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1976年夏 東北の昔ばなし 聖和学園短期大学国文科学生(著) - 笠間書院
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1976年夏 東北の昔ばなし (センキュウヒャクナナジュウロクネンナツ トウホクノムカシバナシ) 聖和学園短大生のレポートから (セイワガクエンタンダイセイノレポートカラ)

文芸
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発行:笠間書院
A5判
480ページ
上製
定価 2,800円+税
ISBN
978-4-305-70782-6   COPY
ISBN 13
9784305707826   COPY
ISBN 10h
4-305-70782-9   COPY
ISBN 10
4305707829   COPY
出版者記号
305   COPY
Cコード
C0095  
0:一般 0:単行本 95:日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2015年9月
書店発売日
登録日
2015年7月31日
最終更新日
2015年9月16日
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書評掲載情報

2016-05-31 日本民俗学  286号
評者: 鈴木由利子
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紹介

昭和51年(1976年)の夏休みの前、仙台にある聖和学園短大で、「おじいさん、おばあさんに昔話を語ってもらい方言そのままに原稿用紙に書いて提出してください」という宿題が出されました。本書はそのレポートを元に刊行するものです。40年前の昔話の語りの実態もありありと浮かんでくる、とても貴重で愛おしい昔話の世界が、本書にはめいいっぱい広がります。

その当時、岩手・宮城を中心とする東北地方において、どんな昔話が、どんな地域で、どんな人によって、どんな人に、どのように語られていたかをも示す、いわば昔話の横断地図ともいうべきものになりました。また、明治から戦後にいたる時間の縦軸と、岩手・宮城を中心とする東北および新潟・山梨にいたる広範な地域の横軸で、昔話の立体空間をも形成しています。これまで出版された昔話の本に掲載されていない話、掲載例の少ない珍しい昔話が、めいいっぱい、つまったものになりました。

家庭のなかで、親から子へ、孫へ語り伝えられた、全153話。岩手県・宮城県・福島県・秋田県・山形県・新潟県・山梨県の昔話を収録。人は、なにを哀しみ、なにに怒り、なにを安らぎとして、生きてきたのか。素敵な私たちの物語(むかしばなし)です。

【 今の若い人には、昔話は絵本で読むもの、アニメで見るものでしょうか。公民館などで行われる昔話の実演を思い浮かべる人もいるでしょう。しかし昔は、家のなかのいろり端や寝床で子どもたちに語って聞かせるものでした。父や母、祖父や祖母が語り、子どもたちが聞く。これをくりかえしながら古くから伝えられてきたものなのです。
 今では家のなかで語ることはほとんどなくなりました。本書には、聖和学園短期大学の学生たちが夏休みに、実際に父や母、祖父や祖母などから語ってもらった昔話を収めました。当時、どの地域で、どんな昔話が、どのような言葉で語られていたのか、この本を読めばよくわかります。私たち案内人(久野・錦)は、学生たちがテープレコーダーに録音して書き起こした「昔話採集レポート」をひとつひとつ検証し、読みやすくするため漢字をあてたり、ひらがなとカタカナを書き分けたり、いろいろ工夫をして本書に載せました。声に出して読むと、昔話の「語り」の現場がよみがえってくるような気持ちになることでしょう。】…本書を読む人のために―解説をかねて、より。

目次

凡例
本書を読む人のために─解説をかねて(久野俊彦)

岩手県
◉盛岡市向中野
1 とんぼ長者/2 岩手山と姫神山/3 むじな堂
◉盛岡市永井
4 かっぱのおわび/5 大蛇の沼/6 小坊主と鬼ばば─三枚の札/7 うば捨て山/8 南面の桜
◉北上市更木
9 大蛇がズルズル/10 さるの嫁
◉遠野市綾織町
11 笛吹き峠/12 かっぱ淵/13 おしらさま
◉大船渡市三陸町
14 ねことねずみ/15 さるの嫁/16 きつねのしっぺがえし─かちかち山
◉一関市
17 身がわりの犬/18 天のあおり傘/19 星は姉、月は妹
◉岩手県
20 ほととぎすになった兄/21 うば捨て山

