発行:明石書店
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四六判 212ページ 上製
定価:1,800円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7503-2687-0 C0015
在庫あり
奥付の初版発行年月:2007年12月
書店発売日:2007年12月13日
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紹介
「承元の法難」事件はなぜ起きたのか、浄土教は大乗仏教としてどのような意味を持つものであるのか、さらには、浄土教がなぜ真実の「教」であるのか、真実の「教」はどう決定されるのか、を著者独自の視点で解明していく待望の書。
目次
口絵 『教行信証』巻末のいわゆる「後序」
第一講
はじめに
一 講義の見通し
二 いわゆる「後序」の記述の配列順
三 記述される出来事と執筆時期との関係
四 坂東本に見られる大きな変化 一——構想と清書
五 坂東本に見られる大きな変化 二——諡号の補記と『大集経』の追加
六 坂東本に見られる大きな変化 三——晩年の改訂
七 後鳥羽上皇と承久の乱
八 顕徳院怨霊説
九 諡号の追記について
一〇 承元の法難を記録した文書
一一 当時の人たちの目に映った承元の専修念仏停止
一二 当事者親鸞による記録の意義
第二講
一 なぜ『大集経』を書写・挿入したのか
二 言葉の多義性
三 世俗権力と宗教的権威
四 宗教的権威の世俗権力への依存
五 宗教者が信仰を見失うとき
六 信仰の落とし穴
七 真実教の決定の重要性
八 『法華経』における真実教決定の論理
九 親鸞の真実教決定の論理
一〇 聞法者の誕生
一一 仏の法を聞いてよろこぶ心
一二 讃嘆ということ
一三 「法蔵菩薩は阿頼耶識なり」
一四 他力の教え
第三講
一 いつでも・どこでも・誰にでも
二 到達から出発への視点転換
三 無上の大乗
四 達成は退転なり
五 浄土教と普遍妥当性
六 何が弾圧されたのか
七 法難と死別を通して成就した出遇い
八 名を称する声
九 教は聞にあり
一〇 念仏のつながり
一一 称名と聞名における信
一二 三輪清浄の布施
一三 駅伝のたすき
一四 菩薩みな摂取せん
一五 願に生きる
あとがき
資料 『教行信証』・親鸞・後鳥羽 関連年譜
講義記録
前書きなど
はじめに
『親鸞の教行信証を読み解く』の最終第五巻が刊行されたのは五年以上前になります(明石書店 二〇〇一年)。その後、またいくつか思い至ることがありまして、機会あるごとに、そうしたことについて、少しずつ話してきました。ただ、それらは思いついたときごとに話してきただけなので、それらがどういうつながりを持っているのかについてはきちんと整理できておりませんでした。それで、一度まとめておきたいと思っておりましたところ、今回このような得がたい機会を作っていただき、ありがたく思っています。
『親鸞の教行信証を読み解く』ですでに述べたことと重複することもあるかも知れませんが、一応その中で述べたことを前提にして、そこから展開していけたらと思っています。
これから申し上げることは、ほとんどが日本史とか国文学の領域ではすでによく知られていることで、そういう意味では新しい知見と言えるようなことはありません。先行する書物を見れば誰でもわかることばかりです。ただ、すでに十分知られていることでも、互いに照らし合わせて見てみると、その中から、また別のことに気がつくこともあります。さらには、真宗の教義を学ぶ立場から『教行信証』を読もうとする上で、そのような事柄がどのような意味を持つのであろうかということを考えてみますと、なかなか興味深いことが出てくることもあります。
『教行信証』の成立はいつごろだったのかということを研究する中で、『教行信証』の記述から推測できる時代状況の検討などが、多くの先達によってなされてきました。
また、親鸞の筆跡については、重見一行さんが非常に綿密な研究を発表しています。親鸞の筆跡には顕著な経年変化が見られ、その指標となる文字が二十あまりあります。年齢によって字の書き方が変わっている文字に注目しますと、何歳のころにその部分を書いているかが推測できるわけです。
(……中略……)
『教行信証』の中には、その文言がいつごろ書かれたのか、あるいはこの部分を変更したのは何歳ぐらいなのかというように、年代が特定あるいは限定できる記述や改訂がいくつかあります。そういうものを確認していくと、そのとき、親鸞の身の上に、あるいはそれ以外のところでどういう出来事が起こっていたか、それらのことを関連づけて見ていくといろいろなことが浮かび上がってきます。
今までの真宗学や真宗史学の議論の中ではほとんど提起されてこなかったような視点ですので、違和感をおぼえる方もあるかもしれません。中には一方的な見方だ、と思われる方もおられるかもしれません。もしかしたら私の独断と偏見にすぎないかもしれません。それは『親鸞の教行信証を読み解く』第五巻で申し上げたことが、そもそも一面的な見方であるのかもしれません。しかしながら、あの第五巻で提起したことについては、その後ほとんど何も批判的な提起はありませんでした。少なくとも、私の耳には届いてきておりません。
そもそも、偏っているというには、何か基準があってはじめて言えるわけですが、ほかの人が何もおっしゃっていないのですから、偏るも偏らないも、そもそも比較の対象となるような見解が何もないのが現状です。もっといろいろな見方が出てきたらおもしろいと思っているのですが、なかなか出てきません。
『教行信証』というのは親鸞聖人が何かを伝えたくて書かれたのでしょうから、私はなんとかそれを読みたいと思って、いわば格闘してきました。最初から、こうに違いないという結論をもって読みはじめたわけではありません。中には、いろいろな解釈が可能で、いずれとも決しがたいようなこともあります。そういうときには、私はこう読みたいということを、その段階での一応の結論としているようなこともあります。なんと言われようと、自分自身の受けとめというものを抜きにした読み方をやめようとは思っておりません。やめようと思ってもやめられませんし、そういうことが読むということなのではないかと思います。私心をはさまないで読む、ということ自体がウソでしょう。そもそも客観・中立的な領解というものはあり得ません。
今回『親鸞の教行信証を読み解く』第五巻からの展開として申し上げることは、今後私の見方を決定的に覆すような視点が出てこない限り、おそらくこれからも、私はこの見方を持ち続けていくと思くと、最終的には、承元の法難という出来事で、いったい何が処罰され弾圧されたのか、ということにつながっていくような話になるのではないかと思います。
どこまでやれるかはわかりませんが、目論見としてはそういうところまで展開していけたらと思います。それが無理でも、せめてその手がかりになるようなところぐらいまでは見ていきたいと思います。
著者プロフィール
藤場 俊基(フジバ トシキ)
藤場 俊基(ふじば としき)
1954年石川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後,約5年間三和銀行勤務。大谷専修学院修了,大谷大学大学院博士課程(真宗専攻)単位取得
(主な著書)
『顕浄土方便化身土文類の研究—弁正論—』(文栄堂,1991年)
『エイズという時代』(共著,東本願寺,1995年)
『親鸞の教行信証を読み解く 1〜5』(明石書店,1998年〜2001年)
『なぜ「南無阿弥陀仏」なのか』(真宗大谷派岡崎教区 第十七組教化委員会,2000年)
『善導と観経に学ぶ 一〜三』(真宗大谷派四国教区,2004年〜2006年)
『凡夫、ゆきやすき道』(真宗大谷派名古屋別院,2006年)
『共なる歩みの道を』(真宗光明団,2006年)
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