書店員向け情報 HELP
出版者情報
在庫ステータス
取引情報
フラワーデモを記録する
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2020年4月11日
- 書店発売日
- 2020年4月11日
- 登録日
- 2020年3月6日
- 最終更新日
- 2020年4月23日
重版情報
2刷 | 出来予定日: 2020-10-20 |
MORE | |
LESS |
紹介
「花を持って集まりましょう」
あの晩、日本の#MeTooが大きく動いた。
2019.3.12 福岡地裁久留米支部
サークルと称した飲み会で酩酊した女性への準強姦事件。女性が抵抗できる状態でなかったとしながらも、男性の故意が認められないとして無罪。
3.19 静岡地裁浜松支部
コンビニ帰りの女性が外国人男性から口腔性交を強要された強制性交致傷事件。加害男性からみて「明らかにそれと分かる形での抵抗はなかった」として無罪。
3.26 名古屋地裁岡崎支部
娘が中学2年生のときから性虐待をしていた実父の準強姦事件。娘への性的暴行を認めながらも、「抵抗しようと思えばできた」として無罪。
3.28 静岡地裁
当時12歳の娘への実父が性虐待を行った疑いのある事件。家が狭く「同室の家族が気づかないのは不自然」だから、信ぴょう性がないとして無罪。家から押収された児童ポルノ所持の罪で、父親には罰金10万円。
2019年3月に4件続いた性暴力事件の無罪判決をきっかけに、性暴力に抗議する運動としてはじまった「フラワーデモ」。4月11日に東京・大阪の2都市ではじまったこのデモは、どんどん全国に広がり、5月には4都市、6月には11都市と増えていき、参加者はのべ1万人超、1年で47すべての都道府県から声が上がりました。
本書は、フラワーデモにかかわった側からこのフラワーデモの一年間を振り返り、性暴力を許さない社会へと繋げていくための一冊です。
(内容)
全国主催者や、これまで性暴力事件を取材してきた新聞記者やライター、長年被害者とともに戦ってきた弁護士などの専門家、そして参加者による寄稿、刑法の問題点を整理したレポートなどでフラワーデモの1年間を記録する。
*この本の利益はすべて、今後のフラワーデモおよび、性犯罪刑法の改正を求める被害当事者団体Springの活動費に充てられます。
目次
2019年3月~2020年3月の出来事 文・小川たまか
はじめに――痛みの声が聞かれるまで 北原みのり
【寄稿】
「なかったこと」にしない 安部志帆子(毎日新聞記者)
歴史が変わるとき 河原理子(ジャーナリスト)
あたらしい夜明けを告げるフラワーデモ 角田由紀子(弁護士)
声をあげることの力 山本潤(一般社団法人Spring代表理事)
声をつなぐ 牧野雅子(社会学、ジェンダー研究)
フラワーデモに加わらなかったあなたへ 小川たまか(ライター/一般社団法人Springスタッフ)
花を持って元栓を締めに 長田杏奈(ライター)
フラワーデモ刑法勉強会 講師:村田智子弁護士
【私たちが声をあげた記録】
47都道府県&バルセロナ主催者がふり返る
スピーチ再録
2019年7月11日@東京
2020年1月11日@東京
2019年7月11日@名古屋
2019年2月11日@名古屋
2019年7月11日
主催者座談会「私たちはことばを得た」
記録の記録 松尾亜紀子
VOICES(公式サイトに届いた「声」)
前書きなど
はじめに――痛みの声が聞かれるまで 北原みのり
2019年4月11日、夜の東京駅前行幸通り。鉛のように重たく閉じていた目の前の扉が、ゆっくりと開いていく音を聞いたように思った。東京の夜空のもと、初めて出あった人たちの前で、女性たちが、マイクを手にして過去の痛みの経験を次々に語りはじめたのだ。あの晩、日本の#MeTooが大きく動いたのだと思う。
きっかけは同年3月12日に出された毎日新聞の速報だった。
何杯もテキーラを飲まされ酩酊した女性への準強姦罪(当時)が問われた事件で、裁判官は同意がなかったこと、また女性の抗拒不能状態を認めながらも、男性の故意を認められないとして無罪判決を出した。
その後、性暴力事件の無罪判決が間をおかず報道されはじめた。3月19日に静岡地裁では深夜、男性に声をかけられた女性が暴行をされ、同意がなかったことは認められたが男性に故意がなかったとして無罪。3月28日静岡地裁で、12歳の娘への性虐待事件で、同室の家族が気がつかなかったのは不自然として父親が無罪。この男は児童ポルノ所持で罰金刑10万円を受けた。3月26日、名古屋地裁で出された無罪判決は衝撃だった。娘への性虐待加害をした父親に対し、同意がないことを認めながらも、娘が日常生活を送っていたことを理由に「抗拒不能とはいえない」と無罪を出したのだ。
