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会いたい
自死で逝った愛しいあなたへ
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2012年8月
- 書店発売日
- 2012年8月26日
- 登録日
- 2012年8月10日
- 最終更新日
- 2012年8月22日
紹介
年間3万人を超える自殺者のかげには300万人の自死遺族がいると言われる。遺族の悲しみは支援によってなくなるわけでなく、自死によって逝ってしまった者に「会いたい」という思いが募るばかりだ。「会いたい」気持ちを綴った残された者たちの感動の手記。
目次
はじめに
第1章 会いたいね
会いたい(一人息子を亡くした母:竹井京子)
逢いたいよ(夫を亡くした妻:いしだりえ)
笑ってよ、ひまわりのようなあの笑顔で(次女を亡くした母:寺尾真澄)
たまには、うちにも帰っておいでよ(息子を亡くした母:吾郷ふみこ)
ごめんね(夫を亡くした妻:森田貴代美)
寂しいです、会いたいです(息子を亡くして1カ月の母:S・K)
あなたの喜ぶ顔が見たくて(一人娘を亡くした母:美子)
君のこと、一日として思わない日はありません(二男を亡くした母:三上なつよ)
遺された物への追憶(息子をなくした母:K・M)
帰ってきてよ、父母のところへ(息子を亡くした母:N・K)
第2章 愛を、ありがとう
大好きな妹へ。(妹を亡くした姉:あおきるみ)
絆(次女を亡くした母:寺尾真澄)
パパ、そらでもがんばってね(夫を亡くした妻:佐藤しゅん)
愛を、ありがとう。(母を亡くした息子:伊藤哲)
ずっとそばにいてくれてありがとう(息子を亡くした母:坂本祐子)
お母さんの短歌、届いていますか(息子を亡くした母:M・K)
お母さんの子どもでよかった(母を亡くした息子:佐藤公生)
母との心中を決意して(母を亡くした娘:寿美子)
第3章 悲しみは愛しさ~Grief is Love
私から「悲しみ」や「愛しさ」を奪おうとしないで下さい(夫を亡くした妻:佳苗)
夫のいない人生(夫を亡くした妻:厨子麗子)
生きていればいいのです(息子を亡くした母:静子)
私たちの気持ち(一人息子を亡くした母:竹井京子)
恨む心(一人息子を亡くした母:竹井京子)
「亡き子」へのおもい(息子を亡くした母:K・京子)
お母さん、幸せですか?(母を亡くした息子:安達健太郎)
娘に命を引き継いだ息子(息子を亡くした母:都わすれ子)
家族の思い(娘を亡くした母:博美)
我が子は母のいのち(息子を亡くした母:大森郁子)
悲しみをわかちあう(息子を亡くした母:栄子)
母の短歌~大学生の息子を亡くして(長男を亡くした母:無限夢幻)
悲しい(息子を亡くした父:S・O)
いのちって……生きる価値を見失った俺(兄を亡くした弟:かとう)
あんちゃん、俺は認めないぞ!(兄を亡くした37歳の弟:K・T)
じゃ、また会う日まで(兄を亡くした弟:Y)
泣きたいときは泣けばいい(妻を亡くした夫:平田)
悲しみを乗り越えて(二男を亡くした父:石野賢吉)
父の写真(父を亡くした息子:三原勇)
第4章 苦しみ、悲しみをわかちあう
バカな母です許してください(息子を亡くした母:けいこ)
死にたい 生きたい(息子を亡くした母:真奈美)
「助けて」って言ってほしかった(息子を亡くした母:桑原正好)
大輔への手紙(弟を亡くした兄:桑原健太)
守ってあげられなくてごめん(息子を亡くした母:青木恵理子)
圭輔の苦しみ(息子を亡くした母:青木恵理子)
いじめ自殺の真実を知りたくて(娘を亡くした母:渋谷真理子)
いじめで2人の娘を亡くして(娘を亡くした父:千葉勉)
会わせあげたい、会わせてあげる(娘を亡くした母:Y・K)
嫁いだ娘を遺骨で返されて(娘を亡くした母:N・K)
真実を知りたい(妻を亡くした夫:K・Y)
「タラレバ」(娘を亡くした母:米山容子)
なぜお父さんが……(夫を亡くした妻:中鉢寄子)
法の壁(息子を亡くした父:足立昇)
息子への手紙を読み返して(息子を亡くした母:田中幸子)
全国の自死遺族が運営する「わかちあい」グループ
前書きなど
