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韓国ワーキングプア 88万ウォン世代
絶望の時代に向けた希望の経済学
原書: 88MANWON SEDAE
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2009年2月
- 書店発売日
- 2009年2月3日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2012年1月24日
書評掲載情報
2009-03-15 | 日本経済新聞 |
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紹介
超就職難と非正規職化に喘ぐ韓国の若者。88万ウォンは20代非正規職の平均月収。――気鋭の経済学者と記者が、広がる若者ワーキングプアの実態を描いた韓国空前のベストセラー。次世代を搾取しない社会をどうやってつくるか、その処方を軽快に説く。
目次
凡例
日本語版によせて
韓国史年表/本書に登場する主な世代
推薦の辞
序文
第 I 部 大韓民国の一〇代と二〇代、彼(女)らの運命
第1章 初体験の経済学――同棲を想像できない韓国の一〇代
初体験はなぜ悲しいのか
他の先進国はどうか?
なぜ韓国では一八歳で独立できないのか?
「住む場所を見つけてから独立しなさい」
大学の授業料が表す現実
涙なしには語れない若者の「アルバイト市場」
一〇代の同棲権は「リトマス試験紙」
一三一八マーケティング:人質経済の登場
第2章 二〇代が遭遇する社会
現在の二〇代をどのように定義するか?
二〇代が遭遇する時代の条件
観察その一:遅れた成長、遅れるデビュー
観察その二:「あらゆる」と「ある」のジレンマ
変形した勝者独占ゲーム:世代内競争と世代間競争
一〇代と二〇代の運命はどのようになるのか
第II部 二〇代に呼吸孔を、一〇代に生存を
第1章 危機の二〇代――自滅か、世代搾取か?
イギリスの場合:三度のグローバル化と「二〇代のジェントルマン」
ドイツの場合:民族社会主義ユーゲントとグレーゾーン
フランスの場合:レジスタンスとコラボ、そして六八年世代
日本の場合:波瀾万丈の団塊世代
アメリカの場合
維新世代と八八万ウォン世代
全斗煥世代:三八六世代と八八万ウォン世代
X世代と八八万ウォン世代
二〇代対二〇代:八八万ウォン世代同士のバトル・ロワイアル
高卒、女性、そして蟻地獄
八八万ウォン世代と資本:「塊」
八八万ウォン世代と政治:政治マーケティング
第2章 多安性第一世代のためのクリスマス・キャロル
出発のための点検「その一」
出発のための点検「その二」
シーン1 人質経済の現場
シーン2 画一化による勝者独占の現場
シーン3 適者生存と恐竜の悲劇
シーン4 コンビニとガソリンスタンドのアルバイト
シーン5 私たちには自然がある
シーン6 芸術市場と政治市場
シーン7 韓国と中国そして日本が出会う場所
短い旅を終えて:多安性第一世代の出現を待ちながら
第3章 バリケードと投石の起源に関する考古学的で機能論的な考察
二〇代に必要なもの:自前のバリケードと石ころ
既成世代が八八万ウォン世代を迎える姿勢:「オヤジ」になってもらっては困る
八八万ウォン世代と社会の共進化
終章 「希望による拷問」を止めるために
赤い錠剤飲むかい? 青い錠剤飲むかい?
