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フィリピン戦跡ガイド
戦争犠牲者への追悼の旅
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2016年8月
- 書店発売日
- 2016年7月30日
- 登録日
- 2016年7月11日
- 最終更新日
- 2019年1月7日
紹介
中国を上回る約50万人の戦死者を出したフィリピンでの戦争――その戦闘と占領・住民虐殺の傷痕を歩く!
世界で唯一、リアルな戦場が残るコレヒドール島、バターン半島「死の行進」、マニラ市街戦と住民虐殺のメモリアル。そして、リンガエン湾上陸跡、特攻隊基地跡、日・米比軍最後の戦場・バレテ峠など多数の戦跡を紹介。写真約250枚を掲載。
目次
はじめに 2
■フィリピンでの戦跡の歩き方 10
第1章 首都マニラ市内に残る戦争 11
――マニラ市街戦跡・住民虐殺のメモリアルを歩く
●マニラその巨大都市の現在 12
●マニラ市街戦最後の攻防、イントラムロス 17
●サンチャゴ要塞内のフィリピン人捕虜虐殺のメモリアル 20
●殺された市民の祈念碑が安置されたサン・オーグスティン教会 24
●メモラーレ・マニラ1945モニュメント 27
●激戦に耐えた旧パコ・ステーション 29
●連合軍が最初に到達したサント・トーマス大学 30
●マニラ市内の二つの虐殺現場―旧スペイン・クラブとラサール大学 32
第2章 二度の戦争の激戦地となったコレヒドール島 35
――戦場がそのまま保存された世界で唯一の島
●島の頭部・トップサイドに残る350メートルの巨大兵舎 36
●太平洋戦争記念碑と記念館 41
●米比軍・日本軍の地下要塞となったマリンタ・トンネル 44
●無用の長物となったクロケット砲台 50
●日本軍を震撼させたウェイ砲列 52
●2万6千メートルの射程を誇るハーン砲台 54
●日本軍の直撃を受けたギアリー砲列 56
●保存されたサウスドッグと知られざるトーチカ 58
●島の北部海岸線に設営された震洋隊の基地 65
●キンドレー飛行場跡に残るバンカー 68
●フィリピン・ヒーローズ・メモリアル 70
●「日本平和庭園」の慰霊碑 72
●カバロ島・フレイル島(軍艦島)の玉砕 74
●コレヒドール島の案内 77
第3章 バターン半島――「死の行進」の街道を歩く 81
――フィリピン戦争のもう一つの激戦地・バターン半島
●「死の行進」の起点――マリベレス・ゼロ地点 82
●バターン半島での日本軍と米比軍の戦い 85
●サマット山に聳える十字架のメモリアル 90
●ひっそりと佇むカパス・デスマーチ・メモリアル・シュライン 96
●巨大タワーが建つカパス・ナショナル・シュライン 98
●従軍作家・火野葦平の記録したオードネル捕虜収容所 102
●パンティンガン川の虐殺 105
第4章 二度の上陸戦の舞台となったリンガエン湾 109
――リンガエン湾・マバラカット特攻隊の戦跡を歩く
●連合軍上陸地点を印す「上陸記念碑」 110
●日本軍の上陸地点に造られたジャパニーズ・ガーデン 117
●最初のカミカゼ特攻隊出撃基地・マバラカット西飛行場跡 119
●マバラカット西飛行場跡に残る掩体壕群 123
●正面に鳥居が建てられたマバラカット東飛行場跡 128
第5章 日・米比軍の最後の戦いの地――バレテ峠・サクラサク峠 133
――兵隊も「邦人」も飢えと病で斃れていった
●累々たる屍が眠るバレテ峠とメモリアル 134
●連合軍のメモリアルが建つバレテ峠 135
●バレテ峠の日本軍戦没者の記念碑 137
●バレテ峠の中国系比軍兵士の記念碑 140
●ゲリラに翻弄された日本軍 142
第6章 戦争犠牲者を追悼するメモリアルを訪ねて 145
――南部ルソンの忘れられた住民大虐殺のメモリアル
●教会に集められ、家を爆破されたバウアンのメモリアル 146
●カランバのリアール三叉路のメモリアル 150
●カランバのサンペロハン小学校のメモリアル 152
●日本人がフィリピンの人々のために建てた世界平和祈念塔 155
●リパ虐殺に関わった日本兵の証言 158
●日本軍戦犯たちが収容されたモンテンルパ 162
●フィリピン無名戦士の墓 166
●マニラ・アメリカン・セメタリーとメモリアル 169
●日本の軍民戦没者を祀るジャパニーズ・ガーデン 170
