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芸能入門・考 小沢 昭一(著) - 明石書店
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芸能入門・考 (ゲイノウニュウモンコウ) 芸に生きる (ゲイニイキル)

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発行:明石書店
四六判
272ページ
並製
定価 1,800円+税
ISBN
978-4-7503-3801-9   COPY
ISBN 13
9784750338019   COPY
ISBN 10h
4-7503-3801-X   COPY
ISBN 10
475033801X   COPY
出版者記号
7503   COPY
Cコード
C0370  
0:一般 3:全集・双書 70:芸術総記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2013年4月
書店発売日
登録日
2013年4月25日
最終更新日
2013年9月2日
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紹介

社会の最底辺で厳しい差別を受けながらも、それを逆手にとって民衆の生活に豊かな潤いを作りだしてきた日本の芸能。猿楽能、大道芸、放浪芸など、生活と労働に根差した芸能の原初の姿を追い求めて全国各地を歩き、その根源に迫る。

目次

 まえがき(土方鉄)

第一章 民衆の芸能をたずねて(小沢昭一)
 大道芸人のメッカ、大津
 芸能の源を探る
 全国各地を歩いて
 才蔵役苦心談
 「猿まわし」復活

第二章 芸能の底流(土方鉄)
 その1──夢で見てさえよいとや申す
 その2──飴色の四ッ竹も虫くいとなり
 その3──早くいにたい巡礼橋こえて
 その4──雪もちらつくし子も泣くし
 その5──ほんまに歌うことが好きですねん
 その6──念仏くどきにのせまして
 その7──役者・川浪正二郎のこと

第三章 差別と大衆文化──中世賤民文化の遺産をうけつぐもの(土方鉄)
 放浪芸の祖・乞食者
 太郎冠者からの視線
 弱者へのいたぶりを笑う
 すさまじい説経のドラマ
 現代芸能の堕落
 大衆文化の核に賤民の伝統を

第四章 芸能と被差別(小沢昭一・菅孝行)
 芸能者の営業原理を考えてみたい
 ストリップのお姉さんは芸能の原点に立つ
 “新玄人”像を作りたい
 被差別をバネにしたエネルギー
 変わる芸能者の条件
 滅びつつある諸芸能
 権力と民衆の間で
 被差別者が作ってきた日本文化
 天皇制の根っこを掘り崩す

第五章 芸人バンザイ(小沢昭一・土方鉄)
 芸能史をたどるための重し
 九州の役者村
 意欲的な世襲を考えてみたい
 好きにならざるをえなかったということ
 放浪芸人の知恵
 大道芸をいまに生かすために
 芸にまつわるつらい記憶
 価値観から変える
 桑名太神楽を迎える土壌
 アイヌ文化はいま
 芝居小屋と客
 カブキものの精神を鑑に

