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子どもたちの問題 家族の力
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2018年2月
- 書店発売日
- 2018年2月19日
- 登録日
- 2017年12月18日
- 最終更新日
- 2019年10月29日
紹介
不登校
非行
虐待
性的虐待
発達障害
思春期危機
子どもたちが抱えるさまざまな問題に
大人と家族はどう向き合えるか
目次
Ⅰ
明るい不登校 三世代家族のバランサー
止まない非行 母のなりたかったもの
里親という生き方 家族の条件
Ⅱ
零度の約束 初めはふつうの家族だった
誰にも言えないこと 父と娘の距離
消えない炎 別れた家族が集まるとき
アスペルガーと記憶の泉 小説がカウンセラー
Ⅲ
思春期の生と死 深い霧の向こう
家族再統合 発達障害に訪れた奇跡
中学生で父親に 家族へのいばらの道
前書きなど
いくつかの偶然と様々な方々の厚意が重なり、私はこの本を書くことになった。
私が書きたかったものは、困難な成功事例の紹介でもなければ、児童相談所の機能の広報や相談援助技術の変遷を辿ることでもない。あるいは児童相談所を退職後に勤務したスクールカウンセラーの活動の一端の紹介でもない。ましてや子育てに役立つハウツー本とも違う。もちろんそういうものとして読んでもらってもかまわない。でも同じようなものは他にいくらでもあるに違いない。
私が書きたかったことの一つは、子どもの問題行動のなかに潜む不思議さである。ここで「問題行動」とは大人にとって困る子どもの行動と考えてもらえればいい。子育ての過程で子どもを問題行動なく育てることは不可能に近い。むしろ何一つ問題を起こさない子どもがいたら、それこそ最も深刻な問題なのではと思う。
その時に発せられる子どものサインを見逃さず、適切に応ずれば、それにかかわる大人たちは思ってもみなかった宝物を手にすることができる。即ち人生を生きなおすことが可能になるのだ。でもそれを無視したり、向き合うことから逃げ続ければ、事態はしばしば破滅的な結末となる。それは様々な少年事件の報道を見るまでもないだろう。
私はここでマニュアルやスキルを超えた大人の関わり方について書きたいと思った。
もう一つは子どもの問題行動に対する家族の関わり方についてである。いざという時に家族の力を発揮するための方法がある。どの家族もその家族にしかない秘密と可能性を持っている。それをうまく引き出せたときには問題は解決し、子どもたちは成長する。その逆もまた然りである。
ささやかな経験であるが、家族力を発揮するための大切なことを幾らかでもお伝えできればこれにすぎることはない。
私は某県の児童相談所に二十年ほど勤務し、更に現在は郷里の県の教育委員会に所属しスクールカウンセラーを十年近く続けている。
児童相談所は今でこそ児童虐待に関して、マスメディアに取り上げられることも増えた。児童福祉法に定められた各県や政令市に設置されている、〇歳から十八歳までの子どもの相談に応じる行政機関である。戦災孤児や浮浪児の収容から始まったその社会的役割は時代とともに変化を続けてきた。不登校と非行がケースワークの主流だった時代もある。最近では「発達障害」や「児童虐待」がクローズアップされている。現在では、平成十六年から児童相談の第一義的な機関となった市町村と連携しながら、虐待などの要保護児童(保護を要する子ども)の支援が中心となっている。しかしながら相談件数の半分以上にも及ぶ障害を持つ子どもと家族への支援については知らない人が多い。
私は問題を抱えた子どもたちとその家族に関わる中で、人生の大切なことの大半を学んできたような気がする。実は最初から高い志を持ってこの仕事を始めたわけではない。若い頃にはいろんなことを斜めから見る癖があり、特に相談を受ける行為に関しては、その中に欺瞞的な要素が含まれている気がしてならなかった。だから誰かに何かを相談することにも、誰かの悩みを聞くということにも縁遠い人間だった。また、子どもと接するのはどちらかというと苦手であった。そんな人間が児童相談所の職員になったのには幾つかの誤解と偶然が重なってのことだった。勤務したころは、不登校相談が増加し始めていたころだった。子どもの頃に学校が大嫌いだった私は、子どもたちの苦しみには自然に共感できた。子どもたちから(親にも言えない)本音を打ち明けられるたびに、自分の心の知らない何かが動き始めるのだった。また周囲には「この子には学校に行くことよりももっと大切なことがあります」などと親や先生に直言する先輩ケースワーカーもいた。新参者を一人前のケースワーカーに育てようとする環境も今よりは整っていた。相談技術の極意は恐らくは一対一の口伝によるしかない。そんなことがまだ可能な時代だった。そして子どもたちと触れ合う中で分かったことがあった。それは「大人は騙せても子どもは騙せない」という実感だった。
子どもたちはみんな不思議なアンテナを持っている。それは単なる職業として関わろうとする大人か、親身になって心配してくれる大人かを察知するアンテナである。またそれは諦めや停滞を本能的に拒否し変化や成長を感知するアンテナでもある。それらは子どもたちが社会や家庭内の弱者であることと深くつながっている。
むろん子どもを騙すことは現実には容易である。特に十歳未満の子どもには白を黒と言い含めることもできる。そしてそういう大人たちでこの世は溢れかえっている。
でも子どもたちをいくら巧妙に言い含めたとしても、子どもたち自身がそれを受け入れたとしても、そのアンテナは無意識の底で「ちがう」と囁くのだ。子どもはそれを意識することも言葉で言いあらわすこともできない。だから様々な行動によって表現するしかない。それが「問題行動」と呼ばれる行為の大部分であると思う。
おそらくそれは全ての大人がかつて持っていて、社会に順応するために忘れ果てたものなのだ。例えばそれは家族の中で父も母も諦めてしまい、もはや諦めたことさえも忘れてしまっている夫婦のお互いへの絶望や悲しみなのかもしれない。それは子どもの問題に向き合う以外には、大人たちが気づきようがなかったものなのだ。そうであれば、そこには家族の再生のカギが眠っている。
子どもと付き合う最上の方法は、遊びと共に大人みずからもまた成長しようとする姿勢のように思える。腰掛のつもりだった私は、いつしか子どもを理解するために、以前より本を読みものを考えるようにもなった。苦手な卓球やバトミントンも少しはうまくなった。詩や散文を書くようになったのも子どもたちの目覚ましい変化を言葉にしたいと願ったからだ。やがて子どもの支援には家族の支援が必要なことが分かった。折しも「家族療法」に出会えたことは私にとって幸運であった。しかしどれほど優れた体系や理論も人生の現実を把握しつくすことはできない。だからある仮説が正しかったかどうかは、一人の子どもの困りごとをどれだけ解決できたかという一点にしかない。
本書は十のエピソードからなり、筆者の中では時間的な順序があるのだが、もちろん目次を見て興味を引いたところから読んで頂いてかまわない。小難しい理屈抜きで「子どもと家族の物語」として読んでいただければ十分である。
子どもたちと家族に出会う中で、自ずと芽生えてきた言葉がある。それは世の中には二種類の大人がいるということだ。子どもの心を持った数少ない大人たちと、一方で大人の格好をしたたくさんの子どもがいる。私は今でもその道の途上にある。その導きの糸は、むろん子どもたちの問題と家族の力なのである。
末尾になるが、これらの物語には創作的改変が加えられていることをお断りしておきたい。
上記内容は本書刊行時のものです。