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鯨取りの社会史 森 弘子(著/文) - 花乱社
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鯨取りの社会史 (クジラトリノシャカイシ) シーボルトや江戸の学者たちが見た日本捕鯨 (シーボルトヤエドノガクシャタチガミタニホンホゲイ)

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発行:花乱社
A5判
256ページ
上製
価格 4,000円+税
ISBN
978-4-905327-54-7   COPY
ISBN 13
9784905327547   COPY
ISBN 10h
4-905327-54-7   COPY
ISBN 10
4905327547   COPY
出版者記号
905327   COPY
Cコード
C0021  
0:一般 0:単行本 21:日本歴史
出版社在庫情報
在庫僅少
初版年月日
2016年5月
書店発売日
登録日
2016年4月8日
最終更新日
2024年1月22日
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書評掲載情報

2016-07-31 読売新聞  朝刊
評者: 奈良岡聰智(政治史学者、京都大学教授)
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紹介

鯨絵巻から見えてくる江戸の諸相
「鯨一頭七浦 潤す」といわれ、西海・紀州地方で盛んだった捕鯨の様子を今に鮮やかに伝える鯨絵巻は、捕鯨業者のみならず、江戸の学術を牽引する儒学者、国学者、蘭学者、絵師・彫師ら工匠たちの知恵と探究心の結晶であった。
捕鯨が基幹産業として経済を潤す一方、ロシアや欧米の船が日本近海に現れ緊張が高まりつつある中、鯨絵巻に託された幕府や藩の意図とは──。

目次

まえがき……森 弘子
第一章 シーボルトと日本の捕鯨業
 一 シーボルトが出会った鯨/二 シーボルトへの捕鯨情報の提供者
 三 シーボルトと鯨種/四 欧米の捕鯨
第二章 江戸時代の絵巻に見る西海地方の捕鯨業
 一 日本人と捕鯨の歴史/二 『小児の弄鯨一件の巻』に見る西海捕鯨
 三 『鯨絵巻』に見る鯨の加工処理/四 鯨製品の利用/五 「羽指踊」
第三章 西海地方の捕鯨絵巻の特徴 紀州地方の捕鯨絵巻との比較から
 一 捕鯨業の伝播/二 紀州地方の捕鯨絵巻の成立/三 西海地方の捕鯨絵巻の成立
第四章 天保三年『勇魚取絵詞』版行の背景
 一 『勇魚取絵詞』と出版の費用/二 『勇魚取絵詞』の版行に関わった人々
 三 平戸藩主と出版事業/四 『勇魚取絵詞』出版の企画/五 平戸藩と益冨組
第五章 大槻清準『鯨史稿』成立の政治的背景
 一 『鯨史稿』の原本/二 大槻清準とその経歴/三 『鯨史稿』の成立/四 蝦夷地開発と『鯨史稿』
第六章 大槻清準『鯨史稿』と大槻玄沢『鯨漁叢話』の関係性
 一 大槻玄沢と蘭学/二 『蘭畹摘芳鯨篇 全』と『魚王譯史』
 三 大槻玄沢と鯨/四 『鯨史稿』「巻之三」の典拠
第七章 『鯨史稿』の「巻之三」と『解体新書』
 一 長崎滞在と『鯨史稿』/二 『鯨史稿』に使用された文献
 三 江戸時代の医学知識と『解体新書』の成立
 四 『鯨史稿』の「巻之三」と『解体新書』の共通性
あとがき……宮崎克則

前書きなど

まえがき
森 弘子 
 鯨は、日本においても欧米においても貴重な資源であった。文政三(一八二〇)年頃から欧米の捕鯨船が日本の近海に現れるようになると、日本では鯨の捕獲高が減少していき、捕鯨業は徐々に衰退の道を辿るようになった。
 江戸時代に捕鯨業が盛んであった地域では、捕鯨に関する多くの絵巻や図説(以下、捕鯨図説とする)が作られ、今に残されている。
 なかでも、西海地方(北部九州の海に面した地域)の基幹産業であった捕鯨業を題材にした捕鯨図説の『小児の 弄 鯨一件の巻』や『鯨絵巻』(別名『鯨魚覧笑録』)、『取絵詞』および『鯨史稿』は、捕鯨史の研究者の間では高く評価されている。そして、江戸時代の鯨組の経営や組織のあり方、あるいは捕鯨活動などを解明するための重要な史料として広く使用されてき。
 しかし、これらの図説がなぜ作られたのか、どのようにして作られたのかについての実証的な研究はなされていない。そのため、作者や制作の意図について誤った解釈もなされてきた。また、その制作と社会状況との関係についてもほとんど言及されることなく使用されてきた。
 本書は、捕鯨図説の制作者の人物像や交友関係および当時の社会状況など、作品の背景にあるものを通して、制作の意図やその過程を明らかにしたものである。また、江戸時代に作られた捕鯨研究書である『鯨史稿』には、鯨体の解説や解剖学的図解が載せられている。何を参考にしたのか、その書籍を特定し考察を加える。

