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だけど だいじょうぶ
「特別支援」の現場から
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2018年6月
- 書店発売日
- 2018年6月18日
- 登録日
- 2018年5月16日
- 最終更新日
- 2019年10月29日
書評掲載情報
2018-08-05 |
読売新聞
朝刊 評者: 加藤徹(明治大学教授、中国文化学者) |
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紹介
聾学校・養護学校に三〇年間勤め、「障害」をもった子どもたちと悪戦苦闘しながら心を通わせていった、一教員の実践と思考の軌跡――「我在り ゆえに我思う」
目次
Ⅰ 手話は禁止されていた
学校間交流/スピーチ/駆け落ち/視線/道をつくるように
Ⅱ 人間ですからね
すてきなプレゼント/百々(もも)のリハビリ/えりごのみ/趣味は仕事と魚釣り/バリアフリー
Ⅲ ふたたびの聾学校
タクシーで山登り/生きていく力/なぜ、学校に来ないのか/「鎖国」を考える/ウナギのかば焼き教室/こわい魚/「子わかれ」からの性教育/授業へ
Ⅳ 先生、元気ですか
旬を楽しむ/十年後はおとな/罰を受ける/ぼくの名前も変わりました/演技の練習には怖さも潜む/おかあさん!/種を粉にひくな
Ⅴ 二十年後を生きていく
チテキショウガイ/学童保育と学籍/地域懇談会/言葉の力で進む/「地域所属」/蛭子丸/もう一つの神話を
前書きなど
まえがき
さまざまな仕事場で働き、三〇歳になる頃に、私は福岡県内の県立学校に勤めることになった。そこでの仕事は、子どもたちに責任をもつということである。教室に入って子どもたちの前に立った時、そこに、かつての私がいると思った。
最初に赴任した学校は、聴覚「障害」の子どもたちのための聾学校だった。その後、知的「障害」の子どもたちのための養護学校に転勤。そして、別の聾学校へ。さらに、一九七九年の「養護学校の義務化」によって設置された知的「障害」の養護学校に異動した。
時代が移り、盲学校や聾学校、養護学校といったいわゆる「特殊学校」は「特別支援学校」へと名称が変更。現在では、養護学校は〇〇特別支援学校、聾学校は〇〇聴覚特別支援学校、盲学校は〇〇視覚特別支援学校というふうに呼ばれている。ちなみに小学校や中学校の「特殊学級」は「特別支援学級」と呼ばれるのが一般的である。
中身にそれほど大きな変化があったわけではない。以前と同じように、基本的には小学部と中学部があり、幼稚部や高等部を置いている学校もある。県立の場合は寄宿舎を併設している学校もあって、それぞれの学部は、「一般学級」と「重複学級」で構成されている。
「重複学級」というのは「障害」が合わさった子のための学級のことで、自宅からの登下校が困難だったり入院していたりする子のために、訪問教育を行っている学校もある。また、高等部だけの学校があり、その上に専攻科を置いた学校もある。
そんななか、知的「障害」の特別支援学校では、このところ全国的に児童生徒数が増加しており、先が見えない肥大化に困惑している学校がある。少子化の進行が心配されている時代に、なぜ児童生徒増なのか。そこには、学校関係者だけでなく、学校に信頼を寄せる人たちも考えるべき問題が存在しているのだが、問題はうやむやのまま、解決の見通しはたっていない。わかりにくいということを理由に、学校や地域だけでなく社会全体がその議論を避けているようにも思える。
私は障害に「」を付けている。障害というのは、当事者の問題というより、私を含めた周りの人々の問題であると思うからである。
学校には、家族の愛情をいっぱい受けながら通っている子もいるが、やって来る子どもたちの多くは、さまざまに苦しい事情をかかえている。
「できない、できない」と言われ続けた子がいる。「みんなのじゃまだ」と言われた子がいる。汚い言葉をくり返しあびせられてきた子がいる。親から見放され、おとなへの信頼をなくした子がいる。それまでの自分ではなくなり、自分の存在価値を見失った子がいる。
そばにいた私は、「だけど」という言葉を浮上させ、心のなかで声をかけていた。
「だけど、だいじょうぶ。人生は今だけじゃないから。ぼくが生きてきたように、十年後、二〇年後を生きてみようよ」と。
上記内容は本書刊行時のものです。