発行:明石書店
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A5判 200ページ 上製
定価:5,000円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7503-2497-5 C0037
在庫あり
奥付の初版発行年月:2007年02月
書店発売日:2007年03月06日
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本書は,植民地台湾の公学校における唱歌教育をめぐる諸相を検討し,台湾総督府=日本が台湾の児童に対してどのような唱歌教育を実施しようとしたのかを検討することにより,台湾における植民地統治を初等音楽教育の側面から分析・検証しようとするものである。
目次
序 文
凡 例
序 章
第1節 問題の所在
第2節 研究の視座
第3節 先行研究の検討
第4節 本書の構成
第1章 台湾の領有と近代教育の濫觴
第1節 台湾の領有
第2節 伊沢修二と台湾の近代教育構想
第3節 伊沢修二による唱歌教育の導入
第2章 公学校の成立
第1節 日本領有以前の台湾における教育の状況
第2節 国語伝習所の設置
第3節 公学校への改編
第3章 明治期から大正前期の公学校唱歌教育——国語・修身教育を補完する唱歌教育
第1節 台湾公学校規則にみる唱歌教育
第2節 台湾総督府発行『公学校唱歌科教授細目』
第3節 台湾総督府発行『公学校唱歌集』
第4章 大正後期から昭和初期の公学校唱歌教育——芸術教育を志向した唱歌教育
第1節 台北師範学校附属公学校発行『公学校唱歌科教授細目』
第2節 台湾総督府発行『公学校唱歌』
第3節 公学校教員の実践とその思想
第5章 戦時期の国民学校音楽教育——皇国民養成のための音楽教育
第1節 公学校から国民学校へ
第2節 台湾の芸能科音楽教科書にみられる特質
第3節 音楽教育をめぐる戦時体制
第6章 公学校教員の養成
第1節 国語学校と音楽教育
第2節 師範学校と音楽教育
第3節 師範教育における音楽科教員
終 章
第1節 結 論
第2節 研究の問題点と今後への展望
あとがき
参考文献
前書きなど
序章
問題の所在
1895(明治28)年5月の日清講和条約(下関条約)批准により日本の台湾領有が決定し、同年6月17日の始政式をもって日本による台湾統治が正式に始まった。それ以来1945(昭和20)年8月の敗戦まで、およそ50年間にわたって台湾は日本の植民地支配を受けていた。その事実を知識として知ってはいても、では日本はどのように台湾を植民地として統治したのか、という具体的な事象となると、ほとんどの日本人は「よくわからない」と答えるであろう。しかし一方では、「台湾のお年寄りは日本語を好んで話している」、「日本が統治していた頃のほうがよかったらしい」、「台湾の人は日本を恨んではいない」、「日本の植民地統治は台湾の近代化を進めた」等々、このような台詞で植民地統治の全容を表現したり、宣伝したりする動きがあるのもまた事実である。また、あげくの果てに、「日本の植民地支配は台湾にとっていいことだったのだ」という言説までが主張されることもあり、これに至っては、誠に憂慮すべき事態だといわねばならない。
極めて政治(時の政権のスタンス)と密接なこの問題は、長らく台湾においては語りにくいテーマであった。外省人がその構成員の中心であった中国国民党が政権政党であった時期は、「日本の植民地統治に評価すべき点もある」などと公に述べることは難しいことであった。しかしその後、本省人中心の民主進歩党が政権を取ってからは、台湾においても日本の植民地統治のある側面を評価する声も聞かれるようになっている。しかしこういった現象は、単に「過去の歴史をいかに評価するのか」という視点だけでは説明できないメカニズムの上に成り立っており、ある言説がそのまま台湾の人々の民意を適切に表現していると言い切ることは難しい。というのも、二・二八事件に象徴されるように、日本という「外」からの統治を解除され、植民地支配から解放されることに少なからず期待を抱いた台湾の人民は、「内」であるはずの中国国民党=外省人から受けた圧政に、同じ中華民族として大いに反発・失望した。そして多分にその傾向は緩和されてきたとはいえ、現在に至るまで、“本省人”対“外省人”という対立の構造ができあがり、彼らの言論に影響を及ぼしているからである。
