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多民族国家シンガポールの政治と言語
「消滅」した南洋大学の25年
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2013年3月
- 書店発売日
- 2013年3月20日
- 登録日
- 2013年3月27日
- 最終更新日
- 2013年3月29日
紹介
シンガポール華人の華語高等教育機関をという願いから開学した南洋大学。だが、英語を実質的な国語とする政府の方針で、1980年にシンガポール大学に吸収された。本書は南洋大学の開学から消滅の過程を通じ、多民族国家の政治と言語の葛藤を明らかにする。
目次
はじめに
1.本書の課題
2.本書の意義
第一章 マラヤ・シンガポールの華人社会と南大の創設
1.戦前のシンガポールの華語教育
2.戦後の政治状況と華語教育
(1)「マラヤの春」
(2)華語教育の衰退
(3)レンデル憲法と一九五六年教育白書
3.南洋大学の誕生
(1)タン・ラークサイの決断
(2)「権力に祝福されない大学」
(3)南大の開学
第二章 学位承認と二つの報告書
1.財政難に陥った南大
(1)劣悪な環境での開学
(2)助け合う学生たち
2.リム・ユーホック政府と南大
3.プレスコット評議会報告書
(1)評議会の結成と報告書の概要
(2)華語派華人の動揺
4.人民行動党政府と評価委員会報告書
(1)人民行動党
(2)評価委員会報告書
第三章 南大の改革と再編──南大課程審査委員会報告書
1.マレーシア連邦結成と「追いつめられる」南大
(1)マラヤ連邦への統合問題
(2)「追いつめられる」南大──一九六三年総選挙
(3)タン・ラークサイの市民権奪
2.南大の改革──南大課程審査委員会報告書
(1)新理事会の結成
(2)南大課程審査委員会報告書
(3)報告書への大規模な反発
(4)南大最後の抵抗
第四章 南大の「消滅」と「英語国家」へ向かうシンガポール
1.二言語政策と南大
2.学位承認
3.英語大学への転換
(1)教育言語の転換
(2)ジョイント・キャンパス
(3)華字紙の沈黙
4.南大の「消滅」
(1)リーの提案と大学存続をめぐる議論
(2)南大の「消滅」
(3)マレーシア華人社会の強い反対と怒り
5.「英語国家」へ向かうシンガポール
第五章 華語奨励運動と南大の復権
1.「華」への回帰
2.南大再評価と復校、復名
(1)復名運動
(2)南大精神
おわりに──「神話」となった南大
参考文献
あとがき
前書きなど
はじめに
(…前略…)
2.本書の意義
南大を語ることはシンガポールでは長いあいだ「タブー視」され、南大開学に至る経緯や創設者と支持者の貴重な演説、献金した団体と人びとの名前を残すために編集された『南洋大学創校史』(南洋大学執行委員会編、一九五六)以来まとまった資料集は出版されず、研究も行われなかった。それは、一九五九年の自治権獲得にともなう総選挙で勝利し、現在まで一貫して与党の地位にある人民行動党が、野党であった一九五〇年代には南大創設を支援したにもかかわらず、自治から独立に向かう状況のなかで徐々に方針を転換し、南大を強引に再編、一九八〇年には「消滅」させたからである。
シンガポールがイギリスから内政自治権を獲得した一九五九年から九〇年まで首相、その後も上級相、顧問相として二〇一一年まで内閣に留まって絶大な権力を行使しつづけたリー・クアンユー(李光耀、Lee Kuan Yew)は、二〇一二年に出版した回顧録の第三章を南大に割いている。彼は「南大は最初から失敗を運命づけられていた。歴史の流れに逆らって創設された大学であった。共産中国の影響力が南大を通して華人に及び、親中国の若者を生み出すことを恐れたため、地域を支配する大国イギリスとアメリカが大学の創設を認めない結果になることを、創設者タン・ラークサイは予測できなかった。タンはさらに東南アジア諸国の国内政治も理解できなかった。親中国のビジネスマンによって創設された大学は、最初から近隣諸国に疑惑の眼で見られた」「南大は一九七〇年代中葉まで二言語で教育を行うことを拒みつづけた」と述べている。これがほぼシンガポールにおける南大の評価である。創設者と学生の多くは共産党の影響を受け、国民統合を阻害した大学と見なされてきた。
しかしながら、二〇〇〇年代に入ると、南大卒業生を中心とする華語派華人、とくにマレーシア各地の南大校友会が中心となって散逸していた南大史資料を収集し、卒業生のエッセイとともに出版、それとともに南大の記憶が掘り起こされ、研究や再評価が少しずつ始まった。第二代首相となったゴー・チョクトン(Goh Chok Tong)が、リー時代との差異を強調すべく「国民との対話重視」を打ち出したことや、シンガポールで徐々にではあるが進む民主化が、南大の史資料収集と研究への動きを後押ししている。リー・クアンユー元首相が回顧録のかなりのページを南大に割いたのは、近年の再評価の動きに対して、自分が南大を「消滅」させたことは間違っていなかったと改めて力説したかったからであろう。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。