりは模倣から
 朴承弼と尹白南
 李月華——本格的な女優の登場
 韓国映画技術の父、李弼雨
 日本から渡ってきた映画人
 羅雲奎の『アリラン』
 アリラン別曲
 『アリラン』の監督は本当に羅雲奎か?
 『アリラン』探し
 弁士は風流男
 『アリラン』以後
 傾向派映画
 志士監督・尹逢春
 讃映会騒動
 李圭煥と『主なき渡し舟』

◆4章 トーキーの時代へ ●1935〜1939年
 春香が扉を開く
 最初の映画祭

◆5章 受難の時代 ●1940〜1945年
 民族文化消滅の危機
 圧殺された韓国映画
 朝鮮総督府の作った映画——『朝鮮総督府キネマ』より
 三つの名前をもった韓国の映画人

◆6章 自分の名前を取りもどした韓国人 ●1945〜1949年
 一九四五年八月一五日
 文化建設の始まり——朝鮮映画同盟の結成
 米軍政下の映画政策
 朝鮮映画の再建——『自由万歳』と光復映画
 『心の故郷』と尹龍奎監督
 名作を送り出した崔寅奎

◆7章 ああ! 朝鮮戦争 ●1950〜1954年
 朝鮮戦争の勃発と背景
 朝鮮戦争を舞台にした『野菊は咲いたのに』——休戦協定の調印
 朝鮮戦争期の韓国映画

◆8章 韓国映画の開花 ●1955〜1960年
 春香は幸運の女神
 『自由夫人』論争
 観客はメロドラマが好き
 最初の総合撮影所
 国産映画奨励策
 林和秀の悲劇
 五〇年代の新人たち
 四・一九革命の、その日
 俳優・金勝縞の受難
 ある映画の風景
 映画倫理委員会の誕生と『恋人たち』の検閲通過
 シネファンフラブ

◆9章 四月の春はあまりにも短かった ●1961〜1964年
 五・一六軍事クーデター
 永遠の古典『春香伝』
 上映が中止された『誤発弾』
 私の映画修業——『惜しみなく捧げる』
 映画に自由を与えよ
 青春映画の風

◆10章 韓国映画の黄金時代 ●1965〜1969年
 黄金期の始まり
 『七人の女捕虜』と監督の逮捕
 私の映画修業——『浜辺の村』
 反共映画
 満州ものとアクション映画
 私の映画修業——大成功した『晩秋』
 多様化する韓国映画
 不発に終わった韓日合作企画
 偽装スパイにだまされた『告発』
 文芸映画とは何か
 飛躍する韓国映画
 史劇・時代劇に関するノート
 六〇年代後半期の史劇・時代劇
 韓国映画にとって生涯最高の年
 メロドラマは永遠なり
 青春映画の台頭
 映画法は悪法

◆11章 七〇年代の光と影 ●1970〜1979年
 映画産業の斜陽期——テレビ時代の本格的な幕開け
 青年文化
 映画振興公社
 ホステス映画の登場
 李晩煕と河吉鍾
 七〇年代後半期の時代状況と映画界
 朴正煕大統領の最後の晩餐

◆12章 転換期の八〇年代 ●1980〜1984年
 炎に包まれる光州
 不況の中に変化が見えた——八〇年代初期の映画界
 劇中人物に対する言いがかり
 新たな転身を見せた林権澤監督
 『エマ夫人』旋風と八〇年代中期の映画界
 『比丘尼』騒動と申相玉夫妻の北朝鮮拉致事件

◆13章 開放化時代へ ●1985〜1989年
 映画法改定と自由化
 八〇年代後半期の映画状況 その1
 八〇年代後半期の映画状況 その2
 民族映画とは何か

◆14章 待望の一九九〇年代、そして新世紀の幕開け前夜 ●1990〜2000年
 冷戦構造の崩壊——文民政府の船出
 IMF時代の到来——金大中時代の幕開け
 九〇年代前半期の映画状況
 九〇年代後半期の映画状況
 情熱と活力に満ちた華麗な出発——二〇〇〇年

◆別章 韓国映画の相貌
1 ドキュメンタリー、ニュース映画
2 独立映画、そして短編映画
3 アニメーション
4 映画技術小史
5 韓国映像資料院
6 映画検閲は憲法違反
7 検閲哀史
8 新しい映画法と制度改革
9 最後の闘争——スクリーンクォータ制
 日本映画の開放
 韓国映画の特徴
 (一)韓国人の意識と思想
 (二)恨と巫俗信仰
 (三)抵抗の精神

