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女子プロレスラーの身体とジェンダー
規範的「女らしさ」を超えて
- 出版社在庫情報
- 重版中
- 初版年月日
- 2013年3月
- 書店発売日
- 2013年3月29日
- 登録日
- 2013年3月29日
- 最終更新日
- 2013年6月6日
書評掲載情報
2013-06-09 |
朝日新聞
評者: 水無田気流(詩人、社会学者) |
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紹介
女性は「理想の女性身体」を目指すよう奨励される一方で、身体的力の獲得は求められていない。ジェンダー化された社会からの解放の方途として、規範的女性像とは異なる方向に自己を変容させている、女子プロレスラーの身体の在り方にその可能性を探る。
目次
はじめに
第1章 女性の身体とジェンダー
1.なぜ女子プロレスラーの身体なのか?
2.本書の概要
3.研究方法
第2章 女子プロレス興行の特徴と軌跡
1.女子プロレスの興行
2.プロレスの闘いとは何か?
3.日本の女子プロレスの歴史性的見世物から「リアル・ファイト」へ
4.世界の中の日本の女子プロレス
第3章 プロレスラーになる夢――オーディション合格を目指して
1.なぜ彼女たちはプロレスラーを目指したのか?
2.プロレスラーになることへの障害
第4章 プロレスができる身体への変容
1.女子プロレスラーの身体的特徴
2.練習生から新人レスラーになるまでの身体変容過程
3.デビューまでの身体の変化と自己認識
4.新人レスラーの試練
5.プロレスができる身体への自己認識
6.自信の源泉としての身体
第5章 闘う技能が生み出すもの――自己防衛への応用
1.規範的な女らしさとしての身体的脆弱性
2.自己防衛訓練による身体的脆弱性の変容
3.闘う技能と身体的脆弱性
4.レスラーの語りから生じた新たな疑問
5.プロレスの闘いの特殊性と自己防衛
6.闘う技能の獲得による身体的脆弱性の変容
第6章 演技としての女子プロレスとジェンダーの変容
1.セックス・ジェンダー体系とジェンダー秩序
2.異性愛のジェンダー秩序と理想の身体
3.スポーツにおける規範的な男女の身体
4.ジェンダーによる規範の再生産と変容
5.プロレスにおける演技
6.ジェンダーによる規範からの考察
7.複雑な混合物としての女子プロレス
第7章 力を獲得する身体と挑戦される身体
1.先行研究が示す身体活動が女性に与える影響
2.女子プロレスラーが獲得したもの
3.ジェンダーによる規範からの挑戦
4.先行研究と女子プロレスラーの認識の比較
5.エンパワーメントとしての身体的強さの獲得
6.理想の女性身体からの挑戦
7.男性に間違えられる身体
8.女子プロレスラーの身体的対抗
第8章 身体変容と身体フェミニズム
1.女子プロレスラーの身体が明らかにしたこと
2.身体的エンパワーメントと身体フェミニズムの可能性
おわりに
資料 インタビューにおける質問項目
引用・参照文献/資料一覧
索引
前書きなど
はじめに
私がジェンダー概念を身体との関係から考えるようになったのは、Martha McCaugheyの著書、Real Knockouts: The physical feminism of women's selfdefense(1997)に出会ったことが直接的なきっかけである。彼女によると、女性の身体は、ジェンダー化された身体の社会化、制度としてのスポーツ、女性の身体的弱さを支持する言説によって脆弱にされ、力を削がれている。しかし、女性はその弱くなった身体に力を取り戻すことができる。その一つがselfdefense(自己防衛)であると彼女は主張している。私はこの主張に強い衝撃を受けた。なぜなら、私自身、女性は身体的力では男性には敵わないとどこかで信じていたからである。だから、女性の身体が弱いのは生まれつきであり、男性からの暴力を常に警戒して生活するほかないと思っていた。しかし、女性の身体のあり方は社会によって作り出された現実であり、社会によって作られた以上、また社会によって変えることができるとMcCaugheyは主張している。
彼女の著作に出会ったことによって、それまで日本社会におけるジェンダーと労働について研究していた私は、研究分野を劇的に変え、どのように女性の身体が構築され、それがどのような結果を生み出しているのかを考察するようになった。私がなぜMcCaugheyの主張に非常に影響を受けたのかというと、それは私が1990年から腰痛持ちになってしまったからである。特に、その後の3年間は腰痛のため、1時間以上座っていることができなかった。その頃私は大学院に通っていた。私が留学していたアメリカの大学院の多くの授業は、1時間半実施し、10分休憩をとり、その後1時間半続くという長丁場だった。当然座り続けていられないので、教授に許可をとり、1時間経過したら、そっとノートを抱えて椅子の後ろに立って、壁にもたれながら講義や議論を聴いていた。最初は不審がって私を見ていた他のアメリカ人の学生の中から、ずっと座っていると疲れるといって、私と同じように途中で立ち上がる学生が登場したのはとても有難かった。
この時、私は健康な身体がなければ、勉強するという精神的な活動ができないのだということを身にしみて知った。また、身体的に自分が思うように勉強できないことが、博士論文を書き上げるという精神的な意欲をも低下させることを実感した。そこで腰痛を克服するために、私は毎日歩くようになった。腰痛持ちの教授の一人が、歩くことを私に勧めてくれたのがきっかけだった。歩くようになってから、次第に腰痛が緩和されていった。腰痛が緩和されると、少しずつ長い時間机に向かうことができ、これなら博士論文を書き上げられるかもしれないと再び希望を持てるようになった。
この身体的な痛みの経験から、私は身体の重要性や、精神と身体が実は密接に結びついていることに気づくことができた。逆に言うと、私が腰痛持ちにならなければ、身体の重要性について関心を払うことはなかったかもしれない。そして、もし私たちがジェンダー化された社会からの女性の解放を考えるなら、私たちは女性の精神性ばかりではなく、身体性をも考慮すべきだと考えるようになった。女性の身体に関わる問題を探求し、その解決策を見つけるために、私は日本の女子プロレスラーの身体をジェンダーの視点から研究することにしたのだ。なぜ女子プロレスラーなのか? という疑問には、第1章でお答えしたい。
上記内容は本書刊行時のものです。