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朝鮮戦争
ポスタルメディアから読み解く現代コリア史の原点
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2014年8月15日
- 書店発売日
- 2014年8月6日
- 登録日
- 2014年7月24日
- 最終更新日
- 2024年2月15日
書評掲載情報
2014-08-24 | 読売新聞 |
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重版情報
3刷 | 出来予定日: 2018-10-30 |
2刷 | 出来予定日: 2017-04-08 |
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紹介
「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る! 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。
《目次》
第1章 解放以前の朝鮮―一九四五年まで
第2章 米ソによる南北分割占領―一九四五~四八年
第3章 南北両政府の成立―一九四八~五〇年
第4章 〝六二五〟の三年間―一九五〇~五三年
第5章 国連軍に参加した国々
前書きなど
〝メディア〟という語は、現代の日本語では主に〝報道(機関)〟の意味で用いられることが多いが、本来の意味は〝(情報伝達などの)媒体〟である。その意味では、郵便は極めて興味深いメディアと考えることができる。
そもそも、通信手段としての郵便は、それ自体がメディアであるわけだが、郵便に使用される切手や消印なども、本来の郵政業務とは別の次元においてメディアとして機能しているからである。
日本の郵政は株式会社化(現時点ではその全株式は政府が保有しているが、一般には〝民営化〟といわれることが多い)されてしまったが、歴史的に見ると(現在でも多くの国では)切手は国家の名において発行されてきた。政府というものは、ありとあらゆるチャンネルを使って自分たちの主義主張や政策、イデオロギーなどを宣伝しようとするのが本来の姿であるから、政府が切手を通じて、自己の政治的正当性や政策、イデオロギーなどを表現しようとするのは極めて自然なことである。
たとえば、多くの国は、戦時には国民に対して戦争への協力を求め、戦意を昂揚させるための切手を発行するし、領土紛争を抱えている国であれば、切手に取り上げられる地図は自国の主張に沿ったものとなるのが当然である。もちろん、オリンピックなどの国家的行事に際しては記念切手が発行される。日本では明治の元勲・伊藤博文を暗殺した犯罪者として認識されている安重根が韓国では〝義士〟として切手に取り上げられているように、歴史上の事件や人物が切手に取り上げられる場合、そこには発行国の歴史
観が投影される。
また、特段に政治プロパガンダ臭の感じられない切手であっても、その国を代表する風景や文化遺産、動植物を描く切手は盛んに発行されており、そうした切手が郵便物に貼られて全世界を流通することによって、全世界の人々はその国の片鱗に触れることができる。
一方、郵便料金前納の証紙として郵便に使用されるという面にも着目すれば、消印の地名から切手の使用地域を特定し、発行国の実際の勢力範囲を特定することが可能となる。郵便局という〝役所〟を設置し、官営事業としての郵便サービスを独占的に提供するということは、そのまま、権力の行使にほかならないからである。
『新約聖書』の「マタイ福音書」二二章には、ナゼレのイエスがローマ皇帝の肖像が刻まれたコインを手に「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と応えたという一節がある。これは、通貨(貨幣・紙幣)の発行と流通が国家権力の行使と密接に結び付いてきたことを示す言葉として知られているが、通貨の場合には、一部の特殊な例外を除き、いつ・どこで使用されたかという、その痕跡が残ることはまずない。
これに対して、切手の場合には、原則として再使用を防ぐために消印が押されるから、(地名・日時などの情報が明瞭に判別できる状態であれば、という条件はあるものの)資料として搭載している情報量は、通貨に比べて飛躍的に拡大すると考えてよい。
