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日本・ベトナム比較言語教育史 村上 呂里(著) - 明石書店
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日本・ベトナム比較言語教育史 (ニホンベトナムヒカクゲンゴキョウイクシ) 沖縄から多言語社会をのぞむ

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発行:明石書店
A5判
464ページ
上製
定価 9,000円+税
ISBN
978-4-7503-2733-4   COPY
ISBN 13
9784750327334   COPY
ISBN 10h
4-7503-2733-6   COPY
ISBN 10
4750327336   COPY
出版者記号
7503   COPY
Cコード
C0037  
0:一般 0:単行本 37:教育
出版社在庫情報
品切れ・重版未定
初版年月日
2008年2月
書店発売日
登録日
2010年2月18日
最終更新日
2016年12月28日
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紹介

近代国民国家形成期に『国語(標準語・普通語)』教育をめぐり、どのような議論が闘わされ、言語政策が確立されたのか? 沖縄とベトナムの少数民族地域を例に、それぞれの国語教育・言語政策を批判的に比較・検討し、ありうべき「ことばの教育」を展望する。

目次

 序(浜本純逸)

序章 研究の目的と方法
 第1節 研究の目的と方法
 第2節 日越比較をめぐって
 第3節 先行研究における本研究の位置づけ
 第4節 本研究の構成について

【第1部 日本編】

第1章 近代学校をめぐる〈声〉と〈文字〉の相剋――八重山地域の場合
 はじめに
 第1節 士族層と近代学校
 第2節 平民層と近代学校
 第3節 八重山の言語文化と「南島」、そして「国語」
 まとめ
第2章 小学校「国語科」成立と沖縄地域――「普通語」概念に注目して
 はじめに
 第1節 小学校「国語科」成立をめぐる議論
 第2節 小学校「国語科」成立前後の沖縄地域における言語教育議論
 まとめ
第3章 宮良當壮と柳田國男の間――言語教育論をめぐって
 はじめに
 第1節 宮良當壮の言語教育論の背景
 第2節 宮良當壮の言語教育論
 第3節 柳田國男の言語教育論
 まとめ――宮良當壮と柳田國男の間
第4章 国分一太郎における「生活語」の発見――「方言詩論争」再考
 はじめに
 第1節 国分一太郎と「方言詩論争」
 第2節 「方言詩論争」をめぐる研究史
 第3節 福永晶爾と三上斎太郎の言語教育観
 第4節 国分一太郎の言語教育観
 第5節 国分一太郎の苦悩と藤
 第6節 「生活語」の「生活言語」としての発見
 まとめ――戦後の国分一太郎の軌跡を踏まえて
第5章 戦後民間教育運動における国語ナショナリズム――奥田靖雄の標準語論を中心に
 はじめに
 第1節 奥田靖雄と民科言語部会
 第2節 スターリン「言語学におけるマルクス主義について」の受容
 第3節 石母田正「言葉の問題についての感想」
 第4節 石母田(1952年)と奥田の標準語論の形成
 第5節 奥田(1957年)の論点
 まとめ
第6章 戦後沖縄の「学力問題」における「言語問題」――上村(1978年)、儀間、東江グループを中心に
 はじめに
 第1節 戦後沖縄の「学力問題」における「言語問題」
 第2節 上村幸雄「民族、国家、言語――『処分』と言語政策――その考察の前提」
 第3節 「復帰運動の内在的批判者」儀間進の沖縄口で書く実践
 第4節 「学力問題」の根底にある言語観をめぐって
 第5節 東江グループの問題提起
 まとめ

【第2部 ベトナム編】

第7章 ベトナム言語教育史研究の課題と方法
 第1節 ベトナム言語教育史研究の課題
 第2節 先行研究について
 第3節 研究の方法
 第4節 本研究でとりあげる少数民族について
第8章 ベトナム民主共和国・社会主義共和国における言語教育史の概観
 第1節 「独立宣言」以前のベトナムの言語文化と教育
 第2節 「独立宣言」以降のベトナム言語教育史の概観
  第1期 1945年~1954年/独立国家樹立期――国語の識字運動と民族語学習権の理念の提起
  第2期 1954年~1975年/南北分裂・ベトナム戦争期――第1次バイリンガル教育の試行と「ベトナム語の純粋性を守る」運動
  第3期 1976年~1980年代/南北統一国家確立期――第53-CP号決定の制定と普通語普及
  第4期 1990年代以降/ドイモイ政策期――「民族融和」の強調と第2次バイリンガル教育の模索
第9章 バイリンガル教育をめぐる葛藤――バッカン省バーベー郡をフィールドとして
 第1節 第1次バイリンガル教育の「失敗」をめぐって
 第2節 バーべー郡におけるフィールド調査
 第3節 フィールド調査のまとめ
 おわりに
第10章 ドイモイ期における「国家語」制定をめぐる藤――少数民族言語教育の課題を踏まえて
 はじめに
 第1節 「国語」から「普通語」へ、そして「国家語」へ?
 第2節 「国家語」制定をめぐる論点
 第3節 「国家語」制定をめぐる論点と少数民族言語教育の課題
 おわりに

〈資料1〉 ホー チ ミン 「愚民政策」(1924年頃)
〈資料2〉 ファム ヴァン ドン 「ベトナム語の純粋性を守る」(1966年)
〈資料3〉 「少数民族の文字に対する方策に関する第53-CP号決定」(1980年)

終章 日越比較を踏まえ、もう一つの言語教育を求めて
 はじめに
 第1節 国民形成と近代言語教育
 第2節 「国民国家の擬制性」の矛盾の現れ――言文一致と学力問題をめぐって
 第3節 もう一つの言語教育の展望
 おわりに