第7章 フィリピンでの日・米比軍の戦争――1941~1945年 173 ――「本土防衛」の捨て石にされた日本軍兵士とフィリピン民衆
●アジア・太平洋戦争の開戦とフィリピン 174
●バターン半島攻防戦で苦戦する日本軍 177
●日本軍の敗勢と連合軍のレイテ上陸 184
●再びルソン決戦――連合軍の上陸作戦 189
●日本軍の敗退と孤城化 192
●市民約10万人が死亡したマニラ市街戦 196
●コレヒドール島の日本軍陥落 202
●マニラ東部の戦闘とフィリピン戦の終了 204
●山下司令官の投降と処刑 205
註1 本書のフィリピン戦跡ガイドは、ルソン島に限定して執筆しているが、同国の他の島については、 随時増補版として刊行する予定である。
註2 表紙カバーの写真は、バターン半島マリベレス・ゼロ地点のメモリアルである。
前書きなど
はじめに
フィリピンは、やはり、日本から近くて遠い国だ。飛行機でわずか4時間ばかりで行くことができるのに、「治安」の状況もあるのか、年間の日本からの旅行者は、他のアジア諸国と比べて少ない。しかし、この近くて遠いという理由は、治安の他にも原因がありそうだ。
この原因の重要な一つが、「戦争の影」だ。アジア・太平洋戦争下で、日本がフィリピンを侵略し、多大な犠牲を強いたのにも関わらず、そのことについて国として何の反省も、謝罪もしていないことである。
先頃、オバマ大統領が原爆投下について、「謝罪」するか否かが大きな問題になった。しかし、自らが多大な犠牲を強いた中国・韓国・シンガポール、そしてフィリピンなど、アジア諸国への加害責任の謝罪(侵略戦争への明確な反省と謝罪。戦後50年の「村山談話」を除く)は、 未だかつて行っていないのだ。特に、 フィリピンに対しては、中国や韓国のような形式的な「遺憾」表明さえ行っていない。
このフィリピンに対しての加害責任では、実はそれ以前の問題がある。というのは、このフィリピンにおける戦争について、メディアはもとより、ほとんどの日本の民衆が知らされていない、知らないということだ。例えば、歴代首相の靖国参拝や文科省の教科書の歴史記述問題などでも、政府やメディアは中国や韓国からの反応は気にし、報じる。しかし、フィリピンからの声が報じられることは、全くない。この関心のなさは、残念ながら市民や平和運動の側も同様である。
しかし、今年(2016年1月)は、天皇夫妻のフィリピン訪問があり、このフィリピンでの戦争について、 戦後初めてと言っていいほど関心が高まった。天皇夫妻の訪比に同行した、 メディアの戦争関連記事も、少しだが報じられていた。
だが、アジア・太平洋戦争下で、中国を超える約50万人という最大の日本軍戦没者を出したフィリピンでの戦争の実態、特にマニラ市街戦を含む日本軍の「フィリピン住民の大虐殺」について、少しでも触れたメディアは、少なかったと言えよう(中国戦線の戦没者は約46万人)。
フィリピンでの戦争について、ルソン島やレイテ島での「飢餓街道」や「人肉事件」などの戦記や映画は、優れたものがある。しかし、私たちがもっとも認識すべきは、日本軍の兵士たちの悲惨な実態とともに、戦争で多大な犠牲を被ったフィリピン民衆の実情ではなかろうか。
本書では、フィリピン各地に今なお生々しく残されている、このフィリピンでの戦争の傷跡・戦跡を紹介したいと思う。戦後71年がたち、 日本国内にはこれらの戦跡はほとんどなくなったが、 フィリピン各地には未だに多数が残されている。中には、コレヒドール島など「戦場」が、当時のまま残されている所もある。これら戦跡の数々は、「戦争の実態」を語ってくれるに違いない。
これからフィリピンを訪れる人々には、ぜひとも一度はこれらの戦跡を訪ねてほしい。それがフィリピンの人々との、本当の交流と友好の機会になると思う。
2016年8月1日
版元から一言
2016年1月、天皇夫妻がフィリピンを訪問したことがきっかけとなり、アジア・太平洋戦争下での同国の膨大な犠牲者の実態が、少しだけ報道されるようになった。
中国戦線での、約46万人の日本軍戦死者を遙かに上回る、約50万人の戦死者を出したにも拘わらず、このフィリピンでの戦争は日本では、なぜか語られない。
特に、マニラ市街戦でのフィリピン人の戦死者約10万人をはじめ、同国の約111万人の犠牲者のことは、日本では全く知られていない。
この本は、フィリピンに残された数々の戦跡やメモリアルを訪ね、その戦争犠牲者たちの追悼をする記録だ。写真が多数掲載されているから、視覚的に理解できる。
上記内容は本書刊行時のものです。