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原爆・原発
核絶対否定の理論と運動
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2012年8月
- 書店発売日
- 2012年8月6日
- 登録日
- 2012年7月31日
- 最終更新日
- 2012年8月22日
紹介
兵器としての原爆はよくないが、平和利用としての原発ならいいのか。核兵器と原発のちがいは、巨大で急激な破壊による人類の滅亡か、放射能による緩慢な生物世界の破壊かのちがいでしかない。あらゆる核は人類とは共存できないという視点に貫かれた名著の復刊。
目次
第一章 原水爆禁止運動の発生と展開
1 “死の灰”事件と初期の原水禁運動
2 民主主義運動と原水禁運動
3 原水禁運動の分裂
4 不発に終わった七〇年安保と高度成長
5 反公害と環境保護運動の発展
6 原水禁運動の内面転換
7 時代逆行の原水禁“統一劇”
第二章 核兵器の矛盾の深化と民衆運動
1 原水爆実験をめぐる論争
2 スプートニク完成とその衝撃
3 キューバ危機と核をめぐる政治
4 ABМ論争の提起したもの
第三章 混迷する原子力発電
1 原子力発電と放射能公害
2 “たそがれ時代”に入った原発
3 原子力行政への国民的不信の高まり――「昭和五一年度原子力白書」批判
4 原子力推進政策の破綻とその背景
5 プルトニウムと「超高度管理社会」――原子力の提起する新たな危機
第四章 人類を蝕む核被害の構造
1 原爆被爆者問題の今目的意味
2 見はなされてきた水爆実験の被害者――ビキニ水爆実験によるマーシャル群島の被曝調査報告
補遺 その後のマーシャルの被曝者たち
3 人類を蝕む核被害の構造
あとがき
解説(安藤紀典・井上啓)
前書きなど
あとがき
(…前略…)
ともあれ、本書は一九七〇年以降に書いたものに限ることにした。反核の運動の実践にとっては、それが必要とされていると考えたからである。
ところで本書の構成は、次のようになっている。
第一章「原水爆禁止運動の発生と展開」は、いわばわが国の原水禁運動史の総括である。運動史の全体の流れをまとめたものが他に見当たらないので収録することにした(『現代の理論』一九七七年冬季号)。
第二章「核兵器の矛盾の深化と民衆運動」は、今回あらたに書き下ろしたものである。四つのテーマを選びだした問題意識は、章のはじめの部分に書いておいたので参照されたい。この章は、単に核兵器の発達だけではなく、世界の核兵器反対運動の歴史を意識して書いている。人類は核の前で無力ではなかったことを読みとっていただければ幸甚である。また、この章と第一章を重ね合せていただければ、日本の運動と世界の運動がどのように相互関連をもっていたか、あるいはその落差が次第に大きくなってきたかも理解できると思う。本来は、この章の最後に最近高揚してきた世界の反原発の運動を入れるつもりだったが、これは時間切れとなった。いずれ他の機会に穴埋めをしたい。
第三章「混迷する原子力発電」は、「平和利用」の核エネルギーと原子力発電批判に関連した論文を集めた。
(……)
第四章「人類を蝕む核被害の構造」は核による被害に総合的にアプローチしようとした。
「原爆被爆者問題の今日的意味」はこの本のために書き下ろした。読みかえしてみると舌足らずのところが多いのが気になる。とくに朝鮮人被爆者問題とともに差別された沖縄の被爆者の実態と国の責任について触れられなかったのが心に残る。これは必ずや、どこかでその責を果たすつもりでいる。原爆被爆者問題で私が寄与したことがわずかでもあったとすれば、「保健手当」の新設を運動のなかでかちとったことである。これは厚生省の頑迷な官僚たちを放射線論争の場にまきこむことによって初めて可能となったものである。当時、厚生官僚は放射線被曝問題についてはほとんど関心をもっていなかったし、野党の議員も余りにも不勉強であった。私の立てた作戦は、少線量被曝、微量放射線の危険性を明らかにすることによって、現行の「原爆医療法」「特別措置法」の不備を赤裸々に示し、被爆者に対する政府の態度転換を迫ることであった。結果的には遅ればせながらこの論争に政府が乗ってきたのだった。一九七五年の「保健手当」新設はこうして実現した。もちろん“二五レム以下”は見棄てるという無茶な発想がかれらに残っているのであり、この論争はこれからが本番と言えるかも知れない。
「見はなされてきた水爆実験の被害者」は、私が企画し、参加したマーシャル群島の被爆者の調査のレポートであり、かつて原水禁国民会議からパンフレット形式で発表したもの。このレポートは一九七一年の暮に書いたものゆえ、情報としての価値はもはやそれほど高いものではない。その後ミクロネシアを訪れた多くのジャーナリスト、活動家などが最近の被曝者の実態を報告しているからである。だが、私にはこの報告書は思い出の多いものの一つだ。この調査が行われたことが嚆矢となって、ミクロネシア人の水爆実験の被害が世界的にクローズアップされることになったし、今日に及ぶ被害の深刻さが知れわたるようになった。同時に、私はこの調査に参加することによって放射線被曝の重大さをいよいよ強く実感できるようになった。なぜなら、広島、長崎の被爆者と違い、マーシャルの被曝者は熱線や爆風による被害はなく、ただ単に“死の灰”を浴び、放射線を受けたために生じた障害である。いわば純粋な放射線被曝事件なのである。この被害が一七年を経てもなお人間を蝕み続けていたのであった。
私がその後、原爆被爆者問題で厚生官僚と放射線論争をすることを決心させた動機のかなり重要部分をこの調査が占めている。さらには、反原発の運動を発展させなくてはならないという意識形成にもこの調査が貢献している。その後、ビキニ環礁の放射能汚染の分析への着手、ミクロネシア議会への勧告書の発送といった活動を続けてきたのも、この調査があったればこそである。この過程でもアーサー・タンプリン博士にはいろいろとお世話になった。彼の反核の情熱は思い起こすだけでも心温まる。また、ミクロネシア下院議員のアタジ・バロス氏の現地における奪闘がなければ、私たちの調査も実現しなかったことであろう。これまた忘れられない思い出である。
「人類を蝕む核被害の構造」は『軍事民論』(一九七八年四月)に発表したもの。軍事用であれ、平和利用であれ、核エネルギーを利用しようとする限り、“死の灰”は地球という環境を破壊せざるをえない。だがこのことの意味がまだ十分に知らされていないのではないのか、というのがこの論文を書いた動機である。これは核実験論争以来依然として続いている人類の避けては通れない問題なのである。
人類のおかれた状況を明らかにした上で、新しい核軍縮論を書きたかったが、これまた準備不足で果たせなかった。この点は読者の皆さんにお詫びする以外はない。
(……)
一九七八年五月七日
上記内容は本書刊行時のものです。