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忘れられた人類学者(ジャパノロジスト) 田中 一彦(著/文) - 忘羊社
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忘れられた人類学者(ジャパノロジスト) (ワスレラレタ ジャパノロジスト) エンブリー夫妻が見た〈日本の村〉 (エンブリーフサイガミタニホンノムラ)

歴史・地理
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発行:忘羊社
四六判
縦188mm 横128mm 厚さ22mm
重さ 350g
320ページ
並製
定価 2,000円+税
ISBN
978-4-907902-16-2   COPY
ISBN 13
9784907902162   COPY
ISBN 10h
4-907902-16-6   COPY
ISBN 10
4907902166   COPY
出版者記号
907902   COPY
Cコード
C0023  
0:一般 0:単行本 23:伝記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2017年2月
書店発売日
登録日
2017年1月27日
最終更新日
2023年5月2日
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受賞情報

第31回(2018)地方出版文化賞功労賞

書評掲載情報

2017-05-14 朝日新聞  朝刊
評者: 椹木野衣(美術批評家)
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重版情報

3刷 出来予定日: 2019-05-15
2刷 出来予定日: 2017-06-01
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紹介

アメリカから来た若き俊英とその妻が
農耕から子育て、祭り、宴会、性、近代化まで、
感動と共に記録した戦前のニッポン――。

戦時色濃き1935年(昭和10)、熊本で最も小さな農村、
須恵村にやってきた社会人類学者ジョン・エンブリー一家。
戦前唯一の日本農村研究書を著し、ベネディクトの『菊と刀』や
GHQの戦後改革にも多大な影響を及ぼしたエンブリーとその妻エラが、
共感をもって洞察した〈協同〉社会の精神を未来に向けて問い直す。

目次

プロローグ 忘れられた人類学者

第一章 稲作の理想郷
 満ち足りた〝ムラ〟
 浸透する貨幣経済
 軍靴の音 
「機械時代」の影響

第二章 導かれた二人
 少年期の日本体験
 ロシアから来日したエラ一家
 船上のロマンス
 二十二カ所に上った候補地
「最良の友人」愛甲慶寿家との出会い
「私は、日本に帰ることを熱望していた」
「村人たちはなんらの疑惑ももたなかったが、真の意図を疑う官憲もいた」
 遺された「タイムカプセル」
 調査を支えた若き日本人助手 

第三章 「はじあい」 のムラ 
 文化の基底としての「協同」
「はじあい」の語源
「部落生活の特色は協同活動と贈り物のやりとりである」
 組―当番制の自治システム
 ぬしどり―甲斐甲斐しき世話役 
「講」という互助システム
「田植えはつらい仕事なので、冗談をいったり、卑猥な話をして救われる」
「かったり」は強制だったか
「橋が流されるたび、部落は結ばれていく」
 ある子どもの遭難 
 村に満ち溢れる「贈答」
 仮のお返し「おうつり」

第四章 奔放な女たち 
 赤裸々な性
 慎みと粗野
「私たちばアメリカに行かせて」
 羞恥心の彼我
「ジョンを貸してくれないか」 
「みんなが酔っぱらって、踊りまくり、下品な歌のない宴会は、ほとんどない」

第五章 イエと家族の生活誌
 協同の基本単位は「世帯」
 養子縁組と〝いとこ婚〟
「家は、単に風水をしのぐ以上のものである」
 家と部落への誠実 
 エラ、お産に立ち会えず 
 寛大すぎる子育て
「ここの母親たちは無限の忍耐を持っている」 
「田舎の学校に落第というものはない」
 隣り合わせの病と死 
 試験結婚(三日加勢)という風習
 隠居後の人生

第六章 女の一生
「女の子たちは、妊娠や月経についてほとんどなにも教えられていない」
 授乳とトイレット・トレーニング
「女たちが運んでいる荷物の重さには、ただ驚嘆するばかりである」
「夜這いを拒絶することも受け入れることも女の選択のままであった」
 ある少女の恋文 
「かつて、花嫁の純潔は重要なこととはみなされていなかった」
「若い女性は結婚を拒否することができたし、再婚はきわめて普通のことである」
 芸者遊びと性病
「彼女たちは、少額の金を稼ぐことを誇りに思っている」
「ここの女たちはしばしば、夫とは別の男ば持っとる」
「未亡人は特別な地位をもっている」
 おおらかな性愛 
「たんなる犠牲者ではなかった」

第七章 巡る自然と暮らし
 旧暦と新暦のはざまで
「東の国」の自然観
「どんな小さな儀式でも、しめくくりに酒が出る」
 塩辛すぎた郷土食
 百を超える民謡を収集・英訳 
「神々に対して、彼女たちはなまんだという」
「農民の日常生活にとって重要なのは、家庭や道端の神々と祈祷師である」
 祈祷師と犬神持ち 

第八章 ムラの光と影
 夫妻が愛した「山の部落」 
「教育のある者のほとんどすべてが、村を離れる方法を探していた」
 嘲笑という名の制裁
 仲介の原理
「不適合者」とムラ

第九章 変わりゆくもの、変わらないもの
 須恵にもたらされた「予期せぬ変化」
 機械時代の犠牲者―愛甲慶寿家の死
 日本の近代化はどのように浸透したか
 エラの見た戦後日本
「古い苦痛は新しいものに取り替えられた」

