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たちあがれ琉球沖縄 仲嵩達也(著) - あおぞら書房
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たちあがれ琉球沖縄 (タチアガレリュウキュウオキナワ) 政治学・法律学で考える海洋王国の歴史と未来 (セイジガクホウリツガクデカンガエルカイヨウオウコクノミライ)

社会一般
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四六判
縦188mm 横130mm 厚さ18mm
288ページ
並製
価格 1,600円+税
ISBN
978-4-909040-06-0   COPY
ISBN 13
9784909040060   COPY
ISBN 10h
4-909040-06-4   COPY
ISBN 10
4909040064   COPY
出版者記号
909040   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2022年8月9日
書店発売日
登録日
2022年7月7日
最終更新日
2022年10月12日
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紹介

与那国出身、沖縄の歴史と心を知り尽くす著者が、琉球のアイデンティティ再建を訴え、沖縄独立の可能性を政治学と法律学の観点から論じる。本土の人間にとっては、「沖縄から見るとすべてが違って見える」ことを実感させられる本。

著者は、沖縄戦の際に軍部に抵抗して島民の命を守った気骨ある医師の孫。沖縄返還前、中学3年生の夏には、「豆記者」として東京に招かれ、佐藤栄作首相(当時)に「一日も早く沖縄を抱き取って下さい」と訴えた。佐藤が目頭を押さえるのを見て、子ども心に気持ちが通じた手応えを感じたが、翌日の全国紙に掲載された記事の見出しは、「政界の団十郎、沖縄の子どもたちに大芝居」というものだった。

いま、半世紀の時を経て改めて訴える――琉球の明日は、日本からの押し付けではなく、うちなんちゅ(沖縄人)が主体的につくっていかなくてはならない。琉球沖縄を取り戻せ!

[目次]
第1章 薩摩藩による侵略――奪われた海洋国の豊かさ
第2章 琉球処分――嘘と暴力による併合
第3章 植民地支配――薩摩藩から明治政府へ
第4章 沖縄戦――皇土防衛の捨て石
第5章 戦後復興――それは与那国島から始まった
第6章 昭和天皇――沖縄から逃げ続けた大元帥
第7章 米国への献上品――日本独立の犠牲となった沖縄
第8章 米軍の占領政策――「戦利品」としての沖縄
第9章 沖縄返還――日本は沖縄を米国に売った
第10章 辺野古米軍基地――物理的に不可能、安全保障面で無意味
第11章 日米地位協定――固定化してしまった憲法違反
第12章 安全保障――対米従属で高まる戦争の危機
第13章 尖閣諸島――日本政府が恐れていること
第14章 琉球独立――世界平和の架け橋となれ

目次

第1章 薩摩藩による侵略――奪われた海洋国の豊かさ
第2章 琉球処分――嘘と暴力による併合
第3章 植民地支配――薩摩藩から明治政府へ
第4章 沖縄戦――皇土防衛の捨て石
第5章 戦後復興――それは与那国島から始まった
第6章 昭和天皇――沖縄から逃げ続けた大元帥
第7章 米国への献上品――日本独立の犠牲となった沖縄
第8章 米軍の占領政策――「戦利品」としての沖縄
第9章 沖縄返還――日本は沖縄を米国に売った
第10章 辺野古米軍基地――物理的に不可能、安全保障面で無意味
第11章 日米地位協定――固定化してしまった憲法違反
第12章 安全保障――対米従属で高まる戦争の危機
第13章 尖閣諸島――日本政府が恐れていること
第14章 琉球独立――世界平和の架け橋となれ

前書きなど

はじめに

沖縄では、初夏のことを「うりずん」という。3月初旬から5月初旬にかけて、1年のうちで最も気候が安定しているのどかな季節である。
しかし、江戸時代に薩摩藩が琉球国を侵略したのも、明治政府が琉球処分という名の侵略を行ったのも、そして県民の4人に1人が理不尽な死に追いやられた沖縄戦も、すべて「うりずん」の季節だった。琉球沖縄の歴史は、最良の季節に最悪の色に染められている。

天下分け目の関が原の戦い。薩摩藩は西軍の先頭に立って真っ先に切り込むふりをしながら、戦うことなく堺の港から逃げ帰った。戦費が工面できなかったのである。薩摩藩は九州制覇の野望を秀吉に打ち砕かれて領土を失い、懲罰金を課されたため、財政が破綻していた。
そこで薩摩藩は、当時東アジアの海洋大国として繁栄していた琉球国の財宝に狙いをつけた。1609年に琉球王国を侵略し、首里城の地下室に保管されていた金銀・黒糖・泡盛・織物等を略奪した。ヤマトによる琉球の民族的差別の始まりである。以後、琉球王国は270年近くも薩摩藩に搾取され続けた。琉球王国からの略奪で財政を立て直した薩摩藩は、幕末には現在の価値で150億円も蓄財。これが倒幕の軍資金となった。

