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父さんの宝物
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2005年11月1日
- 書店発売日
- 2005年11月1日
- 登録日
- 2018年2月22日
- 最終更新日
- 2019年6月29日
重版情報
3刷 | 出来予定日: 2013-02-22 |
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紹介
<吉行あぐりさん推薦の言葉>
「父親の教科書」にしたい本。
健康に恵まれ、まっすぐにすくすくと成長されている八人の子どもたちと母上、理解と愛で堅く結ばれた妻。そして多くの良き友と良き土地柄の故郷を持たれ、これらをこよなく愛していらっしゃる「父さんの宝物」を面白く読ませていただきましたので、ぜひにと皆さんにおすすめします。
世の中のお父さんとその予備軍の人達に、ぜひ読んで頂きたい「父さんの宝物」です。
目次
「父親の教科書」にしたい本……………1
序……………3
父親の目
真夜中の電話…………… 10
おれは玄啄…………… 14
クリスマスの夜…………… 17
反抗…………… 20
勇気…………… 24
父親の光…………… 27
うそ八百のまこと…………… 30
おらほのヤソ様…………… 33
ゲンビッキ…………… 37
砂糖めんこ…………… 40
娘…………… 44
帰郷…………… 48
祭り太鼓…………… 51
頑固…………… 54
運動会…………… 57
たばこ…………… 60
三つの願い…………… 63
小通公民館…………… 66
ケセン語入門…………… 70
習慣…………… 73
井上先生の表彰…………… 76
はじめにことばあり…………… 80
幽霊…………… 82
日の出…………… 85
ひげひげ…………… 88
イエスさまのかたまり…………… 91
玄武…………… 96
宮床の春…………… 99
自己催眠術…………… 104
勉強のしかた…………… 108
いろはかるた…………… 111
街道のどん中…………… 119
炭火…………… 123
再会…………… 126
父さんの聖書の話
第一話 ただの飾り物…………… 135
第二話 しょせんは泥人形…………… 140
第三話 羊か、ササニシキか…………… 148
第四話 神と争う者…………… 157
第五話 星占い…………… 161
第六話 心の貧しい人…………… 170
第七話 軍人と預言者…………… 173
第八話 豚となめくじ…………… 179
第九話 父さんの紙芝居…………… 188
第十話 口の悪い男…………… 192
第十一話 復活…………… 198
第十二話 犬ころあつかい…………… 208
第十三話 八百長…………… 213
跋…………… 220
改訂版あとがき……………223
前書きなど
父親は一家の主である。その双肩にはまばゆい光が輝く。家族の長としての責任をしっかりと担い、堂々と力強く一族の行く手を切りひらき、つぎの世代を育てる。これが父親の栄光であり、誇りである。その足は巨木のごとく大地を踏まえ、その腹は大海のごとくすべてを飲みこみ、その胸は火山のように熱き思いを宿し、その肩は大岩のごとく、その頭は高い山峰のごとくに大空にそそり立ち、太陽をも支える力にみちた双の腕に妻と幼子を守る。
しかし、その父親も一朝一夕にそのような父親になるものではない。父親はみずから父親になるのではなく、子どもによってむりやりに父親にならされるのである。父親は子どもの偉大な師であるが、子どももじつは父親の生みの親である。
一人の父親がいた。幼い時に父親に死に別れたために、父親とはどのようなものであるかも知らず、どうしてよいかも知らなかったのに、ある時父親になっていた。彼は自分の頭の中で考えた父親像を必死になって現実のものにしようと試みた。しかし、現実は空想とはいちじるしく異なったものである。子どもは生きており、日々成長し、人格をもち、つぎつぎと驚くべき問題を父親に提出した。