◆エピローグ 二一世紀を展望して

◆あとがき

◆解説 佐藤忠男

前書きなど

あとがき

 筆者のシネマ旅行もかれこれ六〇年あまりになる。筆者が初めて映画と出会ったのは一〇歳ごろのことだった。それが無声映画の名作「主なき渡し舟」(李圭煥監督)だということは後に知った。
 本格的に映画にのめりこんだのは一九四五年の解放以降である。一九五〇年の初めから日刊新聞のソウル新聞と東亜日報で文化部の記者をつとめ、映画ジャーナリストとして出発し、やがて映画評論家と呼ばれるようになった。
 一九六五年以降は新聞社を退社後、恐れ気もなく製作界に飛びこみ、六九年までに六本の劇映画と四〇本あまりのドキュメンタリーを作った。賞も多数、受賞し、プロデューサーとしての名声も得た。
 七〇年代以降は製作界から退き、フリーでライターの仕事を続けながら、映画賞の審査委員や公倫の審議委員をつとめるなど、映画に関わる仕事に携わり、一九九〇年にはフィルムアーカイブ理事長、映画振興公社社長、ソウルテレコム代表取締役社長を歴任した。
 一九九六年に映画振興公社を退職し、ようやく安息年を迎えた。半世紀の間、筆者は映画界に近い所で映画とともに生きてきたわけである。映画は筆者にとって運命的なものだったように思う。
 今や筆者の齢も七〇代の半ばにさしかかった。ずいぶん長く生きたものだと思う。最後に何かすべきことがあるのではないかと考えていたところ、佐藤忠男先生と久子夫人の丁重な勧めに後押しされて本書を著すことになった。
 筆者が生きてきた二〇世紀は激動の歳月であり、韓国人の人生も過酷なものだった。それだけに、時代と社会を映しだす鏡といわれる映画の歴史も苦難と挫折に満ちていた。韓国映画は涙と恨、そして抵抗の歴史でもある。
 日帝三六年の桎梏、国土分断による悲劇、朝鮮戦争、四・一九革命、そして五・一六軍事クーデターによって始まった軍事政権一八年、一九八〇年の民主化運動、九二年の文民政府の誕生、九七年の政権交代など、時代の波高が絶え間なく押し寄せ、半世紀の間、国土分断の痛みを抱えてきた。韓国映画が歩んできた百年の路程には、そのような歴史の痛みが破片となってあちこちに散らばっている。筆者は本書を書きおろしながら、形容しがたい挫折感や憤怒、背信感、侮蔑感を拭いさることができなかった。
 しかし、その険しい時代の波高をくぐり抜け、粘り強い生命力で不死鳥のごとく生きてきた韓国人の勇気と意志を映画の中に見出すことができた。それは壮絶という言葉にふさわしいものである。
 二〇世紀が過ぎ、新たな千年を迎えた今、韓国の歴史とともに転換点に立っている韓国映画にあふれる希望を感じている。
 いざ本書を書きおろしてみると、さまざまな戸惑いや困難に直面した。韓国映画史は一九四五年以前までほとんど放置された状態であり、当時を振りかえることのできるフィルムは一本も残っていなかった。そのため、数人の断片的な研究や資料を手がかりにするほかなかった。一九四五年以降は筆者の体験と、暇を見つけて書きためておいた備忘録があり、記憶を甦らせることができた。
 しかし、史料が不足しているうえ、既存の史料も正確性に欠けるため、とてもつらい作業となった。政治状況の大変革を経た国家事情により、史料はほとんど残っておらず、本書の執筆は困難を極めた。作品の製作年度や公開日も正確でないものがいくつかある。この点については、読者の寛大な理解を請いたい。
 本書は本格的な映画史というよりは、筆者が体験した韓国映画に関する話というのがふさわしいだろう。筆者の主観的な解釈やモノローグ、エピソードなどが加味され、やや破格の書になったと思う。基本的に、映画を産んだ時代背景に糸口を見つけて接近するよう試みた。

 ペンを置いてみると、心残りも多い。いくつか書きもらしたこともあり、また、一本の映画を完成させるのに協力したスタッフやキャスト、製作者に関する記述で抜けている点があり、申し訳ない気持ちを禁じえない。
 本書を著すにあたり、惜しみない激励と助言をしてくださった佐藤忠男先生ご夫妻に深く感謝申し上げ、素晴らしい翻訳をしてくださった根本理恵氏、出版を引きうけてくださった凱風社の小木章男社長にも心から感謝申し上げる。

 一九九九年までを取りあげた本書の韓国語版は二〇〇〇年七月に出版された。この度の日本語版は、韓国語版とは異なり、時代的背景や歴史的事件を補足したほか、二〇〇〇年までの事項を追記した。そして、日本の読者に分かりやすいように、できるだけ配慮したつもりである。本書を通じて韓国の現代史の一端と、その歴史の風土の中で誕生し、育まれた韓国映画の一面を理解してくだされば、それにまさる光栄はない。

