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“あの日たち”へ
旭川・劇団『河』と『河原館』の20年
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2016年12月
- 書店発売日
- 2016年12月21日
- 登録日
- 2016年12月12日
- 最終更新日
- 2016年12月21日
紹介
1970~80年代──。中央の演劇界から遠く離れた旭川で、
奇跡のように存在した劇団「河」の圧倒的な舞台。
川の街・旭川の地で活動した劇団「河」。
1959年の旗揚げ以来、オーソドックスなリアリズム劇をレパートリーとしていた彼らは、70年代を席巻したアングラ・小劇場演劇の高まりに刺激を受け、唐十郎、清水邦夫らの作品を次々と上演。その圧倒的なエネルギーと強烈な存在感あふれる熱い舞台は観客を魅了した。
1976年には、在京劇団の内部分裂により上演不能となった劇作家・清水邦夫の戯曲「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」を作者自身の演出で初演し、在京の演劇人からも注目を浴びる。
常磐公園脇に設けた劇団の拠点「河原館」には多くの若者が集い、旭川の芸術・文化の発信拠点ともなった。
劇団が独自性を顕著に発揮し始めた1960年代末からの約20年間を中心に軌跡を辿る。
目次
プロローグ~はじめににかえて
第1章 劇団「河」の誕生と和久演出の時代
第2章 転機となった「友達」上演
第3章 北修の娘
第4章 清水邦夫作品との出会い
第5章 唐十郎作品との出会い
第6章 「河原館」オープン
第7章 やりすぎたアマチュア
第8章 文化拠点としての「河原館」
第9章 在京演劇人との交流
第10章 オリジナル作品の追求
第11章 「詩人俳優」
第12章 「将門」初演
第13章 清水作品の追求とアイヌ文化探究
第14章 活動停止
エピローグ
あとがきにかえて
劇団「河」上演記録
参考文献一覧
前書きなど
プロローグ~はじめににかえて
(前略)
1976(昭和51)年5月。1年前に開館したばかりの旭川市民文化会館小ホールで、全国の演劇人の注目を集めていたある舞台の幕が開いた。
「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」。日本を代表する劇作家、清水邦夫が前年に発表した作品である。
作品を上演したのは、地元旭川の劇団「河」。作者である清水自身の演出による、これが“全国初演”だった。
敗走を続ける平安の反逆児、平将門の一行に、連合赤軍に象徴される政治闘争末期の若者たちの姿を重ね合わせたこの群像劇は、もともとは清水が、盟友である演出家、蜷川幸雄の助言をもとに、2年ぶりに書きおろした作品だった。
新作は、清水が妻の松本典子や山﨑努、石橋蓮司、緑魔子らと結成した新しい劇団で上演される予定だった。しかし「風屋敷」と名付けられた新劇団は内部対立によってあっけなく解散、公演は直前で中止を余儀なくされる。
そのいわくつきの作品を、北海道旭川の一アマチュア劇団が初演したのは、当時の演劇界にとって一つの“事件”だった。
*
1959(昭和34)年に創設された旭川の劇団「河」は、長くオーソドックスなリアリズム劇をレパートリーとしていた劇団である。が、70年代に入り、いわゆるアングラ・小劇場演劇の作品の上演を始め、在京演劇人からも注目を浴びるようになる。
清水の意欲作「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」の初演という“事件”は、その成果の一つといえるが、「河」の活動には、ユニークなオリジナル作品の追求や自前の小劇場を拠点とした多彩な情報発信、アイヌ文化の探求など、他にも特筆すべきものが多い。
本稿は、そうした劇団「河」の軌跡を、その独自性を顕著に発揮し始めた1960年代末からの約20年間を中心にたどったものである。
地方劇団として全国でも稀有な存在であった劇団「河」の活動と、彼らが躍動したあの時代は、やはり長く語り継がれるべきである。ここには、その一端を“目撃”し、大きな影響を受けた筆者の思いが込められている。
上記内容は本書刊行時のものです。