湾岸危機からイラク戦争までアラビスト外交官の中東回想録
片倉 邦雄
発行:明石書店
この版元の本一覧
四六判 280ページ 上製
定価:2,400円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7503-2050-2(4-7503-2050-1) C0036
在庫あり
奥付の初版発行年月:2005年02月
書店発売日:2005年02月04日
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紹介

激動の中東において,大使を歴任した著者が,その豊かな中東体験を回顧し,併せて,イラクを,中東を,そして,外務省のあり方を考察する。アラビストとしてのその視点は一貫しており,「ヒューミント」の重要性を熱く説く。示唆に富む一著である。

目次

まえがき アラビストが綴る中東「ヒューミント」の歴史
第1部 激動の中東を生きて
 第1章 中東への開眼
 第2章 わかばマークの時代
 第3章 「アラブ」か「アブラ」か
 第4章 深層のイラン革命
 第5章 アブダビで網にかかった金賢姫
第2部 湾岸危機の体験
 第6章 人質事件発生(日誌から)
 第7章 人質解放までの紆余曲折
第3部 中東活断層に触れて
 第8章 自爆テロの系譜
 第9章 イラク始末記
第4部 アラビストの視点・論点
 第10章 その栄光と挫折
 第11章 外務省人事の死角
 第12章 志は高く、目線は低く
あとがき
*関連年表