当然、司法が下したこれらの判決には抗議の声が高まった。「裁判官にジェンダー教育を」というキャンペーンをたちあげた人もいた。しかしその一方で、「無罪判決を批判するのは危険だ」「#MeTooもいいけど人権も考えてほしい」といった法律の専門家たちによる「たしなめ」の声も徐々に大きくなっていった。
おかしいと感じることにおかしいと声をあげる。私たちの声は、それほど大それたものなのだろうか。いったい幾度、同じ目にあえばいいのだろう。
痴漢は性暴力だと声をあげれば「えん罪」をどう考えるのか? と問われ。
AVは性差別だと声をあげれば「表現の自由」をどう考えるのか? と問われ。
世の中を変えたいならまずは冷静になれ、そんな言い方じゃ伝わらない、とたしなめられる。自分が感じる痛みを声にするだけのことに、私たちはなぜこんなに用心深く、脇をしっかり締め、間違いが絶対にないように、相手の顔色を窺いながら、ひそひそと語らねばならない気分にさせられているのだろう。
限界だった。もう黙らなくていい、おかしいことはおかしいと言っていい、声のトーンを問われ、怒る声をばかにされる空気を変えたい。そんなことをエトセトラブックスの松尾亜紀子さんと話し、ツイッターのアカウントをつくりSNSに呼びかけたのが4月4日だ。その時のアカウントはitisrape_japanだった。これはレイプだ、同意がなければレイプなのだ。その声を高らかに東京の空に向かって私たちは確認したかったのだ。
冷たい春の夜だった。行幸通りに予定の30分ほど前に行くとすでに、花を持った女性が一人いた。声をかけると「岡山県からこのために来ました。いてもたってもいられなかった」と目に涙を浮かべながら話してくれた。そんな風に最初はぽつぽつと、互いに確かめあうように人が集まりはじめ、スピーチをする間に勢いよく人の輪は膨らみ続け、いつの間にか500人を下らない大きく太い円になっていた。驚いたのは予定していた8人のスピーチが終わり1時間経っても、その場を立とうとする人がほとんどおらず、誰からともなく「私も話したい」と手をあげはじめたことだった。
あの日、幼い頃から性暴力を受け続けてきた女性がいた。成人してから記憶が蘇り、そのトラウマのため就学や就職もままならず、ようやく手にしたアルバイト先で今セクハラにあっている、と。「なぜ被害者が転々としなければいけないのか」と訴える声に花をもつ人の輪が静かに揺れるように泣いた。語らなければいけない痛みの記憶、語らなければなかったことにされるあの日のこと、あの晩語られたすべては、あなたの話でありながら、それはすべて私の話のように胸に落ちてきた。声が次の声を呼ぶように、私たちは止まらなくなっていた。
「日本で#MeTooは始まらないと言われてたけど、もう始まってますよね!?」
手足の先の感覚がなくなるような寒さのなか、松尾さんが震える声でみんなに呼びかけた。動員をかけたわけではない、フラワーデモという名前もまだない、次の予定も決まっていない、なにより明確な目的があったわけじゃない。ただいてもたってもいられない者たちが集まり語り出すことによって、「もう黙るのをやめたい。変えたい」と見ず知らずの者たちが手を握り合う場をつくったのだ。
(…)
4月のデモを終えた後、思わぬことが次々におきた。なかでも「福岡でもやりたい」と黒瀬まり子さんが連絡をしてきてくれたことは、その後のフラワーデモの方針を大きく決めただろう。福岡で声があがったことで、これが大都市の一極集中で行うデモではなく、日本全国どこでも私たちの暮らす場で声をあげる運動としての性格が早い段階から形成されていった。
なかには「一人でもいいから自分の住んでいる駅で立ちたい」と声をあげた女性もいた。その声に改めて突きつけられるのは、性暴力は、私たちの日常、生活圏で起きる暴力であることだ。だからこそ、私たちは自分たちの生活する場で立ちたいと願うのだ。そのような切実な声が、最終的に47都道府県までフラワーデモが広がった理由なのだと思う。
この一年、私は、東京、大阪、福岡、名古屋、京都、群馬、静岡、長崎、沖縄、横浜、埼玉、新潟のフラワーデモに参加してきた。不思議なことに、どの地域の人も決まって同じことを言った。「この県は本当に酷いです」女性が諦めることによって、口を閉ざすことによって、この国の性差別は放置され、再生産され続けてきた歴史がある。強烈な性差別文化に「ここが底のはず……」と喘ぐように生きている女性があまりにも多い。ある都市では高校生が「男の人が怖い」と泣いた。幼い頃から砂場で遊んでいれば性器を見せてくる成人男性がいた。鉄棒を練習していれば通りすがりにパンツの中に手をいれてくる成人男性がいた。大人になれば常に値踏みされる視線にさらされ続ける。もう限界なのだと彼女は静かに抗議した。ある都市では「都会では家出した女の子が性産業に巻き込まれることが問題になっているが、ここでは実家から性産業に通う女性が多いです」と話してくれた人がいた。娘が性産業で働くことをあてにした貧困家庭が少なくないというのだ。
