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バングラデシュ建国の父 シェーク・ムジブル・ロホマン回想録
原書: The Unfinished Memoirs
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2015年8月
- 書店発売日
- 2015年8月1日
- 登録日
- 2015年7月16日
- 最終更新日
- 2015年7月16日
紹介
イギリスから、そしてパキスタンからの独立への困難な時期を一貫してベンガル人のために捧げ、「黄金のベンガル」であるバングラデシュを独立に導いた「ボンゴボンドゥ」シェーク・ムジブル・ロホマン(1920~1975)が自らの半生を記した書。
目次
日本語版への序文
シェーク・ムジブル・ロホマンと日本──まえがきに代えて
序
第一部 政治の道へ
第一章 シェークの家
第二章 はじめての投獄
第三章 ベンガル大飢饉
第四章 組織内の勢力争い
第五章 ムスリム連盟の立て直しを目指して
第六章 総選挙とムスリム連盟の躍進
第七章 全インドムスリム連盟総会と北インド旅行
第八章 直接行動の日の騒乱
第九章 パキスタン独立後
第二部 新生パキスタン
第一章 ダカでの活動開始
第二章 ウルドゥー語国語化の動き
第三章 東ベンガル新政府との軋轢
第四章 アワミ連盟旗揚げへ
第五章 アワミ連盟の勢力拡大と政府の妨害
第六章 ラホールへ
第七章 逮捕
第八章 幽囚生活
第九章 ゴパルゴンジョでの裁判
第十章 フォリドブル刑務所
第三部 政権の道へ
第一章 言語運動
第二章 政治活動再開
第三章 中国へ
第四章 アワミ連盟の伸張とムスリム連盟の衰退
第五章 統一戦線
第六章 東ベンガル州総選挙
第七章 波乱の船出
第八章 統一戦線瓦解へ
原文注
訳者注
ボンゴボンドゥ・シェーク・ムジブル・ロホマン(一九二〇~一九七五)政治活動年表
関連主要人物一覧
あとがき
索引
前書きなど
シェーク・ムジブル・ロホマンと日本──まえがきに代えて
「日本の学生や子どもたちが街角で募金活動を行なったり、おやつを買うための小遣いを貯金したりして、ベンガルの気の毒な人たちを助けようとしてくれたことを私たちは知っています。私たちは日本の人々に心から感謝しています。誰かが苦しい思いをしているとき、不幸な目にあっている時にそばに来て寄り添ってくれる人こそ、本当の友人なのです」。シェーク・ムジブル・ロホマン(シェイク・ムジブル・ラーマン)首相(当時)はこう語り、バングラデシュと日本の固い友情の絆を強調した。一九七三年十月二十三日、同首相が初めての、そして結局最後となった日本訪問の最終日、日本バングラデシュ協会(当時)の主催により、東京のホテルで開かれた歓迎集会の挨拶に立った時の言葉である。
(…中略…)
日本は一九七二年二月十日、バングラデシュを承認した。それはアメリカによるバングラデシュ承認よりも二カ月近く前のことであり、当時国際情勢に関する判断でアメリカに追随する傾向の強かった日本としては、画期的な決断であった。その決断もまた早川をはじめとする国会議員たちの働きかけによるものだった。このバングラデシュ早期承認もまた、シェーク・ムジブおよびバングラデシュ国民の好意的な対日感情の醸成に役立ったと考えられる。また新しい国造りにあたって、同じアジアの国で、第二次世界大戦での敗北にもかかわらず急激な経済成長を遂げていた日本は、バングラデシュにとってひとつのモデルでもあった。
一方バングラデシュの独立戦争時、日本のマスコミや世論はバングラデシュに同情的だった。武器も戦力も乏しいバングラデシュの人々がパキスタンに対して戦いを挑む構図は日本人の判官びいきの気持ちに訴えたし、ジョージ・ハリスンやジョーン・バエズの歌もバングラデシュに対する同情の心をかきたてた。そうした国を率いる人物として、「建国の父」ボンゴボンドゥの存在や政治家としてのその手腕は当然日本でも大いに注目された。
一九七五年八月十五日の事件を日本の新聞各紙は第一面で大きく伝えた。すべての新聞が、建国の道半ばにしてシェーク・ムジブル・ロホマンが殺害されたと報じた。毎日新聞はシェーク・ムジブについて「見るからに温かみの溢れる人柄で、一度会った人は絶対に忘れない記憶力と、頼まれれば台所の中まで入って面倒を見る人の良さのため、国民の人気は圧倒的だった」とその死を哀悼した。
バングラデシュの建国以来、日本とバングラデシュは常に良好な関係にある。独立直後の時期、ボンゴボンドゥの日本に対する好意的な態度が、その礎になっているとも考えられる。没後ほぼ四十年が過ぎ、シェーク・ムジブル・ロホマンの名を知る日本人の数は少なくなりつつある。本書が日本におけるボンゴボンドゥの再認知と評価につながることがあれば訳者にとって大きな幸せである。
上記内容は本書刊行時のものです。