また、外国郵便では、相手国の切手の有効性は相手国そのものの正統性を承認することと密接に絡んでおり、非合法とみなされた政府の切手の貼られた郵便物は、受取を拒絶されたり、料金未納の扱いをされたりする。さらに、郵便物の運ばれたルートやその所要日数、検閲の有無などからは、当時の状況についてのより深い知識を得ることもできる。このような場合、郵便活動の痕跡そのものが、その地域における支配の正統性を誇示するためのメディアとして機能していると考えてよい。
切手・郵便物の読み解き方は他にもある。すなわち、印刷物としての切手の品質は発行国の技術的・
経済的水準をはかる指標となるし、郵便料金の推移は物価の変遷と密接にリンクしている。そして、こうした切手上に現れた経済状況や技術水準についての情報もまた、その国の実情を、切手の発行国が望むと望まざるとにかかわらず我々に伝えるメディアとなっている。
このように、切手を中心とする郵便資料は、さまざまな情報を、具体的な手触りを伴って我々に提供してくれる。しかも、切手を用いる郵便制度は、十九世紀半ば以降、世界中のほぼすべての地域で行われているから、各時代の各国・各地域の切手や郵便物を横断的に比較すれば、各国の国力や政治姿勢などを相対化して理解することができる。
したがって、資(史)料としての切手や郵便物は、歴史学・社会学・政治学・国際関係論・経済史・メディア研究など、あらゆる分野の関心に応えうるものであり、そうした郵便資料を活用することで、複合的かつ多面的なメディアとしての〝郵便〟、すなわち、ポスタル・メディアという視点から国家や社会、時代や地域のあり方を再構成する試みが、筆者の考える〝郵便学〟である。
さて、そうした郵便学の興味・関心からすると、一九四五年以降の朝鮮半島現代史、特に、朝鮮戦争を中心とした時代は実に魅力的な対象といえる。 朝鮮半島の現代史は、日本の敗戦とそれに伴う米ソの分
割占領から始まるが、当時の切手や郵便物は(特に米軍政下の南朝鮮および大韓民国において)一九四五年の解放以前、すなわち日本統治時代の遺制を継承することなしには、その後の朝鮮半島現代史も成立しえないことを我々に明らかにしてくれる。これは、ともすると、〝日帝強占期(韓国での日本統治時代の呼称)〟と〝解放後〟の連続性から目を背けがちな、朝鮮半島現代史のイメージに対するカウンターとなるのではないかと思われる。
また、東西冷戦という国際政治の文脈の中での分断国家であるがゆえに、南北双方の発行する切手には、それぞれの立場やイデオロギーが明確に反映されているほか、郵便(物)の上にも、さまざまな形で明瞭な痕跡が残されている。なお、韓国と北朝鮮は、ともに、朝鮮民族の国家として近代以前の歴史的背景や文化的伝統を共有しているため、同じ題材を取り上げた切手もしばしば発行されているが、それだけに、そうした切手を比較することによって両者の置かれた状況の差異がより明確に感知できるのも興味深い。
さらに、朝鮮戦争には、本来の当事者である韓国軍と朝鮮人民軍(北朝鮮軍)のほか、国連軍の名の下に米軍を中心とする十六ヵ国が部隊を派遣し、これに対抗して、北朝鮮国家の崩壊を防ぐために中国人民志願軍も参戦している。さらに、部隊を派遣しなくても医療チームなどを派遣するというかたちで参加した国もあった。ヨーロッパでは、直接、戦場に人員を派遣しなくても、冷戦下のイデオロギー論争から〝国連軍〟を批判する左派陣営が積極的な活動を行っていたし、朝鮮戦争の特需によって急激な戦後復興を
果たし、講和独立を達成したわが国のような事例もある。
それゆえ、〝国際内戦〟としての朝鮮戦争は、文字通り、世界的な規模の事件として、極めてスケールの大きな戦いだったわけで、当然、その影響は関係諸国の切手や郵便物にも及んでいる。
以上のようなことを踏まえ、本書では、朝鮮半島現代史の原点ともいうべき時代として、一九五三年七月の朝鮮戦争休戦にいたるまでの歴史的経緯を、さまざまな切手・郵便物を用いて再構成を試みた。朝鮮戦争に関しては、すでに汗牛充棟ともいうべき先行業績があるが、〝郵便学〟の手法によるアプローチは珍しいのではないかと思う。税務調査官の言葉として「人間は嘘をつくが、嘘をついた帳簿は正直だ」というものがあるが、当時の状況が刻みつけられた切手や郵便物もまた、嘘をつきようがない〝時代の証言者〟であり、複雑に絡み合った朝鮮半島の現代史を、その原点にさかのぼって理解するうえで重要なヒントを与
えてくれるはずだ。
最後になるが、本書を通じて、郵便に使う以外は、ともすると社会一般からは〝子供の遊び〟か〝好
オタク事家の趣味の対象〟と見られがちな〝切手(と郵便物)〟が、いかに、大人の知的好奇心を満たす素材であるか、その一端だけでも感じ取っていただければ、筆者としては望外の幸である。
上記内容は本書刊行時のものです。