宮城県
◉登米市
22 みょうがの力/23 よっこいしょ/24 歯なしの話
◉気仙沼市
25 蛇体石の由来/26 門兵衛のばけもの退治/27 門兵衛の腕前/28 門兵衛の大蛇退治
◉栗原市花山
29 片目が違う
◉栗原市一迫
30 「お」抜きの嫁/31 半金沢の大蛇/32 ご天王さま/33 お産のしきたり
◉栗原市
34 どっこいしょ
◉登米市豊里町
35 食わない嫁/36 泥水の風呂/37 亡魂を見る老人
◉登米市迫町
38 姉取沼の由来/39 姉取沼の挽き臼/40 太陽をよび戻した長者
◉大崎市古川
41 化女沼のへび婿/42 緒絶川のきつね/43 酒呑童子
◉大崎市鳴子温泉
44 せきれいになった夫/45 鳴子温泉の由来1/46 鳴子温泉の由来2/47 潟沼と雄沼
◉大崎市鹿島台
48 片目が違う/49 さるの嫁/50 竜の嫁/51 きつねの恩返し/52 ふしぎな黄粉/53 きつねの嫁
◉遠田郡美里町〈旧・小牛田町〉
54 ほととぎすになった弟/55 みょうがの力/56 雪山のばけもの
◉大崎市松山
57 笠地蔵/58 やまなし採り─三人の兄弟/59 小僧と鬼ばば─四枚の札/60 古屋のもり/61 和尚と小僧─たこは金仏が/62 二人のおじいさん─地蔵の浄土
◉遠田郡涌谷町
63 食わない嫁/64 鬼は内/65 きつねの嫁入り/66 寝太郎の夢/67 地蔵の恩返し─笠地蔵
◉加美郡加美町/68 おその仏/69 白ぎつねの神社
◉加美郡加美町
70 さるの嫁/71 食わない嫁/72 あずき粥とばけもの
◉石巻市東福田
73 食わない嫁/74 和尚と小僧─フーフー、パタパタ
◉石巻市〈旧・桃生郡〉
75 眉の役目/76 雨もりぽつり─古屋のもり
◉石巻市相野谷
77 カチカチ山/78 二人のおじいさん─地蔵の浄土/79 食わない嫁/80 月は姉、星は妹/81 鉦たたきと屁ったれ/82 どっこいしょ/83 漬け物の風呂/84 豆の綱引き
◉石巻市吉野町
85 一皇子宮
◉石巻市雲雀野町
86 ぬれ仏さま
◉石巻市住吉町
87 大島神社のかっぱ神
◉石巻市北村
88 鬼ばばのような継母/89 北村の桃太郎
◉石巻市湊町
90 山男にさらわれた少女/91 ねこの踊り
◉東松島市大曲
92 小僧と山ばんば─三枚の札/93 うば捨て山
◉東松島市牛網
94 牛網の由来/95 白萩・根古の由来
◉宮城郡松島町小松
96 きつねのしっぺがえし
◉宮城郡松島町根廻
97 満開さまの由来/98 満開さまのきつね
◉黒川郡大郷町山崎
99 お天道さまとお月さま/100 さんしょう太夫/101 酒呑童子になった男/102 食わない嫁/103 山の神が見せる夢/104 品井沼のきつね/105 無欲に生きる
◉宮城郡利府町
106 おさんぎつねの玉/107 ごちそうは馬のくそ
◉仙台市宮城野区
108 宮千代の墓─宮城野1/109 乳銀杏─宮城野2/110 古峰が原神社─宮城野3/111 毛虫焼きから火事─原町/112 うなり坂─八幡町/113 広瀬川のかしこ淵
◉仙台市
114 五つのひょうたん/115 きつねの復讐/116 欲深な婆
◉仙台市若林区
117 かっぱの薬/118 正直じいさんと欲深ばあさん─地蔵の浄土
◉仙台市太白区〈旧・秋保町〉
119 お茶っ葉になった虚無僧
◉仙台市
120 きつねの失敗
◉仙台市宮城野区
121 栗ひろい─三枚の札/122 和尚と小僧─あんこは仏が/123 和尚と小僧─プープ、パタパタ、グツグツ/124 栗ひろい─三枚の札/125 和尚と小僧─いろりのあんころもち/126 三人の癖─むずむず、こすり目、鼻すすり
◉仙台市宮城野区〈旧・岩切村〉
127 二匹のきつね
◉柴田郡柴田町
128 ぬれ薬師/129 八幡太郎義家/130 仮又坂の由来
◉伊具郡丸森町
131 屁ったれ嫁/132 食わない嫁/133 「お」抜きの嫁