しかしまた、近年若い世代の意識が変わってきたことや、李登輝が二・二八事件について公式に謝罪をしたことなどから、本省人と外省人との間の緊張感が従来ほどではなくなってきていることもまた確かであり、その関係の構造も時の流れとともに変化しつつある。そういった流れのなか、日本の植民地統治については、「悪かった」もしくは「良かった」などといった単純で一面的な評価を下すのではなく、その諸相を子細に検討し、あらゆる側面から冷静に評価しようという動きが近年目立ってきている。そして、植民地教育史を含む植民地統治にかかわる研究が政治的に利用される道具としてではなく、純粋に学問的に、すなわち冷静に見つめ直す作業が求められている時代に移行してきたのだといえる。
近年、植民地教育史についてはあらゆる分野において研究が進んできており、特に国語教育の分野ではその成果も顕著である。しかし、筆者のフィールドである音楽教育の分野では、先行研究も少なく、日本人研究者による研究成果はほぼ皆無といってよい。
そこで筆者は、学位論文において植民地台湾の公学校における唱歌教育をめぐる諸相を検討し、台湾総督府=日本が台湾の児童に対してどのような唱歌教育を実施しようとしたのかを検討することによって、植民地統治というものを初等音楽教育の側面から分析・検討しようと考えた。具体的には、「日本が明治の初期から受容を始めた西洋音楽を、植民地であった台湾において初等教育という枠組みのなかでどのように取り入れ、どのような教材を設定し、どのように指導を展開していったのか。そしてそれが目指すものはいったいなんだったのか」を、実証的に検討していこうというものである。
研究の視座
内地においては、1872(明治5)年に学制が頒布され近代教育の開闢を迎えた。しかし唱歌については「当分之ヲ欠ク」とされ、教員養成の不備等から、教科として設定はされたもののすぐに開講されたわけではなかった。結局、小学校において唱歌が必修科目となったのは1907(明治40)年の「小学校令ノ改正」であり、制度に形式的に組み入れられてから35年ものちのことである。
一方台湾においては、1895(明治28)年に植民地統治を開始し、その翌年の6月には公学校の前身である国語伝習所が設置される。その教育課程に随意科目ではあるがすでに唱歌科が置かれていた。国語伝習所は1898(明治31)年には公学校へと改編されていくのであるが、1898(明治31)年8月16日に最初に出された台湾公学校規則(府令第78号)で唱歌科は必修科目となっており、台湾における公学校唱歌教育は驚くべきことに必修科目として始まったのである。1904(明治37)年からは随意科目となり、1921(大正10)年に再び必修科目になるのであるが、いずれにしても、本国日本において「当分欠」いている状況のときに、台湾ではすでに必修科目として唱歌科が導入されていたのである。
台湾における唱歌教育導入の経緯とその目的については、今のところ確たる史料が発掘されておらず、断片的な史料より推察せざるを得ない。しかし、ひとたび導入された唱歌教育は中断することなく台湾において展開され、その時代その時代によって機能を付されることとなる。その付された機能、つまり唱歌教育になにが求められたのかを、法令や指導法、教材などから読み解いていこうというのが本研究である。
筆者は本研究において、台湾における公学校唱歌教育を三つの段階に分類して論考した。まず最初の段階は、唱歌教育が導入された明治期から大正前期までで、この時期の唱歌教育は国語・修身教育を補完する立場として展開された。次の段階は大正後期から昭和初期にかけてで、教科としての自立性を高めた時期であるといえる。最後の段階は1941(昭和16)年から敗戦までの戦時期で、公学校は内地に準じて国民学校に改編され、皇国民錬成の教育としての音楽教育が展開された時期である。
この三つの区分において、唱歌教育にかかわる法令、教育課程や指導法、教材などを分析するなかで、「唱歌科」というひとつの科目が植民地という舞台で歩んだ道のりを明らかにしていきたい。また、教科教育を語るときに、教員養成という問題を避けて通ることはできない。当時台湾でおこなわれた師範教育についても論考し、より多角的に台湾の唱歌教育について考察をおこなうものである。