薩摩藩の琉球侵略から270年経った1879(明治5)年、明治政府も「琉球処分」という名の琉球侵略を行った。
当時、琉球王国は米国、フランス、オランダとのあいだで国際条約を結んでいた。つまり欧米列強も認める独立国、主権国家であった。しかし明治政府は、琉球は日本の一部であり、琉球処分は日本の国内問題だと言いつのった。それを裏づける形をつくるため、ヤマトの天皇と琉球国王のあいだにあたかも君臣関係が存在していたかのような事実を捏造し、琉球が天皇を戴く明治政府に逆らうことは謀反であるとした。そして、それを「処分」するという国内法形式でカムフラージュして琉球侵略を国際的に正当化したのである。
薩摩藩と明治政府が戦った西南戦争は、薩摩藩がつくりあげた搾取の構造をどちらが承継するかをめぐる両者の争いであった。勝利した明治政府は最新鋭の装備で固めた軍隊と警察を琉球に送り込み、尚泰王に首里城の明け渡しを強要した。尚泰王は政府の軍船・東海丸でヤマトに連行され、東京・九段で幽閉された。こうして約700年続いた琉球王国は滅んだ。

琉球侵略で味を占めた明治以後の日本は、日清戦争で台湾を植民地とし、さらに韓国併合、満州事変、そして太平洋戦争へと膨張と侵略の道を歩み続けた。
そして沖縄戦(1945年)。米太平洋艦隊は軍船約1500隻と兵員約55万を引き連れて沖縄に上陸した。迎え撃つ日本軍は陸軍8万、海軍1万、沖縄で動員された防衛隊・学徒隊2万人の合計約11万。米軍の5分の1にも満たなかった。しかも指揮官が着任したのは米軍上陸のわずか2週間前。沖縄の地形も部隊の配置も把握できないままの雑軍であった。沖縄戦は本土決戦を遅らせる「皇土防衛の捨て石」、「野たれ死に作戦」でしかなかった。

明治憲法下で「元首」であった天皇は、日本国憲法で「象徴」へと格下げされた。にもかかわらず昭和天皇はGHQに対し、「沖縄の長期占領を100年でも認める」と伝えた。東京裁判が進められていた最中のことであり、マッカーサーは「裕仁は命乞いに来た」 と受け取った。
日本の敗戦が確定すると、米ソの対立がさらに激しくなった。米ソの代理戦争である朝鮮戦争(1950年)が勃発。極東最大の米空軍基地となっていた嘉手納から、連日B29爆撃機が朝鮮半島へ出撃した。敗戦から5年後、沖縄は再び戦場に引き戻された。
予想以上に強い共産主義勢力に直面した米国は、日本を防共の砦とすべく、日本の独立を認めることと引き換えに、沖縄には占領下の米軍特権を恒久的に押し付けようと考えた。それは日本政府の歓迎するところでもあった。米軍は日米安保条約とその実施細目である行政協定(日米地位協定)を押し付けた(1952年)。日本は独立したが、それと引き換えに沖縄は米国に売られた。

そして、1960年の安保改定。日本全国の5300カ所、430万人の安保反対デモによって、アイゼンハワー米大統領は羽田に降り立つことができなかった。東京をあきらめて行き先を占領下の沖縄に変更したが、沖縄でもデモに遭遇し、数時間滞在しただけで逃げるように韓国に向かった。反米ナショナリズムの盛り上がりに驚いたアイゼンハワーは岸信介首相と会談し、沖縄と日本本土の米軍基地の割合を、沖縄1対本土9から、沖縄7対本土3に変更した。その結果、面積では日本の0・6%に過ぎない沖縄に米軍基地の70・3%が押し付けられて現在に至っている。
日本と米国は、日米安保と米軍基地をめぐる問題を、ヤマトによる琉球支配という歴史的差別構造の中に押し込んだ。米国は、沖縄に基地を押し付けても日本政府は反対しないし、日本で反米ナショナリズムが盛り上がることもないし、米国の意のままに動く自民党政権が倒れることもない、と読み切っていた。
62年のキューバ危機の際、沖縄には約1300発の核ミサイルが配備されていた。ベトナム戦争では、嘉手納基地から爆弾を満載したB52が連日、北爆へと飛び立った。沖縄は常に戦場であった。

