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番犬の流儀
東京新聞記者・市川隆太の仕事
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2015年7月
- 書店発売日
- 2015年7月14日
- 登録日
- 2015年7月8日
- 最終更新日
- 2016年3月9日
紹介
54歳で突然この世を去った東京新聞の反骨記者・市川隆太。「こちら特報部」で反共謀罪キャンペーンを展開し世論をリードして廃案に追い込むなど、権力を監視する「番犬(ウオッチ・ドッグ)」を生涯貫いた。報道の危機が叫ばれる中、あらためて市川氏の仕事を振り返り、ジャーナリズムの本質を問う。
目次
はじめに――今も信じられない不在[瀬口晴義]
第1章 安倍政権を嗤う
Ⅰ メディアは希代の悪法に立ち向かえるか
Ⅱ これは「始まり」にすぎない
Ⅲ 憲法は誰のもの
Ⅳ 取材の品格
○追悼コラム[海渡雄一]
○追悼コラム[田島泰彦]
第2章 反共謀罪キャンペーンとこちら特報部
Ⅰ 疑問だらけの共謀罪法案
Ⅱ それでも美しい国?
○追悼コラム[田原牧]
第3章 初心を忘れず、流されず
Ⅰ 私たちは良い番犬だろうか
Ⅱ 若者いじめの国
Ⅲ 問われる社会の度量
Ⅳ 事件報道――新聞 vs 検察
○追悼コラム[魚住昭]
第4章 追悼 市川隆太
もっと沖縄を 背中を押した市川さん[赤井朱美]
市川隆太記者と人権擁護法案[小林健治]
流星のごとく[澤木範久]
市川さんとわたしと東京新聞[清水勉]
社会部記者の理想を体現[菅沼堅吾]
市川さんが書いてくれた記事[田口嘉孝]
永遠の月光仮面[貫田直義]
「共謀罪」の強行採決を止めた市川記者のペンの力[保坂展人]
外国人の人権問題と市川さん[師岡康子]
おわりに――あとから続くために[中山洋子]
市川隆太略歴
前書きなど
はじめに――今も信じられない不在[瀬口晴義(東京新聞社会部長)]
つい一週間前、電話で冗談を言っていた先輩が集中治療室のベッドに横たわっていた。そり上げた頭部に急病の痕跡をとどめているものの、呼吸は規則正しく、ぐっすりと気持ちよさそうにしている。ご家族が盛んに声を掛けていた。反応はなくても深層意識には届いていると聞いたことがある。私も耳元で話し掛けた。
「夜回りに行く時間ですよ。起きてください」。反応はない。「○○新聞に抜かれてますよ!」。やはり、ぴくりともしない。体をさすったり、手を握ったりしたが反応はなかった。それでも自発呼吸を取り戻したとご家族からうかがい、最悪の状態は乗り越えたという安心感とともに病院を後にした。「○○さんが怒っていますよ」。怖かったキャップの名前を挙げたら飛び起きたんじゃないかな、と冗談めいたアイデアが浮かんだのは金沢から東京に戻る車中だった。だが、楽観はあっけなく砕かれることになる。
北陸本社報道部長の市川隆太さんが倒れたという知らせを同僚の蒲敏哉記者から聞いたのは二〇一四年七月十日夜だった。命は助かっても重い障害が残る可能性が高いと聞いた。電話を切った後、胸に込み上げたのは「悔しい」という思いだった。特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認など、戦前回帰が強まる中、市川さんは週一回の部長コラムで厳しい論陣を張っていた。中日・東京新聞にとどまらず、日本のジャーナリズム界にとっても大きな損失だからだ。
訃報が届いたのは帰京した翌日だった。天を仰ぐ。一目会えただけでも良かった、と気を取り直すしかなかった。脳出血で倒れてから四日目の七月十四日の夜、市川さんは旅立った。辛い報せを受け、社内外の関係者への葬儀の連絡に追われた。悲しみに向き合うこともできず時が流れていったというのが実感だ。あれから一年が経つ今も、例の調子で電話が掛かってくるような気がしてならない。その不在が信じられないでいる。
市川さんと最初に仕事をしたのは一九九二年の夏だ。もう四半世紀近く前になる。テレビ東京の記者から二十代後半に東京新聞に移った市川さんは、横浜支局を経由して社会部に上がってきた。当時の社会部は他社出身の猛者が三分の一ぐらいを占め、個性の強い記者たちが競い合って記事を書いていた。その中でも飛び抜けて優秀な記者が市川さんだった。
(…中略…)
この本は市川隆太さんが生前、東京新聞特報部時代や北陸中日新聞報道部時代などに書いた記事やコラム、法律雑誌や新聞研究のための書籍に寄稿した文章から選んだ遺稿集です。市川さんと親しかった社内外の皆さまからの追悼文も収録しました。深く感謝申し上げます。
後進の若い記者の皆さんに市川さんの思いが届くように祈っています。
上記内容は本書刊行時のものです。