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フリーゲージ・トレインが運ぶ北海道の未来
北海道の新幹線を200%活用する
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2015年7月
- 書店発売日
- 2015年7月3日
- 登録日
- 2015年6月2日
- 最終更新日
- 2015年8月14日
紹介
北海道新幹線の新函館北斗開業が迫る。私たちはやって来る新幹線をどう活かすことが出来るのか。東海道新幹線の開業から半世紀、新幹線は常に進化している。
本書は、北海道にとって鉄道とは何かを、改めて紐解くとともに、世界最先端の高速鉄道を200%活かし、新幹線の沿線だけではなく、広く北海道に新幹線効果をもたらす具体的な方策が示されている。
人の行き来に限らず、物流の要にもなる新幹線は、北海道で更に進化を遂げる。
目次
プロローグ 3
第1 部 北海道新幹線までの道
第1 章 開拓使時代の鉄道 8
第2 章 青函トンネル物語 20
第3 章 北海道新幹線の不思議 34
寄り鉄紀行- 1(北海道鉄道事始め、選ぶはモノ) 52
第2 部 フリーゲージ・トレイン(FGT)の登場
第1章 FGTの開発経緯 64
第2章 北海道新幹線の二次交通計画 72
第3章 室蘭本線の現状 78
第4章 室蘭本線の電化計画 86
寄り鉄紀行- 2
(FGTによる函館~札幌~旭川の新在直通運転) 96
第3 部 北海道の鉄道貨物輸送
第1章 北海道~本州間における貨物輸送 112
第2章 青函トンネルにおける
新在共用走行問題とその解決方策 119
第3章 フリーゲージ・カーゴトレインによる
北海道~本州間の貨物輸送 128
寄り鉄紀行- 3(北海道からヨーロッパへ) 142
エピローグ 中里一家の北海道紀行 154
前書きなど
プロローグ
作家の田村喜子さんは「北海道浪漫鉄道」を1986 年(昭和61 年)新潮社から出版しました。物語の主人公は琵琶湖疎水工事を弱冠26 歳で成し遂げた田辺朔郎でした。1887 年(明治20年)当時、京都は東京遷都で寂れ、人口も産業も衰退していました。そこで北垣国道京都府知事は疎水工事をおこして産業を振興させ、あわせて琵琶湖から豊かな水を引くことによって京都の水不足解消を図りました。このとき工事主任に起用されたのが工部大学校(現東京大学工学部)を卒業したばかりの田辺でした。工
事は4 年8 ヵ月の歳月と125 万円(当時の価格)の経費をかけて完成し、疎水の水は今でも京都市民の貴重な水源になっています。
田辺は1890 年(明治23 年)の秋に北垣の長女と結婚し、その後、帝国大学工科大学(現東京大学工学部)教授に就任しました。また、北垣は北海道庁(国の組織)長官に転任しました。北垣は京都府の再建を琵琶湖疎水工事によって図り、北海道の開拓は鉄道を建設することで推進しようと考えていました。
北垣は田辺に北海道地図を広げ、空知太(滝川市)から上川(旭川市)、富良野原野を経て十勝の中央を貫き、釧路に至る道東の鉄道線、上川から宗谷(稚内市)、上川から網走海岸、そして函館から小樽に至る路線計画を示しました。それは北海道の東西南北を貫く1000 マイル(1600 キロメートル)の大動脈構想でした。北垣は田辺に1000 マイルに及ぶ鉄道計画および建設の責任者に就任することを要請しました。田辺は1896 年(明治29年)7 月、6 年間勤務した帝国大学工科大学教授を辞めて北海道に赴任しました。
田辺は空知太(滝川市)~上川(旭川市)の鉄道建設を監督し、完成させました。また富良野から十勝に至る鉄道路線の踏査を行い、狩勝峠越えのルートを確定しました。ちなみに狩勝峠の命名は田辺によると伝えられています。
1897 年(明治30 年)11 月、田辺は北海道庁主席技師兼鉄道技術長になり、函館と小樽を結ぶ北海道鉄道の建設計画を指導しました。この鉄道は、それまで海運しかなかった函館~札幌間の結びつきを強化し、さらに旭川―網走、旭川―稚内、旭川―富良野―帯広―釧路を結ぶ鉄道ネットワークの基軸として北海道開拓に貢献しました。