戦後、日本の経済復興は米軍の基地建設(沖縄特需)で始まり、朝鮮特需(神武景気)、岩戸景気、そしてベトナム戦争特需(いざなぎ景気)と続き、ついにGNP世界第2位の経済大国となった。その日本の経済的利益の上に、沖縄を踏み台にした日米同盟のレールが敷かれた。米国は自国の世界戦略に依存する日本をつくりあげた。
経済大国となった日本は、沖縄の米軍基地問題を放置した。それどころか、ベトナム戦争の長期化で財政危機に陥ったジョソン大統領が沖縄の基地を手放したいと伝えてきたとき、佐藤栄作政権は、沖縄の米軍基地を買い取るかたちで米軍を引き止めた。
1972年、ついに沖縄返還の日が来た。佐藤が那覇空港で行った「沖縄の返還なくして戦後は終わらない」というスピーチに、純朴な沖縄県民の心は感動でふるえた。しかし佐藤は、ヤマトを〝祖国〟と慕う沖縄の心を利用しただけだった。本土では憲法9条を理由に適用されなかった土地収用法を、「駐留軍用地特別措置法」という名称に変えて適用し、巨大な米軍基地を沖縄に押し付けた。

沖縄には、いまだに敗戦の爪跡が残っている。そんなことは一顧だにしなかった安倍晋三元首相は、「美しい日本をつくる」「戦後レジームからの脱却」と空疎なキャッチフレーズを掲げて、歴史修正主義むきだしで戦前への復帰を画策した。
敗戦から80年近く経過したいま。老朽化した米軍基地のリフォーム、植民地沖縄のリセットが始まっている。辺野古は底なしの〝くどぅるの海〟だ(与那国語で「マヨネーズ状態」)。ここをいくら埋めても沖縄とヤマトの溝は埋まらない。日米安保条約に基づく安保関連七法は曲がりなりにも国会で成立した。しかし、なぜ辺野古新基地建設だけは、立法化もされず閣議決定のみで沖縄に押し付けるのか。日本が沖縄を植民地と見ているからである。

米国は、かつて米国海兵隊がハワイ王朝を滅ぼして不法に併合したことを、100年後の1993年に謝罪し、ハワイ語を公用語として復活させている。遅きに失したとはいえ、これが民主国家の正しい姿勢である。
日本も琉球に対し、薩摩藩による侵略、明治政府による侵略、沖縄を捨て石とした沖縄戦、米国への売り渡し等々を謝罪すべきである。国連の自由権規約委員会も、琉球人を琉球弧の先住民と認定し、少数民族である琉球を差別してはならないと日本政府に勧告している。
日本が、琉球は日本の一部だというのなら、14~17世紀にかけて東アジアの海洋大国として栄えた琉球国の歴史を日本史の中に正しく位置づけ、天皇とは別に琉球国王が存立していたことを明記すべきである。
琉球沖縄に関する歴史書は山ほどある。しかし、その歴史を政治学と法律学の観点から考察した書物はない。この拙い本が叩き台となり、琉球沖縄のアイデンティティ再確立に寄与できれば幸いである。これからの琉球沖縄の歴史は、日本からの押し付けではなく、うちなんちゅ(沖縄人)が主体的につくっていかなくてはならない。

版元から一言

著者は沖縄本島からも遠く離れた与那国の出身。過酷な沖縄戦の際、軍部に抵抗して島民の命を守った気骨ある医師の孫。
沖縄返還前の中学3年生の夏、「豆記者」として東京に招かれ、佐藤栄作首相(当時)に「一日も早く沖縄を抱き取って下さい」と訴えた。佐藤が目頭を押さえるのを見て、子ども心に気持ちが通じた手応えを感じた。だが、翌日の全国紙に掲載された記事の見出しは、「政界の団十郎、沖縄の子どもたちに大芝居」というものだった。
それから半世紀以上経ったいま、著者は、日本に「抱き取ってください」と懇願するのではなく、琉球沖縄の人びとに向けて「琉球沖縄をとりもどそう」と訴える。
熱い思いのこもった原稿を読んだ編集者が最初に感じたのは、「沖縄から見ると、すべてが違って見える」という事実だった。

著者プロフィール

仲嵩達也  (ナカタケ タツヤ)  (

評論家。出身地沖縄をめぐる問題について、政治と法律、歴史、文化の視点から考察をつづけている。1951年、沖縄・与那国島生まれ。1969年、沖縄県立八重山高校(石垣島)卒業。1974年、法政大学法学部法律学科卒業。1977年、明治大学大学院法学研究科民事法学専攻修了(M.A)。その後、予備校講師として大学受験指導、公務員試験受験指導、ロースクルー受験指導などにもたずさわる。

上記内容は本書刊行時のものです。