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妄想か、大発見か… 亀ヶ岡土器には甲骨文字が刻まれていた 佐藤 国男(著・画) - 新函館ライブラリ
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妄想か、大発見か… 亀ヶ岡土器には甲骨文字が刻まれていた

B5判
縦257mm 横182mm
76ページ
並製
価格 1,296円+税
ISBN
978-4-906833-05-4
Cコード
C0021
一般 単行本 日本歴史

出版社在庫情報
在庫あり
初版年月
2015年6月
書店発売日
登録日
2017年4月28日
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紹介

1万年以上刻まれ続けた文様をタダの装飾と見なしてよいのか? ましてや亀ヶ岡土器には、甲骨文字そっくりの文様が見られるというのに…。
少年時代に貴重な土器を掘り当てたことから、土器に込められた縄文人の心を一生かけても究明したい、と願った筆者が、白川静、吉野裕子らの知見と、版画家の感性でたどり着いた結論は、「縄目は蛇、蛇を祖霊とする縄文人の考え方は世界共通」というものだったが、縄文土器・土偶にはさらに驚くべき祖霊再生ストーリーが隠されていた。果たしてそれは、妄想か、前人未踏の大正解か?
賢治童話で知られる版画家・佐藤国男が、縄文土器・土偶の図柄を読み解く。
筆者書き下ろしのイラストも満載、縄文文化の入門書としてもお薦めの一冊。

目次

1.人類、日本列島へ
 日本列島への人類の渡来は4万~3万年前
 土器の発明と縄文時代の始まり
 土器以前の器・ひょうたん
 縄文土器とは
 白川静が与えたヒント 神話書記法と甲骨文字
 神話書記法との出会い
 殷の影響を思わせる亀ヶ岡土器
 文様に隠された甲骨文字

2.祖霊信仰と蛇崇拝
 世界共通、縄目は絡まる蛇だった
 祖霊信仰と蛇の関係
 「いき通し」と「阿吽の呼吸」
 祖霊信仰とトーテミズム
 蛇トーテムを想起させるヒンズーの教義
 全人類の始祖とされる人頭蛇身の神
 蛇の登場する日本神話と山の神
 スサノオによるヤマタノオロチ退治
 ヤマトタケルによる山の神退治
 三輪山の大物主神とモモソ姫の聖婚説話
【コラム】イザナギ・イザナミ神話を彷彿させる九玉象嵌土偶
 山の神信仰を示すストーンサークル
 母胎に宿る人頭蛇身
 蛇体把手付深鉢
 顔面付深鉢
 霊魂の永遠性を示す玦状耳飾り
 独身の竜が意味するところは
 古蜀の創世神とされる独身の神・獨竜
 獨竜の性格を語る青銅戴冠縦目仮面
 獨竜を思わせる金精土偶

3.土偶の造形が伝えるもの
 土偶に見る「いき通し」
 土偶とは
 腹部に見られる文様の意味は
 口と臍をつなぐ土井岩偶
 3という数字の謎
 3玉を持った石神土偶
 顎に3筋の描かれた藤株岩偶
 蛇の雄器を表す蕨手文
 蕨手文についての吉野裕子の考察
 蕨手文の意味を物語る好例・藤内土偶と坂井土偶
 祖霊再生仮説1
 雌雄の蛇となった霊を表す筒型土偶
 体内に2匹の蛇がいるという考え
 玉抱三叉文と三玉付土製品―交接による命の更新
 雌雄の蛇が絡み合う意味とは
 表裏に人面のついた日吉町土偶が表すもの
 吊手土器に見る6玉表現と祖霊再生
 蛇の目と頭頂の穴
 祖霊再生仮説2
 遮光器の目を持ちながら、真逆の概念を表す土面
 隠された甲骨文字
 甲骨文字による「赤ちゃん土偶」再考
【コラム】三内丸山遺跡の6本柱の正体は

4.縄文のロゼッタストーン
 人形装飾付異形注口土器の造形を読み解く
 口縁部の造形から
 二股に分かれる頸部
 描かれた甲骨文字
 驚くべき図柄の一致
 亀ヶ岡文化の嚆矢
 さらに注口土器が物語るもの
 人頭蛇身と虹の概念
 ドーナッツの謎に迫る
【コラム】国宝・函館中空土偶が語りかける

5.縄文からアイヌ文化へ
 イクパシュイから浮かび上がる酒礼文化の系譜
 アイヌ刺繍に隠された甲骨文字
 シクウレンモレウ文様がクッキリ見える長倉土偶
 蛇の凋落、熊の出現
 縄文人はどこへ行ったか

