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身体とアイデンティティ・トラブル
ジェンダー/セックスの二元論を超えて
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2008年5月
- 書店発売日
- 2008年6月5日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2011年8月24日
紹介
崩れる/においを拒絶する/感じない/拒食する「身体」。近代と身体の「きしみ」の際だった兆候から、私たちは何を読み取るべきなのか。近代が他者化し、「語られなかった身体」の位相と、ジェンダー二元体制と異性愛中心主義のゆらぎを探究する。
目次
はじめに――身体の経験をめぐって(金井淑子)
(1)「身体論」の諸相
1 フェミニズムと身体論――リブからやおいへ(金井淑子)
2 フェミニズムは男性身体を語れるか――男性身体の周縁化・抵抗の規律化・流動化(海妻径子)
3 美醜としての身体――美醜評価のまなざしの中で生きる(細谷実)
4 崩れた身体・揺れる重心――岡田利規『三月の五日間』をめぐって(菅孝行)
5 におう身体(三橋修)
〈コラム〉からだ探しの旅――感動と認知の間で(小川奈々)
(2)近代と身体の布置
6 同性愛者の身体、あるいは心――クラフトエビングとオスカー・ワイルド(宮崎かすみ)
7 身体という謎(下城一)
8 身体はどこまで私のものなのか?(志田基与師)
〈コラム〉女のからだと月経をめぐるポリティクス――「忘れてほしゅうない」という声を真剣に受け止めること(佐藤靜)
(3)あいまいな性/欲望/身体
9 腐女子とオタクの欲望/身体/性(相田美穂)
10 “アイデンティティの身体化”研究へ向けて――『感じない男』を出発点に(中村美亜)
11 「バイ・セクシュアル」である、ということ(青山薫)
12 男性同性愛と女性性――ゲイ・ボーイのブームにみる差異・情報・身体(石田仁)
13 引き裂かれる自己/切り裂かれる身体――レズビアンへのまなざしをめぐって(堀江有里)
〈コラム〉わたしが〈女ではない身体〉を欲しかったわけ(田中玲)
前書きなど
はじめに――身体の経験をめぐって
4 「身体を語る土俵」をどう立てるか
これらの四点にわたる問題を本書の議論の伏線としておきつつ、本書の企画のより現実的な企図は、とりあえず「身体を語る土俵」をどう立てるかにある。そのために、まず身体をめぐる今日的な「兆候」について、あるいは美醜へのこだわりといったもっとも個人的な感受性にかかわるテーマについて、菅孝行「崩れた身体」、三橋修「においと身体」、細谷実「美醜としての身体」が問題を描き出す。そして宮崎かすみの「同性愛者の身体」は、近代において同性愛者の身体がさまざまなイメージを使って不気味なものとして構築され可視化された上でいかにして不可視化されたかを論じ、志田基与師が「身体は誰のものか?」と挑発的に、フェミニズムの根本命題である「私の身体は私のもの」にゆさぶりをかける。そして金井は、フェミニズムは実は女性身体を語りえていないという認識から、しかし、ウーマン・リブ運動においてはまさに身体・セクシュアリティ・欲望が問題であったはず、そのまなざしはどこに着地しているのか、という関心から、「リブからやおいへ」の主題を立てた。
それぞれの発言は、身体をめぐる状況・兆候にセンシティブにあろうとし、またこの間に相次いだ「身体」に関する刊行企画の身体論にも留意しつつなされていると思われる。しかし、本書が先行企画に差異化を意識したもっとも特異の視点とすべきは、セクシュアル・マイノリティの側の諸主体の語りに留意しているところにあるというべきであろう。3部およびコラムは、「近代」が他者化してきた身体/セクシュアリティ、セクシュアル・マイノリティの諸主体(まさに語られず/不在化された身体)についての、その研究諸当事者からの発言をえた。3部のセクシュアル・マイノリティの側からの、自らの身体とアイデンティティとの間の折り合いの悪さと向き合い苦しみ、その「痛み」の中からつむがれた声・言葉から、本書の1部、2部の、フェミニズムや社会学、哲学、さらに演劇論などからの身体についての議論が、何を聴き取ることができるのか。当事者研究の側からのその身体を通った言葉と、身体についての理論的考察が、どう交差することができるのか。「あいまいな性/欲望/身体」の、そのポリフォニックな葛藤と抗争に満ちた〈語り〉が、現実の性の覇権的体制――ジェンダー二元体制と異性愛中心体制――の、境界にゆさぶりをかけ、うまく「トラブル化する」ことにつながるのか。
「身体とアイデンティティ・トラブル」とした本書表題の含意もまさにここにある。スキャンダラスでトラブルに満ちた現実の身体の兆候を「よりトラブル化する」。近代の主客二項図式とその「心身二元論」の呪縛から身体を解くために、身体を語る土俵を組みかえるために、ボディ・ポリティクスを「よりトラブル化する」ということである。ちなみに「トラブル」とは、ジュディス・バトラーが『ジェンダー・トラブル』においてとった手法、ジェンダー・トラブルをうまく作り出すことによって、性差の二元化を無効にする戦略にならっている。
したがって本書は、同じく表題に「トラブル」の言葉を冠して編んだ『ファミリー・トラブル――近代家族/ジェンダーのゆくえ』(明石書店、二〇〇六年)とのつながりを意識して作られている。併せて手にされ、お読みいただけることを期待したい。
二〇〇八年四月 金井淑子
上記内容は本書刊行時のものです。