日本中、どこにいっても、そのような話はいくらでも、本当にいくらでも溢れるように出てきた。
フラワーデモの目的は何だとよく訊かれてきた。わかりやすい目的を一つだけには絞れない。性犯罪刑法の改正は求めたい。同意年齢を引き上げること、暴行・脅迫要件の撤廃をし、公訴時効をなくし、同意のない性交は罪に問われるべきだ。それでも法律だけが変わるだけでは不十分なのだと突きつけられる一年だった。私たちは根底から変えたいのだ。この女性嫌悪に溢れた社会を変えたいのだ。フラワーデモを重ねる度に、その思いは強まっていった。
「被害者が話しはじめた」と、フラワーデモは報じられることが多かった。確かにその通りなのだが、回を重ねるごとに気づきを得ることも多かった。
あるフラワーデモでこんな話をした男性がいた。幼い頃に成人男性から被害にあい、友人に話をしたが、「女みたい」「気持ちよかったか」とからかわれただけだった。今も性的なことに恐怖感があり、特に妊婦をみると嫌悪がわく、そういう自分が怖い。そんな話だった。
性暴力被害者の多くは女性と子どもで、男児の被害も相当にある。女児が性被害を受けると「おまえにもすきがあった」と責められる一方で、男児が性被害を受けると「気持ちよかったか」と嘲笑されることは珍しくない。男性の被害は被害と理解されにくいことも含めて、言葉にすることが難しいのだ。
彼は40代半ばくらいだったろうか。長いトラウマのため精神障害をわずらい生きづらさを全身で表現しながら、とつとつと語った。印象的だったのは彼が話し終わった後だ。目の前の人々が彼の方をじっとみて花を握り話を聞いている姿をみて、彼ははじかれたように目をみひらき、驚いた口調でこう言ったのだ。
「こんな風に僕の話を真剣に聞いてもらったのは、初めてです……」
被害者が語り出したのではない。彼の話を聞いてそう思った。これまでも被害者は様々な方法で伝えようとしてきたのだ。それぞれの人生、それぞれの場で、一人でもがきながら声をあげようとしてきた、誰にも信じてもらえなかった、聞いてもらえなかった。証拠もなく、目撃者もいなく、今さら語っても何にもならない。そのように被害者は次第に声を出すことを諦めていったのかもしれない。だからこれは「勇気をもつ被害者が声をあげはじめた」運動ではなく、性暴力被害者の声を聞く力を私たちが問われる場なのだと、彼の大きく見開いた驚きの目に私は教わった。
この一年で、強い連帯をつくってきた。特に長いあいだ女性運動に関わってきた女性たちとの出あいは貴重なものだった。性暴力に抗議する運動は決して新しいものではない。むしろ女性運動の根幹ともいえる長い歴史の上にある。フラワーデモはそのように、上の世代の女性たちと若い世代がつながる場にもなっていった。
(…)
2020年3月12日、名古屋地裁岡崎支部で無罪とされた父から娘への性暴力事件に、高裁で有罪判決が出された。一審で無罪が導きだされた「事実」の全てが、二審では有罪の証であるとされるという、被害者の視点から性暴力を捉えた判決だった。例えば一審では、性暴力を受けながらも日常生活を共に送っていた事実をもって「被害者は精神的抗拒不能になかった」としたが、二審では、「何事もなかったように日常を過ごす、それが性暴力被害者の日常なのだ」と語られた。
激しい暴行をせず抵抗しようと思えばできたという一審の判決を、長年の支配の末、暴力を振るうまでもなく支配できる状態にあったと考えるのが合理的、と判断した。
この日は、毎日新聞の安部志帆子記者が福岡地裁久留米支部の無罪判決を報じてちょうど一年目だった。偶然ではあるけれど、この一年で性暴力への認識が変わってきているのを実感する。2月には福岡地裁久留米支部での判決も破棄され、懲役4年の実刑判決が下された。一年前にこれらの判決が出されなかったことの重みを突きつけられながらも、それでもこの一年で私たちから見える景色が変わってきたのは事実だ。多くの声によって、その声を聞く力によって、そしてその声を届ける記者たちの真摯さによって、私たちは社会の空気を変えてきた。過去を語ることによって、未来を変えたいという切実さが希望を生み、社会を変えたいという祈りが、諦めない強い声になったのだ。
フラワーデモは、静かなデモだ。女性が女性を信じ、助ける場所だ。社会に求める空気を自らつくりだし、痛みの声が聞かれる場、その力を私たちはたくさんの涙を流しながら、ようやく手にしたのだと思う。
これはフラワーデモ一年の記録、私たちの声の記録です。
上記内容は本書刊行時のものです。