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柳宗悦と朝鮮
自由と芸術への献身
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2008年9月
- 書店発売日
- 2008年9月29日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
日本の高名な美術史家・柳宗悦(やなぎむねよし)は、朝鮮民芸の美の稀有な理解者でもあった。武者小路実篤らと創刊した『白樺』誌上などで日本併合下の朝鮮の独立を訴え、ソウルの朝鮮民族美術館の設立に多大な尽力をなした。柳は朝鮮の美に何を見いだしたか。
目次
はじめに――実践の思想家、柳宗悦
第一章 心捉えた朝鮮白磁
1 自立への背景
2 朝鮮と李朝白磁への関心
3 リーチと憲吉
4 浅川伯教と数点の李朝陶磁
第二章 朝鮮「民族美術」の存在
1 朝鮮旅行一九一六年
2 石窟庵の宗教体験
3 石窟庵紹介「最始の一人」
4 朝鮮「民族美術」の探求と美術展
5 朝鮮民族美術館の設立
第三章 「民族の心」の自由と独立
1 身命を賭した柳の朝鮮弁護
2 自由を思慕する世界の思潮
3 柳宗悦と尹致昊一九二○年五月
4 勝海舟、竹添進一郎と甲申政変
5 嘉納治五郎と「自他共栄」
第四章 未来遺産「朝鮮民族美術館」
1 朝鮮民族美術館のその後と現在
2 朝鮮民族美術館の光は消えず
3 家族の回想
第五章 隣国との「永遠の平和」
1 カントの「永遠の平和」と朝鮮
2 「朝鮮の自然美」の中の真理
3 平和思想に流れる歴史認識
あとがき
柳宗悦 朝鮮関連略年譜
前書きなど
はじめに―実践の思想家、柳宗悦
(…前略…)
2
柳宗悦という人物を理解することは一見、簡単そうだが、近づくにつれてなかなか難しくなる。
柳は一般的には民芸(民衆的工芸)の美の創始者、発見者として知られ、「日本民藝館」(東京・目黒区)の創立者(一九三六年)でもある。
さらにその源を辿れば李朝期(朝鮮王朝時代一三九二-一九一○年)を中心とした朝鮮の民芸品(民衆の生活品)の収集家であり、「朝鮮民族美術館」の設立者(一九二四年)でもある。
何故、朝鮮民衆の工芸品にかくも深い関心を示し、そしてそれらを収集し、さらには美術館まで設立したのか、またなぜそこに「民族」の二文字を冠したのであろうか。
柳にとって、この「民族」の二文字は重大な意味を持ち、けっして省くことのできない理由があった。それは当時、朝鮮という民族が国権を喪失(韓日合併、一九一○年)するというかつてない国難の時代にあったことと無関係ではない。
父、柳楢悦(一八三二-一八九一年)はもと津藩士出の海軍少将であり、日本では最高の上流階級に属す人である。さらに柳は当時、最高学府(東京帝大)で学んだ教養人であり、安楽で華々しい将来が約束されていた。その柳が何故その平穏な将来を捨ててまで虐げられ、弱い立場の朝鮮の人々のために、一身を賭して、献身するようになったのであろうか。
柳の初期の代表的著作で、彼の生涯の記念碑的著作である『朝鮮とその藝術』の題名からもわかるとおり、柳の朝鮮に関する著作は、朝鮮および朝鮮民族に対する歴史的洞察と、朝鮮の芸術に対する感覚的で繊細な描写の二つの要素が必ず併存している。
柳宗悦の思想と行動は一般的に、この二つの巨大な山脈群から成り立っていると考えられる。
第一の山脈は芸術への熱情と献身の山々であり、第二の山脈は歴史に対する深遠なる思想と哲学の山々である。
芸術山脈の山々は、李朝時代の陶磁器、金工品、木工品、石工品などの朝鮮美術、木喰仏や円空仏、大津絵などの日本の隠れた古美術、また沖縄の紅型や織物、アイヌの小刀などの工芸品、台湾の蕃布や衣裳などから成っている。
この芸術山脈を形成する山脈群はいずれもそれまで世に知られず埋もれていたり、軽視されていたものを柳によって発掘・発見され世上に紹介されたものであることを一大特色とする。そして柳は、それら山々の第一の発見者であると同時に最初の頂上到達者である栄誉を永遠に担っている。
歴史山脈の核は、当時の日本の治政下にあって、「発言の自由を持たなかった人々」の代弁者として、これらの人々の心情を理解し、「誤まれる日本」を批判し続けたことである。柳は朝鮮、沖縄、アイヌ、台湾など日本によって支配された人々の立場を弁護したが、とりわけ朝鮮民族に対しては、理解とか同情とかをはるかに超えた荘厳で厳粛なものであった。力と権力に真っ向から対決する一文人のペンによる孤独の戦いであった。かつてここまで自己と家庭を犠牲にして、海を隔てた異民族の側に立って、正義を主張した日本人はいなかったのであり、柳の主張したその歴史観の正当性はその後の戦後の歴史が証明するとおりである。
芸術山脈と歴史山脈は別個に形成されたものでなく、相互不可分のものとして密接に連動し、互いを支え合って巨大な山脈へと発展した。その芸術山脈の峰々の感性の輝き、歴史山脈の深遠な思想の高邁さに触れる時、今さらながら驚嘆と尊敬の念を禁じえない。
一九二○年、柳は「朝鮮の友に贈る書」を発表、妻・兼子とともに朝鮮を訪問した。この時、日本人・柳は真の「朝鮮の友」でありたいと希った。
そして今、その勇気ある行動の人であり、「朝鮮の友」であった柳に対し、韓国人である私は本書を謹んで捧げるのである。
これまで、柳の業績研究は多方面からなされてきたが、その多くは第一の芸術の山々に集中している。私は今回、敢えて歴史の山々に注目し、重要な視点を置いている。柳の歴史に対する認識、発言は深くて重いものがある。柳も自身の発言が「第一は朝鮮問題に対する公憤と、第二にはその藝術に対する思慕」(『朝鮮とその藝術』序文)とに基づいていると語っているが、歴史認識の根は深く、遠く幕末から明治維新期の勝海舟や竹添進一郎にまで遡ると筆者は考えている。
柳の思想的背景を説明するものとして、勝海舟や竹添進一郎について言及した研究書や類書は見当らない。筆者は幕末期すでに東洋の和合、朝鮮の近代化を説いたこれらの人々の思想が叔父・嘉納治五郎を通して柳にも継承されたのではないかと考えている。これにより柳の思想的背景の真実が、かなり合理的に説明できるのではないかと思われるのである。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。