-------------------------------
解 説——佐藤忠男
 ここ二十数年、私は妻の佐藤久子と一緒にアジアの多くの国々を訪ねて映画を研究し、その国以外には殆ど知られていなかったたくさんの作品を見て日本や世界に知らせることに努めてきた。国際映画祭などで容易に接触できる国は、特に初期にはあまりなかったので、どういう団体や機関のどういう人に連絡をとったら、その国の主要な映画を一定期間にまとめて見せていただくというようなことができるのか、文字どおり手探りで調査や交渉をつづけ、この点で佐藤久子は非常に苦労した。たくさんの手紙を書き、旅をし、人に会った。こうして知った十数か国の映画界の、監督、プロデューサー、批評家、学者、文化行政官僚、映画団体の人々など、さまざまな人々の積極的な協力で私たちの研究は可能になったのである。
 こうして知り合った人々とのつきあいは、たんなる仕事の便宜上の範囲にはとどまらない場合が多かった。互いに映画人同士で話し合うのは当然として、私たちは未知の映画を知りたいと思い、彼らは私たちに自国の映画の知られざるところを理解させたいと思う、そこには自ずから、知識の交換以上の、なにか使命感に近い熱意が生じた。知られざるアジアの映画の良さを世界に知らせることは、私たちの知的好奇心を充たすとか、彼らの映画の利益につながるかもしれないなどという当面の利害を超えて、世界の相互理解のため、ひいては世界の平和のために必要なことであるはずだという気持の高揚があったからである。私たちは多くの場合、そんな気持を分ち合う同志だった。
 アジアの国々は一様ではなく、それぞれに違った状況にあり、それぞれに困難な難しい課題を抱えている。しかし厳しい苦難の中を歩んできたという点では殆どが共通していると言える。いくつかの国々は軍事独裁政権下にあって、私たちが研究に通っている間に民主化が行なわれた。同じ時期に社会主義から自由化へと歩んだ国もある。宗教的制約の強い国もある。それらの国々では検閲が大きな制約となっていることが多かった。自由主義世界の人々の常識では検閲の厳しい国に良い映画が作れるはずはないのである。だからそれらの国の友人たちが国外に出てジャーナリストたちに会っても、「あなたの国にはどんな良い映画がありますか」と聞かれることは滅多になく、お気の毒という調子で「あなたの国の検閲はどうですか?」と質問されるばかりだった。しかし私には検閲が厳しい国においてもなお、すぐれた映画が作られているという発見のほうが重大だった。もちろん検閲に問われる主題を扱うことは困難だが、その点を慎重に避けたり暗示にとどめたり、世界情勢の変化などで検閲がゆるむ僅かな時期にねらいを定めたりして真摯な主張のほとぼしる映画を作る人々と、それを擁護する人々とはアジアのいたるところにいた。軍国主義時代の日本映画が検閲で徹底的に制圧されてしまったのに較べれば、現代のアジアの多くの国々の映画は検閲とのたたかいかたにおいて、かつての日本映画よりよほど勇敢で巧妙でもあると感心せずにはいられなかったものである。
 そのご、アジアの映画は急速に世界に知られるようになった。私たちが研究をはじめた頃には、アジアのいたるところに良い映画があると言っても疑わしそうな顔をする人が多かったが、いまや世界のどこでも、少なくとも映画祭といえばアジアの多様な国々の作品を競って番組に入れることが普通になった。二十年前に、あなたの国の映画はすでに立派に世界水準にあるのだから自信を持ってほしい、と言って歩いたアジアの友人たちから、佐藤さん夫妻は先見の明があると言われるようになって嬉しいが、べつに先見の明などなくても、ただ見さえすればそれは自明のことであって、映画の輸入業者でもない私たちの求めに応じて協力して下さった方々のおかげなのである。
 この本の著者である扈賢贊先生は、こうして私たちが知り合ったアジアの映画人たちのひとりであるが、文化的使命感のような気持で大いに共鳴でき、教えられた人のひとりである。すでに本文に記されているように、氏は韓国の映画批評家であり、プロデューサーであり、韓国映像資料院(フィルム・アーカイブ)の理事長、KBS(韓国放送公社)の相談役、映画振興公社社長などの要職を歴任された韓国映画界の重鎮である。その長年の功績で、先年、大韓民国文化勲章(銀冠賞)を授与されている。
 プロデューサーとしての作品では金洙容監督の『浜辺の村』(一九六五年)や李晩煕監督の『晩秋』(一九六六年)などの名作があり、それまでのたんなる出資者としてのプロデューサーとは違う、作品の構想から脚本の練り上げ、スタッフ、キャストの人選までに創造的な指導力を発揮する本格的なプロデューサーの最初の人物となった。
 一九九八年のアジアフォーカス・福岡映画祭で、アジアにおける映画製作の現状についてのシンポジウムが行なわれた。扈先生もパネラーのひとりとして出席して韓国の情況について話されたが、このとき日本からの参加者である中山節夫監督が、日本での独立プロ活動でどんなに金銭的な苦労をしてきたかということを、具体的に自分がかつて借金として背負ったことのある金額などをあげて語って、アジアの国々の監督たちなどに強い感銘を与えた。なかでも扈先生が、中山監督に握手を求めて行って、共感と感激の言葉を交わしておられたのが強く印象に残っている。プロデューサーは決してたんなる金儲けで映画に出資するのではない。作らねばならぬ映画のためには財産を失なうことだってあって悔いはないのだというすがすがしい気骨がそこにあった。そして私は、こういう気骨と使命感のある人が、映画産業支援のための公的機関である映画振興公社の社長というような地位に起用されるところに、韓国映画の気迫の一端をうかがい知ったように思った。
 本文中にも遠慮がちに少しは触れられているが、氏は第二次大戦中には中学生であり、日本の特高に捕らえられて拷問を受けたことがある。秘かに民族主義的な本を読んでいたからだった。そんな多感な若者として独立を迎え、そのごの激動の時代をジャーナリストとして祖国の運命を見つめながら生きてこられた回顧談を折りにふれて聞いて強い感銘を受け、ぜひそれを一冊の本に書いてほしいと思ったものである。とくに長年映画批評家として韓国映画の歩みを見てこられ、韓国映画人たちが表現の自由をかちとってくる過程などはつぶさに見てきたので、若い人たちのために書き残しておきたいものだ、というようなことはよくお聞きしたものである。
 で、氏が全ての公職から引退されたとき、小栗康平の映画の題をもじって「私はこれから『眠る男』になります」と冗談を言われたとき、佐藤久子が「先生にはまだ仕事があるじゃありませんか。眠ってはいけません」と言ったのがこの本の企画のはじまりとなった。さいわいアジア関係の良い本を多く出版している凱風社が引き受けて下さって、日本での出版のために韓国人の著者が書き下ろした本になった。そして出来上がってみると、これはじつに本格的な韓国映画史であった。翻訳を韓国映画の日本版字幕のすぐれた翻訳などで知られた根本理恵さんにお願いできたこともたいへん有難いことだった。韓国映画の内容を熟知しておられるからである。熱のこもった信頼できる良い本が出来て本当に嬉しい。