福島県
◉相馬市
134 子育て幽霊/135 となりの寝太郎/136 やっぱり長男/137 うぐいすになった姉
◉南相馬市小高区
138 夢とはち/139 つるは千年、かめは万年/140 きつねとたぬき

秋田県
◉湯沢市〈旧・稲川町〉
141 こぶとりじいさま/142 小僧と山んば─三枚の札

山形県
◉鶴岡市羽黒町
143 さるの嫁/144 さるときじの寄合田
◉天童市小路
145 きつねに化かされた麹屋/146 田の神さま
◉天童市天童中
147 天童城の家中

新潟県
◉柏崎市女谷
148 二人のおじいさん─地蔵の浄土/149 へびの嫁/150 人魚の肉を食べたおばあさん

山梨県
◉大月市大月町
151 吉蔵のてがら/152 無欲な吉蔵/153 吉蔵の教え

付録
題名による昔話索引
話型による昔話索引
昔話をもっと知りたい人のために 関連話型一覧表

あとがき─学生たちへの手紙(錦 仁)

前書きなど

本書を読む人のために―解説をかねて

久野俊彦

 今の若い人には、昔話は絵本で読むもの、アニメで見るものでしょうか。公民館などで行われる昔話の実演を思い浮かべる人もいるでしょう。しかし昔は、家のなかのいろり端や寝床で子どもたちに語って聞かせるものでした。父や母、祖父や祖母が語り、子どもたちが聞く。これをくりかえしながら古くから伝えられてきたものなのです。
 今では家のなかで語ることはほとんどなくなりました。本書には、聖和学園短期大学の学生たちが夏休みに、実際に父や母、祖父や祖母などから語ってもらった昔話を収めました。当時、どの地域で、どんな昔話が、どのような言葉で語られていたのか、この本を読めばよくわかります。私たち案内人(久野・錦)は、学生たちがテープレコーダーに録音して書き起こした「昔話採集レポート」をひとつひとつ検証し、読みやすくするため漢字をあてたり、ひらがなとカタカナを書き分けたり、いろいろ工夫をして本書に載せました。声に出して読むと、昔話の「語り」の現場がよみがえってくるような気持ちになることでしょう。
 昔話を語ってくれた人たちは、小さい頃、父や母、祖父や祖母から聞いた話を覚えていたのです。それを幼い子や孫に語り、そして、大きくなった彼女たち(学生)に思い出して語ってくれたというわけです。こういうものは口承文芸とよばれますが、大きく分けると昔話、伝説、世間話の三つになります。昔話は民話ともいいます。

 昔話は、語り出しの言葉が大体、決まっていました。岩手県の昔話をあげると、「とんぼ長者」(本書収録番号1。以下同)は「むがし、むがし、あるどごろに」で始まり、「んだと」「んだとさ」などを入れて語られ、「どっとはれ」で終わっています。地域特有の語り方があったのです。
 宮城県の昔話をみると、「えんつこ、もんつこ、さげだ」(29)、「どうびん」(57)で終わるものがあります。「どうびん」は山形県の昔話にもよくみられます。新潟県には「むかしがひとつ、あったそうだ」で始まり、「それで、いきはひっさけた」(148)で終わるものがあります。「ひっさけた」は栄えてめでたい話となりました、という意味です。地域によって語り方が違っていました。語り始めと語り納めが変わります。
 題名や内容は少し違うけれども、各地にほぼ同じストーリーの昔話が分布しています。これを話型とよびます。各話の題名の左に話型を示し、巻末に索引を載せたので参考にしてください。同じ話が東北地方をはじめ各地にあることがわかるでしょう。