前書きなど

まえがき アラビストが綴る中東「ヒューミント」の歴史  舞台は一九六〇年から二一世紀初頭の中東イスラーム世界。エジプト、サウジアラビア、イラン、イラク、アブダビ……。武力手段を否定している日本の外交。出先公館は自らのもっているソフト・パワー、特に人間ネットワークによる情報収集に努力、国益確保、危機管理、なかんずく邦人保護に努めてきた。「ヒューミント」とはヒューマン・インテリジェンスの略。人間の手による諜報活動、情報収集のことだ。  超大国米国はもちろんのこと、植民地主義時代の宗主国、英・仏、そしてソ連(露)などの列強は、軍事力と武器売り込みを手段とした中東外交を展開してきた。戦後日本はこのような海千山千のベテラン国家と互角に独自の外交を展開しようとしてきた。その一つの駒がアラビスト片倉、すなわち私だった。その回顧は人生のわかば運転中のカイロにはじまる。一九七三年石油危機に当たって日本外交のアラブ寄りの転換。一九八○年革命・戦争・人質、三重苦のイランにおいて体験した邦人の退避。一九九○年〜九一年湾岸危機においては米英仏独と同じ陣営で独裁者フセインに対抗しスクラムを組んだ日本は一時約二四○名の人質をとられた。このとき私はバグダードの渦中、危機管理の総括責任者として全員無事解放のためフセイン政権との折衝、人質の安否、居所に関する関連情報収集のため死力を尽くした。対外的には日本は自衛隊の海外派遣はできないまま、米国からの圧迫がかかるたびに、現金を拠出するATM(現金自動預け払い機)でしかなかったと専らみられている。しかし、陰に隠れたヒューミントがあったことは記録に留められていいだろう。  その後、確かに日本は自衛隊を中東地域に派遣するようになった。その平和貢献は金だけではなくなり、外交のカードの数は増えたと言える。ただし、シリアのイスラエル占領地帯ゴラン高原への自衛隊の派遣のように国連安保理決議という枠がはまっていれば大義名分、正当性はあろうが、イラク戦争以後、日本の中東へのかかわり方は大きく変化している。戦後「人道復興援助」の名目で自衛隊が南部イラクに派遣されているが、日米安保の枠内での協力、米国との同調度のみが強調され、パレスチナ情勢の悪化とも裏腹に戦後イラクは、主権移譲とは名ばかりで治安は悪化の一途をたどり、米占領軍行政に対して民族、宗教(宗派)を超え横断的な抵抗運動が広がっている。現地で米軍と一体とみられがちな日本の自衛隊も抵抗勢力のターゲットになりつつあるのが現実だ。  これまで孜々営々として積み上げてきた中東における日本の「友好の貯金」はここに至って減る一方だ。イラクやパレスチナのみでない。これまで親日的・知日的だった中東イスラーム地域の友人たちが、米国の軍事的プレゼンスの一部分として日本自衛隊がイラクに駐屯していることに対し、アラブ・イスラームの自己認識、伝統と文化を損ね傷つけるものと受けとめ、また、かって同じアジアの近代化先輩国、日本に対し抱いていた発展のモデル、いわば「仰げば尊し」の理想像が崩れつつあるのか、日常の会話でも幻滅、失望、フラストレーションがぶつけられることが多くなった。サマワで治安維持の責任を有するオランダ軍の駐留期限も迫っているし、最近米国さえも撤退の可能性をちらつかせるようになったが、日本の「独自な」指揮命令系統なんだと虚勢をはって見せるのもいいが、それではその裏付けになる独自の情報収集活動があるのか? 二〇〇五年一月に予定される総選挙の行方、新生イラクの将来像に鍵を握る人口六割のシーア派の動向、自衛隊駐屯地サマワを取りまく治安状況について日本の伝統的なヒューミントによる情報収集活動は一体あるのか? 私は自問し嘆くのである。  さらに一鍬掘って考えれば、その独自中東外交を可能にするのは、独自の人材の配置、駒の布石であろう。  往時、国際文化会館理事長であった松本重治は「文化交流はヒトにはじまり、ヒトにおわる」と述べ、著者がかつて(七〇年代)勤務した国際交流基金でも理事長(当時)今日出海から、繰り返し、それをすり込まれたものだ。同じく外交の要諦も「ヒトにはじまり、ヒトにおわる」のではないだろうか。中東外交を成功させるためには——特に持続的に——独自の地域言語、イスラーム専門家集団による情報収集体系、すなわちアラビスト、ペルシャ語学等、専門家集団が永年の土地勘と人脈によって組み立てるべき中東独自の「ヒューミント」には現状はなはだほど遠いのである。政党政治特有の送り込み人事がどんどん浸透している今日、そんなこと言っていられるかと言われそうだし、指揮能力、行政手腕などを勘案するとき、アラビストであれば適材適所ということにはならない……という反論は十分承知している。「ヒューミント」は幻にすぎないと言う人も多いことも百も承知で敢えて言うのである。  いずれにしても第11章において私はエジプト、サウジアラビア、イランなど中東主要国において全く中東勤務の体験のない「腰かけ大使」が、なかばいやいやながら、赴任している状況が続いていることを指摘し、この霞ヶ関のアナクロ人事体制を日本中東外交の「死角」としてとり上げている。 二〇〇四年十二月吉日 片倉邦雄

著者プロフィール

片倉 邦雄(カタクラ クニオ)

1933年、東京生まれ。宮城県出身。60年、東京大学法学部卒、外務省入省。アラビア語研修官補としてロンドン大学、MECAS(英国外務省アラビア語研修センター)およびカイロ大学に留学。国連代表部一等書記官、中近東第二課長、イラン大使館公使、英国王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)客員研究員、バンクーバー総領事を経て、86年より89年まで駐アラブ首長国連邦大使、90年より91年まで駐イラク大使、91年より94年まで国際交流基金専務理事。同年8月より3年間駐エジプト大使。98年より第2回東京アフリカ開発会議(TICAD II)政府代表。99年1月外務省退官、同年4月から2004年3月まで大東文化大学国際関係学部教授。現在、21世紀イスラーム研究会代表幹事など。<br><br> 戦国の英雄、伊達政宗麾下の名将・片倉小十郎景綱姉喜多の名跡を継ぐ。柔道四段の腕前。趣味は油絵と遺跡巡り。もとこ夫人(文化人類学者、国立民族学博物館名誉教授・中央大学総合政策学部教授)とはおしどりアラビストとして知られている。

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