また、植民地であった台湾に宗主国日本が唱歌教育というものをもたらした結果、台湾の人々がどのようにそれを受容したのか、そしてどのように台湾の人々の内面形成に影響を及ぼしたのかという受容の諸相も明らかにしなければ、その全体像の把握は十分とはいえない。しかし、本研究においてそれらすべてを網羅することは研究に費やすことのできる時間的な制約から不可能であり、また前述のように、日本が台湾に対してどのように唱歌教育を実施したのかが解明され始めたばかりであるという、学界における研究の進捗状況をも鑑みて、本研究では「受容」という観点での論考には深く立ち入らないこととした。しかしたとえば、第6章の第3節「師範教育における音楽科教員」において本島人教師について述べる部分があるが、これはとりもなおさず、日本から受けた西洋音楽教育の受容について触れることにほかならない。この「台湾における受容」の問題については、今後の課題とし、継続的に研究を進めていく予定である。
(中略)
本書の構成
第1章では、まず下関条約により台湾が日本の領土となった経緯を述べたうえで、初代学務部長であった伊沢修二が構想した近代教育制度について概観する。また、日本に学校音楽教育を導入した立役者でもある伊沢が、台湾の植民地教育初期におこなった唱歌指導について述べる。
第2章では、日本の領有以前の台湾における教育の状況を述べ、どのような土壌の上に日本による植民地教育が始まったのかを明確にしておきたい。そして、国語伝習所の設置について論述し、そしてそれらが公学校へと改編されていったことを述べる。
以上が、台湾における公学校唱歌教育について論考するにあたっての基礎となる部分で、第3章以降が中心的部分となる。第3章は、台湾公学校規則にみられる唱歌関連の規程の検討、台湾総督府による初の唱歌関連出版物である『公学校唱歌科教授細目』の分析、1915(大正4)年に発行された台湾初の唱歌教科書である『公学校唱歌集』の分析を通して、明治期から大正前期の公学校唱歌教育が国語教育や修身教育を補完する立場として運用されていたことを音楽的側面および歌詞面から明らかにする。
第4章では、全島公学校の模範的存在であった台北師範学校附属公学校発行の『公学校唱歌科教授細目』の分析、1934(昭和9)年から翌年にかけて台湾総督府から発行された『公学校唱歌』の分析、そして二人の公学校教員の実践を検討することによって、大正後期から昭和初期にかけての公学校唱歌教育が、教科としての自立性を高め、芸術教育を志向していたということを述べる。
第5章では、1941(昭和16)年に公学校が国民学校に改編される頃から、1945(昭和20)年の敗戦までを扱うが、台湾総督府が発行した国民学校用の音楽教科書の分析、教育雑誌の記事、音感教育の導入などから、この時期の国民学校音楽教育が皇国民養成の色彩を色濃くしていたことを述べる。
第6章では、台湾の師範教育における音楽教育について、またその音楽科教員たちについて論考し、公学校唱歌教育を担ってきた公学校教員が、約50年間にわたってどのように養成されてきたのかを検討する。
最後に、終章において、50年間に及ぶ台湾の公学校唱歌教育の果たした「役割」について総括的に論考し、そこから導き出される研究の問題点、そして今後どのような研究へつなげていく必要があるのかを述べて本研究は終わる。
著者プロフィール
岡部 芳広(オカベ ヨシヒロ)
1963年、大阪市生まれ。神戸大学教育学部音楽科卒業。国立台湾師範大学芸術学院修士課程中退。神戸大学大学院教育学研究科修士課程修了。神戸大学大学院総合人間科学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。台湾近現代音楽教育史専攻。
現在、東京都立芸術高等学校教諭。
[主要著書・論文]
河口道朗監修『音楽教育史論叢』(共著、開成出版、2005年)、「台湾の国民小学音楽科教科書の研究──歌唱教材に見る、民族の教育としての教材観」(『音楽教育学』第21-2号、日本音楽教育学会、1992年)、「台湾総督府発行『公学校唱歌』所収教材の音楽および歌詞分析」(『表現文化研究』第2-2号、神戸大学表現文化研究会、2003年)、「台湾総督府発行『公学校唱歌科教授細目』の研究──『東京高等師範学校附属小学校唱歌科教授細目』との比較検討を通して」(『音楽教育史研究』第6号、音楽教育史学会、2004年)
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