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大樟の里/田舎日記
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2021年9月9日
- 書店発売日
- 2021年10月1日
- 登録日
- 2021年9月22日
- 最終更新日
- 2021年10月23日
紹介
《田舎日記シリーズ第5弾》
京築の豊かな文化的土壌から生まれた
郷土の遺産、嶋田家の〈書・絵・短歌〉と
光畑浩治「田舎日記」エッセイ108話のコラボ。
大樟の里で暮らす嶋田家。「小笠原藩主とともに逃げ延びた一族」である明治生まれの嶋田徳三さんは、下枝董村の流れを汲む「かずら筆」で書を書き、“大樟の画家”として知られる息子・嶋田隆さんは、樹齢1900年「本庄の大樟」(築上町、国指定天然記念物)を80年にわたって描き続け、そして妻・洋子さんは豊かな自然を背景に「暮らしの歌」を詠んだ。──今回収録した三者それぞれの表現と108話のエッセイは、郷土への深い想いに彩られている。
★書10点、絵55点カラー掲載/表紙写真:野元 桂/題字:棚田看山
前書きなど
■「はじめに」より抜粋(野元千寿子、藤原千佳子)
人はなぜ趣味を持つのだろう。ポルトガル語ではpassa tempo、直訳すれば「時間が過ぎる」ことだ。日本語の「暇つぶし」がそれにあたるかもしれない。この本に収められている書、絵画、短歌は両親と祖父が長年行ってきた「暇つぶし」の産物だ。三人とも黙々と、時に楽しげに、時には何かに取りつかれたかのように力を込めて、向き合っていた。
父と祖父にはそれぞれ弟がおり、よく酒を酌み交わしては昔話をしていた。かつて「ゴヘンドー」というものがあってみんな大変だったらしい。幼い子供の耳に残ったのは、城に火を放った、刀傷が元で戦死した、山をいくつも越えて逃げた……と物騒な話ばかりだった。それが「御変動」で、明治維新の先触れのことだと理解したのはかなり後になってからだ。(略)
祖父は縁側でよく字を書いていた。墨を磨るのは孫の役目で、筆にたっぷりと含まれた墨が瞬時に形を変えていく様を、息を止めて見ていた。祖父はある時から、曲ったすりこぎのような枝に切れ目を入れて筆を何本も自作するようになった。それは墨を含まず、かすれて書きにくそうだった。何度も作り直していたのは蔓筆で、訪ねてきた叔父にその由来や作り方を話す時の祖父は殊の外楽しそうだった。九十一歳で亡くなるまで筆致は衰えず、同じ字を蔓筆と毛筆で書いては、その違いを楽しんでいるようでもあった。(略)
趣味の時間とは、我々が日常や現実を離れて一人になれる時だろう。過去を振り返り、自分と向き合う時間かもしれない。誰にも言えない心の傷、ふいに頭をもたげる悲しみ、苦しいまでの後悔……。三人が三様の趣味に傾注したのは、それぞれの心をとらえていた鎮魂や贖罪の念を昇華するために、生かされている自分と対峙していたからではないだろうか。
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■「おわりに」より抜粋(光畑浩治)
令和2年の夏、一冊の「画集」に出会った。福岡県築上町本庄に生まれ育ち、暮らした嶋田隆さん(1916~2010)の『嶋田隆作品集─樟を描いて八十余年』だ。
嶋田さんは、旧制豊津中学校から小倉師範学校へ入り、戦後、中学校の数学と美術の教師を務めた。絵は「本庄の大樟」を一途に描き続けた。彼は、絵と歩き、「いつもそこには樟の木があった」といい、「生命力の強さに驚き、新しい発見と感動」を受け続け、数多くの「本庄の大樟」が生まれた。
作品は国内各地の展覧会はもちろん海を越え、アラブやバングラディシュ、サロン・ド・パリ・ニューヨーク展などに出品。さらに「本庄の大クス書き続け」て六十年、七十年と各メディアにも取り上げられ郷土の「大樟」紹介に大きく貢献した。大樟のそばで暮らして絵一筋の道を歩み続けた人生だったようだ。(略)
この度、郷土の文化遺産を伝え、育んだ先達夫妻と、その父の貴重な作品に添わせていただけたことに深甚なる敬意を表したい。
上記内容は本書刊行時のものです。