 伝説は、特定の地名・人物・寺・神社・川・沼・木・石などの事物にまつわるいわれや由来を語ったものです。真偽のほどはわかりませんが、実際に過去にあった出来事と考えられてきた話です。主にものごとの起源を語る「言い伝え」です。
 本書には山・沼・川の起こり、神仏の由来、歴史上の人物の活躍などを語った伝説がたくさんあります。大昔、山と山が争った「岩手山と姫神山」(岩手県・2)、千年前、山から火が噴いて温泉が湧いた「鳴子温泉の由来1」(宮城県・45)は、山の神を尊ぶ神話といえそうです。「白ぎつねの神社」(同・69)、「ぬれ仏さま」(同・86)は神仏の由来を語る伝説。「姉取沼の由来」(宮城県・38)、「化女沼のへび婿」(同・41)は沼の由来を語る伝説。「南面の桜」(岩手県・8)、「宮千代の墓―宮城野1」(宮城県・108)は人物の逸話・出来事を語っています。
 伝説には、昔話のような語りの形式はありません。長いのも短いのもあります。「笛吹き峠」(岩手県・11)、「蛇体石の由来」(宮城県・25)などはそうとう長い話で、地名や事物の由来を物語っていますが、語り方や口調は昔話に近いものがあります。「北村の桃太郎」(宮城県・89)は昔話が伝説になった例です。桃太郎は石巻市北村で活躍し、神社にまつられて桃太郎神社ができたというのです。

 世間話は、うわさ話や事件、失敗談などが身近にあった話として語られるものです。地名や人名が出てくるのが特徴で、珍しい話、変わった話、こわい話が好まれて取りあげられます。「品井沼のきつね」(宮城県・104)、「ごちそうは馬のくそ」(同・107)は、きつねにまつわる話で、ある人の体験談として語られています。昔話と世間話の境界ははっきりしない場合がありますが、こうしたきつねの話は、昔話がいつしか、ある人の体験談(世間話)に変わったものでしょう。さまざまな語り方があったのですね。
 宮城県の「門兵衛」の武勇を語る話(26・27・28)、山梨県の「吉蔵」の活躍を語る話(151・152・153)は、実際にいた人物の事績を語る世間話です。後者は、自分の家の先祖について語っていますが、英雄伝説ともいえます。また、「亡魂を見る老人」(宮城県・37)、「雪山のばけもの」(同・56)のような、こわい話、不思議な話もあります。
 このように口承文芸は昔話、世間話、伝説に分けられますが、ひとつひとつの話に目を向けると、じつに多様な語り方が伝えられ、定着していたことがわかります。

