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ええ、政治ですが、それが何か?
自分のアタマで考える政治学入門
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2014年5月
- 書店発売日
- 2014年5月30日
- 登録日
- 2014年5月21日
- 最終更新日
- 2014年5月21日
紹介
政治を胡散臭いと感じ遠ざけている人は多い。だが、政治を忌み嫌い放置すれば、世の中は一部の人間の進みたい方向へと誘導される。政治を特別視しないことが社会を変える第一歩。政治と言葉の問題に取り組んできた著者が、政治とは何かを豊饒な言葉で語りつくす。
目次
はじめに
第Ⅰ部 出発点を確かめる――政治的人間の諸条件
1.政治の味方をしてみたい
○私たちはすでに政治的である
何とも可哀想な政治だこと
政治をめぐるたくさんの“K”
少し考えればさほど特別なことでもない政治
誰もが政治の舞台にあがる役者である
2.政治を考える大づかみの定義
○不完全な私たちが価値を選択して伝えるということ
統一的定義が存在しない「政治」
政治を生きる人間に与えられた条件と限界
国籍を選択するのは「政治的」判断である
ランチメニューを選択することとの決定的な違い
第Ⅱ部 思い込みをとく――政治の4Kからの解放
1.政治は暗くて汚い? 4Kの1
○命と嘘と政治
政治は暗くて汚いのに週刊誌はなくならない
政治は「意に沿わない人たち」を生み出す
政治はすべての問題を扱わざるを得ない
政治は道徳と比較されてしまう
「嘘はつけない」と辞めた女性閣僚
立法府のメンバーと運動家の違い
特別の基準が必要な政治家
それでも残る「嘘」の問題
2.政治にはカネがかかる? 4Kの2
○カネで何が失われるのか?
いったい何が本当は問題なのか?
真面目に議員をやれば普通にこれだけかかる
まだまだかかる出費
「カネ」ではなく「ヒト」がものを言わねばならない
昭和の噂話
カネで動いて言葉が失われる地獄
3.政治は偏っている? 4Kの3
○無色無垢の安全地帯は存在しない
この世に政治的中立地帯などは存在しない
両端次第で真ん中はいかようにも変わる
メディアは完全なる公平など実現できない
「中立性=公共性=非政治性」という誤解
普通の人は「特定の思想」などは持たないという前提
正邪と真善美の基準を体現する「お国」という考え
政治的判断とは「国家の判断」のこと
「投票しないこと」=「脱政治」ではない
4.政治なんて関係ない? 4Kの4
○政治とのかかわりと政治参加のヴァリエーション
関係の自覚と「切実さ」
政治と個人のかかわり方には9つのパターンがある
政治は町会や職場や教室にもある
政治エリートとの関係をどう考えるか
政治エリートをきちんとフォローするという間接的コミットメント
第Ⅲ部 イメージを広げる――あのときのその人たちの格闘
1.政治とは「正しい世界を作ること」である
○正義の実現としての政治
「正しい世界」のための政治
古代アテネの理念とソクラテスの死
プラトンがたどり着いた正しいアテネを作る「哲人王」という発想
「ないけれどあるもの」というイデア論
長く続いた黒人差別の克服
ブラウン判決と公民権運動
差別と貧困という宿痾との闘い
「正義の実現」という視点の危うさ
2.政治とは「自分で秩序を作ること」である
○作為としての統治
政治的秩序とは何か?
「神の創造物」から「世界にはたらきかける個人」へのイメージ転換
戦国イタリアとマキャベッリの苦悩
『君主論』に託した政治の本質
原発をめぐる政治をマキャベッリならどう見るか
現実を動かすための知恵と工夫
自己肯定と他者への信頼がリアリズムを支える
3.政治とは「自分たち自身を支配すること」である
○自治としての政治
矛盾する二重の立場を生きること
市民革命と長い習慣の終わり
不条理を受け入れる唯一の条件は「合意」である
ホッブス:人間は最後まで殺し合わないように最高権力を約束して作る
ロック:人間は公平な利益の調停人になれず最高権力を約束に基づいて作る
ルソー:人間は契約し己を全体に譲渡しみんなと一つになり真の自由となる
合意には必ず無理が含まれているから約束は定期的に確認されねばならない
自治とは覚悟を持って失敗を振り返る学習と訓練である
4.政治とは「戦いの勝者による支配」である
○闘争としての政治
有無を言わせぬ原理
二人のカールとその政敵
根本から相容れない者同士としての階級
労働者を懐柔する資本家
本当の政治とは社会基盤をめぐる闘争である
政治的なるものとは「友敵関係」である
独裁擁護とその政治的帰結
調停し得ぬ対立
二一世紀における負の遺産
5.政治とは「これが現実だとさせること」である
○現実観の統制としての政治
言うことのきかせ方――広義の権力
人はなぜ自発的に支配を受け入れるのか
民主政治における自発的参加と関与
現実という化け物
言葉が減らされた世界を描いた『一九八四年』
直面する「現実」と政策判断
「原発が止まると日本が止まる」という現実認識
最低コストを可能にする「沈黙の調達」
第Ⅳ部 政治を救い出すための言葉――振り返りと未来へのまなざし
1.政治を立場に応じて使いまわす
○私たちにできることとできないこと
政治の言葉を増やしイメージも増やす
