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二・二六事件 引き裂かれた刻を越えて
青年将校・対馬勝雄と妹たま
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2021年10月12日
- 書店発売日
- 2021年10月12日
- 登録日
- 2021年9月3日
- 最終更新日
- 2021年10月11日
書評掲載情報
2021-11-13 | 東京新聞/中日新聞 朝刊 |
2021-10-15 |
東奥日報
評者: 櫛引素夫(青森大学社会学部教授) |
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紹介
あの朝、一発の銃弾に引き裂かれた兄と妹は、80余年の時を越えて再会できたであろうか。
1936年に起きた二・二六事件の蹶起将校として死刑判決が下され、銃殺された津軽出身の青年将校・対馬勝雄。
「非公開、弁護士なし、一審のみ」で進められた裁判は事件から約4カ月後に結審、17人に死刑判決が下され、処刑はわずか7日後に行われた。
7月12日の処刑の朝、勝雄の妹たまは処刑が執行されたという報を受け、代々木に向かった。そこには三角のテント群の遺体安置所が設けられていた。
あの朝から80余年、たまは兄のことを決して忘れまいと、遺された日記や手紙、写真を整理し『邦刀遺文』と名づけた大部の遺稿集としてまとめ、同時に兄の生と死のすべてをノートに記し続けた。
「兄の真実を伝えたい」と願う執念が遺したその『記憶のノート』と『邦刀遺文』、青年将校の遺族たちの証言などをもとに、東北の貧しい農村に育った兄と妹にとって二・二六事件とは何であったのかを描くノンフィクション。
目次
まえがき
第一章 遺族の苦悩、声なき伝言
第一節 死の床で描いた処刑の朝
鬼気迫る絵/兄、対馬勝雄中尉/二・二六事件の真実とは/八三年前の光景を語る/供養続ける「仏心会」の人々/同じ境遇を背負った遺族/最後のあいさつの手紙/事件は終わっていない
第二節 デスマスクが語るもの
生々しい銃弾痕/事件後を生き抜いた同志/故郷天草へ思い抱き/農村窮乏への怒り/苦界の女性を救おうと/村中と再会、事件へ
第三節 殺した側、殺された側の歳月
内大臣、教育総監の襲撃計画/天草に届いた事件の報/悲嘆に暮れた家族/先人に導かれ仏心会代表に/父の惨殺を見た九歳の少女
第二章 貧しき暮らしと軍人
第一節 津軽の村に始まる一家
日露戦争の帰還兵/大火で消えた新生活の夢/長老から愛された秀才/父の反対を押し切り進学/父の大酒、母の苦労
第二節 勝雄、陸軍幼年学校へ
早く出世できる道を/独断の受験と合格通知/「町の星」になった勝雄/母も一念発起する/帰郷した「少年団」のリーダー/突飛で不可思議な行動/「斬れない刀は無意味」
第三節 廃校の憾み、少年に宿り
仙台陸軍幼年学校/青森発夜行列車の孤独/理想世界廃する理不尽/軍縮と軍人軽視の時代/新思潮と大衆運動の変革期/勝雄の秘密を覗いた妹/軍人は政治に口を出すべからず/宮城野原もとおくなりつヽ
第三章 津軽義民への道
第一節 楽園は小作争議に消え
無垢なる童心の帰る地/夏休みを過ごした古里/想像絶する貧しさ/巨大地主と小作人/車力村小作争議/「二・二六事件の原点」/少年時代の終わり
第二節 昭和四年 運命の出会い
姉タケの上京/「ひねくれるな はかなむな」/「国家改造」の気運/大岸頼好との面会/救国ノ名ニ於テ軍人ハ起ツ/昭和の激動の始まり
第三節 満州事変前夜
石原莞爾の登場/父も戦った「神話」の地/東北を呑み込んだ恐慌/弘前第三十一連隊の少尉/ロンドン軍縮条約に怒り/ケカツ鳥の啼く年/たまさん、職業婦人に/昭和恐慌下の東京/兄と青年将校運動/「蹶起」に焦がれて/勝雄、満州へ出征
第四章 分かれ道の兄妹
第一節 戦場と青年将校運動の間で
血気滲む挨拶状/戦いなき日々の鬱屈/「最も急進的なる革命家」/藤井斉の決意と死/燃えだすテロの季節/五・一五事件の衝撃/満州の激戦、募る焦燥