北海道における明治期の鉄道建設史を調べると、極めて優秀な人材が関わっています。その人物名と北海道における業績は次のとおりです。
(1) お雇い外国人
・ケプロン(1804 ~ 1885):アメリカ人。開拓使顧問として来日し、北海道の開発計画、基盤整備事業を指導。幌内~幌向太の鉄道計画を推進。
・クロフォード(1842 ~ 1924):アメリカ人。開拓使のお雇い外国人として来日。手宮(小樽)~札幌~幌向間の鉄道建設を指導。日本鉄道(現東北線・高崎線)の路線調査も行う。
(2) 日本人
・北垣国道(1836 ~ 1916):京都府知事として琵琶湖疎水、北海道長官として函館~小樽の鉄道建設を推進。その後、北海道鉄道の社長に就任。
・松本荘一郎(1848 ~ 1903):クロフォード指導のもとに手宮~札幌~幌内間の鉄道建設に従事。その後、東北本線の成立に貢献し、鉄道庁長官を歴任。
・平井晴二郎(1856 ~ 1926):松本らの指導のもとに札幌~幌内間の測量を担当。北海道鉄道(函館~小樽)の測量も行い、後に鉄道庁初代総裁。
・田辺朔郎(1861 ~ 1944):帝国大学教授から北海道庁鉄道部長となり、北海道全域の鉄道計画を指導、策定。後に、京都帝国大学工学科教授。
現在、札幌―函館間の鉄道輸送は苫小牧―室蘭―長万部を経由する室蘭本線ルートが中心になっています。しかし明治期には、このルートに鉄道を建設することはできませんでした。その最大の理由は長万部―洞爺間にある静狩峠の存在でした。静狩峠は山が直接海へ落ち込む地形となっており、明治以前には道路さえ作ることができない難所でした。
静狩峠に鉄道トンネルができるのは、鉄道建設技術の発展した1928 年(昭和3 年)でした。これによって北海道の鉄道軸は長万部―倶知安―小樽の函館線(山線)から、長万部―東室蘭―苫小牧の室蘭本線(海線)へ変わりました。海線は山線に比べて路線長は長くなっていますが、峠部をほとんどトンネルで通過しているため平坦な線路になっています。これに対し山線は、できるだけトンネルを作らないで峠部を通過するため、急勾配・急曲線の多い線形になっており、貨物輸送に適合しない線路になりました。また札幌―函館間の所要時間の短さから旅客輸送の主体も海線にうつり、山線を走っていた唯一の特急北海は1986 年(昭和61 年)10 月に廃止されました。
2012 年(平成24 年)8 月、北海道新幹線新函館北斗~札幌間の起工式が長万部町で行われました。完成は当初、2035 年頃と予定されていましたが、その後の政治折衝によって5 年早まることになりました。この区間の新幹線が完成すると、長万部―倶知安―小樽の山線は並行在来線となり、JR北海道の営業線区から外れ、廃線になる可能性が高まります。田村喜子さんが書かれた北海道浪漫鉄道が終焉の時を迎えました。
しかしそれはまた、新しい北海道鉄道の始まりとなります。札幌―新函館北斗―新青森―仙台―東京を新幹線でつなぐ国土軸が完成するのです。この国土軸を北海道がどのように生かすかが私たちに問われています。また新幹線が山線を通るため、海線の室蘭本線は鉄道交通の基軸から外れていきますが、鉄道貨物輸送を考えると海線の必要性は薄れることはありません。
太平洋戦争後の北海道の開発は道路の整備によって図られてきました。北海道新幹線が札幌まで完成することは、北垣長官が構想した鉄道による北海道開拓の道が復活することになります。それを伝えるのが本書、「フリーゲージトレインが運ぶ北海道の未来~北海道新幹線を200%活用する~」です。北海道における鉄道の役割を再認識し、さらなる活用を提案しながら少子高齢化社会への備えにしたいと考えています。
北海道新幹線の活用は北海道のみならず、首都圏をはじめとする日本全国に便益を与えるものです。北海道には果てしない可能性と日本を支える力があり、それを具体化するのがフリーゲージトレインなのです。
上記内容は本書刊行時のものです。