日本の非正規職はなぜ満足するのか
誰でもない者の薔薇
美しきバランスのために
訳者あとがき
前書きなど
訳者あとがき
本書は、禹熏/朴権一著『八八万ウォン世代――絶望の時代に書く希望の経済学』(レディアン、二〇〇七年八月刊)の全訳である。
原書は韓国で人文社会系の図書として異例のヒットとなり、〇八年末現在、約一〇万部刊行されているようだ。韓国の人口が約四八〇〇万人であることを考えるとベストセラーといえよう。さらには、韓国の公共放送KBSの番組『TV、本を語る』で「わが時代の論点」部門で書籍文化大賞を受賞し、『KBSスペシャル』で「二万ドル国家と八八万ウォン世代」が放映された。本書は若者の貧困・失業問題に対する社会的な関心を高める起爆剤となり、タイトルの「八八万ウォン世代」は貧困と就職難に喘ぐ今日の二〇代を示す代名詞となった。
著者は、一〇代二〇代の多くの若者に読んでもらうことを望んでペンを執り、実際、大学生など若い世代から大きな反響を得ている。この本を読んだ訳者の若い知人からも、自ら体験した就職難の思い出と重ね合わせながら、若者のワーキングプアの問題とその原因、さらにはその背景となる韓国社会の矛盾について共感しながら読むことができたという感想をもらった。
しかし若者にとって、ワーキングプアの象徴として「八八万ウォン世代」と名付けられることは、ありがたいことではないかもしれない。そのためか、「八八万ウォン世代」と呼ばれることを拒否する若者のオピニオン記事(チョン・モア「私は『八八万ウォン世代』と呼ばれるのがいやだ」『朝鮮日報』二〇〇八年八月三〇日付記事)や「シルクロード世代」という名で若者の可能性を提起しようとする本(ピョン・ヒジェ/ヨ・ウォンドン『コリアシルク世代』二〇〇八年五月刊)が刊行されるなど、若者についての論議が白熱化している。
(…中略…)
若者の生きづらさ
本書は世界各国の若者の状況を「世代間対立」から分析しており、日本の状況についても多くの紙幅を割いている。しかし、日本の若者や非正規職に関する記述は、評価の分かれるところだ。「派遣切り」や「ネットカフェ難民」などが社会問題となり、非正規職を中心とした個人加盟の労働組合運動も活発になりつつある。果たして著者が述べるように「日本の非正規職は満足している」かどうかは疑問を持たれるところだろう。とりわけ二〇〇八年一二月の状況を目にした後ならば、なおさらである。
だが、本書を日本で紹介する意義は、日韓の若者の困難の「重さ比べ」にあるのではない。むしろ私たちは「生きづらさ」や「生存」といった問題が、日本と韓国で恐ろしく類似した様相を示していることを見出すのではないだろうか。
世代間不均衡を超えて、世代間搾取という強い言葉は、まさにこの「生存」――生きるか死ぬかのライン――が、年代によって区切られてしまっていたという厳然たる事実を確認させてくれる。しかもそれは政治決断によってもたらされた人災なのではないか、という疑念を提示している。本書の言葉では、「あの時に門は閉ざされた」となるのだろうが、「門」は自動ドアではなく、誰かの手によって閉められたのである。
「格差」がこれほどまで問題となったのも、それが均質な、あるいは平等な「国民」という幻想を完膚なきまでに打ち崩したからではなかろうか。しかしここで想起すべきは、その「門」つまり、生死のラインは、性別や国籍など他の差異によっても切り分けられてきたことである。
日本で行われた大量の「派遣切り」は、「国民」のみなさんにとっては衝撃的な話だったかもしれない。しかし、「女性」や「外国人」のみなさんにとってはおなじみの話だろう。外国人労働者――決して「移民」とは言われない――は、この国で「研修生」の名のもとに時給三〇〇円以下の奴隷状態に置かれてきたし、女性はそもそも多くが非正規雇用に割り当てられてきた。
本書が「希望」として提示しているのは、一見、「国家による支援」のように思われる。もちろんそれも必要だろう。しかし、おそらく本書の「希望」は、危機の渦中にある「若者」がなすであろう選択の中身に、そして行動にかけられている。韓国は惨憺たる状況だ。しかし闘いがある。日本でも、ユーモアに満ちた闘いが、あちらこちらで繰り広げられている。知恵を出しあう暇もないほど状況は緊迫しているように思うが、本書が何らかのヒントになるだろうことを期待する。その際、人間がこのように扱われてはならない、と思うごく素朴な気持ちを、どうか忘れないでほしい。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。