 本書は、全体を七章で構成した。
 第一・二章では、欧米と日本の捕鯨業について、捕鯨法と鯨の利用法についてまとめた。長崎のオランダ商館の医師として来日したシーボルトは、捕鯨の目的や捕鯨法が日本とヨーロッパでは違うという。しかし、彼が捕鯨業を実際に見たという記録はない。
 第三章では、捕鯨図説が作られた目的や写本の系統に注目しながら、西海地方と紀州地方の図説を比較し、それぞれの特徴を明らかにした。
 第四章では、格調高く『万葉集』を思わせるような文章で綴られた『勇魚取絵詞』は、どのような人物がいかに関わって版行されたのか、平戸藩が出した領収書「鯨帖版行出来一式代」や版木の管理に関する「殿様鯨状属御書」など、当時の史料から明らかにした。
 第五~七章では、「捕鯨知識の集大」、あるいは「鯨百科全」などと評価される『鯨史稿』が、どのような過程を経て成立したのかを、当時の日本とロシアの情勢や大槻玄沢『鯨漁叢話』や『解体新書』などとの関係から考察した。
 文化元(一八〇四)年九月、通商を求めてやって来たロシアの全権大使レザノフを、幕府は長崎に半年余り留め置き、通商拒否の回答を与えて虚しく帰国させた。その直後に蝦夷地がロシア人の襲撃を受けると、驚き慌てて蝦夷地の防衛策を考えた。その一つが、エトロフ島に鯨組を創設することであった。しかし、幕府の役人にとって捕鯨業は未知の世界であり、手引書となるものが必要とされた。そのために作られたのが『鯨史稿』(全六巻)であった。
 また『鯨史稿』が鯨の研究書といわれる所以は、「巻之三」に解剖学的図解、すなわち鯨の体内構造図や骨格図が載せられていることによる。そのために、著者大槻清準(儒学者)の親戚にあたる大槻玄沢(外科医・蘭学者であり、『重訂解体新書』を刊行した)が著した『鯨漁叢話』との関連性が過大に評価されてきた。しかし、『鯨漁叢話』は雑記帳のようなものであり、その中に鯨の体内構造図や骨格図はなかった。そして、捕鯨業に大きな夢を見ていた玄沢も、捕鯨の現場を目にしたことはなかった。そこで、『鯨史稿』作成のために使用された一〇〇点以上の書籍類の中に『解体新書』があったことに注目し、この二つの書を比較し検討した。
 本書は、これまでに発表したものにいくらかの加筆修正を加えて、ここに集約したものである。

著者プロフィール

森 弘子  (モリ ヒロコ)  (著/文

一九四三年、福岡県浮羽郡(現久留米市)生まれ。二〇〇〇年、公務員退職。福岡市在住。
【主著・論文】「西海捕鯨絵巻の特徴─紀州との比較から」(『立教大学日本学研究年報№7』二〇〇八年)、『礒野五兵衛覚書─近世博多年代記』(秀村選三・近世博多年代記研究会編、二〇一三年)、「鯨組と地域産業の軋轢─平戸藩生月島の御崎大納屋から大島(的山大島)への書状」(共著『西南学院大学博物館研究紀要』2号、二〇一四年)、「唐津藩小川島の捕鯨史料(1)【鯨組方一件】」(共著『西南学院大学国際文化論集』28巻2号、二〇一四年)

宮崎 克則  (ミヤザキ カツノリ)  (著/文

一九五九年、佐賀県唐津生まれ。九州大学九州文化史研究所助手・九州大学総合研究博物館助教授を経て、現在、西南学院大学国際文化学部教授・西南学院大学博物館館長、文学博士。福岡市在住。
【主著】『逃げる百姓、追う大名』(中公新書、二〇〇二年)、『古地図の中の福岡・博多』(編著、海鳥社、二〇〇五年)、『ケンペルやシーボルトたちが見た九州、そしてニッポン』(編著、海鳥社、二〇〇九年)、『九州の一揆・打ちこわし』(海鳥社、二〇〇九年)、『シーボルト年表』(共著、八坂書房、二〇一四年)、『シーボルト蒐集和書目録』(共編、八木書店、二〇一五年)

上記内容は本書刊行時のものです。