イメージが増えるとは現実が増えること
それぞれの居場所で考える
頑張ればできる「呼びかけ」:「動く羅針盤になる」ものとしての政治
少し頑張り「友人を作る」:「仲間作り」としての政治
主体的には動かないが最悪をさけるために「力を貸す」:「力添え」としての政治
何もできないが「居合わせ見守る」:無力な者ができる「励まし」としての政治
2.主体的選択により生まれるもの
○自分の頭で考えて決めて覚悟すること
「選んだのだから引き受ける」という覚悟
「おまかせ」時代の終わり
「選択」をせずなし崩し的に流された戦争指導者たち
「政治的意志」の自覚も「責任意識」もなかったエリートたち
政治的意志とリアリズムがもたらすもの
おわりに
より深く政治を学ぶためのブックガイド
あとがき
前書きなど
はじめに
(…前略…)
しかし、いざここまで来てみると、政権党と官僚におまかせだった長い間に、多くの人々が、そもそも「政治って何なのよ?」という、最も基本的な共有地平を持たないまま、好き勝手な、結ぼれない、友人を増やしづらいやりとりをしていることに気がつくのです。フェイスブックやツイッターを眺めていると、同じ言葉で全く意味内容の異なることを相互に言おうとしている不幸なすれ違いを発見して愕然とします。ある人は政治を「国家」と思っていて、反論している人は「人々の叫び」のつもりでこの言葉を使っていたりします。これは切ないことです。そして実にもったいないことです。やりとりにかけているエネルギーが大気に放射されるだけで、残るのは相手に対する絶望だけです。「何を言ってもわからん奴はいるんだよ」というニヒリズムが、人々のなおも話し続けようという気持ちにフタをします。
私はあの震災直後に、政治を語る言葉の切り分けができておらず、人々がてんでに勝手な意味を込めて言葉を投げ合っている事態が気になって、政治の言葉の交通整理のような本を書きました(『静かに「政治」の話を続けよう』、亜紀書房)。そして、今気になっているのは「なおそれ以前のそもそも話ができていない」ということです。政治をめぐる「国家」「憲法」「外交」「政治責任」「サヨク」「民意」といった言葉の切り分け作業の後には、さかのぼって「そもそもの政治」の意味を切り分けておかねばならないと思ったのです。「リベラルってみんな使うけどそもそもどういう意味よ?」と同時に、「そもそも政治ってどういう意味で使ってるのよ?」という話です。これをやらないと私たちが世界を考える豊かなエネルギーを効率よく民主政治の燃料庫におさめることができない気がしたのです。この本が生まれた理由はそこにあります。
しかし、だからといって、この本は、奇特にも読んでくれたみなさんが政治に積極的にコミットするようになることを直接の目的にしていません。「政治にコミットするということは政治家になるということとイコールじゃありませんよ」というところから始めなければならないからです。読んだからといって安全保障や選挙制度や憲法改正や特定秘密保護法の議論に直接役に立つ情報も提供されません。そもそも「政治」と聞いてこわばってしまう身体をどうするかという話が先決だからです。ましてや「意識高い系(笑)」になるわけでもなく、急に「オレ政治に今ちょーガチなんすよ」となる保証もありません。意識の高い人たちはこの本みたいにくどくどした説明よりも、短いポエムを愛しているからです。
つまりこの本は、政治についての「即戦力」にはなりません(キッパリ)。
でも政治についての言葉とイメージは一〇倍増となります。それだけはお約束します。ものを考えるのに最初に必要なのはイメージではなく言葉であって、言葉に媒介されないイメージは霞のような印象に過ぎず、瞬時に消えます。イメージは重要ですが、でもイメージだけではいけません。あくまでも「言葉とそれが生み出すイメージ」のセットです。それがあれば、とりあえず人間は自分の頭でものを考えることができます。これは政治についてものを語る際の揺るぎようのない大前提です。
少々まわりくどいことがこの後にたくさん書いてあります。最初は、政治の舞台で踊る私たち人間に与えられている条件を確認し、それを踏まえて出発の定義を考えます。第Ⅱ部では、政治についての頑な誤解と思い込みを解きます。第Ⅲ部では、政治の本質に迫る先人たちがもたらしてくれた五つの視点を紹介します。そして最後に、自分の頭でものを考え、等身大で政治の実践を図るためのいくつかの提言をします。
いずれにせよ、「政治はウザい」とか「政治はヤバい」という幼児語から一歩でも抜け出て、新しい言葉とイメージを獲得していただくために、淡々とお付きあいいただければ幸甚であります。そして、この本の「おわりに」で、もし最初の七つの例文それぞれの意味の違いを上手いこと示すことができ、「ほぉ、そういうことだったのね」と思っていただければ、この本で私がするべき仕事はまあまあ成功したことになるでしょう。
もちろん必ず成功すると信じております。なぜならば、この本を手にしてくださった人々に潜んでいる「名づけようもない底力」を私は信じているからです。信じることには根拠などありません。この根拠のない自信が、この本を書くことのできた最大のエネルギーです。だから普通は「おわりに」に書くことですが、正直に最初に言っておきます。
みなさん、ありがとうございます。
それじゃ、始めます。
上記内容は本書刊行時のものです。