6.蛇崇拝は世界の言葉
 唯一無二ではなかった縄文
 新大陸に見られる蛇崇拝
 古代オリエントにおける蛇崇拝
 一神教の侵食と、世界の中の縄文時代

前書きなど

亀ヶ岡土器との出会い

 私の故郷は北海道南部のせたな町である。日本海に面し、奥尻島が対岸に見える。町の中央には、道南一の大河である利別川が流れている。「としべつ」とはアイヌ語で蛇の川、蛇行する川の意味らしい。上流には後期旧石器時代のピリカ遺跡があり、2万年前、大型獣を追いシベリア方面からやってきた人々が遺した細石刀、尖頭器、細石刀核、刻器、玉が発掘されている。
 改修が行われる前の利別川河口部は蛇行が激しく、洪水のたびに流れを変えたが、その結果、広大な利別平野を形成した。かつて川筋であった河岸段丘にはたくさんの遺跡があり、その多くは畑などに利用されていたから、土器や石器などを拾い集めることができた。子どもたちはそういう遺物を探し出すことに熱を上げ、私も小学校高学年の頃から、年上の子どもに連れられて遺物収集に精を出した。今思えば、現代日本人の遠い祖先がこの地にやって来て生活した痕跡であったのだが、小学生の私には土器の文様の意味すらわからなかった。
 ちょうど私が中学に入った頃、函館で教員をしていた千代肇先生が、利別川河口部の発掘調査のため、せたな町に通われていた。先生は以前にも調査に来られたことがあり、江戸時代の探検家・松浦武四郎が『西蝦夷日記』に記した通り、利別川河口にセタナイ・チャシ(チャシとは、アイヌの人々が周囲と切り離された土地や湖中の島などに構築した施設。用途はまだ明らかではない。セタナイは、アイヌ語によるせたなの旧名)があったことを確認している。それでたぶん利別川河口部には特別の興味を持たれたのだろう。
 千代先生が調査に来られるのは夏休み期間中だけであった。その間、私は先生の元を片時も離れず、先史時代(文字を持つ以前の時代)の時代区分や人々の暮らしぶり、石器や土器などの道具の発祥、土器の文様の付け方などを教わった。せたな町には土器や石器の採取できる所がたくさんあったが、場所によっては土器に刻まれた文様に違いが見られ、先生に収集した土器の鑑定をしてもらうのがいちばんの楽しみだった。
 私の拾い集めた土器は縄文土器と呼ばれるもので、1万6千年前頃から2千3百年前頃まで続いた縄文時代の人々が遺したものであることを知った。だがそれにしても、なぜ人々は1万年以上もの長きにわたって、土器に縄目文様を刻み続けたのだろうか。当時の私には皆目見当がつかなかったが、いつか必ずこの文様に込められた縄文人の心をつきとめたいと思った。
 中学3年生のときに、私は壺や鉢など完形のものも含めて40個体分の土器を発見し、新聞でも報道された。先生からは、これは縄文土器の中でも亀ヶ岡土器に分類され、今から3千年ほど前のものである、と教えてもらった。それまでも縄文早期から中期、後期までさまざまな時代の土器を集めていたが、私はなぜか亀ヶ岡土器に熱く惹かれていくのだった。
 中学生時代の私は、同じせたな町内で、さらにもう1つの大発見をしていた。それは珍しい石斧だった。一般的な石斧は濃い緑色をしているものだが、それは白灰色の本体に墨を流したような模様が入った光沢のある石斧だった。長さは7センチで、途中で折れていて、その先が見つからないのが残念だったが、ちょうど折れたところに石ドリルで孔が開けられた跡があった。日本では発見例のごく稀な石鉞だったのである。
 中国の新石器時代、孔のある石斧は石鉞とよばれ、本来は石斧と同じく工具として使われていたが、あるときから武器あるいは武威を象徴する威信財として利用されるようになったという。
 石鉞は畑の表面採集をしていたときに見つけたもので、畑のあたりは縄文早期から晩期までの複合遺跡であったから、時期の特定はできなかったが、遠い昔に中国大陸から北海道へ渡ってきた人がいたことを思い、心踊らされた記憶がある。
 縄目文様に込められた思いを探り当てたいという気持ちは、50年ほど経った今なお変わらず、土器や石器を探し求めて歩き回った故郷の遺跡を思い出しながら、土器の文様に込められた縄文人の心を探し求めているのだが、私がとくに惹かれた亀ヶ岡土器も、どうやら中国大陸から渡来した人々の影響を色濃く受けているのではないかと考えるに至った。さらに先人の知見を紐解き、また世界各地の古代遺跡を見渡すと、縄文人が遺したものと、海外の遺物・遺構との間には、驚くべきほどの共通点が認められるのである。
 今のような交通手段のなかった時代に、幾百年、幾千年かけて行われた地球規模の文化・文明の交流は、壮大な夢を見させてくれるが、アカデミズムの住人たちはなかなか私の欲する答えを与えてくれない。それでは、よしっ、と一念発起し、素人の私が私なりに半世紀かかって温めてきた「縄文考」を発表するに至った次第である。(はじめにより)

著者プロフィール

佐藤 国男  (サトウ クニオ)  (著・画

1952年北海道せたな町生まれ。版画家、国際縄文学協会会員。縄文土器や石器が身近に出土する環境に育ったことから、小学生時代よりその収集を趣味とし、古代の世界に憧れを抱く。中学2年から4年間、町内の遺跡発掘調査に参加、大量の亀ヶ岡土器やわが国では希な石鉞などを発見し、新聞にも取り上げられる。高校卒業後、東洋大学仏教学科で学ぶ。
大工を本業とする中、余った木材を使って版画で表現した宮沢賢治の世界が脚光を浴び版画家に転身。独特の作風は海外からも注目される。いつの頃からか、賢治童話の登場キャラクターにちなんだ「山猫博士」の愛称で、ファンから親しまれるようになる。
『注文の多い料理店』『どんぐりと山猫』『オツベルと象』(以上子どもの未来社刊)、『銀河鉄道の夜』(北海道新聞社刊)など賢治原作絵本ほか、現代作家の創作童話の挿画作品も多数刊行。その傍ら小学生以来の縄文研究を片時も忘れず、国際縄文学協会会報に論文を精力的に寄稿している。

上記内容は本書刊行時のものです。