永山則夫裁判の真相と死刑制度死者はまた闘う
武田 和夫
発行:明石書店
この版元の本一覧
四六判 268ページ 並製
定価:1,600円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7503-2667-2 C0036
在庫あり
奥付の初版発行年月:2007年11月
書店発売日:2007年11月16日
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紹介

凶悪な殺人事件が相次ぐ昨今、共に生きる社会を目指して死刑廃止運動を闘ってきた著者が、連続ピストル殺人事件の犯人・永山則夫の裁判支援闘争を振り返り、永山の「生」と闘いが、その後の死刑廃止に、そして今の社会に何を問いかけているかを問い直す。

目次

はじめに

第一部 わが心の永山則夫
 1.百円泥棒
 2.無知の涙
 3.静岡事件
 4.「連続射殺事件」の動機
 5.事件捜査
 6.罪の責任
 7.反省=共立運動
 8.弁護人抜き裁判
 9.少年法改正、三億円事件
 10.死刑判決と控訴審
 11.減刑判決
 12.被害者の母
 13.追放と減刑破棄
 14.小説と永山則夫
 15.愛か——無か

第二部 死刑廃止運動
 1.日本の死刑廃止
 2.一九八〇年代
 3.運動の全国化
 4.問われる「死刑廃止」
 5.死刑存廃論

むすび そして、今

付録 死刑について
 1.死刑前史——血の復讐とタブー
 2.「穢れ」と死刑
 3.室町以前の「日本」
 4.中世世界と死刑
 5.近代刑法と死刑
 6.死刑廃止の時代

前書きなど

はじめに

 「なぜ人を殺したらいけないのか」と子どもに問われたら、大人はどう答えるのか——ということが、少し以前話題になったことがあります。少年による殺人事件が相次ぐなかで、ある会合で実際に発せられた少年からのその問いが、きっかけだったと記憶しています。この問題で特集を組んだ雑誌もあり、多くの識者が直接・間接にこの「問い」に対してさまざまな角度から答えてきました。おそらくそれらすべての回答には、なんらかの真理が含まれているものと思います。そして一見単純で自明に見えるこの「問い」への回答が、かくも多様化し、しかもなかなか直截に核心をつけないのは、「人を殺したらいけない」という命題が、一方では人間の意識的な善悪判断以前の領域にかかわっているとともに、他方で歴史上つねに人は人を殺してきたという現実によって裏切られ続けているからにほかなりません。
 ずっと以前に、この問いに逆の方向から回答を与えた人がいました。「連続射殺事件(警察庁広域重要指定一〇八号事件)」の犯人であった彼は、逮捕された獄中で自己と自らの事件に向き合うなかで、「なぜ人は人を殺すのか」という問いに答えたのです。

——人は、相手に対して、同じ人間であり仲間であると実感できないか、なんらかの原因でその感情を奪われたときに、人を殺す。

 命令ないし強制された場合は例外とすべきかもしれません。しかし「戦争」という強制された集団殺人においてもそれはあてはまるでしょうし、命令者に対する帰属意識よりも殺せと命じられた相手に対する共感性のほうが強い場合は、命がけで抵抗したり、徒党を組んで逆に命令者を打倒することもあるでしょう。ですからおそらくこれはほぼあらゆる「殺人」に妥当することだろうと思います。同時に、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いが子どもから発せられ、これに大人が真剣に向き合って答えなければならない現状——他者への共感性を奪われた現実をも浮き彫りにすると思います。
 彼、永山則夫は、自分自身の犯した「殺人」への後悔と反省を踏まえて、競争し合い、蹴倒し合うことで人に対する共感性を奪う社会のあり方とその未来に、警告を発し続けました。しかし国と社会はそんな彼を「社会への責任転嫁だ」と切り捨て、事件後三〇年かかってついに処刑してしまいました。

 昨今、死刑制度の廃止を街頭などで訴えるとき、「人を殺した奴は死刑が当然ではないか」という返答が帰ってくることが多くなってきたと聞きます。こうした声は以前からあったし、私自身も死刑廃止という考えに触れる以前は、漠然とそう思っていました。しかし昨今のそれは、もっと積極的に、ひとつの風潮として対応しているという印象を持ちます。
 マスコミを通して知らされる相次ぐ凶悪な事件、それこそ人を人とも思わない自己中心的な犯人の態様への怒りがそう言わせるのには違いないでしょう。しかしそれがひとつの風潮として、社会のあちこちでいっせいに発せられ始めるとき、そこに人間への熱い共感ではなく、むしろ殺伐としたなにかを感じてしまうのは私だけでしょうか。「人を殺した奴」への死刑を「当然視」する大人たちと、「きもい、うざい奴」を排除し「死ね」などという子どもたちの姿がどこかでダブって見えるのは……。
 社会でも、学校でも、家庭でも人が「個」に分断されバラバラにされていくなかで、「凶悪事件」はさらに多様なかたちで再生産され、憎しみは憎しみを増幅していきます。「人が人を殺す」社会の拡大再生産——それはどこに行き着くのでしょうか。かつて永山則夫が危惧した現実が、警告したとおりの経緯で現れているように思えてなりません。

 一般に記憶されている永山則夫は、「無知と貧困」から連続射殺事件を犯し、「獄中結婚」などの情状を認められて一時は控訴審で無期懲役に減刑されたものの、最高裁で逆転され、「生と死の間をほんろうされた、死刑の理不尽さを一身に受けた」死刑囚であり、その間、抑圧された自己の生い立ちを小説化した、稀有の存在であったとされています。しかしそこには、永山則夫自身がなにを訴え、どのように「生」きようとしたのか、そのためにどのように闘ったのかという彼の主体がほとんど欠落しています。その「生」と闘いがまさに現在の社会につながる問題を提起した事実が覆い隠され、「過去の人」として祀られています。
 そのことの責任の一端は彼自身にもありますが、また私にもあります。彼が一〇年前に処刑されて以降、私はそのような彼の真実をなんとか公にしていかなければならないと思っていました。しかし彼との決別の経緯からくる心的抑圧、深くかかわったがゆえの対象化の困難さ、そしてなによりも私自身の非力から、それには時間がかかりました。
 これは、いわゆる「永山則夫論」でもなければ、「今だから話そう」式の真相語りでもありません。またいわゆる「死刑廃止運動論」でもありません。私の知る永山則夫の真実——彼の「生」と闘いが、その後の死刑廃止に、そして今の社会になにを問いかけているか、それにもう一度、心を澄ませて共に向き合おうとする、拙い呼びかけであるとご理解ください。

著者プロフィール

武田 和夫(タケダ カズオ)

1948年、兵庫県に生まれる。東京大学法学部中退。
山谷労働者の解放運動を経て、1977年より1982年まで永山則夫裁判を支援。以降、死刑囚支援を通じて死刑廃止に独自の立場からかかわり、現在に至る。

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