第十章 対日政策との葛藤
 ハワイ大、トロント大を経て特務機関を歴任
 日本人への異端視に異議
「日本占領後の困難を『劣った』人種のせいにしてはならない」
 GHQのポストを固辞
 ゴーラー、ベネディクトの〝自民族中心主義〟への批判
「アメリカの占領政策は日本の民主化を遅らせるだろう」
『須恵村』が農地改革に影響

エピローグ 須恵村はいま
『須恵村』はなぜ忘れられたのか
『菊と刀』への批判
「エンブリーさん」の記憶
「はじあい」と「かちゃあ」は健在
 年に五十回以上の祭りが存続
「はじあい」を支える女たち
 お裾分けという「はじあい」
「ふるさとづくりは、経済開発偏重に対する反動なのだ」

資料編 須恵村の年中行事と祭り

前書きなど

◎「プロローグ 忘れられた人類学者」より

「素敵な所ね」。「そうだね。とても面白そうだ。僕たちの調査にふさわしい村かもしれない」。
 熊本県南部の球磨盆地にある〝熊本県で一番小さな村〟須恵村(二〇〇三年の合併で現在あさぎり町須恵)。自転車を駆ってやって来たのは、少し疲れた様子の若いアメリカ人夫妻だ。一九三五(昭和十)年九月下旬、今にも秋雨が落ちてきそうな夕曇りの空とは裏腹に、二人の表情は晴れ晴れとしていた。
 村の南部を横断する球磨川の清流を見渡し、向こう岸に広がる肥沃な田んぼでは刈り入れを待つ稲穂が揺れている。
 二十七歳の夫は、シカゴ大学で社会人類学を学ぶジョン・フィ・エンブリー。妻エラは二十六歳。二人はシカゴ大学から日本農村調査のために派遣され、八月中旬に日本に到着した。下旬から調査地を探し始めて約一カ月、各地の村を訪ね歩いた末のことだった。
 二人はひと目で須恵村が気に入り、程なく調査地として正式に決定。十一月二日に覚井部落に居を構え、十二月で二歳になる娘クレアと三人の田舎暮らしがスタートする。村が欧米人を迎えたのは初めてのことだ。以来まる一年、若い二人は、村民に助けられながら、慣れない日本農村の暮らしに沿い、エネルギッシュに調査に奔走した。
 その果実として、[中略]ジョンは『Suye Mura : A Japanese Village〔日本の村 須恵村〕』(一九三九年)を刊行。「須恵」の名を世界に知らしめた。日本語が達者なエラ(後に再婚しエラ・ルーリィ・ウィズウェル)も、共著者ロバート・ジョン・スミス(コーネル大学教授、一九二七~二〇一六)の助けによって、困難な中にも奔放に生きる女性たちを描いた『The Women of Suye Mura〔須恵村の女たち〕』(一九八二年)を著した。二冊とも日本語に翻訳され、日本農村研究の名著として読み継がれている。
 夫妻の本に魅せられた私は、二〇一一年十月から二〇一四年七月まで三年足らず、熊本県あさぎり町に住み、須恵を自転車で走り回った。取材や調査というより、ただ須恵の人々と語り合い、一緒に酒を飲み、暮らしぶりを教えてもらった。[中略]
 本書は、八十年前に夫妻が経験した須恵と、八十年経った今の須恵の人々の暮らしを通じて、豊かになった今の日本が、その豊かさゆえに失い、また失いつつあるもの、あるいは幸いにも引き継がれているものをあぶり出し、書き残そうとする試みである。
 私が須恵のことを知りたいと思った理由は幾つかある。まず何と言っても『須恵村』と『女たち』の面白さが第一だ。次に、昭和初期のムラの機能や構造を描いた『須恵村』が、戦前では外国人による唯一の人類学的な日本研究書として世界中から注目されたこと。三番目は、「調査者と住民のあいだにある種の親密さが保たれていた日本の村落はもはや存在しない」(『女たち』)ために、夫妻のようにありのままのムラの暮らしをつづったノートは二度と書かれないだろうこと。そして最後に、それらに対する評価が内外で非常に高いということがあった。[中略]
 それなのに、エンブリー夫妻や須恵に関する総合的な研究が、日本にも海外にもほとんど見当たらない。一九五〇~六〇年代の須恵村を調査した熊本商科大学(現熊本学園大)教授の牛島盛光(一九二一~二〇〇四)の仕事が唯一と言っていい。エンブリー夫妻の須恵滞在から八十年経った。当時を知る須恵の年寄りから話を聞くチャンスはもうすぐなくなる。私は、書き残すには今しかないと思った。

著者プロフィール

田中 一彦  (タナカ カズヒコ)  (著/文

1947年、福岡県瀬高町(現みやま市)生まれ。京都大学経済学部卒。新聞記者を経て、2011年から2014年まで熊本県あさぎり町に単身移住し取材。共著に『知ってはならないパリ』(文芸社)『食卓の向こう側』『君よ太陽に語れ』(以上西日本新聞社)。日本GNH学会常任理事を務める。

上記内容は本書刊行時のものです。