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年譜で読むヘレン・ケラー 山崎 邦夫(編著) - 明石書店
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年譜で読むヘレン・ケラー (ネンプデヨムヘレンケラー) ひとりのアメリカ女性の生涯 (ヒトリノアメリカジョセイノショウガイ)

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発行:明石書店
A5判
256ページ
上製
定価 2,500円+税
ISBN
978-4-7503-3430-1   COPY
ISBN 13
9784750334301   COPY
ISBN 10h
4-7503-3430-8   COPY
ISBN 10
4750334308   COPY
出版者記号
7503   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2011年7月
書店発売日
登録日
2011年8月1日
最終更新日
2012年4月11日
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紹介

南北戦争の傷跡が残る時代に生まれ、公民権運動の時代にこの世を去ったヘレン・ケラーの生涯を、多量の英文資料から掘り起こす。1937年のケラー来日時に直接出会った著者が生涯をかけて研究したアメリカ女性の生涯と当時のアメリカ社会を克明に記録した労作。

目次

 まえがき
 凡例

第1章 1784~1860
第2章 1861~1879
第3章 1880~1886
第4章 1887~1892
第5章 1893~1899
第6章 1900~1910
第7章 1911~1918
第8章 1919~1929
第9章 1930~1939
第10章 1940~1945
第11章 1946~1959
第12章 1960~1968
終章 ヘレン・ケラー死去以後

 参考文献
 付録1 ヘレン・ケラーの日常生活から
 付録2 ヘレン・ケラーと私
 あとがき

前書きなど

 まえがき

 (…前略…)

