版元ドットコム

探せる、使える、本の情報

文芸 新書 社会一般 資格・試験 ビジネス スポーツ・健康 趣味・実用 ゲーム 芸能・タレント テレビ・映画化 芸術 哲学・宗教 歴史・地理 社会科学 教育 自然科学 医学 工業・工学 コンピュータ 語学・辞事典 学参 児童図書 ヤングアダルト 全集 文庫 コミック文庫 コミックス(欠番扱) コミックス(雑誌扱) コミックス(書籍) コミックス(廉価版) ムック 雑誌 増刊 別冊
日本を愛した人類学者 田中 一彦(著/文) - 忘羊社
.
【利用可】

書店員向け情報 HELP

書店注文情報

注文電話番号:
注文FAX番号:
注文メール:
注文サイト:

在庫ステータス

在庫あり

取引情報

取引取次:
地方小     ト・日・他     書店
直接取引:あり
返品の考え方: 送料小社負担(返品時の送料はご負担ください)

出版社への相談

店頭での販促・拡材・イベントのご相談がありましたらお気軽にご連絡ください。

日本を愛した人類学者 (ニホンヲアイシタジンルイガクシャ) エンブリー夫妻の日米戦争 (エンブリーフサイノニチベイセンソウ)

歴史・地理
このエントリーをはてなブックマークに追加
発行:忘羊社
四六判
縦188mm 横1300mm 厚さ24mm
重さ 500g
352ページ
並製
価格 2,200円+税
ISBN
978-4-907902-19-3   COPY
ISBN 13
9784907902193   COPY
ISBN 10h
4-907902-19-0   COPY
ISBN 10
4907902190   COPY
出版者記号
907902   COPY
Cコード
C0023  
0:一般 0:単行本 23:伝記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2018年12月8日
書店発売日
登録日
2018年10月19日
最終更新日
2019年12月26日
このエントリーをはてなブックマークに追加

受賞情報

前作『忘れられた人類学者』が第31回地方出版文化賞・功労賞受賞

書評掲載情報

2018-12-29 朝日新聞  朝刊
評者: 保阪正康(評論家、ノンフィクション作家)
MORE
LESS

紹介

★第31回地方出版文化賞・功労賞『忘れられた人類学者』待望の続編★ 1935年から1年間、熊本の小村・須恵村に滞在し、外国人として戦前唯一の日本農村研究書を著したアメリカの社会人類学者とその妻。開戦前、いち早く象徴としての天皇に言及、『菊と刀』に代表される“好戦的な日本人”論に異議を唱えつつ、日系人強制収容所の待遇改善を訴え、FBIによる監視下も傲慢な占領政策を戒め続けた俊英の思想とその悲劇的な死までを描く労作。

目次

プロローグ 日米開戦とエンブリー
第1章 人類学への道
第2章 須恵村へ
第3章 日米開戦、情報機関へ
第4章 日系人強制収容所での葛藤
第5章 占領軍士官を教育
第6章 二度のミクロネシア調査
第7章 戦火のインドシナへ
第8章 ユネスコ、ポイント4、そしてFBIの影
第9章 須恵村・国家・戦争
第10章 自民族中心主義に抗して
第11章 「国民性」論争
第12章 『菊と刀』への批判
第13章 ジョン・ダワーのエンブリー批判
第14章 「占領」と民主主義
第15章 象徴天皇制とエンブリー
第16章 『須恵村』と農地改革
第17章 ハーバート・ノーマンとヘレン・ミアーズ
エピローグ 日本への「愛」