 (附表)日越比較言語教育史年表
 参考文献
 あとがき

前書きなど

序章:第4節 本研究の構成について
 第1節で掲げた目的のもとに、ひとまず日本編、ベトナム編に分け、先にあげた4つの観点に基づき、各々の国家と地域に即して近代以降の言語教育史を検証する。各章(目次参照)の構成を概観するため、内容について簡単に述べる。
 第1部日本編においては、「中央」(言語政策を立案し、実施する立場)の政策や議論が地域においてどのような形で立ち現れ、どのような議論が起こったか、また地域に根ざしてどのような教育実践が生まれたかなど、地域から「中央」の政策や議論を照射していくという形で考察を進めていきたい。具体的には、時代ごとに関心を集めたエポック的な問題や論争をとりあげ考察を進めていく。
 第1章は首里王府が置かれた沖縄本島からさらに抑圧を受けていた八重山地域をとりあげ、近代出立期における言語教育のあり様を検証する。
 第2章では明治期の『琉球教育』誌上の議論を中心に、「国語」概念や「国語教育」をめぐる議論を辿る。その際、「国語」とほぼ同義で用いられた「普通語」という概念に焦点をあてて論じる。
 第3章では八重山地域出身の言語学者であり、柳田國男と深い関わりを持った宮良當壮の言語教育論をとりあげる。宮良は戦後沖縄の言語教育に多くの発言を行っている。その言語教育論について、柳田國男の言語教育論を踏まえ、その相違の意味するものについて考察を試みる。
 第4章は、沖縄地域と同じく内的植民地的位置づけをされ、学習者の母語が抑圧された東北地域で起こった「方言詩論争」(1935(昭和10)年)を中心に考察を試みる。この論争で司会を務めた生活綴方運動の実践家・国分一太郎の言説に焦点をあて、「生活語」の「生活言語」としての発見の意味を論じる。「生活語」で書くという教育方法論の発見は、日本の近代言語教育史の大きな特色であると考えるからである。沖縄地域ではごく最近まで「生活語」で書くということは許されないとの意識が見られた。1970年代生活綴方が沖縄地域に紹介され、生活綴方運動が誕生したにもかかわらず、その核となる「生活語」で書くという教育方法論の意義が充分に認識されることなく今日に至っている。第6章において、第4章を踏まえそのことの意味をも問うこととしたい。「方言詩論争」における論点は、第3章でふれる沖縄地域で起こった「方言論争」(1940(昭和15)年)の考察を深める上でも重要である。沖縄地域と東北地域の言語教育の場で起こった二つの「方言」をめぐる論争を比較することで、より深く近代言語教育史が必然的に内包する矛盾に迫ることができるであろう。
 第5章は、戦後東北地域や沖縄地域の現場教師に一定の影響力を持つに至った、民間教育団体教育科学研究会言語部会のリーダー・奥田靖雄の標準語論、および標準語教育論について考察する。筆者が敬愛する沖縄本島の北、伊平屋島出身の琉球語研究者がしきりと学生たちに「方言は滅びるからね」とおっしゃていたのがいつも気になっていた。沖縄口(ウチナーグチ)を愛してやまない先生が、後進の若い世代に対してなぜ「方言は滅びる」とおっしゃるのか不思議でならなかった。その源を探ったとき、行き着いたのが奥田靖雄の「標準語」論であったのである。その意味では、第5章の問題関心の出発点は沖縄地域にある。
 第6章は戦後沖縄で盛んに問題化された「学力問題」において、言語問題がどう語られたかを検証する。今後の言語教育論の展望を拓く「言語と学力」論を構築していく上で重要な論点が提起されている。
 第2部ベトナム編においては、未だ言語教育史としてまとまった研究がなされていないために、まず第7章でベトナム言語教育史に関わる先行研究を概観し、課題を導き出すとともに、研究の方法について述べる。
 第8章では1945年ベトナム民主共和国の独立以降から南北統一後現代に至るまでを4期に分けて、言語教育史を概観していく。その概観から浮かびあがってきたベトナム言語教育史に貫かれる重要な論点を第9章、第10章で個別的に考察を加える。
 第9章は、北部山岳少数民族地域におけるフィールド調査を踏まえ、「地域間の経済格差を背景とした『学力問題』の発生に伴う単一言語教育要求」、および「民族語への誇りから生まれる民族語と普通語の二言語併用言語(バイリンガル)教育要求」をめぐる葛藤について検証する。こうした葛藤は戦後沖縄地域で起こった「学力問題」をめぐる議論でも見られ、沖縄地域と共通する課題である。
 第10章では「国家語」を制定しないという政策を採ってきたベトナムにおいて、1990年代に登場したベトナム語を「国家語」として制定すべきか否かという議論についてとりあげる。今後の世界の言語問題(民族語の平等と「国家語」の制定は共存しうるのか)の展望を考える上でも重要な動向であり、また現在再び日本で盛んに注目が集められている「祖国愛」と結びつけられた「国語」概念と比較する上でも、「国家語」をめぐる議論の検証は必須であると考えられる。
 その上で終章では、日本編とベトナム編を4つの観点に基づき比較し、近代言語教育史が孕んだ矛盾と可能性の双方について複眼的考察を試み、そこからもう一つのの言語教育への展望を導き出したい。

著者プロフィール

村上 呂里  (ムラカミ ロリ)  (

1960年生まれ。京都大学文学部国文科卒業、神戸大学大学院教育学研究科修了。大阪府立高等学校勤務を経て、1989年、琉球大学に助手として赴任。2005年、早稲田大学訪問研究者。現在琉球大学教授、教育学博士。

上記内容は本書刊行時のものです。