 本書ではヘレン誕生に至る約80年のアメリカの歴史と盲人の教育や福祉の誕生とそれに携わる人々の姿を最初の2章でたどります。そしてヘレンの誕生から24歳で大学を卒業するまでの約25年間を第3章から第6章の半ばまででたどります。大学卒業後、ヘレン・ケラーは篤志家や企業家の支援を受けながら社会生活を続けます。アメリカが経験する歴史の流れをヘレンも免れることはできません。サリヴァン先生はヘレンと同居しながら、ジョン・メーシーと結婚します。ヘレンは社会主義者となり、社会党に入党して、労働運動、女性や黒人の解放、盲・聾者の救済や失明予防運動に活躍し、講演や執筆はもちろん、街頭行動にも参加します。第1次世界大戦が始まると戦争反対運動に加わります。サリヴァンとメーシーの結婚生活に亀裂が生じた頃、ポリー・トムソンがヘレン・ケラーの家政婦兼秘書となります。
 1920年代のアメリカは禁酒法の時代で、空前の好景気に沸いています。ヘレンは有料の講演会や映画に出演したり、旅まわりのショーの一座に加わって生活費を稼ぎ、全国各地を訪れ、人気を高めていきます。1920年代初め、アメリカ各地の盲学校や盲人関係の団体の指導者たちが集まって、視覚障害者に関わるあらゆる課題に統一して取り組もうという機運が高まります。その結果アメリカ盲人援護協会が誕生します。援護協会の活動には多額の資金が必要であり、拠点作りのためにも巨額の募金が必要でした。設立に参加した人々は応分の寄付をしましたが、全国的な名声と人気のあるヘレン・ケラーとアン・サリヴァンに協会への参加を求めます。初め、ヘレンたちは協会の担当者とともに各地を訪れて募金を呼びかけますが、やがて募金は郵便や新聞を利用する方向へ移っていきます。1929年10月、ニューヨークの株式市場で株価の大暴落が起こり、それがきっかけとなって世界的な大恐慌が始まります。アメリカ市民の目からヘレンの姿が見えにくくなったのはほぼこの時期からと言えるでしょう。ヘレンが50歳に至る国内での活動時期を本書は第6章後半から第8章でたどります。
 大恐慌で苦しむ1930年代のアメリカはルーズヴェルト大統領の下、一種の社会主義体制とも言われるニューディール政策によって国の再生を図ります。ポリオで障害を負ったルーズヴェルト大統領に、ヘレンは社会の底辺で苦しむ障害者を救済するよう強力に働きかけます。
 他方、1930年代初めから、ヨーロッパではドイツのヒットラーを首班とするナチスが台頭して、周辺諸国に軍事的脅威を与え始めます。ヘレンは多くの人々とともにナチス政権に鋭い批判を加えます。
 この時期のヘレンの活動は、援護協会をよりどころに進められますが、アン・サリヴァンの視力は衰え、病気が進みます。ヘレンとポリーが衰えゆくアンを支えますが、1936年、アンは世を去ります。翌1937年4月、日本の視覚障害者の先達の1人、岩橋武夫の熱意に応えて、ヘレンとポリーは、サリヴァン先生を失った悲しみを乗り越えて、第1回の日本訪問を行います(そのとき、サリヴァン先生がヘレンとともに来日したという人々や本までありますがまったくの誤りです)。
 1937年7月、日本は中国大陸に全面的な軍事進攻、ヨーロッパではナチスドイツが周辺諸国に侵略を始めます。60歳に近づいたヘレンは再び戦争反対の声を上げます。しかし1941年12月の日本軍のハワイ真珠湾奇襲にあたっては、先に熱い友情を結んだばかりの日本の友人たちと戦う立場に置かれ、ヘレンは戸惑うばかりでした。ヘレンは周囲の人々の勧めに応えて、戦傷病者の慰問と激励に立ち上がります。1930年代から第2次世界大戦の終結に至る激動の時期を第9章、第10章でたどります。
 第11章へ入ると、1945年夏、史上最大の戦争が、世界の荒廃と殺りくと貧困とを残して終結します。アメリカ合衆国も国土は直接の戦火を免れたとはいえ、巨額の戦費支出や多くの国民の生命を失い、多数の戦傷病者を抱えています。しかし国内の産業は順調に平和へ移行します。アメリカはともに戦った連合国はもちろん、戦場となった諸国や敵方だった戦敗諸国に対してもその復興を助け始めます。ヘレン・ケラーは設立間もないアメリカ海外盲人援護協会の要請を受けて、各国の障害者の激励運動に立ち上がります。1946年から57年に至る11年間に5つの大陸の35か国を歴訪します。これらの訪問によってそれぞれの国々の障害者や困窮者の教育や福祉にどんな施策が始まったかは、実際にはあまり明らかではありません。ヘレンが世界各地に与えた影響はこれから評価されなければならない課題でしょう。ただ私たちは1948年のヘレン・ケラーの2度目の来日で日本の障害者の教育と福祉が新たな一歩を踏み出したことを知ることができます。1957年秋、40年以上も生活をともにしてきたポリー・トムソンが病に倒れます。それまで中心となって切りまわしてきた家事とヘレンの対外的な活動のサポートからポリーは徐々に身を引き、援護協会の監督の下、他の婦人たちがヘレンとポリーを支えることになります。
 第12章へ入ると、1960年、ポリー・トムソンが世を去り、翌1961年10月にはヘレン自身も軽い発作を起こして、それを機に援護協会その他の活動から退き周囲の人たちの介護を受けながら余生を過ごします。生涯最後の日々は平和で満ち足りたものだったようですが、ヘレンの生活についてはわずかなエピソードしか、うかがうことができません。1968年6月1日午後、ヘレン・ケラーは88歳の誕生日を目前に、苦闘に満ちた、しかし輝かしい生涯を閉じます。荼毘に付された後、ヘレンの遺骨はワシントンのナショナル・カテドラルに運ばれ、追悼式の後、すでに遺骨が安置されているアン・サリヴァンとポリー・トムソンと同じ納骨所に安置されます。
 終章では、ヘレン・ケラーの死去以後、ヘレンの遺言書の執行や周辺の人たちのその後の消息のように、ヘレンに直接関係のある項目をまとめました。
 ヘレン・ケラーは前にも述べたとおり誕生間もなく盲聾の障害を負い、並々ならぬ努力にもかかわらず、口から耳への音声による意思疎通が困難でした。ヘレン・ケラーは発言や著書で「暗黒と沈黙の世界」と自分の置かれた世界を表現していましたが、こういう状況に置かれた人間の心にはどんな考えや感情が去来していたでしょうか。
 ヘレン・ケラーは非常に特殊な生活条件の下で、アメリカ合衆国あるいは世界の歴史の中に、たくましい精神と恵まれた健康体を持って生き抜きますが、ヘレン・ケラー自身のたゆみない努力とともに彼女を支えたアメリカの市民社会が重要な役割を果たしています。人間が真に人間としての生涯を送るのには、その人ひとりの努力や能力だけではなく、その人の住む社会やその人の生きる時代が支えとなり影響を与えます。その意味では、ヘレン・ケラーは19世紀から20世紀半ばにアメリカあるいは世界が育てた人間だと言えないでしょうか。その意味で私は本書では「奇跡の人」「三重苦の聖女」と敬愛されたヘレン・ケラーの生涯を後づけようとはしておりません。ヘレン・ケラーがひとりの人間として、1日、1か月、1年……と歳月を重ねて生き抜く姿を追うことに努めました。ヘレン・ケラーの生涯を正しく理解したうえで「奇跡の人」「青い鳥を見つけた少女」と呼んでください。

 (…後略…)

著者プロフィール

山崎 邦夫  (ヤマザキ クニオ)  (編著

1929年 新潟県に生まれる。
1949年 国立東京盲学校師範部甲種鍼按科卒業。
1949年 新潟県立新潟盲学校教諭。1990年退職。
1969年 理学療法士免許取得。
1990年 「新潟英語点字(Niigata English Braille)」を設立。
英語点訳者の養成と英文図書の点訳活動を推進。
長年、文学・歴史・社会・視覚障害者の教育と福祉など、アメリカ文化の研究に勤しむ。著書には、山崎邦夫・阿佐博著『ヘレン・ケラーの生涯』東京ヘレン・ケラー協会点字出版所(2000)などがある。

上記内容は本書刊行時のものです。