 あとがき(小沢昭一)
 初出一覧

前書きなど

まえがき

 芸能の世界は、一見したところ繁栄しているようにみえる。テレビやラジオのスイッチをいれると、漫才や歌番組がとびだしてくる。「連ドラ」とよばれるドラマも、多くの時間帯をしめている。ニュースショーや、クイズ番組と、実に多種多様で、そこには、数多くの芸能人が活躍している。その様をみている限りにおいて、芸能界の繁栄を錯覚させるものがある。
 しかしながら、はたしてこの状態を、芸能界の繁栄といえるだろうか。私には、そうは思えないのである。
 たとえば、落語は江戸庶民の、笑いとかなしみを伝える、古典的話芸である。ところが、いまのブラウン管にうつしだされる落語家たちは、いわばタレントであって、芸人ではないように思える。修行をつんできた本芸ではなく、司会や、ドタバタ劇を演じたり、へたな歌をうたったりしている。それでいて、人気絶頂などと、うかれているのだから、救われようがない――と思えるのだ。
 あるいは、テレビドラマなどをみていて感じることは、演技力の低下である。歌舞伎役者や、新劇俳優や、映画俳優などなど、本来、同じ舞台にたたない人びとが、質のちがう演技をあつめて、ひとつのドラマをつくりださねばならないのである。このことは、本来、新しいドラマをつくりだすチャンスで、なければならない。その質のちがう演技なり、あるいは劇団のカラーをこえて、創造力にみちたドラマをつくりあげているなら、テレビの功績は大きいといわねばならない。しかし、実際は、緊張した演技と演技のぶつかりあいはみられず、低い演技者の芝居に、均質化していく傾向がみられる。
 どう考えても、ブラウン管の、華ばなしい映像とは逆に、芸能の質の低下はおおいがたいように思えるのである。それは、なんといっても、演技者が生きた観客を前に、演じないというところからきていよう。それともう一点は、テレビのもつ商業主義にもとづいているからであろう。
 よくいわれるように、テレビの普及は、大道芸や、放浪芸の人びとや、旅まわり一座などを、事実上放逐してしまった。これら、民衆に生き身の芸をみせていた人びとが、姿をけすようになったのは、時代の移り変わりとはいえ、残念のきわみである。
 私は最近、インドへいってきたが、そこで素朴な大道芸をみるチャンスにであった。
 猿まわし、熊つかい、コブラつかい、太鼓たたき、街頭奇術(布におおわれた体が宙に浮いた)、軽わざ(幼女を竹のさきにくくりつけ、それをアゴで支えた)などである。
 私は、それらをみて、生きた人間の演じる生活のための芸の、必死のおもいに、心がゆれ動いた。私は、彼らが、インドにおける被差別カーストの人びとであることを知っていたから、その思いはよけいに強かったのかもしれない。
 芸能の原初の姿は、こうした姿であった。そして、それはインドに限らず、わが国においても同様であった。しかも、テレビが出現するまでは、そうした大道芸、放浪芸は、たやすくみられたものであった。
 さらには、民衆がうたう民謡や、民衆がたのしむ踊りなどの、生活と労働にむすびついた芸能が、大きな裾野をつくっていたのである。その裾野がひろいほど、専門芸人の芸もまた、その結晶度を高めるという関係にあったと思うのだ。
 今日の、わが国の芸能の貧困は、こうした関係が、失われたことによるといっていいだろう。そして、失われた原因は、農業労働の機械化の進行と、テレビの出現によることはあきらかである。
 こういう芸能の情況にあって、蘇生の道はあるのだろうか。
 もちろん、その道を、私などがあきらかにできるわけはない。しかしながら、芸能の原初・原点に戻って、たしかめなおすことが、その第一歩であろうことだけは、私にもみえるといって、いいだろう。小沢昭一さんが、芸能の原点を求めて、全国を歩きまわっていたのも、実は、そこに目をすえたからであったろう。
 そうした時、私なりに、その原点をさぐってみるチャンスを与えてくれたのは、その小沢昭一さんであった。私はその一端を、この本に収めることができて、かつて取材した人びとと再会するような喜びを味わうことができた。なお、文中の登場人物の年齢は執筆当時のものだが、あえて訂正せずにおいた。
 本書は小沢さんの講演、小沢さんと菅孝行さんとの対談、小沢さんと私との対談に、私の右の文章をそえて、『芸能入門・考』とした。この書名は、小沢さんがつけた。
 本書が多くの読者とともに、芸能について考えあう機会になればと切に思う。

   一九八一年四月 土方鉄

著者プロフィール

小沢 昭一  (オザワ ショウイチ)  (

1929年、東京に生まれる。俳優。新劇・映画・テレビ・ラジオで幅広く活躍。民衆芸能研究にも力を注ぎ、それぞれの分野で数々の賞を受賞。著書に『ものがたり 芸能と社会』『放浪芸雑録』(以上、白水社)『小沢昭一──百景』(全6巻、晶文社)『俳句で綴る変哲半生記』(岩波書店)など、CDに『夢は今もめぐりて──小沢昭一がうたう童謡』(ビクター)『唸る、語る、歌う、小沢昭一的こころ』(コロムビア)など、著作多数。2012年、逝去。

土方 鉄  (ヒジカタ テツ)  (

1927年、京都市の被差別部落に生まれる。作家。元「解放新聞」編集長。『地下茎』(三一書房)で新日本文学賞を受賞。他著書に『侵蝕』(合同出版)『被差別部落のたたかい』(新泉社)『狭山事件考』(論樹社)『解放文学の土壌──部落差別と表現』(明石書店)『小説 石田波郷』(解放出版社)など。2005年、逝去。

上記内容は本書刊行時のものです。