第二節 昭和維新胎動の中へ
山村に残る凶作の記憶/新聞が報じた農村の惨状/慰問袋と兵士たち/高粱畑の終わりなき戦い/無二の同志の戦死/共ニ死スヘキ部下カ後顧ノ憂ヲ
第三節 戦塵の彼方、見果てぬ夢
農の暮らしへの憧憬/先鋭化する小作争議/家族に満州移民を勧め/「生産権奉還」に共鳴/大凶作に続く三陸津波/死ぬことを当然と願う
第五章 家族の二・二六事件
第一節 束の間の幸福に吹く嵐
豊橋教導学校の教官に/維新運動への迸る情熱/「吉田松陰は此んな型の人では」/軍人の娘、千代子と結婚/陸軍大学校受験に意欲/相沢事件と予期せぬ不合格
第二節 蹶起 されど我が兵はおらず
新教育総監への反発/一変した学校での境遇/磯部から「決行」の報/妻と我が子と、永遠の別離/挫折した生徒動員の計画
第三節 面会所に集う最後の日々
新聞号外に兄の名前/わずか四日間、蹶起鎮圧/看守が伝えた死刑判決/傷心の両親上京、面会へ/素顔に戻った「兄」/イタコが語った勝雄の魂
エピローグ
あとがき
前書きなど
まえがき
その朝から、八三年、「忘れない」ことを心に決めたように生きた女性がいた。「兄のすべてを記憶する」という使命を自らの人生に課したように、ノートに記し、手紙につづり、二〇一九年六月に一〇四歳で逝くまで、八三年間、兄を語り続けた。
波多江たまさん。一九三六(昭和一一)年七月一二日朝、二・二六事件で死刑判決を受けて銃殺刑となった青森市出身の青年将校、対馬勝雄の六歳下の妹だ。
わずか五〇〇部が世に出た『邦刀遺文』という本がある。勝雄の短い生涯の記憶を残そうと、遺族が戦後になって自費出版した。長い手記を書き、編集の中心になったのが、たまさん。河北新報記者時代の私が、東北の歴史を主題にした新聞連載の取材の中で知り、弘前市の自宅に初めて訪ねたのが一九九九(平成一一)年だった。
二・二六事件は「昭和の大凶作」の時代を背景に、青年将校たちが「農村救済」を旗印の一つに掲げて蹶起した。が、激烈な訴えの獄中手記を残した磯部浅一、首相官邸を先頭に立って襲撃した栗原安秀、歩兵第三連隊を動かした安藤輝三らのような首謀者ではない勝雄のことは、ほとんど知られていなかったのではないか。その時たまさんが話したのは、悲劇の軍人譚ではなく、津軽の農家出の貧乏所帯ながら、義侠心篤い父、優しく明るい母、仲の良い四人兄妹の浜の町の暮らしだった。親孝行で聡明で妹思いの兄の肖像を、今もここに生きているかのように物語った。
そして、「遺族は長い間沈黙を強いられたけれど、事件をやっと公に語れる時代になった」、「『私心』というものがなく、貧しい人々を助けたい一心で立ち上がった兄の真実を伝えたい」と、戦中戦後を通して胸に秘め続けた思いを吐露した。
妹の心情を、私は連載の一本にまとめた。喜んでもらえたが、千余文字ではとても伝えきれぬ悔いが残り、それからも弘前訪問を重ねて、「お兄さんの本をいつか、たまさんに読んでもらいますね」と約束までした。しかし、二〇一一年三月一一日に起きた東日本大震災、福島第一原発事故がそれからの歳月、福島出身の私を被災地取材に明け暮れさせた。たまさんは、原発事故や今の時代の政治に、自ら知る戦前の暗部を重ねた警句を込めながら、私に励ましの手紙を毎月のようにくれた。そこにも勝雄の思い出をつづり、やがて兄のもとへ旅立った。
再び悔恨に襲われた私に、娘の多美江さんから送られてきたのが、勝雄の手紙や写真と、たまさん自筆の大学ノート十数冊分のメモ。『邦刀遺文』の基になったもので、鉛筆書きで勝雄と家族の歴史がつづられ、たどたどしいが、あの時代に居合わせた者だけの克明な描写、生の感情と肉声が数々息づく。伝えたい執念が残した『記憶のノート』と、後を託された私は名付けた。津軽の浜から二・二六事件まで、兄と妹の生きた軌跡を読み解くことから本書が生まれた。
版元から一言
新聞記者として、たまさんと出会い、その執念と人柄に魅せられた著者は、20年に及ぶ取材と調査を重ねて、ついに兄と妹の「二・二六」を描き切りました。現代史に新たな光を当てる渾身のノンフィクションです。
上記内容は本書刊行時のものです。