版元から一言

映画製作者、評論家、文化部記者、映像資料院理事長、映画振興公社社長などを歴任し、長い間、映画界の現場に携わってきた人ならではの映画史。

関連リンク

凱風社の書籍案内

著者プロフィール

扈 賢贊(ホ・ヒョンチャン)

●著者紹介●
扈 賢贊(ホ・ヒョンチャン)
 1926年、大田生まれ。
 ソウル新聞、東亜日報文化部記者を経て韓国文化プロモーション(代表)創立。
 劇映画『浜辺の村』(金洙容監督)、『晩秋』(李晩熙監督)、『射撃場の子供たち』(金洙容監督)など6本を企画・製作した他、『韓国の美』など40本のドキュメンタリーを製作。
 韓国映像資料院理事長、映画振興公社社長、ソウルテレコム代表取締役社長などを歴任。
 映画評論家協会会長、芸術評論家協議会副会長、大鐘賞・青龍賞・百想芸術大賞・審査委員長、公演倫理委員会・放送委員会・映画審議委員長なども歴任。
 1950年代から映画評論やコラムなどを多数執筆し、著書に『韓国映画100年』(2000年、文学思想社)がある。
 1999年には、大韓民国文化勲章(銀冠賞)を受賞。

※送料は無料です
※版元より営業日2~5日でお届けします
※お支払いは郵便振替(到着後後払い)・クレジットカード(VISA、MasterCard、DC、JCB、AMEX、Diners、Nicos、UFJ)がご利用になれます


タグで関連している本:

コメントとトラックバック »

まだコメントとトラックバックはありません

TrackBack URI : http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7736-2603-2.html/trackback/

コメントをどうぞ

お寄せいただいたコメントは、当サイトに掲載されますが、内容によっては削除させていただく場合がございます。なお、コメントへの回答は原則としていたしておりません。当サイト・著者・各版元へのお問い合わせの際は、お問い合わせフォームをご利用下さい。

▲ページの上端へ