 本書に収めた昔話の語り手は、明治十五年から昭和二十四年生まれまで六十一人(男性三十人、女性三十三人)を数えます。語り手は、祖父・祖母などと続柄で示しましたが、一九七六年当時、曾祖父は八十歳代、祖父母が八十から六十歳代、父母は六十から四十歳代ぐらいでしょう。その語り方をみていくと、子や孫に対する愛情がこもっている話がたくさんあります。語り手は自分のことを「おばあつあんがね」(福島県・135の地域)、「おばあちゃんなだ、つうせぇがら(おばあちゃんなんか、小さかったから)」(同・137の地域)などと述べて、小さい頃の話を交えて語ってくれたそうです。
 ほかにも、語り手と聞き手のあたたかい関係がわかるものがたくさんあります。「あとがき」に述べられていますが、孫娘が眉を剃り落としてしまったとき、おばあさんが語ってくれた「眉の役目」(宮城県・75)などもそのひとつです。この話はあまり採集されていないので貴重なものといえます。
 子どもを寝かせるときに語る昔話もありました。「雨漏りぽつり―古屋のもり」(宮城県・76)は、おばあさんが孫を寝かせつけるとき語った昔話です。「大蛇がズルズル」(岩手県・9)は、だだをこねる子どもを寝かせつけるとき母親が語った話と思われます。「泣くづと、おっかねぇもの出るぞ」と言うと、話のなかでは大蛇がズルズルと出てきてドックドックと水を飲んだ。すると聞いている子どもはドックドックと母親の乳を飲みたくなる。そのとき「そうら、ふところさへぇれ(入れ)」といって寝かせつけるのです。昔話のなかの子どもと、自分の子どもが一緒になるという、巧みな語りです。
 話の終わりに「うそじゃないよ」(宮城県「化女沼のへび婿」41)、「ほんとうだが、うそだがな(ほんとうなのか、うそなのか、さて)」(同「ほととぎすになった弟」54)などと言うのは、不思議な話だったからです。「わがったぁ(わかったかな)」(同「おさんぎつねの玉」106)と問いかけたり、「おもしがったべ(おもしろかっただろう)」(同「鉦たたきと屁ったれ」81)と言ったりするのは、話のおもしろさを子どもにきちんと届けたいからでしょう。話のおもしろさを子どもと共有したいという思いなのでしょうね。
 昔話は「むがし」「むがしこ」「むかしかだり」などとよばれていました。もちろん地域によって異なりますから、そこに注意して読むのも楽しいと思います。昔話はもっぱら夜に語られ、昼は語ってはいけなかったようです。大人たちは昼は働いているので語ってあげられません。それもひとつの理由ですが、昔話の主人公たちが活動するのは夜、と考えられていたらしく、それで昼は語らなかったようです。
 語り手は、話を語り進めながら時々、「したればな(そうするとね)」「ほしてや(そうしてね)」「それがらや(それからね)」などと言いました。これを合の手(間の手・相の手とも)といいます。子どもも時々「うんうん」とうなづいたり、「どごでっしゃ?(どこで)、いづっしゃ?(いつ)」「それがら、なじょしたべ?(どうしたの)」などと相づちをうちました。もっとくわしく語ってちょうだい、話の先を早く語ってちょうだい、とせがんだりしたのです。そういう声が聞こえなくなると、子どもはすっかり寝入っているというわけです。
 昔話は、地域の人々のふだん使っている方言で語られます。それは語り手と聞き手の心を結び付けます。方言によって表現力が豊かになり、地域に生きる人々の心、自然と人間の関係がより真実味をもって響いてきます。その一例、「笠地蔵」(宮城県・57)から、雪の降るようすをあげてみましょう。
 黒く曇った空から雪が「トサトサ」と降ってきた。次に「モツモツ」と降ってきて、地蔵さまの頭をすっぽりと覆った。雪を払ってあげると地蔵さまの肩に雪が「フワフワ」と降りかかった。その晩は雪が「シンシン」と降った、とあります。
 「トサトサ」は、降り出した雪の音を感じさせます。「モツモツ」で、雪がどんどん積もっていきます。「フワフワ」は綿のように軽い雪を思わせ、「シンシン」は冬の夜の更けていく雰囲気を感じさせます。雪の降り方が刻々と変化していきます。雪の降るようすをこれほど巧みに語り分けた昔話はないでしょう。すぐれた語り手というべきです。
 本書に収めた一五三話から、その昔、どんな昔話が、どのように語られていたのか、よくわかります。どの地域で、どんな人が、だれに語っていたのか、これもよくわかります。今をさかのぼる四十年ほど前まで、こういう昔話が各地で語られていたのです。大人たちは子どもに語って楽しみ、子どもたちは聞いて楽しみ、そして大きくなったわけです。

 今は、夜のいろり端や寝床で自分の家の子どもに昔話を語り聞かせることはほとんどんなくなりました。そのかわり公民館などを会場に、多くの人に語り聞かせることが増えてきました。語り手は舞台の上で語るのです。
 時代の流れに抗することはできませんが、ほんとうの昔話を思い起こす工夫と努力をしてみたいものです。そのためにも本書を声に出して読んで、昔話の本来の姿を思い浮かべながら味わっていただきたいと思います。

著者プロフィール

久野 俊彦  (ヒサノ トシヒコ)  (

東洋大学文学部非常勤講師。民俗学。博士(文学)。『絵解きと縁起のフォークロア』(森話社、2009年)、『偽文書学入門』(柏書房、2004年、共編著)、『日本の霊山読み解き事典』(柏書房、2014年、共編著)など。

錦 仁  (ニシキ ヒトシ)  (

新潟大学名誉教授。中古・中世文学。博士(文学)。 『小町伝説の誕生』(角川選書、2004年)、『なぜ和歌を詠むのか 菅江真澄の旅と地誌』(笠間書院、2011年)、『宣教使堀秀成 だれも書かなかった明治』(三弥井書店、2012年)など。

上記内容は本書刊行時のものです。