はじめに(田中幸子:全国自死遺族連絡会)
悲しみもまた私のもの……。
グリーフケアは要らないという声が自死遺族にはある……。
そして、会いたい……。
遺族はいつも亡くなった家族に会いたいと思っている。遺族の気持ちはこの一言がすべてだといっても過言ではありません。
亡くなった愛しい大切な家族に会いたい、同じ思いを抱えている遺族にも会いたい、そう思って日々過ごしています。同じ悲しみ、同じ苦しみ、同じ喪失感、そんな気持ちを「わかちあい」、共に支えあい、遺族自身がまず元気に生きて行くこと、そして失われた命の意味を伝えることで、亡くなった人の命を活かし、今を生きている人たちに生きることの意味を感じてもらえたらと思っています。
これまでの自死遺族の本はそのほとんどが支援者からの目線によるものでした。そこでは「自殺」という言葉が必ずといっていいほど使われますが、「自殺」という言葉には鋭いトゲがあり、その言葉に遺族は傷ついてきました。ほかならぬ私もその一人です。この言葉は亡くなった人の命の尊厳を損い、罪人のようなイメージさえあり、遺族が家族の死を語れない要因にもなっています。
「自殺者遺族」という言葉で括られている人たちが毎年20万人新たに生まれているとも言われて14年目の日本。その数およそ280万人。自らを殺したのではなく、死なざるを得ないほどの苦しみの選択だったことへの尊厳を込めて、病死、事故死、突然死、犯罪死と同じように「自死」と認めてくれる世の中になったとき、やさしい人がやさしいままで生きられる社会になるはずだと信じています。死者に鞭打つような「自殺」という言葉ではなく、「自死」という言葉を広げる活動を遺族はしています。たかが言葉、されど言葉です。人間は言葉で傷つきますが、同時に言葉によって救われるのです。
今から約7年前の2005年11月、宮城県の警察官だった私の息子は、宮城県多賀城市で亡くなりました。34歳でした。我が子を助けることができなかった母として、生きることへの罪の重さを背負いながら、かといって死ぬこともできず、生きていくことを選択したとき、同じ遺族に会いたくて、遺族だけでの語り合いの時間を持つ会として、「藍の会」という自死遺族本人の会を開催したのが、息子が亡くなって半年後でした。
それからさらに1年後に、自死遺族の自助グループとして「藍の会」が主催する講演会を開くことになり、参加者に遺族の声を届けたいという思いから冊子を作ることになりました。いざ冊子の題名を考えるとき、遺族が口癖のように口にする言葉「会いたいね」が浮かび、『会いたい~自死で逝ったわが子へ』を作成しました。最初は子どもを亡くした親5人の声を掲載し、150冊を手作りしました。これがその後も続く冊子『会いたい』の始まりです。短歌・詩・手紙・日記・壇上発言の記録・弔辞など、遺族が最も表現したい形をそのまま載せることにこだわりました。その人なりの思いを大切にしたかったからです。
冊子を無料配布しはじめてから5年、その数は6,000冊以上になり、ホームページにも掲載しました。それは自死遺族の人たちが「会」に参加しなくても、直接つながらなくても、読んでもらうことで「わかちあう」ことができ、一人ではないことを感じて、生きてもらいたいという願いからです。
苦しんでいる人には、悲しむ家族がいることを、死んで終わりにはならないこと、遺された家族は生きている限り自責の念を抱え、こころの底から笑顔になることのない人生を送ることになることを知って欲しいのです。
どうか、「助けて!」「生きたい!」「苦しい!」と家族に声を出してください。必ず助ける手立てがそばにあります。
誰もが自死遺族になるかも知れないのが今の日本であり、自分の家族が生きていることの幸せに感謝し、いのちがあって生きている……それ以上の幸せはないことに気づいてもらいたいのです。
生きていてください……ただそれだけで十分です。生きていればこそ、共に笑うことも、共に苦しむこともできます。自死遺族はいつも亡くなった家族に会いたい……それだけを願って生きています。
会いたいです……。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。