戦争を否定する根拠は何か「日本国民発」の平和学
川本 兼:著
発行:明石書店 この版元の本一覧
四六判 344ページ 並製
定価:2,600円+税 総額を計算する
ISBN 978-4-7503-2560-6
在庫あり
奥付の初版発行年月:2007年07月
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紹介

わが国の平和学は,「平和」を謳う戦後日本を思想的にリードすることに失敗したのではないか。防衛庁の「省」格上げ,「本来任務」となった自衛隊の海外派遣…。「普通の国」へと向かう日本に提唱する,日本人の戦争体験を基礎とする「日本発」の平和学。

前書きなど

はしがき
 「平和学」あるいは「平和研究」という学問分野があります。「平和」を対象にした学問で、設立こそ一九七三年と多少遅れるのですが、日本平和学会という学会がわが国にもあります。
 私はその日本平和学会に十五年くらい所属しているのですが、これまでの私の著作には「平和学」という言葉は出てきません。私にとっては「学」という言葉より「理念」とか「思想」とかいった言葉の方がしっくりくるというのが一つの理由ですが、もう一つの理由は、わが国における平和学の現在の流れと私との間には、平和の捉え方・平和学の方法などに関して考え方に大きな違いがあるからです。私は、平和の問題を独学で考えてきた。その私の考え方と日本の平和学主流の考え方との間には大きなギャップがある。もしそうであれば、私は、平和学という言葉を用いて私の考え方を書くことを遠慮した方がいい……。
 それでは、どうしてこの本の題名を『「日本国民発」の平和学』としたのか。私は、学問の世界はその国その国、あるいはその時代その時代を思想的にリードする責任があると考えています。もちろん、学問の目的は国家や時代を思想的にリードすることにあるのではなく、個々の研究者の目的もそのような点にあるのではありません。そして、もしかするとそのような役割を中心的に担うのは政党や官僚や市民運動などの間で展開される政治の世界、新聞やテレビを中心としたマスコミの世界、経営者団体や労働組合などによって運営される経済の世界などなのかもしれません。
 しかし、最高学府とされる大学には、その国その国、その時代その時代における最高レベルの研究が保障されています。大学における自治が保障され、研究者にも時間的・経済的その他の保障が行われています。となると、その最高レベルの研究が、その国その国、その時代その時代の思想を形作らないはずはありません。そうである以上、少なくとも結果的には、学問の世界はその社会の思想をリードする。特に政治学、法学、経済学、社会学などの社会科学関係の学問分野は、そのような責任を負わざるを得ない。そして、社会科学の一分野である平和学は、第二次大戦後のわが国の思想状況に関して、極めて深い関係を持っていた。
 戦後日本の方向は、「平和」と「民主主義」のはずでした。そして、日本における平和学もその「平和」と「民主主義」を主唱する一翼を担ってきました——しかし、わが国の平和学は戦後のわが国を思想的にリードすることに失敗したのではないか……。
 もちろん、戦後のわが国においては、「平和」も「民主主義」も明確な概念規定が行れてきた訳ではありません。ですから、本当のことを言うと、「平和」と「民主主義」の方向と言っても、それはどのような方向かと問われれば、ほとんどの人は現在でもたぶん明快な答えは出せないでしょう——しかし、そうは言っても、現在のわが国が向かっている方向は、少なくとも「平和」と「民主主義」の方向ではない! わが国の軍隊である自衛隊が公然と海外に派遣され、防衛庁が「省」に格上げされるとともに、自衛隊の海外任務が「付随的任務」から「本来任務」になってしまった。教育基本法が改正され、戦後憲法そのものが現在死滅を待っているような状態にある……。
 そこで私は、私にも平和学という言葉を用いて私の考え方を示す必要があると考えたのです。私の考える平和の捉え方を示す。私の考える平和学の方法を示す。そして、平和学をわが国の思想をリードする地位に戻させる——当然のことながら、そのようなことができるかどうかは分かりません。しかし、現在のわが国の状況を見ると、やはりこの私も「平和学」について語り始めない訳にはいかないのです。
 平和学に対する私の考え方の細部は本文で述べるとして、最も重要なのは、これまでのわが国の平和学が、平和を「変革を要求する新しい価値」として提示する必要を認識できなかったことにあります。平和は、今までの価値体系にはほとんど触れず、その価値体系につけ加えられる価値という形でしか提起されませんでした。
 単に平和を「希望」したり、「夢」見たりするのであれば、平和に対する新しい価値づけは必要ありません。しかしその結果は、今まで通り平和を希望し、その希望が叶わない場合は失望する以外にありません。ところが、もし平和が「変革を要求する新しい価値」であるならば、今までの価値体系との衝突があった場合には、今までの価値体系の方に変更を要求しなくてはなりません。そして、今までの価値体系に基づいた現在の社会制度とぶつかった場合は、その社会制度の方に変革を要求しなくてはならないのです。ナショナリズムの価値と衝突した場合には、そのナショナリズムの価値の方に変更を迫る。そのナショナリズムに基礎をおいた主権国家の制度とぶつかった場合は、その主権国家の制度の方に変革を求める。
 「変革を要求する新しい価値」である平和は、たぶん民主主義の価値や制度とも衝突するでしょう。民主主義という言葉には現在絶対的価値が付与されており、現在では民主主義を公然と批判する人はほとんどいません。そこで民主主義を名目にした侵略などが起こり得るのですが、しかし「変革を要求する新しい価値」である平和は、平和の価値と民主主義の価値がぶつかった場合にも、場合によっては民主主義の価値や制度の方に変更を迫るのです——つまり「変革を要求する新しい価値」としての平和は、これまでの価値体系の再編成を要求するのです。
 となると新しい論理が必要です。平和に対する新しい論理。これまでの価値体系と平和の価値を結びつける論理。そして、その結び合わされた論理がさらに体系化されたとしたら、それは新しい「理念」とか新しい「思想」とかとも呼ばれることになるでしょう——しかし、今までの平和学は、そのような新しい論理、新しい理念、新しい思想を提起することができなかった!
 ここ数年の著作において私は、常に若い世代の読者を念頭に置いてきました。若い世代の読者こそこれからの日本・これからの世界を担っていかなければならないからですが、しかし、もしかすると若い読者の皆さんの中には平和学という言葉を知らない方もおられるかもしれません。いや、もしかすると、現在ではまだ平和学という学問分野の存在を知らない人の方が多いのかもしれません。しかし、もし読者の皆さんが本当に平和を実現したいと考えているのならば、平和について学問的に考える必要はあるはずです。一緒に学び、一緒に考えていっていただければと思います。

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