たとえばある時、ふろの中で抱いていた赤ん坊にいきなり脱糞されたらどうすべきか。赤ん坊の便は柔らかい。脂肪分を多く含むから水に浮く。たちまちふろの水面は黄色い浮遊物におおわれる。こんな驚くべき状況など一度も空想したことのないロマンチックな若い父親はあわてふためく。子どもはしばしばとつぜんこのような予想もつかず逃げ場もない危機に父親を投げこむ。にこにこしている赤ん坊をしかったところでせんかたない。赤ん坊を抱いた手を離すわけにもゆかない。さりとてへたに体を動かせば、全身汚物にまみれることとなる。赤ん坊がしだいに大きくなっても、彼は手を変え品を変えてさまざまな「おふろのパニック」を父親に提供しつづける。その中で、父親は汚物にまみれつつ父親になってゆくのだ。
この本はそうした日々の中で、一人の父親が生まれ、育ってゆく過程の点描でもある。わたしは父親として子どもにいろいろのことを教えたが、じつはそれを教えさせたのは子どもらであり、父親が必死になって教えるべきことを考えるようにしむけ、強制したのも子どもらである。だからこの本の隠れた著者はわたしの子どもらかもしれない。
この本に収録した随筆は一度に書かれたものではない。わたしが東北大学に勤務していたころから、故郷気仙で開業医をしている現在まで、女子パウロ会のご高配によっていろいろな機会に書きためたものである。一部は「教えの手帖」誌に連載された。だから登場する子どもらの年齢もそのつどちがうし、舞台も仙台近郊の泉市と岩手県大船渡市の二つになる。
わたしはこの国では少数派の、カトリック信者の家庭の子として生まれ、育った。親たちはキリスト教の精神をしっかりとわたしに教育してくれた。わたしもその信仰を受けいれておとなになった。同時にわたしは、岩手県気仙地方の「気仙衆」としての誇りをその言語とともに骨肉として育てられた。わたしにとってキリストは気仙の大工殿であり、その弟子たちは海辺で網を繕っている浜人たちであった。この本に出てくるケセン語はわたしの故郷のことばである。このことばはわたしにとって魂そのものであり、神のいのちを宿す神聖な座である。ケセン語が神のことばになるとき、キリスト教はわたしの中で土着したのである。
わたしは幸せなことに八人の子どもを授かった。玄州、玄児、玄悟、玄武、玄琢、祥子、綾子、玄斎という。わたしの家は代々医者を家業としており、医者は玄の字を名につけることが多いのが江戸時代からの伝統である。それで男の子に玄の一字をつけることにしたら、こんな時代劇のような名になった。カトリック信者は洗礼を受けるとき、昔の聖人の名を洗礼名としていただき、その聖人の加護を求める古い風習があるが、わたしの子どもらは上からアンドレア、ベルナルド、カルロ、ダニエル、エマヌエル、フランシスカ、ガブリエラ、ヒエロニムスという。ABC順だ。このABCどもが投げかける奇想天外な危機的問題を相手に、彼らにとっての偉大な父親たらんと志して泥まみれの苦戦を続けた一人の父親の手記が、この本である。 著 者
版元から一言
「この本は家族に評判が悪くてね・・・」と山浦さんは苦笑い。それもそのはず、家庭の中の様々な”事件”を本に書かれては子どもたちもたまったものではない。でも読み手にとっては、敬虔なカトリックの家庭、しかもそれが山浦さんの家庭の中の出来事だから興味津々でつい読み進んでしまう。
でもこの本のポイントは,「信仰を持つ親が子どもとどのように向き合ってゆくかのヒントになる本」ということだと思う。父親を小学1年で失い、懸命に勉学に励み大学を出、結婚し、夢中で8人の子どもたちを育て上げた山浦玄嗣さんの人生そのものが垣間見られる本でもある。
カバーの絵や挿絵はすべて山浦さん自身が描いたもの。その絵を見ただけで山浦さんの家族に対する深い愛情を感じることができる。これから子育てする人達にぜひ読んでほしい1冊です。
関連リンク
http://ihv.jp/
上記内容は本書刊行時のものです。