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モンゴルの民主革命 木村 毅(著) - 中西出版
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モンゴルの民主革命 (モンゴルノミンシュカクメイ) -1990年春- (センキュウヒャクキュウジュウネンハル)

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発行:中西出版
四六判
縦188mm 横128mm 厚さ15mm
重さ 294g
294ページ
並製
定価 1,500円+税
ISBN
978-4-89115-264-2   COPY
ISBN 13
9784891152642   COPY
ISBN 10h
4-89115-264-8   COPY
ISBN 10
4891152648   COPY
出版者記号
89115   COPY
Cコード
C1022  
1:教養 0:単行本 22:外国歴史
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2012年5月
書店発売日
登録日
2012年5月18日
最終更新日
2012年5月19日
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目次

プロローグ〈独立革命〉
第一章 シネチレル(刷新)の時代へ
第二章 ネグデル改革へ
第三章 潮流
第四章 転換
エピローグ〈民族の勇気〉

「あとがき」にかえて

前書きなど

◇ 今年は、モンゴルの民主革命から22周年である。新憲法を定めた時からの20周年である。日本とモンゴルが国交の樹立を果たした時からの40周年である……というようなことなども思い出しながらの着手であったが、なんとかここに漕着けた。
 90年の春のモンゴルは、アジア史の奇跡ともいうべき「無血の民主革命」によるところの一大転換をとげていた。92年以降の一部なども含めての概観をしておくと以下のようなのだった。
(1) 90年7月に――人民大フラル(国会・定員430人)の初の自由選挙が実施に移された。結果は……人民革命党357、民族進歩党、社会民主党および無所属など73人というものだった。
(2) 組織力にも宣伝力にも抜きん出ていた、人民革命党の圧勝だった。
・「全てを賭けていた人々の……「退き際の見事さ」が光っていた。
・「このままでよいのか」とゾリグは言っていた。
・「人民革命党は解体されないまま、社会主義時代の財産も独占してしまった」のだから「強いのは当たり前だ」とバトウールは言っていた。
(3) 92年1月に――「民主化の総決算」ともいうべき、歴史的な新憲法が公布されるに至った。
 1 「社会主義の放棄」と「基本的人権の尊重」
 2 国名を「モンゴル国」に。
 3 儀礼的、象徴的な地位ではあるものの――国家元首である大統領を「国民による直接選挙によって選出する」。
 4 議会は(全国を26に分けている中選挙制に基づくが)「定員76人による一院制」に。
 5 「あらゆる所有形態を承認」する。「基本的人権の尊重」に基づく改革の促進を図る――などのものだった。
(4) 同年6月に――通算2回目の総選挙が実施に移された。
・ソ連との貿易が“断絶”となる中、経済の混乱と不安は極限に来ていた。忍耐強いモンゴル人の顔にも、苛立の表情がありありと出ていた。
・総選挙の結果は……人民革命党の圧勝であった。(76中の71)野党は民主党2、民族進歩党・社会民主党・統一党各1の計5人であった。
(5) 96年6月に――通算3回目の総選挙が実施に移された。
・ウランバートル市での電力不足も、市内にある第4発電所の本格改修(日本からのODA援助)で回復傾向。インフレもやや収束気味、とはいうものの改革の困難は変らない。
・総選挙の結果は……3年前の大統領選挙で勝利した民主党など、野党連合が勢いを生かして地滑り的な大勝利をえていた。(76中の50)75年ぶりの政権交代へと進んだ。