前書きなど

プロローグ 日米開戦とエンブリー
 
 アメリカの社会人類学者ジョン・フィ・エンブリーと妻エラは、カナダのトロントの自宅で、ラジオから流れてきた臨時ニュースの声に凍りついた。
「今朝、真珠湾が敵機によって爆撃されました! 日本軍です。ホノルルも攻撃を受け被害は甚大です!」。
 一九四一年(昭和十六)十二月七日。日曜日の朝七時四十九分(日本時間では八日午前三時十九分。現在の時差は十九時間だが当時は十九時間半)、日本海軍がハワイ・オアフ島の真珠湾を奇襲、日米戦争の始まりを告げる緊急放送だった。ハワイと六時間の時差がある東海岸では、開戦の放送は最初の攻撃から約一時間後の午後二時半ごろから流れていたが、トロントのエンブリー夫妻がラジオのニュースを聞いたのはその日夕刻。休日を利用して二人の妹エドウィナとキャサリン、それに友人たちを自宅に招き、すき焼きの鍋をつつこうと準備している最中だった。
「キャサリン! ニュースを聞いたか? 聞いてなかったら、すぐラジオをつけろ」。
 エンブリーは、町の反対側に住む二人の妹に直ちに電話を入れた。真珠湾は、エンブリーがハワイ大の学生だった十年ほど前、兄妹三人で住んでいた家のすぐ近くだった。
 衝撃のニュースに驚いて顔を見合わせた夫妻の脳裏をよぎったのは、五年前に村はずれまで見送ってくれた九州の片田舎の村人たちの懐かしい面影だった。一年間の村の暮らしを、「国際的友愛のなかで、一九三五年(昭和一〇)から三六年に至る須恵村の酒宴ほど深いものはない」とエンブリーが懐かしんだ、あの須恵村である。
 それは一九三六年十一月二日、まる一年間を過ごした熊本県球磨郡須恵村(現あさぎり町)を去った日の光景だったに違いない。
 まだ夜も明けやらぬその朝、夫妻の借家に村の人々が焼酎の猪口と燗を付けるやかんを持ってやってきた。
「女たちは、私が二人の女性に金玉を一個ずつ置いていくべきで、その代わり豆(女性器)を記念にあげる、と言った」。
 須恵村らしい愉快な冗談を交えた短い別れの盃とおしゃべりの後、村を去る夫妻を見送ったのは三味線のバチの音と名残を惜しむ多くの村民の涙だった。
 そんな村民の暮らしに基づいて、ジョン・エンブリーは『日本の村 須恵村(Suye Mura:A Japanese Village)』(一九三九年、以後『須恵村』と表記)を、エラは『須恵村の女たち(The Women of Suye Mura)』(一九八二年)を著し、ともに日本語に翻訳されている。特に開戦二年前に刊行された『須恵村』は、戦前の日本の農村社会の暮らしぶりを描いた外国人人類学者による唯一の著書として知られ、内外の研究者に高い評価を受けている。
 しかし、日本を離れて五年後のラジオニュースは、須恵村の友人たちを無情にも敵方に一変させ、日本人と日本に深い親しみを抱いていた夫妻の生涯に試練を課す過酷な運命の幕開けを告げるものでもあった。
 開戦後のアメリカで、日本をよく知る人類学者として戦中戦後に果たしたエンブリーの、決して軽くない役割はどんなものだったのだろうか。
 私は、エンブリーが在籍したエール大学東南アジア研究所の編集者アンナ・ピケリスによるエンブリーの業績に関する参考文献一覧(巻末参照)を手掛かりに、現存する文献に可能な限り目を通した。すると、戦争に振り回されながらも、巡り合わせの中で懸命に生きたその短い生涯に深く引き込まれていくと同時に、知られていない戦中戦後のエンブリーの重要な仕事ぶりが次々に明らかになった。
…中略…
「日米戦争中のアメリカ」という情況で生きたエンブリーを一言で表すなら、「異端の人類学者」ということになるだろうか。それは、アメリカ政府に重んじられながらも、一方で連邦捜査局(FBI)に監視され続けたその境遇を見れば明らかだ。国家に貢献したそのポジションと真逆に見えるほど、エンブリーの言説はアメリカで異端視された。しかも、疎外された日系アメリカ人や敵国人さえ含めた異文化の側に身を寄せることによってエンブリーは異端となった。いや、異端とされた、と言う方が正確だろう。
 だが、戦争という異常な情況を振り返る現代の私たちの目でエンブリーの生き方を見るならば、異端では全くない。人を愛し、平和を尊び、正義と信念を貫かんがために、真剣に戦争と向き合い、闘った一人の研究者の姿が立ち上がってくるのだ。

版元から一言

前作『忘れられた人類学者(ジャパノロジスト)』が2018年度・第31回地方出版文化賞を受賞しました。

著者プロフィール

田中 一彦  (タナカ カズヒコ)  (著/文

1947年、福岡県瀬高町(現みやま市)生まれ。京都大学経済学部卒。新聞記者を経て、2011年から2014年まで熊本県あさぎり町に単身移住し取材。著書に『忘れられた人類学者 エンブリー夫妻が見た〈日本の村〉』(忘羊社、第31回地方出版文化賞・功労賞)、共著に『知ってはならないパリ』(文芸社)『食卓の向こう側』『君よ太陽に語れ』(以上西日本新聞社)。日本GNH学会常任理事を務める。

上記内容は本書刊行時のものです。