(6) 2000年7月に――通算4回目となる総選挙が実施に移された。その結果は……今度は76議席中の72議席を人民革命党が占めていた。(民主党を中心とする若者たちの新政権は1期4年で終った)
(7) 2004年7月に――通算5回目となる総選挙が実施に移された。89年に一人当たり800ドル位であった国民所得は約2.2倍になっていた。
  民主党など、若者たちの陣営は前回に引き続く敗北で終わった。
◇ 若者たちの「たった1期での敗退・敗北」というウラには、何があったのか。(そのことを)考えない訳にはいくまい。
・組織が弱かった。
・政策が弱かった。……その上に、不幸な「分裂の問題」も絡んでいた。
 一匹狼的な気質は「モンゴル人の特質の一つのようだ」とは思うが……かと言っても、てんでばらばらで戦っていては勝てないし展望も生まれない。
 敗けるべくして敗けていた。
 実は、91年の秋には――民主化運動の星であるゾリグ民主同盟議長が、既に組織運営や政策づくりの意見対立で民主党を離脱して共和党をつくっていた。(その他にも、それ同様の分裂の広がりやはねかえりが起こっていた)
 若者たちの陣営は、小党分立の時代へと入っていたのだった。また、その後のゾリグは――92年6月の総選挙の時には――共和党、労働党、民主党の一部などをまとめて「統一党」を創っていた。
(1) 96年の若者たちの勝利で、「分裂の流れ」は弱まる筈なのだったが……続かなかった。
(2) 97年に新政権は、「地下資源開発法」をつくっていた。特徴は……「国内の要人や外国資本の参入を優先する」ものだった。
・地下資源開発に関わる企業とその人々にとっては「政治的に有力なコネクションがあるかどうかが決定的」になった。また、その中では企業家と政治家の(監督官庁の)癒着が広がっていった。
・若者たちがつくった初めての政府は、「IMFの指導に従ったもの」と言ったり、「これが最善だ」とも言ったりなのだったが……。「民主党の失敗」の始まりであった。
(3) 99年に新政権は――所得税法の改正を行った――、税の累進制の廃止に踏み切った。同じく「IMFの指導に従ったもの」なのだった。
・「こんなことは健全な経済政策ではないぞ」という声は、さすがに民主党の中にも上がっていったのだったが……。
・「IMFとは何か?」の声もしきりなのだったが。
◇ 「富の偏重」による不平等社会の拡大と「市場主義経済」の名の下での“格差”や“せめぎ合い”の社会的現実のみでは……。現状と現実の問題は重大なことだった。「改革のモンゴル」にとっては重くのしかかった。
  一方その頃の(97年・98年の)広がったアジア経済危機の問題とその意味も大きかった。例えば、モンゴルの銀行全体の不良債権比率は、3年前の30%弱が、いまではなんと51.5%にも上昇しているのだった。
  「この4年間で見せつけられていたこととは、一体なんだった」「IMFだ。規制緩和だとかというのも一体なんなのだ」……。
  人々はさすがに声にして怒っていた。
  「急に金持ちになる若い国会議員が増えたよ」、「カネが絡んでいる政治腐敗のことばかりじゃないか」とも言われていくのだった。
  敗けるのは「全く当たり前――」なのだった。(そしてそんな中で2000年の総選挙で早くも敗れていた訳だ)のみならずに2004年の総選挙でも、2008年の総選挙でも敗れていったのだった。
  若者たちはそこからの何を知るべきであるのか。焦らずに学んでいかなければなるまい。
  「過ちを改むるにはばかるなかれ」はモンゴル人のマナーの中での一つでもあったろう。
  市場原理主義オンリーの国であるそのアメリカのいうことのみについていこうのことでは、光りは生まれない。軍産複合の金権国家のやることは、金権国家のやることに任せておけばよいのだ。「歴史は過ぎ去った過去のことではない」のだ。
  若者たちはそのことを、忘れていてはなるまい。(「『あとがき』にかえて」より)

著者プロフィール

木村 毅  (キムラ ツヨシ)  (

1936年新潟市生まれ。高校教師、組合役員などを経た1988年にモンゴルを初訪問。同年暮れに新潟モンゴル親善協会設立、1990年には民間の交流団体「新潟国際文化交流センター」を設立するなど、交流の拡大に当たる。
現在、新潟県在住。

上記内容は本書刊行時のものです。